新異名登場!
10月下旬のブログにて告知しておりました、「異名が7つ増えて、100個になります」の件ですが、めでたく本日追加されました![]()
企画会議では、歴史好き以外の方にはまったく刺さらないと酷評(/TДT)/されていた異名も、ついに100個の大台に乗りました…。勝手に感慨深いモノがあります![]()
さて、そんな異名の追加のたびに、わたくしの周りの城めぐらーの友人たちに言われるのが、追加されれば追加されるほど、昔から城めぐりに登録している人が不利なのでは?、ということです。
確かに普通に考えれば、個数や人数などの累積の数が条件になっているものは、また最初から挑戦するのか!?、という疑問が芽生えます。しかーし、ほとんどの異名については、「救済措置」というものがあるのです。
例えば、100万両以上使った人だけがもらえる異名が追加されたとします(←これは全く架空の異名です)。昔から城めぐりに登録しているAさんは、すでに今までに120万両使っていたとして、また一から条件に挑戦するわけではないのです。
「救済措置」付きの異名では、過去にさかのぼってその条件をクリアしているかどうかを判定しますので、この場合、Aさんは異名が追加された翌日にはこの異名をGETできるのです。
実際に、本日新たに登場した7つの異名のうち、6つまでが「救済措置」付きです。説明不足の感はまったくもって否めませんが、今までにあった異名追加の時も、この措置が発動してました。(逆に「救済措置」ナシの異名は、その時点からでも十分獲得可能な不公平感の少ない異名となります。)
長々と事務的な説明をしてしまいましたが、こんな感じのシステムになってます、という話でした。100個もあると、どれをマイページに飾るか迷うところですが、まずは全異名コンプリートを目指して頑張りましょう![]()
ネギと安土と健康と信長
安土城と言えば、信長が自らの権力を誇示するために、当時の技術の粋を集めて築いた大城郭として有名ですが、残念ながら今では石垣などが残るのみで、天守(天主)などの威容を私たちが拝むことはできません。
本能寺の変の後に、明智勢が放火したとか、織田信雄(信長息子)が焼いちゃったとか諸説ありますが、とにかく建物群は焼失してしまったのです。一説に、信長が狩野永徳に安土城を描かせた屏風がヨーロッパ
にあるとかないとかなので、それが発見されれば「安土城復元天主」が実現するかもしれません。
さて、なんで急に安土城の話かというと、今日の産経新聞に、
“夢はでっかく「安土信長葱」 地元JAが商標登録、全国へアピール”
というのがありまして、思わず壮大なネーミングに引かれ何事かと記事を見てみたわけです![]()
見た目は結構普通のねぎでした(・ω・)/
でも、中味が違うんです(なぜかフォロー)。記事によると…
“10月末から3月までが収穫期で、最大のウリはボリューム。太さが目立ち、重さは平均で通常の白ネギより約50グラム多い約150グラム。100グラム以上でなければ認めない。”とのことで、安土城を彷彿とさせる(個人的見解)重厚感があるのです。
今回の記事自体は「安土信長葱」という商標をとったよ、という話ですが、なんでも一般的なりんごよりも糖度が高いということなので、信長ばりに全国を席巻するかもしれません。
ねぎは食べて健康に良し、風邪を引いたときは首に巻いても良し、の食材なので、体調を崩しやすいこれからの季節、みなさんも機会があればぜひ信長の力にあやかってみてはいかがでしょうか?
江戸時代のステータス
城めぐりには、ちょいちょい「●●陣屋」というものが収録されていますが(陣屋の説明は過去のブログ で)、決して江戸時代に「陣屋」という言葉が流行っていたわけではありません。
「城」を建てたくても建てられなかったからなのです。よく、江戸300藩などと言われますが、そのうちの約半数は城を持っちゃいけない大名だったために、「陣屋」なのです。
これは江戸幕府による大名統制によるものですが、反対に、城を持っていい大名は「城主大名」と呼ばれていました。城めぐりでも「城主」という個人的にもうらやましいステータスがありますが、当時も「城主大名」は相当なステータスだったようです![]()
Wikipedia の説明を借りれば…
“城主大名とは、近世江戸時代における大名の格式の一つであり、大名家をその居地・居城で区別する国主(国持大名)-準国主-城主-城主格 -無城(陣屋)の5階級のうち、国許の屋敷に城が認められている大名をいう。その他、大名統制には、並大名が諸大夫(従五位下)である官位が四品(従四位下)以上に叙任される家格であったり、伺候席によって区別されていた。慶応3年(1867年)で151家。”
となっています。
つまり、認められた大名家以外は新しく「城」を築くことができなかったという残念なシステム(一お城ファン的に)が存在したわけです。しかも、城主大名であっても、城を無断で修理することができないなど、多くの制約がありました。(かの福島正則も、無断で城を修築した“という理由”で飛ばされました(;´Д`)ノ)
江戸時代は、「城」そのものにとってはある意味苛酷な時代でもありましたが、また機会があればそんな時代の城エピソードを紹介していこうと思います。
【祭情報】二条城お城まつり
11月は文化の日もあったりで、各地で祭りが盛りだくさんですが、今回はいつもとはちょっと雰囲気の違う祭りを取り上げてみました。
今までは結構、火縄銃ブっ放しやら、武者行列やらで物々しいというか猛々しい祭りを多く紹介してきましたが、今日は非常に穏やかな祭りです。
その名も「二条城お城まつり」です。すでに優雅![]()
個人的には二条城と言えば、まだ豪快に鼻水を垂れ流していた子供の頃に、遠足だったか家族旅行だったかで初めて行った思い出のある城です。当時のうぐいす張りの記憶は今でも(今のところは)頭に残っています。
この祭り、すでに10月15日から催されておりまして、約40日間にわたって開催されるのです。ということは今まさに開催期間中なのですが、11月23日までありますので、今回は残りわずかとなったこの祭りのみどころを紹介しましょう。
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★二条城お城まつり~AUTUMN FESTA 2011~★
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━ 内容 ━
<公式サイトより引用>
○11/15~11/23 AM9:00~PM4:45 (@二の丸御殿台所)
■映像で見る二条城
→MBS製作の「美の京都遺産」を映写し、二条城のさまざまな魅力を映像で紹介する。
○11/18 PM2:00~ (@東南隅櫓前)
■椿の苗木プレゼント
→二条城で育てた椿の苗木を先着100名に配布する。
○11/19 PM2:00~ (@東南隅櫓前)
■二条城の土プレゼント
→職員が城内の落ち葉で作った園芸用の土を先着300名に配布する。
○11/20 AM11:00~PM2:00 (@緑の園)
■放鷹術の実演
→日本放鷹協会による「放鷹術」の実演,歴史説明,観覧者との記念撮影を行う。少雨決行。
○11/21~11/22 AM9:30~PM1:00 (@特別名勝・二の丸庭園他)
■二条城庭園めぐり
→職員が特別名勝・二の丸庭園等の城内各庭園を案内する。(各日各回当日先着30名)
など
▼参考
(1)開城時間
AM8:45分~PM5:00まで(受付終了PM4:00)
(2)入城料
一般600円(30名以上の団体は500円)、中高生350円、小学生200円
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京都&奈良は修学旅行などで訪れたことがある人も多いと思いますが、個人的には大人になってからもう一度訪れてほしい場所です。
あの頃には分からなかった良さがきっと見つかるはずです。
本日より!! 大坂冬の陣勃発
今日は2011年11月11日。戦国大名の中には、陰陽師に暦を見させて出陣の吉日を占わせたお方もいましたが、城めぐりも『1』が6つもならぶ本日から、「家臣団コレクションβ」で新しいイベントを開始しました。
今から約400年前の今頃、大坂城周辺には多数の大名&浪人が集結しつつありました。そう、「大坂冬の陣」です。
前回の関ヶ原からあまり時を置かずして始まることになりましたこのイベント、大坂の陣も全国から諸大名が集まって行われた一大籠城戦ですので、ぜひやるべきだろうという意見多数によって急遽決定しました![]()
確かに、大阪にいながらにして、家康や政宗、そして真田幸村までそうそうたるA級武将達が発見できるわけですから、貴重な戦いです。
今回発見できる武将の数は約40名ほどです。(もともと大坂城と場所を同じくする石山本願寺跡にお住まいの本願寺系の僧侶などはこの数に含みません。)
注:遠国探索は出身地ベースですので、これらのイベント地では見つけられません。
例によって参考までに布陣図を貼り付けておきましょう(携帯で細かくて見づらい方はこちら )↓
(宣伝:ちなみに「戦国のすべて 」では現在まさに冬の陣特集を公開中)
今回、各武将の場所を配置していて思いましたが、意外と昔の地名って今でも残ってるんですね。真田丸周辺などは、引っ越したくなるくらい「真田」と名の付くものが多いです。前回同様、各武将は半径1~2kmくらいで発見できますので、史跡散策がてらぜひめぐってみて下さい。
あっ、言い忘れましたがイベント終了日は、12月20日です!
冬があるということは、夏もあるということ![]()
過去問
「過去問」と聞くと、受験勉強の地獄のような日々
を思い出す方もいるかもしれませんが、今回はそんな話ではありません。
現在、毎日1問歴史に関するクイズが出題されていて、当たり前ですが新しい問題が日々更新されています。
そんな中、家臣団でも両を使うようになったし、ちょっとでも両を増やして、アバター普請や遠国探索や褒賞などに活用して頂こう、ということでボーナス期間を設けることになりました。
期間は12月1日~12月15日の半月間。
しかも、この期間のクイズの内容が、“過去に出題されたことのある”、“城に関するクイズ”になります。つまり「過去問」ということになります。
確かに最近城めぐりに登録された方にしてみれば「過去問」もへったくれもありませんが、長く続けている方にとっては、いつか見たクイズが再登場します![]()
「あー、この問題あのとき間違えたんだよなー」と回想しながらリベンジしてもらえれば、これに勝る喜びはありません。
「ボーナス期間」と言うだけあって、普段はクイズに正解すると「5両」、難問なら「10両」がもらえるところを、この「過去問」については、すべて「20両」がもらえます。(連続正解ボーナスはもちろん別途付きます。)
不正解になることを避けるために普段あまりクイズにチャレンジしない方も、ぜひこのチャンスに挑戦してみて下さい![]()
攻城の種類(おびき出し/つけ入り)
今日は久しぶりに「攻城の種類シリーズ」です。今回は「おびき出し/つけ入り」を取り上げます。
「おびき出し」とは、その名の通り「敵をおびき出す」ことを言います。攻める方としては、できるだけ損害を小さくしたいわけですから、敵がノコノコと城から出てきてくれればもっけの幸いなのです![]()
おびき出しの有名な例としては、武田信玄vs.徳川家康の三方原の戦いがあります。家康はもともと浜松城にいたんですが、信玄はこれを攻めると見せかけて、そのまま背を向けて通り過ぎてしまいます。これに憤慨した徳川勢が背後から襲いかかったために野戦(三方原の戦い)が勃発しました。
結果はご存知の通り約3倍の兵力の武田軍が完勝します。分かっちゃいるけど、家康もついつい追いかけちゃったんですね。「おびき出し」は恋愛にも使えるテクニックと言えます![]()
他にも「苅田誘引(かりたおびき)」、「苅田戦法」というものもあります。これは城の周辺の稲を刈り取ってしまうという戦法で、当時は籠城兵の大半が城下の農民たちなので、自分たちが手塩に掛けて育てた稲を刈り取られる様子をじっと見ているわけにいかない、という心理をついたものです。これはかなり悪質ないやがらせですよ( ̄□ ̄;)!!
そして、怒りに任せて討って出てきた城兵を迎え撃って、そのまま城になだれ込むことを「つけ入り」と言います。
荒れ狂う農兵たちをしずめるのは、並大抵の指揮官ではできないことです。もっとも、戦さの名人真田昌幸は、居城上田城が徳川勢に攻められた際に、わざわざ苅田誘引に引っ掛かったと見せかけて、城際まで敵を引きつけておいて逆襲し、大勝しています。さすがは真田さん![]()
稲を刈る以外にも、城下町を焼き払ったり乱暴狼藉を働いたり、おびき出しのために戦国時代にはさまざまな方法がとられています。籠城戦にはガマン比べの側面がありますが、これらはまさにその最たるものと言えるでしょう![]()
【籠城戦】闘将宗茂の意地と清正の誠意
以前ブログで個人的に福岡の柳川城
へ行ったときの事を書きましたが、今回ピックアップ籠城戦に、その柳川城での戦いを取り上げてみました![]()
「どんだけ立花宗茂好きやねんっ」とツッコまれれば、何ら反論する術はありませんが、あまりこの柳川城周辺の戦いは知られていないマイナーな戦いかと思い、テーマにしてみた次第です![]()
いつも寡兵で頑張る宗茂の「関ヶ原」です。
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闘将宗茂の意地と清正の誠意
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筑後柳川城主、立花宗茂は慶長5年(1600)関ヶ原の戦いが行われた際、関ヶ原のほど近くにある近江大津城にあった。
決戦前、徳川・石田方双方が全国の諸大名に決起を促す中、宗茂は豊臣秀吉からの恩浅からずとして、いち早く西軍に身を投じて上方へ上っていた。
そして、毛利元康、小早川秀包、筑紫広門ら西軍諸将とともに、東軍に属した大津城(城主・京極高次)攻撃に参加し、これを開城せしめたのである。しかし、まさにこの大津城が開城した9月15日、関ヶ原では東西両軍の主力決戦が行われており、宗茂不在の西軍は惨敗を喫していた。
関ヶ原での西軍の敗報に接した宗茂は、総大将毛利輝元のいる大坂城へ急行し、輝元に豊臣秀頼を擁して籠城するように説得したものの、輝元は煮え切らず、失意のまま本国筑後へ帰国することとなる。
帰国した宗茂を待ち受けていたのは、周囲が敵ばかりという状況であった。南の肥後には西軍に属した小西行長領があったが、すでに加藤清正らに制圧され、北の肥前佐嘉城には、いったんは息子勝茂が西軍に属しながらも、その後東軍に鞍替えした鍋島直茂が在城していた。
直茂は、宗茂とともに北九州で評価を二分したほどの陪臣(宗茂は大友氏、直茂は龍造寺氏のそれぞれ家臣)で、このとき、息子の行動を償う意味でも、手柄を立てることに躍起になっていた。この直茂が10月20日立花領へ侵攻した。
鍋島勢約1万余(文献によって2~3万とも言われるが、この時の状況を考えると1万ほどが妥当であろう)、12段の備えに対して、立花勢も小野鎮幸らの部将が果敢に討って出て、両軍は江上(福岡県久留米市)や八院(福岡県大川市)において激突した。
立花勢は、1,000とも3,000とも言われる寡兵で、一時は鍋島勢の備えを大いに切り崩したものの、先鋒の安東五郎衛門・石松安兵衛が戦死、立花三太夫も乱戦の中で命を落とした。立花右衛門太夫父子も敵を横腹から攻め立て三町ほど切り崩すも、その後討死した。
主力の小野鎮幸も圧倒的兵力差の鍋島勢に対してよく戦ったが、次第に討ち減らされ、手勢の大半を討たれて自身も負傷するという敗北を喫した。
立花方は大将クラスの部将が多数討死するという損害を被ったが、それでも宗茂はなお柳川城にあって意気軒昂であった。宗茂を慕う柳川の領民たちも徹底抗戦を覚悟し、城に迫る鍋島勢に備えた。
そして直茂・勝茂父子がまさに柳川城を包囲した矢先、事態は新たな展開を見せる。西軍方ひしめく九州にあって直茂と同じく東軍に参じた加藤清正・黒田如水が柳川近くに着陣し、和睦へと動き出したのである。
特に清正は蔚山城の戦い(慶長の役)の際に宗茂に救われたことを忘れておらず、宗茂を死なせてはならじと懸命に宗茂に和議を説いた。宗茂も親身な清正の申し出に心打たれ、また、城下を戦乱に巻き込むことを良しとせず、ついに10月25日降伏を決断、柳川城は開城された。
その後、宗茂の所領は没収となったが一命は助けられ、清正から客分の待遇を得た。その後、加藤家に迷惑がかかることを憚り清正のもとを辞した宗茂は浪人するが、慶長11年(1606年)徳川幕府から奥州棚倉に所領を与えられ、さらには元和6年(1620)筑後柳川10万石に加増転封となり、ここに敗将立花宗茂は奇跡的に旧領返り咲きを果たしたのである。
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余談をひとつ。関ヶ原からの帰り道、実父高橋紹運の仇でもある島津氏の島津義弘と出くわした際、今こそ敵討ちすべきという家臣たちをなだめ、むしろ同じ西軍敗将どうし、協力して九州までの海路をともにしたという話が残っています。
はからずも自分の器の小ささが浮き彫りになってしまう、宗茂の男気ある話です。
家臣団をこまごま
なんか毎月家臣団をこまごま
いじっているような気がしますが、今日もそんな話題です。
すでにお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、家臣団TOPページが若干変わりました。いままでは巻物の絵が出ていたところ(家臣団一覧へのリンクの右側)に、各種情報が表示されるようになりました。具体的には…
家臣団コレクションの数
与えられる石高の残り
現在の所持金(両)
が表示されます。こちらはみなさんからのご要望にお応えする形で実現しましたが、特に石高の残りは、あと何人くらい召し抱えられるかが分かりますので、非常に便利です(個人的に)
。
他にも、気付きにくい部分ですがクエストの方でも少し改善がありました。
これまで、クエストで「武将を集める」系のものは、達成に必要な武将の顔と名前が表示されているだけでしたが、「誰を既に持っていて、あと誰を集めればイイのかわからん!」という声にお応えしまして、まだコレクションできていない浪人武将は、グレーの文字で表示されるようになりました。
つまり、既に家臣団にいる武将は赤文字で、まだ登用できていない武将はグレー文字で見分けが付くようになったのです。これによって、ターゲットとすべき武将が一目でわかるようになりました![]()
ということで、必殺!事後報告ですが家臣団改善のご報告でした(・ω・)/
関ヶ原本日まで
10月5日からスタートしていました通称“関ヶ原イベント ”ですが、今日でいよいよ終了を迎えます。
徳川秀忠は、上田城で真田親子にてこずって戦いに間に合いませんでしたが、わたくしはというと、東京で仕事という強敵にてこずって、同じく戦場に行くことができませんでした。秀忠と一緒に家康に謝りに行こうと思います。
そんな自分のことはさておいて、実際に関ヶ原に行かれて、おびただしい数の武将のコレクションに成功したみなさん、おめでとうございます
関東から九州にかけての武将が一同に会した野戦というのも他に類を見ないので、すごく貴重な期間でした。
自分のためにも、また今後同様の企画をブチ上げたいと密かに企んでいます![]()
さて、関ヶ原も本日で終わりですが、もうひとつ、先日お伝えした、官位「●●守」の「新条件適用移行期間」も本日いっぱいで終了致します。
これについては、先日のブログ
が詳しいのでここでは細かい説明は省きますが、あと数時間は残されていますので、「もうちょっとで●●守に手が届きそう!!」という方は、最後に猛チャージをお願いします![]()
と書きながら、もう1,000城増えてからマル3ヶ月も経つのかー、と感慨深い気分になってしまいましたので、本日はここまでに致しとうございますm(_ _ )m
11月も城めぐりをよろしくお願いします![]()

