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★ご注進★関ヶ原に武将が集結中!

ナゾの人「申し上げます!! 現在関ヶ原周辺に東西両軍の武将が続々と集結している模様です!!


という物見からの報告がありました。


そう、今月の21日(旧暦9月15日)は関ヶ原の戦いがあった日なのです。


これにともなって、本日より10月31日まで期間限定で、「家臣団コレクションβ」ではコレクションに登場する浪人武将の中で、美濃関ヶ原にて行われた関ヶ原の戦いに参戦した東西両軍の武将を岐阜県関ケ原町にある古戦場にて発見できるようになります!!


関ヶ原では実際にそれぞれの武将が布陣した場所付近で発見することができるようになっています。(ただし、携帯各社のアンテナのズレを考慮して半径1~2kmの余裕を設けています。)


例えば、笹尾山には石田三成が、南宮山には毛利秀元が布陣しています。参考までに全体の布陣図を掲載します。(画像提供:「戦国のすべて 」)

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※ケータイでブログを読まれている方は画像が見づらいと思いますので、こちら にて横画面にしてご覧下さい。


上図と現在の地図では多少異なる点はありますが、山や川などはほぼ当時のままですので、参考にしてみて下さい。また、著名な武将であれば、史跡として整備されていますので(小西行長陣跡など)、現地ではそれらも場所の参考にできるかと思います。


関ヶ原にて発見できる武将は、なんと総勢約60名ロケット しかも、普通なら全国各地に散らばっている武将たちを一気に登用できるまたとない好機!!


この期間限定イベントのチャンスをモノにせよ!!!!

家臣団データアップデート2

9月14日のブログ で告知させて頂いていたのですが、本日「家臣団コレクションβ」開始以来、2回目のデータアップデートを行いましたパソコン


アップデート内容は、前回(9月13日)と同様の内容となりますが、主に以下の点になります。


宝石緑一部武将の顔データを更新しました。

 →こちらはほんの一部だけですが…、念のため。


宝石緑武将の発見できる場所が大幅に増加しました。

 →今までよりも、さらに各浪人武将の発見出来る場所が大幅に増えました。前回よりもさらに考証を厳密に行い、各武将が統治(or居住)していた場所が、より多く発見できるポイントとして登録されました。


多い武将だと、全国で6~7箇所くらい発見できる場所があります。結構いろんなところで見つかる人の一例をあげますと、内助の功でおなじみの「山内一豊」さんの場合…


 ・愛知県一宮市あたり

 ・滋賀県長浜市あたり

 ・兵庫県赤穂市あたり

 ・静岡県掛川市あたり

 ・高知県高知市あたり ナドナド

今で言う、転勤族です。


宝石緑最後に、一部武将の出身国を見直しました。

 →これによって、前回同様、国名一覧ページで達成率(%)が増減している場合があります(家臣団総数に変化はありません)。出身国の見直しについては今後は行われない予定です。今回も正確な情報配信を目的とした改善となりますため、何卒ご理解を頂けますと幸いですm(_ _ )m


今回のアップデートによって、よりコレクションが集めやすくなったと思いますので、ぜひみなさん登用に励んで下さいませキラキラ

【籠城戦】信長との皮肉な再会

先日のブログで、「攻城の種類(調略/謀略)」というのをやって、その後に、謀略で奪われた名胡桃城の話をやって、今日はその続きで、同じく最後は謀略によって陥落した「岩村城の戦い」をピックアップしてみました。




近年、研究がすすんだ結果、高坂昌信だった彼が春日虎綱になったり、内藤昌豊だった彼が内藤昌秀になったり、真田幸村だった彼が真田信繁になったりと、武田家臣団の名前がバシバシ実名に変わっていく風潮にありますが、今回の主人公、わたくしも昔から好きな秋山信友さんも、秋山虎繁と言われるようになってきました。




なんか、違和感…。


例えるなら、国鉄がJRになったときくらいのインパクトです( ̄- ̄;




ということで、文中↓では虎繁で…




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信長との皮肉な再会


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秋山虎繁は、有能な人材を多数擁する武田信玄家臣団の中でもその名を知られた人物である。16歳で諏訪攻めに初陣し、天文16年(1547)には信濃伊奈北部の城砦を陥落させるなどの武功を重ね、知久、坂西、一瀬、晴近衆を率いる250騎持ちの侍大将として、伊奈郡代に抜擢された。




伊奈地方は信濃(長野県)の南部、天竜川が南北に走る盆地帯で、三河や遠江、美濃国境に近接した枢要地であった。三河は徳川家康、美濃は織田信長のそれぞれ領するところであり、虎繁は高遠城、飯田城を拠点としてこれらの敵に睨みをきかせたのである。




永禄10年(1567)、畿内方面での経略に専念したい信長は、美濃の後背地を領する信玄を敵に回す愚を避けるため、武田家との婚姻を申し入れた。重臣達はこの同盟に反対したが、虎繁は今信長と事を構えることは得策ではないと説いてこの婚姻を成立させ、信長から送られてきた結納の返礼使として自ら岐阜へ赴いた。




これに対して信長は能や鵜飼いの鑑賞に招待するなどして虎繁を大いに歓待したと言われる。信長がいかに武田との婚姻を喜んでいたかが伺えよう。




しかし一方で、信玄は信長の同盟者である家康との、旧今川領である駿河を武田が、遠江を徳川が領するとした盟約を半ば反古にする形で、虎繁に命じて遠江に侵攻させるなど、信長との友好関係が一時的なものでしかないことは明らかであった。




そして元亀元年(1570)、信玄は虎繁を東美濃へ侵入させた。東濃は古くから岩村城を拠点に遠山氏が蟠踞していたが、虎繁は2000余の兵をもって、信長の叔母を正室とする遠山景任(かげとう)ら5000余を撃破した。遠山勢は明知城主遠山景行が戦死、景任自身も負傷する大敗であった。




さらに、元亀3年(1572)信玄が上洛の軍を起こすと、虎繁は約5000の兵を率いて再び東濃へ進出。岩村城では、景任がすでに病死しており、信長が養子として送り込んでいた五男の坊丸(織田勝長)も幼少であったため、実際の城主は景任夫人(信長の叔母)が務めていた。



虎繁は堅固な守りを誇る岩村城を攻めあぐねたが、坊丸付きの織田家臣団を快く思わない城内の勢力を調略し、未亡人である景任夫人を自らの妻とすることで和睦開城させたのである。




その後、主信玄は上洛途上で病死したが、虎繁は勝頼の代になってもその東濃進出を支えた。岩村から岐阜まではわずか15里、信長は何とか武田の脅威を排除すべく岩村周辺の属城の備えを強化したが、勇猛果敢な勝頼の出兵によってそれらもことごとく落城した。




しかし天正3年(1575)、攻勢一方であった武田家の運命を変える出来事が起こった。三河長篠において、勝頼が織田・徳川連合軍に大敗を喫したのである。虎繁は岩村にあったため難を逃れたが、馬場・内藤・山県ら信玄時代からの同胞はことごとく討ち死にした。




この敗戦を契機に、東濃における状況も攻守が逆転する。同年6月、信長の嫡男、信忠率いる軍勢が岩村城を取り囲んだ。予めこの日があることを予期していた虎繁は、万全の体制をもってこれを迎撃した。城内には豊富な水を蓄え、飯田方面へは隠し道もあったという。数にものを言わせ正攻法で押し寄せる信忠軍も攻めあぐね、ついには兵糧攻めへと戦法を切り替えた。




織田の軍勢をほとんど寄せ付けないまま籠城戦は推移したが、次第に食糧も乏しくなり城内は困窮し始めた。また、勝頼の援軍も雪に阻まれ引き返したという。籠城5ヶ月目には信長自身も着陣、包囲網は一層強化された。




ここで信長は、はかばかしい戦果が挙がらない状況を打破すべく、虎繁に寛大な条件を提示して和を持って城を開けさせようとした。虎繁としても、望みのない籠城戦を続けるよりも、和議を結び城兵の命を助けることを優先すべきとして、ついに11月、岩村城は開城したのである。




虎繁は、座光寺左近進らを伴って信長の陣所へ赴いた。岐阜で信玄の正使として対面した以来、あまりにも状況の異なる“2度目”の対面であった。しかし、信長は虎繁との和議を遵守しなかった。虎繁主従、さらには虎繁に再嫁した自らの叔母をも許すことなく、岐阜長良川で極刑に処したのである。




さらには、城内に残った虎繁配下は殺戮され、帰郷を許すという触れに従って城を出た者たちも峠の林道にさしかかったあたりでことごとく焼き殺された。




虎繁がどのような思いで処刑されたのか、今となってはわからない。ただ、信長に降ったところで死が待っていることは分かっていたのではないだろうか。長篠に散った戦友たちの後を追うように、49年の生涯を閉じたのである。




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長篠の戦い~武田氏滅亡までの間では、武田家臣たちは寝返りや逃亡ばかりでまったくいいとこなしなんですが、この虎繁や高遠城で死んだ仁科盛信なんかはとりわけ美談に思えます。




しみじみと…、岩村城へ行きたくなってきましたヽ(;´Д`)ノ

なぐるみ?

ひらがなで書くと「ぐるなび」みたいですが、三連休に「名胡桃(なぐるみ)城」へ行ってきました。例によって城が目的地ではなく、目的地の近くに名胡桃城があったのでむりやり予定に入れ込んだ、世に名高い「ながら城めぐり」ですが、期待値以上の整備ぶりに大満足でしたひらめき電球


というのも、どうせ(と言っては失礼ですが…)草木がうっそうとした密林の中を、同行者に嫌な顔をされながら分け入っていくパターンかと思いきや、現地へ到着してみると「ようこそ」感あふれる観光地でした↓


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城跡を突っ切って作られた道路脇には真田六連銭の旗がなびき、なんと案内所(資料館&無料)まで設置されてます。当然のごとく入館すると、各種資料やジオラマ、発掘調査結果が展示され、ここだけでも結構な時間を費やせます。


名胡桃城はまさに前回のブログで書いた“謀略”によって奪取され、「名胡桃城事件 」の舞台となった城で、前々からわたくしも奪取してやろうと狙っていたのです。


案内所で、スタッフ(といっても地元のおじいちゃん&すごくいい人)が城跡を案内して下さるということで、もっけのさいわい、連れてってもらいました。


小田原征伐後には廃城になったとはいえ、遺構は良く残されていて感激モノです。馬出し跡や食い違い虎口跡、各曲輪跡もわかりやすく、土塁や堀の跡もアドレナリンが毛穴から溢れるほど見応えがあります。


ものの十数分で主郭まで到着しますが、そこからの見晴らしも抜群で、遠く沼田方面を臨みながら戦国時代へ妄想タイムスリップが可能な雰囲気を醸し出しています。ただ、終始都会には見られないタイプの不気味な蚊の大群に包囲されており、案内所へ戻る頃には全身43ヶ所(リアルです)に傷を受けるすさまじい攻城戦となりました。


いつもながら何の参考にもならない訪城記でしたが、険しい山を登るでもなく、遺構も見やすく保存されていて、資料や説明も充実している、人にオススメできる城です。群馬へ行かれる機会があればぜひ。(ちなみに、付近にある沼田城や小川城などもご一緒にどーぞ。)


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攻城の種類(調略/謀略)

攻城の種類シリーズ、これまで力攻め奇襲 を取り上げてきましたが、今回は調略・謀略編です。


力攻めも奇襲も、実際に兵を使って城を攻めることには変わりありません。つまり大なり小なり犠牲者を伴いますが、それを避けてできるだけ効率よく城をめぐる、ではなくて奪うのが謀略・調略です。


戦国時代にもっとも多く見られるのが、城内にいる内通者ナゾの人を寝返らせて、城を内と外から攻め立てる手段です。例えば武田信玄の家臣、真田幸隆(幸綱)は、信玄ですら落とすことができなかった信濃村上氏の砥石城を調略でもってあっさり1日で攻略しています。ちなみに幸隆の子、昌幸も多くの城を落としていますが、その多くが敵城内に内応する者を見つけ出して、最小限の犠牲で城を乗っ取るというものです。


この内応は、落城が間近になってくると顕著に増える傾向にあります。家臣団コレクションでは、まんじゅうをくわえているというウワサの荒木村重が信長に反抗して起こした摂津有岡籠城戦も、最終的には内通者が出たことによってほころびます。


逆に、内応にミスってしまう哀れな武将もいます。大坂冬の陣で籠城方だった南条元忠という武将は、内応する前に発覚して切腹させられます。そうとは知らない幕府方は、内と外から攻めるつもりが逆におびき寄せられ大損害をこうむったという話です。小田原城の戦いでも、豊臣秀吉に内応しようとした松田憲秀という北条家重鎮が、息子にチクられてあえなく監禁されています。内応するときはバレないようにしましょうね!という教訓です。


以上を「調略」と言うならば、「謀略」と呼べる手法もあります。城主を暗殺したり、和睦と称して城を開けさせ皆殺しにしたりと、今風に言うと“せこい”手段も、戦国時代にはごく普通に用いられていたのです。謀略の事例については、またブログにて別の形で取り上げるとしますメモ


ということで、攻城の種類シリーズ、またまた次回はいつになるかわかりませんが、そんなに遠くない未来にまたお目にかかりましょうビックリマーク

台風後…

おととい東京も台風に直撃されて街中がえらいことになっていましたあせる前日に買ったばかりの真新しいビニ傘も秒殺でした。城めぐり会員のみなさんの中でも台風15号の影響を受けた方も多いのではないでしょうか。


先日、まだこの台風が沖縄地方に停滞している頃、何気なく「台風 」というタイトルでブログを書いてましたが、まさかこんな巨大なものだとは想像だにしませんでした。その時のブログでは、台風12号によって、二条城の塀のしっくいがはがれ落ちたことを書きましたが、今回の台風でも大事な文化財が損傷していないか心配なところです。


いろいろ検索してみたものの、今のところそんなニュースはありませんでしたが、実はひっそり被害を受けている城もあるかもしれません。


そんな調べものをしている中で、現存天守が存在することで有名な犬山城(愛知県犬山市)も、かつて天守閣が台風の被害にあっていたことを知りました。


有名な伊勢湾台風(1959年)です。その後、解体修理が施されていて今の美しい姿を残しているのですが、何といっても木造建築なのでちょっとの風雨でも心配になります。ちなみに、公式サイトを見る限りは今回の台風では被害はなかった模様です。


他にも、古くは1612年に伊賀上野城(三重県伊賀市)が天守完成直前に大嵐によって倒壊したり、新しいところでは2004年の台風で熊本城(熊本県熊本市)の重要文化財である五間櫓の壁の一部がはがれたり、と各地の城に受難の歴史があります。


かの福島正則は台風によって崩れた広島城の石垣を修理して領地を没収されてしまうという悲劇に遭いましたが、現代では城を修理しても誰にも怒られることはありませんので(笑)、ぜひ城を愛する人々が協力しあって今の貴重な遺産を後世に残していくことを願っています。

Android追記

スマホが世の中に浸透してきたことで、ちまたでは自分の知らないうちに行動履歴がすべて彼女に筒抜けになってしまうという、世にも恐ろしい某アプリが物議をかもしたりしていますが、何も後ろめたいことはないのについつい家族に嘘をついて城をめぐってしまっている男性のみなさま、十分お気をつけ下さい。

あなた、お城と私とどっちが大事なの!」という、ドラマでよく見かける修羅場を迎えることになってしまいますので。
注意ちなみに、城めぐりアプリはちゃんと自分の意思で公開・非公開を選択できますのでご安心下さいドキドキ


さて、例によって主題とは全く関係ない前置きで長くなりましたが、城めぐりAndroid版で実装されておりませんでした2つの機能が、本日搭載されましたのでご報告致します。


まずは、「twitter連携機能」です。わたくしも昔ながらのケータイでがっつりツイートしておりますが(むしろ、それ以外につぶやく話題がないという噂もチョキ)、これからはAndroidをお使いの方々にもツイートして頂けるようになります。


みなさんの、「●●城を攻略!」の快哉を期待しております。


そして2つ目が、「城郭写真投稿機能」です。今まで、せっかくAndroidの高精細なカメラで写真を撮ってもアップできないという状態でしたが、本日より投稿頂けるようになりました。みなさんのイチ押しの城郭写真をお待ちしておりますカメラ


以上の2つが新たにお使い頂けるようになった機能です。Androidの城めぐりアプリを最新版にバージョンアップしてからお使い下さいませ。


遅くなりまして申し訳ございません、大変お待たせ致しました!!

台風

現在、台風15号が沖縄地方(南大東島付近)を通過中ですが、先日、紀伊半島などに甚大な被害をもたらしたことで記憶に新しい台風12号では、京都市にある国宝二条城が被害を受けました。


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msn産経ニュース より引用


去る9月4日、二条城の重要文化財、東大手門北方多門塀の「しっくいが横1・5メートル、縦1メートルにわたってはがれるのを職員が目撃した。文化庁と協議して修復方法を決める。(同サイトより)」とのことで、台風の影響がこんなところにも及んでいたことがわかります。


二条城では他にも、二の丸御殿の大広間にある障壁画のうち2面が破損したといい、以前ブログでお伝えした松本城の地震による損壊 など、天災によってまたもや貴重な文化財が被害を受けたことになります汗


もちろん、松本城や二条城はどちらも国宝だったからこそニュースになっているのであって、実際にはニュースにもならない天災による城の遺構の損壊はもっとたくさんあるはずです。土塁が流されたり、石積みが崩れたり…、想像するだけで悲しい気持ちになりますね…。


ちなみに、二条城は今年7月の台風6号でも重要文化財の「東南隅櫓」の壁がはがれ落ちていますが、歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんが8月に修復費用として50万円の寄付をされたそうです。頭が下がりますm(_ _ )m

城アバターなどの話

例によって例のごとく、今年もまだ夏休み船が取れていませんが、こんなに暑い日が続くと南国のリゾートに行きたくなるものです。ということで、個人的な理由で気分だけでも南国という隠されたメッセージを込めて、先々週と先週は「グスク風」のアバターを追加させてもらいました(よけい南国に行きたくなってしまったという噂も)。


防塁(石垣)と塀のセットで普請して頂かないとグスク風に見えないという難点もありますが、ぜひみなさんの城アバターも気分転換に沖縄風晴れにしてみてはどうでしょうか。


ちなみに本日は涼しげな池がひさびさの庭園カテゴリーに登場ですひらめき電球

(それからあらかじめのお知らせですが、来週金曜日は祝日となるため、誠に勝手ながら城アバターアイテムの追加を1週お休みとさせて頂きます。ご了承下さいませ。)


さて、以前ブログで城アバターも今後変えていきたい旨のお知らせをしましたが、そちらの企画状況も報告せねばなりません。結論から申しますと、だいぶ遅れておりますあせる長々とした事情で言い訳をするのはみっともないので致しません。


当時は、遅くとも冬には何かしらの新しい要素を導入したいと息巻いておりましたが、途中まで進んだ企画がいったんボツになったこともあって、現在は再度練り直しの状況です。


途中またこのブログにて状況報告していきたいと思っていますが、まずはお詫び申し上げますm(_ _ )m がんばります。

家臣団データアップデート

9月と言えば秋お月見、秋と言えば城めぐりシーズン到来!…と言いたいところですが、ここ東京ではそんな気配は微塵もありません。It's 酷暑メラメラ です。


昨日、わけあって久々にスーツを着用していましたが(普段はだらしない私服で出陣)、外を行軍(移動)中はブッ倒れるかどうかの瀬戸際をさまよってました。戦国時代、真夏に何十kgの甲冑をまとって戦場をウロウロしていた先人たちに拍手です。


さて、そんな昨日、家臣団データを一部アップデートパソコンしました。


今回は主に、「武将を発見できる場所」をアップデートしています。とはいえ、発見できる場所が減った武将はほぼいないので、単純に全武将、発見できる場所が増えたと思って頂いて相違ありません。


わたくしも、さっそく新しい浪人武将がウロウロしているところを発見しました。(その彼は暑いからなのか甲冑は着てませんでした。)


武将が発見される場所の基準としては、基本的にはその人の居城・住居があった場所になります。なので、一例を挙げると、池田輝政なんかは岐阜城やら姫路城やらいろいろなところの城主を歴任したヤリ手ですから、いろいろなところで発見できる可能性があるのですひらめき電球


今まで通ってた場所でも新たに誰か発見できるかもしれませんので、みなさんも暑さにめげずにコレクションに励んで下さい!!


※なお今回、一部武将については出身国の見直しが行われましたので、国名一覧ページで達成率(%)が変化している場合があります。出身国の見直しは今月下旬~来月上旬にかけてあと1回ほど行われる予定です。家臣団のコレクション総数には変化はありませんが、正確な情報配信を目的とした改善となりますため、何卒ご理解とご了承のほどよろしくお願い申し上げますm(_ _ )m