城データアップデート
思いっきり事後報告ですが、昨日城郭データをアップデートしました![]()
城郭データとは、住所や築城年、遺構、お問い合わせ先など、城郭詳細ページを開いたときに出てくるお城の基本情報です。
昨年の城めぐりオープン以来、みなさんの口コミ
によって、かなーり情報が充実してきていますが、今回のアップデートでは城郭の基本情報部分を大幅に追加したのです。
もともとこの基本情報部分は、解説文章の部分(「姫路城は…」みたいな基本情報の下に出ている解説文)と同様にWikipediaからのデータを引用させて頂いていたのですが、8月1日の1000城追加のタイミングで、実はだいぶ独自の情報に塗り替えを行いました。そして昨日、既存の2000城についてもかなり情報を増強した次第なのです。
目指すところは当たり前ですが実際の城めぐりにも役立つ情報の提供ですので、そういった意味ではまだまだ情報が足りていませんが、この基本情報部分については随時データを追加していっていますので、今後もぜひご期待頂ければと思います。
(暇を見つけては城郭データを管理しているファイルに追記していってるために、ファイルの容量が見たことない状態になってきていますけどもヽ(゜▽、゜)ノ)
そして、みなさんからの口コミも引き続きお待ちしておりますので、これからも現地でしか知り得ない情報や、マニアックな情報をどしどし書き込んで下さいませ![]()
追伸:
今回のアップデートのタイミングで、最近頂いております間違い報告についても対応致しております。
神籠石って何?
去る8月1日に追加された1000城の中にもいくつか新たに含まれていましたが、主に九州を中心として神籠石(こうごいし)と呼ばれる城があります。
「何をどさくさまぎれに石ころまで追加してんだ」と怒らないで下さい。石は石でも、墓石や漬け物石などとは事情が違います。
神籠石は、古代に西日本に造られた山城です。福岡県久留米市の高良山の列石がそう呼ばれていたのが、同様の遺跡にも広まったのがその名の由来だとか。
一方で祭祀的な側面も見受けられたりするなど、ただの軍事要塞とだけ考えるのも違うようです。このへんは沖縄のグスクや北海道のチャシに似たものを感じますね。
神籠石式山城とも言われるこれらの遺跡の特徴は、版築(板枠の中に土を入れてつき固める工法)の土塁と、整然と加工して積み上げられた石塁にあります。石ジョー(石垣フェチ
)の方なら、間違いなく卒倒レベルです。
しかも、神籠石は誰がいつ何のために築造したのかが不明というから神秘的![]()
663年、日本は朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)で唐・新羅連合軍に大敗したことがきっかけで、唐・新羅の侵攻に備えて各所に大野城、基肄城などの山城を築いて国防を強化しましたが、神籠石式山城もこの戦いの前後に同様の理由で築かれたのではないかと推測されています。
今から約1300年も前の話です。戦国時代から見ても約900年前の驚くべき技術力に、ただただ驚嘆です。
初代城主
「城主争い」がスタートしたのは今年の2月1日、すでに半年以上経過したので理論上は1つの城につき、これまでに7名の方が歴代城主になっていますが、まだ誰も城主になっていない城がありました。
そう、8月1日に追加された1000城は、今月1日に晴れて「初代城主」が確定したのです。
新たな1000城の記念すべき初代城主、城代、城番に就任されたみなさま、この場を借りておめでとうございます![]()
わたくしも近頃はアバター普請に家臣の遠国派遣となにかと入り用なので、完全にお金目当てで城主を狙ってみましたが、あえなく撃沈しました…
そんなに甘い世界ではありませんでした…。
ちなみに、最近登録された方のために、「城主争い」でよくある質問をまとめてみました。
まず、「城主争い」には「2時間制限への緩和」というのがあります。これは通常は3時間おきにしか城主カウントが増えないのが、1回に5km以上の移動があった日に限って、2時間おきにカウントされるようになる、というものです。
ご注意頂きたいのは、この緩和は“その日中”のみ有効です。なので23時に5km以上の移動がはじめてあった場合は、残り1時間しかそのメリットは享受できません。(この場合、翌日になるのを待ってから城攻めボタンをおした方が得策ですね
)
また、家臣団コレクション同様に、「城主争い」にも[参加] [不参加]の設定があります(トップページの各種設定から)。こちらは月の途中で[不参加]にすると、その月の城主カウントはすべて消えてしまいますので十分に気をつけて下さい![]()
ということで、周辺の城を制圧した方は、城主の称号を目指して「城主争い」にもぜひチャレンジしてみて下さい。
家臣団ちょこっと
今日から運営ブログが毎週月・水・金更新になりました。今後ともよろしくお願いしますm(_ _ )m (心機一転!?PCでのブログデザインも若干変更になりました。)
さて、すでにゲーム内のお知らせでも告知していますが、9月1日より家臣団コレクションβちょこちょことバージョンアップしています。
まず、大きなものとして、「他の人の家臣団が見られる」ようになりました(・∀・)
以前ブログでも予告していましたが、事後報告になってすいません
これで「アイツはどんな家臣を召し抱えてるんだ?」というモヤモヤも解消されるかと思います。ちなみに、こちらも異名や官位同様、非公開にすることもできますので、その場合は、トップページの [各種設定]→[自己紹介・公開設定] から設定して下さい。
他にもこまごまとしたバージョンアップがありますので、↓主だったものを箇条書きにて![]()
スマホ以外の方は、トップページで城攻めする場合はショートカットキー「#」がご利用になれますが、家臣団コレクションにも「*」(アスタリスク)でアクセスできるようになっています。ちょっと便利![]()
家臣団TOPで待機武将の人数が表示されるようになりました。これで登用を忘れてて「ア゙ァーーー」ということがなくなります。
同じく忘れやすいものつながりで、1日1回の一括慰労がまだの場合は「家臣を慰労」の文字が赤くなっています。クイズと同じ仕様ですね。
最後に武将の顔グラフィックがバージョンアップしました。
などなどです。ぜひ一度おひまな時にチェックしてみて下さいまし![]()
夏休みキャンペーンまもなく終了
8月1日からスタートした夏休みキャンペーンも明日8月31日で終了となります。しかし、1ヶ月が経つのは困ったことに早いものです。恐ろしいスピード感です。自分の仕事にこそ欲しいこのスピード感![]()
結局わたくしはこのキャンペーン中にひとりも紹介することができず(なぜなら、周辺の人(母親含む)にことごとくすでに入会してもらっていたため)、1000両の恩恵にあずかることはできませんでした
まぁ、明日までに新しく友達ができれば別ですが、最近ではどうやって新たに友達を作るのか忘れてしまっています…
恩恵と言えば、日々の細切れの行軍ボーナスが倍になったくらいです。(と、ボヤいてみる。)
一方で、世間では夏休み&城が増えたことも手伝って、唯一わたくしのテロップだけは賑やかです。ページを開くたびに誰かの攻略情報が注進されています。運営側の人間であるにもかかわらず、その自分たちで設置したテロップに悩まされるというこの無常感\(゜□゜)/
まあ、紹介した人たちに楽しんで頂けているのならば、それはそれで本望なのですが、人の攻略情報ばかり見ていてもうっぷん
がたまりますので、何とか残り2日で仕事のついでに近場に追加された城を攻め落として気勢を上げたいと思います![]()
ということで、個人的な愚痴のオンパレードでお届けした今回のブログですが、遠出ができない日々が続いたときに読み返して少しでも共感して頂けると、これにまさる喜びはありません![]()
では、先日お知らせしました 通り来月からこのブログの更新日が毎週月・水・金に変更になりますので、次回お会いするのは9月2日となります!
引き続きどうぞよろしくお願いしますm(_ _ )m
ブログについてのお知らせ
いつも拙ブログをお読み頂きありがとうございます![]()
城めぐりオープンに遅れること3ヶ月ほどでスタートしたこのブログも、ありがたいことに今では多くの方にアクセスして頂き、アメブロの歴史好きカテゴリーでもだいぶ上の方にランキングされるようになってきました。
緊張感がハンパなくなってきました![]()
さて、そんなことも関係致しまして、9月よりブログの更新日が変更となりますので、本日はそのお知らせでございます。
これまで隔日で更新して参りましたが、9/1~毎週月・水・金曜日の更新に変更をさせて頂きます。
月水金なので、つまりは「隔日」なんですが、「土日」がなくなります。今までは曜日関係なく1日おきに更新していましたが、曜日が固定じゃないのでアクセスしてみたら更新されていなかった、ということがあったのと、最近ではブログの内容についてのメールなども頂くようになり、土日だとサポートがお休みのために十分な対応ができないことから、このようにしました![]()
よってこれからは、月・水・金曜日に最新記事がアップされますのでチェックして頂けると大変嬉しく思います。
それでは今後とも城めぐりともどもよろしくお願い申し上げますm(_ _ )m
※8月中はこれまでどおりの更新となりますので、次回は8月30日に更新予定です。9月の1回目の更新は、9月2日(金曜日)を予定しています。
【籠城戦】長岡城奪還!八丁沖の戦い
今回の籠城戦はひさびさに幕末期のものです。
わたくしも長岡城は知っているものの、こんな戦いの名は聞いたことありませんでした。しかも、八丁“沖”っていうくらいだから、いかにも海戦っぽいですが、なるほど読んでみて城にまつわる戦いである理由が分かりました。
では早速↓
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長岡城奪還!八丁沖の戦い
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幕末、新政府軍と旧幕府軍の間で行われた戊辰戦争と呼ばれる一連の戦いの中で、最も激しい戦いのひとつが新潟県長岡市周辺を部隊として繰り広げられた北越戦争である。
慶応4年(1868)1月、鳥羽・伏見の戦いに端を発した戊辰戦争は、新式の装備と兵の数で優位に立つ新政府軍が旧幕府軍を圧倒する形で、その戦線を徐々に北上させていった。
同年5月2日、新政府軍が中越地方の小千谷まで迫ると、長岡藩の家老・河井継之助は長岡への侵攻中止を求めて新政府軍との交渉を行う。
河井継之助は藩主の信任を受け家老に抜擢され、日本に3門しかなかったガトリング砲を持ち、ヨーロッパから新式銃を多く買い付けるなど装備の充実を図る一方、近代的な兵制改革を行うなど、多くの改革を行った人物であった。
この時、河井継之助と会談を行った新政府軍の軍監・岩村高俊はこの要望を無能な家老のただの時間稼ぎであると考え、一蹴した。岩村は河井の人となりを知らず、かつ長岡藩は小藩、まともに相手をする必要は無いと考えたためであった。
だが、この判断が後の新政府軍に大きな損害をもたらすきっかけとなった。
迫る新政府軍に対し、東北諸藩は奥羽越列藩同盟を結成し、抗戦準備を進める中、中立を保ち無駄な抗戦を避けようと考えた河井であったが、その望みが絶たれたことで交戦を決意、5月4日に奥羽越列藩同盟に加盟する。
長岡藩と新政府軍の間で戦端が開かれると、まず戦局を左右する要衝である長岡より南方の榎峠を確保すべく、同盟により駆けつけた会津藩の軍勢と共に攻撃を仕掛ける。これにより、列藩同盟軍に包囲攻撃を仕掛けられた新政府軍は敗走、榎峠は列藩同盟軍のものとなる。
この報を聞いた新政府軍・北陸鎮撫総督参謀である山縣有朋は、自ら陣頭指揮を執り榎峠に隣接する朝日山奪取を命じた。だが、列藩同盟軍の守りは堅く、新政府軍の朝日山奪取は失敗に終わる。その後、戦況は膠着状態に陥り、散発的に砲撃戦が行われるのみとなっていた。
この状況を打破すべく、新政府軍は5月19日に敵側防衛線の要所である長岡城を攻めることを計画する。長岡城は重要な拠点ではあったが、列藩同盟軍は兵力の大半を榎峠方面の守備にあてており、長岡城が手薄となっていたためであった。
この新政府軍の狙いは見事にあたり、河井継之助が自らガトリング砲を操作するなど奮戦を見せたものの、わずか半日で城は落城してしまう。長岡城が落城するという事態に直面した河井は作戦を見直さざるを得なくなる。そして、今町(現在の新潟県見附市)にある新政府軍本営を衝く、という作戦を立案する。
この作戦は成功し、列藩同盟軍は新政府軍本営を奪取した。これによって戦局は再度膠着状態に陥る。
ここに至り、新政府軍は逐次交戦を行う形から、援軍の到着を待って十分な戦力で複数の拠点を同時に攻めることで、一気に勝負を決する方針に転換した。2ヶ月弱の間、睨み合いが続いたが、新政府軍に援軍と武器弾薬が到着、7月25日に今町と栃尾を攻撃するという計画を立てた。
だが、列藩同盟軍もこれを静観しているばかりでは無かった。新政府軍の攻撃が始まる前に先手を打って攻勢に出て、長岡城を奪還しようという作戦を実行するのである。とはいえ、平城と言っても城は城、かつ相手は援軍の目処が立った新政府軍である。城を奪還するのは容易ではない。
そこで河井の取った作戦は、城の東北に位置し南北5キロ・東西3キロにわたる大沼沢地である八丁沖(はっちょうおき)を深夜に渡って城に奇襲をかける、というものであった。この八丁沖は中央部分は底なし沼になっていると言われ、一面に葦が生い茂り魔物が棲む、と言われた沼地であった。
このような場所であれば、新政府軍も守備が手薄になっているだろう、という予想からあえて非常識な進軍方法を選んだのである。そして、7月24日の深夜、作戦は決行される。
約600名の兵を率いた河井は、兵に杖となる青竹を持たせ、暗闇の中を6時間かけて渡河し、奇襲を掛けた。狙い通り、八丁沖からの敵襲を想定していなかった新政府軍はこの奇襲に対応出来ず敗走した。列藩同盟軍は一度失った城を奪回するという困難な作戦を成功させたのである。
だが、奇襲で城を失ったものの地力に勝る新政府軍は、即座に反撃を始める。長岡城下で市街地戦が繰り広げられる中、河井が膝に被弾し重傷を負ってしまう。これによって河井が指揮を執れなくなり、列藩同盟軍の士気は大きく低下する。
そして列藩同盟軍が城を奪還した僅か5日後、城は新政府軍の猛攻によって再度奪われてしまう。同時に列藩同盟軍が守る新潟も陥落し、越後全域は新政府軍の手に落ちた。また、傷を負った河井は会津に落ち延びたが、銃撃による傷がもとで破傷風となり、8月16日に没した。
最終的に勝利を得た新政府軍であったが、予想外の長岡での苦戦で大きく兵を減らし、戊辰戦争の戦線は会津へと移っていくこととなる。
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ちなみに、「ガトリング砲」とは銃を連射できる機関砲です。
これです↓
こんなの戦国時代に持ってたら、みんなにワーキャーもてはやされたろうなぁーと妄想
してしまうのでした。
攻城の種類(奇襲/夜襲)
以前ブログで「攻城の種類」というのをテーマにしまして、続編をやろうと思っていたらすっかり間が空いてしまっていました。夏バテ
ということでご容赦下さい。
さて、今回は「攻城の種類」奇襲/夜襲編です。
奇襲や夜襲は、攻城戦に限らず野戦でも同様の事が言えますが、ご存じの通り少ない人数で城を攻略せねばならない場合などに用いられた戦法です。読んで字のごとく敵の油断を見計らって襲うものなので、指揮官には相応の統率力が要求されます。
近年、真田幸村同様に「存命中にそんな名前は使ってない」とツッコまれることが多くなってきた北条早雲(伊勢盛時が本名とか)ですが、この人なんかは奇襲マニアです。
有名なところで言うと、鹿狩りするからと領内に入らせてもらっておいて、1000頭の牛のツノに松明を結びつけて擬兵とし、かの有名な小田原城を一気に攻め落としたという話があります。個人的には、1000頭もの牛に松明をくくりつける仕込み作業の方が大変なんじゃないかと思ったりもしますが、そもそもこの話も真実かどうかわらないようです。
さらに言うと、早雲自体、浪人から成り上がったイメージがありますが、最近ではわりとちゃんとした家筋の人だったとか言われ始めていて、なんだかどんどん「教科書で習った人」でなくなってきています。それはそれで残念です。
さて…、話が完全に北条早雲の話にすり替わってしまいましたが、戦国時代にあった攻城戦をつぶさに見てみると、この奇襲/夜襲が非常に多いことがわかります。
前回取り上げた力攻め/強襲よりも人的損害が少なく、少数・短時間で実行することができたのがその要因でしょう。
ということで、次回は(いつになるか未定…)、さらに損害少なく城を陥れる謀略/調略編をお届けします。
家臣を増やすには[遠国探索編]
勝手に全3回構成でお届けしている「家臣を増やすには」シリーズの最終回です。今回は[遠国探索編]です。
前々回の[ご当地編]で書いたように、家臣を増やすためにはご当地で登用するのが一番効率が良いのですが、実際にはなかなか全国各地へ行けるものではありません
そんな時に活躍するのが遠国探索です。
まず、遠国探索に派遣できる人数は、軍師の能力によって変わります。能力の高い家臣ほど、同時に派遣できる家臣の数が多いんですね。わたくしの場合、能力は高いけど、行動力が低い家臣を軍師に指名してます。その理由は、行動力の低い家臣は、なかなか遠い国に探索に出せないので、遊ばせておくともったいないからです![]()
一方で、遠国探索での浪人武将の発見についてですが、まずは当然ですが派遣する家臣の能力が最も重要です。さらには、“見つけられる側”の浪人武将の能力や行動力も関係しているという噂です![]()
能力の低い家臣を派遣に出して、能力の高い優れた浪人武将を見つけてくる可能性は非常に低いんだとか…。ただし、これも可能性だけの話ですので、絶対はありません。(実際わたくしの周りでも、遠国探索でアノ 柴●勝●を見つけたという実例も!!)
根気よく派遣すれば良いことがあるかもなんですね![]()
ということで、3回にわたってお届けしました家臣を増やす方法、参考になりましたでしょうか。「言って良い範囲のこと」はほとんど言ってしまったので、今回でいったんこのシリーズは終了です。(また何か思い出したらブログに走り書きします。)
他にも、わたくしの権限では言えないシークレットな要素
もあったりしますが、そのあたりは家臣を集めていく上で徐々にみなさんで発見していって頂ければと思います。
家臣を増やすには[石高編]
金曜日の続きです。今回は[石高編]。
家臣を登用するには、石高が必要になってきます。この石高、浪人武将によって要求してくる石高が異なります。もうこれは個人的な思い入れの部分でもありますが、「お前がそんなにふっかけてくるのか
」と思う武将もいるでしょうし、「意外とお値打ち
」と思う武将もいるでしょう。
なんとなく経験則ですでにお気づきかとは思いますが、有名な人は石高が高い傾向にあるようです。
石高という要素自体は城めぐりオープンの時からありますが、これはご存じ“城を攻略したとき”に増えるモノです。なので、城を攻略すればするほど増えますが、ここでひとつの疑問が湧きます。
「家臣団1000人コレクションをコンプリートするためには、3000城全部攻略しても石高が足りないんじゃないか」というものです。
結論から先に言いますと、ぜんぜんそんなことはないのです
城攻略のコンプリートは難しいけど、遠国探索を併用して家臣団だけコンプリートする、ということももちろん可能です。(ただし、全家臣に加増した場合は例外ですが…)
運営者の立場というよりも、城好きのわたくし個人的には、全国の城をめぐって頂きたいのはやまやまですが、家臣団コレクションβのコンプリートのためには、全国3000城攻略が前提になっている、ということはありませんのでご安心下さい![]()
かく言うわたくしは、石高は足りているものの、遠国探索に無計画に派遣しすぎて手持ちのお金が心許なくなってきました
「ご利用は計画的に」な心境です…。
夏休みキャンペーンやっている間に、誰か城めぐりに招待して稼いでもらわねば!




