城めぐりツアーレポート<まとめ>
前回、前々回とこのブログで、城めぐりオフィシャルツアー第一弾「怒濤の真田六連“戦”ツアー」の模様をお届け致しましたが、今回はそのまとめ、総集編でございます。
まずは今回のツアーのご参加頂いたみなさま、本当にありがとうございましたm(_ _ )m こんな海のものとも山のものとも知れぬマニアックツアーに参加頂いて、スタッフ一同感激しております。また、初めての企画ということで、ツアー中いろいろと不手際や段取り不足などあったかと思います。この場を借りてお詫び致します。
帰りのバスの中で参加者のみなさんにアンケートを書いて頂きました。参加者同士で交流できる場がもっとあればよかったなど、今後改善すべき点も明確に見えてきました。頂いたご意見は、今後の企画に十分に反映させて頂きたいと思っています。
また、ブログを楽しみにしているとのご声援を頂きまして、蘇生する思いです(T_T)ありがとうございます。がんばります。
今回、各史跡では現地のガイドさんに詳しく解説頂いたのですが、ガイドさんもさることながら、それを真剣に聞き入っておられるみなさんから城への愛、情熱ならぬ城熱を感じました。あんなに険しい山城に何十人も一緒に登れたことにわたくしは高揚感すら覚えました(´∀`)
一携帯ゲームとしての枠を越えて、このようなリアルな企画が実現でき、本当に学ばせて頂く点が多々ありました。間違いなく今後の城めぐりの運営にも活かせる貴重な経験ができたと思っています。
これからも同様の企画があれば(ぜひやりたいと思ってます)、ぜひ多くの方に参加して頂ければと思います(・ω・)/
さて、話は変わりまして、今回残念ながら参加できなかった方のために、ささやかではありますが上田城にてお土産を買って参りました↓
簡単なアンケートにお答え頂くだけで応募完了です。ぜひふるってご応募頂ければと思います(城めぐりトップページのリンクからご参加下さいませ)。
改めまして参加者のみさなま、今回の企画実現にご協力頂きましたみなさまに、厚く御礼申し上げます。
今週は3回連続のツアーレポートにおつきあい頂き、ありがとうございました。
今後とも、「発見!ニッポン城めぐり」をよろしくお願い申し上げますm(..)m
城めぐりツアーレポート<2日目>
本日は前回に引き続きまして城めぐりオフィシャルツアー第一弾の模様<2日目>をお届けします。
【「怒濤の真田六連“戦”ツアー」レポート<2日目>】
2日目の朝、クリスマスプレゼントばりに、目覚めたら枕元で石高50万石と異名が増えてました!東京のスタッフが夜なべしてがんばってくれたのでしたヽ(゜▽、゜)ノ みなさん喜んで頂けましたでしょうか?
昨日の筋肉痛がまだ訪れていないことに一抹の不安を抱えながら(少なくともわたくしは)、朝食バイキングで一気に戦闘モードに。今日も天気がいいですよー。
ホテルからバスで走ること数十分、真田の里に突入。車窓からは、風になびく六連銭の旗や真田にまつわる名前を付けた飲食店など(「スナック幸村」的な)が次々と目に飛びこんできて、いやがおうでも気分が盛り上がってきます。
最初の目的地、「真田氏歴史館」に到着。歴史館は入館料を払うタイプですので、ここは“無血開城”。続々と入場します。
そして、ここでは本日のガイドさんが合流。今日は1日周辺を案内頂きます。よろしくお願いしますm(_ _ )m
内部は一応撮影禁止でしたので、入り口のミディアムな大きさの幸村像をパシャリ。
ちなみに、中では真田の里のジオラマや各種の古文書、武具、レプリカの甲冑などさまざまな展示物があって、昨日のハードな城めぐりから一転、穏やかで知的な観光となりました。
歴史館を出た後は、隣に広がる真田氏館跡を散策。中世の居館跡を良く残す史跡として見応えがあります。しかも、偶然にもつつじ祭りをやってました(・ω・)/
館跡を出た一行が次に目指すのは真田の歴史を語る上で外せない砥石城です。真田幸綱は1日で攻略してしまったそうですが、われら城めぐり勢は大胆にもランチタイムだけで落としてしまおうという計画です。
ごめんなさい、ちょっとだけなめてました。
※ちなみにこの城を幸村と絡めようとすると“居た”という表現が確かに精一杯です。
模擬櫓門をくぐっていざ攻城開始です!(幸村らしき肖像が貼り付けられている…)
結論から言いますと、この城が一番の難所でした。登れど登れど険しい山道が続き、場所によってはこんな↓ロープまで張ってます。伝わるかなーっ。
やっとの思いで砥石城に到着…。しかし!実は砥石城とは、本城を中心に、北の枡形城、南西の米山城、南の砥石城を総称したものを言うのです(T▽T;)
で、やっとの思いで到着したのはその中の「南の砥石城」。信じられない体力のガイドさん(かなりお年は召しているのですがっ)に率いられ、そのまま本城、さらには枡形城へ向かいます。
ようやく最終地点、枡形城に到着~~( ´(ェ)`)全軍、疲労困憊です。
しかも、ガイドのおじいさま、山頂でお弁当を食べるという旅程を失念されていたらしく、全軍が今来た道を逆戻りして、最初の砥石城跡まで急いで大返しするハプニングも!
ということで、ハイ、「六文銭弁当」ヽ(゜▽、゜)ノまるっこいご飯が6つダヨ。
ついに、難攻不落の砥石城を見事ランチタイムだけで攻略したみなさんは、山頂で真田の町並みを眺めながら至福の時を過ごすのでした(ちなみに、昼食中もガイドさんは丁寧に歴史について語ってくれました)。
砥石城攻城でかなりの体力を消耗したものの、次に向かうこのツアー最後の地、上田城は最後を飾るにふさわしい、“観光しやすい”城です。
(前日の岩櫃城と合わせると、約2年分くらいの体力を消費した計算になるはずです。)
ついに来ました!上田城。VIVA上田城(・ω・)/
ここ上田城では、本日朝から同行頂いているガイドの方に周辺を案内してもらった後、短い時間ではありましたが、自由行動となりました。(全員で櫓門の前で記念撮影させてもらったのが印象深いです…感動しました)
これは、真田信之が移封される際に持って行こうとして、ぜんぜん動いてくれなかった「真田石」。
これは真田神社へ続く道。
これは現存の西櫓。
他にも紹介しきれませんが上田城にはみどころがありすぎます。というか、今回のツアーではじめての「建物」がある史跡だったりしてo(;△;)o
上田城というメジャーな地に来て、はからずも今回のツアーのマニアック度合いを再認識することができましたヽ(゜▽、゜)ノ
みなさん、櫓門に上ったり、お気に入りのスポットで撮影をしたり、お土産を買いに行ったりと、思い思いの時間を過ごしたあと、いよいよ真田の里に別れを告げる時がやってきました…。
さみしいやら、かなしいやら、名残惜しいやら、帰りの関越の渋滞が気になるやら、でいろいろな感情が入り交じった状態で、上田に別れを告げます。
帰りは途中サービスエリアに立ち寄り、若干の渋滞に巻き込まれながらも、ほぼ定刻通りに新宿に帰陣。ここで解散となりました。
みなさま、本当に2日間お疲れ様でした!!そして、ありがとうございました!
ツアーのレポートについては今回で終わりですが、次回のブログでまとめをやりますので、ぜひ最後までおつきあい下さいませm(_ _ )m
城めぐりツアーレポート<初日>
今週はこの土日に開催されました、城めぐりオフィシャルツアー第一弾「怒濤の真田六連“戦”ツアー」の模様を3回に分けてお届けしたいと思います。最終回(金曜日)には、残念ながら参加できなかった方のために「お土産付きアンケート」を実施しますので、今週一週間、ぜひ“飽きずに”ご覧下さいませ。
【「怒濤の真田六連“戦”ツアー」レポート<初日>】
普段のみなさんの行いがよほど良いのか、「大事な日に限って雨男」の異名を5歳の時に取得したわたくしのジンクスをものともせず、超がつくほどの晴天に恵まれたツアー初日。勝手に命名「城めぐり号」に乗って早速新宿を出発します。
まずは沼田城へ向け高速道路へ入ります。車中で今回の特典「攻略地図」をみなさんへお配りして、挨拶もそこそこにさっそく城めぐりスタートです(あ、ゲームの方のです)。
高速上で攻略可能な城郭名を、攻略ポイントに差し掛かった時点で城めぐりスタッフがマイクでいちいちお知らせするというおせっかいサービスもあり、ゆっくり車窓を眺めるといった雰囲気はまるでありません(^▽^;)
「近くにいるかも」が常時“1~10分以内”という状態で(なぜなら、すごく近くにいるから)、2時間半という時間を感じさせないまま、あっという間に沼田到着!
沼田も天気がいい!しかも、なんとガイドさんが6名も(聞いてたより多いぞっ)お出迎え。まずはバスを降りて、6班に分かれて沼田城址公園をめぐります。
みどころのひとつ「鐘楼」です↓
他にも石垣なんかもちゃんと残ってるんですよ↓
各地でガイドさんによる歴史・遺構解説が繰り広げられ、約1時間で城址公園を行軍完了。帰りに桔梗(江戸期の城主土岐家の家紋)の種を頂くサービスも!ガイドのみなさま、ありがとうございましたm(_ _ )m
すでにお昼時ということもあり、次の目的地、名胡桃城近くのレストランで昼食。
量が多い!これは、続く2城のために腹ごしらえしておけとの神のお告げか?座敷で参加者のみなさんとともに腹いっぱいの食事を終えた後は、徒歩で名胡桃城へ向かいます。
到着~。所要時間約1分。こちらもガイドさんや観光協会の方々が多数お出迎え。みなさん赤備えで武装(ではない)しておられます↓
土塁、空堀だけでなく、馬出しや喰違い虎口など解説なしではわかりにくい遺構も詳しくガイド頂き、往事の姿が蘇ります。
三角形にとんがった城の隅々まで案内して頂き、草原のように美しい曲輪群の名胡桃城を後にします。あ、そういえば史料もたくさん頂きましたv(^-^)v
そしてこの後、いよいよ初日最後の城攻め、岩櫃城攻略へ向かいます。
岩櫃城は、名胡桃城から真田道(国道145号線)とも呼ばれる道を長野方面へ1時間ほど走ったところにある天険の山城です。この難攻不落の堅城を前にして、城下で心強い援軍2名がバスに乗り込んできましたε=ε= ヾ(*~▽~)ノ
援軍というか、つまりは岩櫃城のガイドさんなんですけど、最強タッグとも言えるこのお二方、地元の歴史や地理に激精通しており、その独特の雰囲気はうまく文章で表現できませんが、おそらく岩櫃城については日本一詳しいと思われます。
そんな心強い方々に先導され、いざ岩櫃城に攻め上がります。(ホラ貝の音)
ふふふ、岩櫃くん。実際攻めてみると大したことないじゃないか( ̄ー ̄ ) 口ほどにもない。城攻め開始数分でこんな曲輪(平地)を制圧↓
しかーし、ここはまだ序章にすぎなかった…。実はまだまだ先がありました( ̄□ ̄;)!
数々の難所がこのあと待ち構えています。
竪堀底を攻め上がる城めぐりの軍勢。
敵は、その複雑な縄張りだけではありません↓
あ、そうなの…。気を付けるね…。
ということで、各難所を切り抜けた一行はついに本丸跡にたどりつきました。やはり噂通りの堅城でしたが、攻略後の爽快感は何物にも代え難いものがあります。
解説を聞きながら登ると、しみじみ「よくこんなとこで土木工事したなー」と感嘆してしまいますね。鬱蒼とした森林に包まれた岩櫃城、参りました(・ω・)/
山を下ってバスへ帰陣した一行は、この日の攻城を終え、真田氏が代々山岳信仰の対象として崇めていた四阿山の麓、あずまや高原ホテルに向かいます。
なんとかほぼ時間通り、明るい内にたどり着けました。
歓迎頂き、ありがとうございますm(_ _ )m
1日に3城を攻略するという、戦国時代なら大殊勲ものの初日の行軍でしたが、みなさんの疲れも相当のものだったと思います。お疲れ様でした!!
このあと、ホテルでの食事、温泉(露天風呂もアリ)を堪能頂き、翌日の城攻めに備えて寝床につきました。(2日目に続く)
豪雨
このブログを書き始めようとした矢先、急に大雨が降ってきました。さっきまでは普通に晴れてたのに、まさにゲリラ豪雨です。
豪雨といえば奇襲、豪雨&奇襲と言えば桶狭間の戦い、ということで(いつも以上に強引)、実は明日5/19は桶狭間の戦いがあった日なのです(・ω・)/
桶狭間の戦いと言えば、ぶくぶく太った今川義元が、はじめ人間ギャートルズに出てくる骨付き肉を喰らいながら大宴会していたところ、突如豪雨が降り出し、背後から現れた信長に奇襲されてあっけなく討死する、という教育(ではなくイメージ)でしたが、これもまた近年そうじゃなかったという話になってきてます。
信長は今川軍の1/10程度の兵力であったにもかかわらず正面から奇襲して勝利した、というのが定説になりつつあるようです。しかも、義元の首を狙っていたわけでなく、奇襲をしかけたら偶然討ち取れちゃった、という説もあります。歴史は日々変わっていきますねぇ( ̄Д ̄;;
この様子だと、骨付き肉も食べてなかったかもしれません。
ちなみに桶狭間の戦いについては、家臣団コレクションβに含まれる武将が参戦武将に少ないことと、普段桶狭間からわりと近い場所で発見できる人たちばかりなので、1日野戦イベントにはしませんでした。あしからずm(_ _ )m
そうこうしているうちに、晴れてきましたよ…。
明日は、いよいよ城めぐり初のオフィシャルツアー「怒濤の真田六連“戦”ツアー」に出陣です。奇襲日和にならないことを祈ってやみません\(゜□゜)/
“緩和”休題
“緩和”休題。
「交流」戦といえば、城めぐりでも先日から「一筆啓上」機能がスタートして、より城好きなみなさんで交流をもってもらえる機会ができたと思っていますが、それ以外の部分でも、本日以下の制限が緩和されました。
▼伝言板の書込文字数
250文字 → 500文字
▼友達数
200人 → 500人
これによって、今まで以上に多くの方々と、多くの交流をもってもらえるようになるかと思います。ぜひお試し下さいませm(..)m
大坂城抜け穴
確かに、夏の陣に関しては様々な伝説があって、真田の抜け穴と伝わるものも残っています↓
↑これは大阪市天王寺区の三光神社境内にある「真田の抜け穴」です(現在は7m先で行き止まりになってるらしい)。ここは当時真田丸の中にあって、ここから城下へ続く道があったと言われています。なんと大阪市内には10箇所以上の同様の伝承地があります。
他にも、有名どころでは秀頼が大坂城から脱出して薩摩へ落ち延びた伝説があります。よくある生存伝説のひとつだと切り捨てるにはもったいないほど興味深い話が数多くあります。
島津家家臣伊集院某が小舟で秀頼を救出した、真田幸村らに守られて落ち延びた、島津軍が兵糧を城に運び込んだ帰りに秀頼を運び出した、などなどあって、東インド会社平戸商館長リチャード・コックスの日記によると、豊臣滅亡当時からそんな噂は絶えなかったとか。
さらには、鹿児島市谷山には秀頼の墓と伝わる石塔があり、実際鹿児島には豊臣とその家臣の末裔という人々が数多く存在するらしい。そのひとり木下俊熈氏(豊臣家18世の末裔という)は、1968年に『秀頼は薩摩で生きていた (1968年)
信じるか信じないかはあなた次第です(古い)。
長篠の戦い
その一人が武田勝頼。
「馬防柵の内側で3000挺の鉄砲が待ちかまえてるのに、真っ正面から騎馬隊で突撃してやったぜぇ。相手は2倍の兵力なのにだぜぇ。親戚の穴山とか信豊とか、オレのことほったらかしで先に帰っちゃったんぜぇ。ワイルドだろ~。」
と、言ったとか言わなかったとか。ということで、今月は「長篠の戦い」が1日野戦イベントとして実施されます。決戦の時は5月21日。
織田信長はもちろん、徳川家康、武田勝頼をはじめ、この3人の錚々たる家臣団たちが集結!約30名ほどの武将たちが長篠の決戦の地に集います。柴田や秀吉もいるし、本多、榊原、さらに武田勢では山県、馬場、内藤…、なんて豪華なラインナップなんでしょう。自分が行きたいくらいです(城めぐりツアーの翌日ですけど( ̄Д ̄;;
最近では、3000挺もなかったとか、三段撃ちはなかったとか、騎馬軍団なんてなかった、などいろいろと歴史の新説があって、長篠の戦いのイメチェンが著しいですが、上の写真のような馬防柵も復元されてますので、ぜひ長篠城とセットで訪れてみて下さいな(・ω・)/
終了告知2つ
長いようで短かったGW中に行いました連休キャンペーンと、これもほぼ同時に行われました大坂夏の陣イベントの2つが終了しました、というお知らせです。ありがとうございましたm(..)m
連休中大坂城周辺にお出かけした方は、徳川・伊達・真田などのレア武将たちをGETしましたでしょうか?うらやましい限りです。わたくしはと言うと、どこへ行っても大混雑の状況を避けるべく、家のフローリングにわだちができるほどゴロゴロしてやりました。例によって。
かじりたてのゴルフに行ったのが、唯一の“お出かけ”でしょうか。で、念ずれば通ずというべきか、類は友を呼ぶというべきか、犬も歩けば棒に当たるというべきか、そのゴルフ場、なんと城跡だったのです!!
城跡がゴルフ場建設によって破壊された怒りよりも、全く予期せぬ城址との出会いのサプライズの方が大きく、嬉ション(犬用語)せんほどの喜びです。
上の写真の解説によると、「フラットな中にも変化がある」。う~ん、確かに↓
ちゃんと残してくれたのね…。土塁こんもり(涙)。
城址マニアにとっては嬉しい土塁も、いきなり現れる高低差はゴルファーにとってかなりの難敵です。ということで、おかげさまをもちましてヒドいスコアで撃沈し、“ゴルフ城攻略”とはなりませんでした((-'д-)y-~
ちなみに、なぜ予期していなかった出会いかと言うと、この城は茨城県坂東市弓田にある、弓田城という城でして、城めぐりには残念ながら収録されていないのです。誰かれ入る機会のある場所でもない特殊な立地なので、そのこと自体はまぁいいかなと思いつつも、自分の不勉強さを反省する次第です。
これからは、常在戦“城”の精神でお出かけせねば。
本拠地論争?
城の話がヤフトピに載ること自体珍しいので、いよいよ城の時代到来か、はたまたよっぽどネタがなかったのかなどと思いつつ記事を読んでみました。
要約すると、米沢時代の伊達氏の本拠地は通説では米沢城とされているが、従来より4kmほど離れた舘山城が本拠だったのではないかとも言われており、今月から米沢市教育委員会が本丸部分を含めた現地調査を実施する、というものです。(詳しくは原文を)
米沢城といえば、上杉神社があるところなので一般的には上杉氏の城、というイメージが強いのかもしれませんが、室町~安土桃山時代まで伊達氏が支配した土地であって、かの政宗サマも22歳まで過ごしたと“される”城です。
舘山城は、二つの川に挟まれた丘陵上にある点で仙台城と似ているらしく(確かに…)、庭園や井戸などを有した武家屋敷の跡なども既に見つかっていて、2014年まで続けられるという発掘調査の結果が楽しみです。
とにもかくにも、無類の城フェチなわれわれにとっては、特にどちらに肩入れするというものでもないので、穏やかに調査の結果を見守りたいもんです。
ただひとつ言えることは、これから米沢城に行こうと思っている人は、今後新発見があるかもしれない舘山城も一緒にめぐっておこーね、ということです。なぜならこんなに近いから(・∀・)
城と桜
最近は季節を反映して城と桜の共演写真が多く、前にもブログで漏らしましたが、城と桜はなんてお似合いなんだろうとついついうっとり見入ってしまいます。第三者から見れば、明らかに携帯で変な写真を見てニヤついている変質者です( ̄_ ̄ i)
城が何にでも合うのか、桜が何にでも合うのか、まあいずれにしてもその両方がある日本に生まれて良かったと思う今日この頃です。
話は少しそれますが、桜前線はすでに東北地方に北上しています。先日の報道ステーションで、震災の被災地に咲いた桜の木の前で、96歳のおばあちゃんが言った、 「花はいい。花を見て腹を立てる人いないから。」という言葉が思い出されます。
フォトギャラリーコーナーで、桜の写った写真をつい見てしまうのは、そういう潜在意識の表れなのでしょうか。
ということで、久しぶりにまじめな事を書いて調子が狂いそうです(・ω・)/
るるぶ.comで「名城の桜お花見スポット」特集やってますので、どうぞ!

































