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PAGES D'ECRITURE

フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

トマ・ピケティ Thomas Piketty の『21世紀の資本』(当初、『21世紀の資本論』とされていた)の日本語版が、12月9日に発売予定と発表されましたが、12月6日の時点で、少なくとも千代田区の書店では発売されています。

これを記念したわけではありませんが、「ゼロからのピケティ」とでも言うべき記事を紹介します。

今では単に L’Obs という名称が表紙になってすっかり別物になってしまった週刊誌、旧 Le Nouvel Observateur の2014年11月20-26日(通巻2611)に掲載された Piketty Gourou mondial という特集の中の短い記事、 Piketty pour les nuls (ゼロのためのピケティ)という記事です。






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PIKETTY

POUR LES NULS


“Le Capital au XXIe siècle” décrit comment nous marchons vers une société aussi inégalitaire qu’au XIXe siècle. Explications

DONALD HEBERT


(『21世紀の資本』は、我々がどのようにして19世紀と同じくらい不平等な社会に向かっているかを詳述する。)


Sa méthode

(方法)

ピケティは18世紀から現代までの、およそ20の先進国の租税データを集大成した。そこから、所得と資本の分配という、富の再分配に関する貴重な情報を引き出し、その後にいくつかの教訓を導き出した。


Ses constats

(結果)

1. 20世紀初頭には、産業革命が労働者の賃金を上昇させたとはいえ、欧米諸国は非常に不平等だった。資本がごく一部の家系だけに所有されていたからである。例えばヨーロッパでは、最も裕福な10%が所得の45%、資産の90%を手にしていた。

2. 政界大戦と大恐慌により、資産生活者の資産が消滅し、不平等は大幅に縮小した。アメリカ合衆国では1950年代に、最も裕福な10%が所得の35%を受け取っていた。1910年から1920年には4%の層だった。

3. 栄光の30年の間、不平等は相対的に低い水準に留まっていた。常軌を逸した成長と効果的な税制・社会制度が実施されたことにより、資産を形成することができた中流階級の出現が可能になった。

4. 1980年代から、不平等が急激に増大した。アメリカ合衆国では、高額所得者と相続への課税が大幅に減らされた一方で、「スーパーマネージャー」のボーナスは爆発的に増大した。その結果、2000年代以降、最も裕福な10%の層が再び総所得の45%を占めるようになる。不動産資産の保有者が前世紀までの地主に取って代わり、とりわけヨーロッパと日本で、能力よりも相続が再び有利になった。

5. 低成長の下で、利子、配当、賃料、値上がり益と言った資本所得が、労働収入を上回っている。ヨーロッパでは特に資産が集中し、特にアメリカでは、労働所得が集中する。そして大金持ちは小金持ちよりもはるかに早く資産を増やす。結局、国家は借金漬けになるが、私的資本は公的債務よりもさらにずっと早く増加してきた。


Ses préconisations

(推奨事項)

1. 非常に累進度の高い税制を確立する。年40万ユーロを超える所得に対しては、1930年から1980年までのアメリカ合衆国がそうだったように、80%の大台の税率を課す。

2. 巨額の資産に対する累進課税を確立する。可能なら世界レベルで、そうでなければ大陸レベルで。100万ユーロを超えた分の資産には1%、500万ユーロ超には2%が課税されることになる。

3. ヨーロッパでは緊縮策を中止し、成長水準を引き上げるために教育に投資する。


L’OBS/No2611-20/11/2014


原著が950ページ、英語版でも700ページ、邦訳も700ページ近くある本を読み通して全て理解することは困難です。まして経済学の門外漢にとっては。

以下に挙げた『ピケティ入門』の著者が言うように、一部を取り出して都合のいいように(例えば、格差を肯定するために)利用する人間も続出するでしょう。そのためにも、手短な入門書も役に立つと思います。さらに理解しやすくするために、今回引用した記事が役に立つことを祈っています。



21世紀の資本/トマ・ピケティ
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ピケティ入門 (『21世紀の資本』の読み方)/竹信 三恵子
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先週の『週刊東洋経済』は、「分裂する大国 アメリカ」という特集でした。


週刊 東洋経済 2014年 11/1号「分裂する大国 アメリカ」
¥690
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約1か月前の、週刊誌 Le Nouvel Observateur の2014年10月2-8日(通巻2604)には、アメリカの作家リチャード・フォード氏の対談が掲載されていました。LA PROMESSE BAFOUÉE D’OBAMA (オバマの蔑にされた約束)という記事です。上記『東洋経済』の特集記事に触発されたわけではありませんが、とりあえず訳してみました。




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LES DÉBATS DE L OBS

EXCLUSIF

L A PROMESSE BAFOUÉE
D
OBAMA

Le grand écrivain Richard Ford, remarquable portraitiste de l'Amérique profonde, parle de son président, de son pays et de injustice

(奥深いアメリカの肖像を描いて注目すべき、著名な作家リチャード・フォードが、大統領と自らの国、不当性を語る)

PROPOS RECUEILLIS PAR FRANÇOIS ARMANET



Le Nouvel Observateur それぞれの本で、あなたはアメリカ中産階級の類まれな観察者として認められてきました。この奥深いアメリカは今日、どのような状況でしょうか?
Richard Ford どの人種集団もひっくるめて、アメリカ人は皆、自分の生活が今あるよりも良くなるはずだったという感情を共有しています、ごくわずかな特権階級や強者を除いて。騙し取られた、蔑にされた約束、という感情を。確かに、我々は自分自身のことしか考えられない。しかし私は絶えず、事態が本来あるべきだった状態ではないという感覚に直面しています。黒人にとって、あるいはメキシコ人移民にとって、この社会的不公平の感情は正当です。しかし白人中産階級でさえも騙されたと感じ、急進化し、極右思想に転向しています。国民国家という思想の危機の原因はそこにあります。オバマの大統領当選は私がこれまでに経験した最も重要な政治的事件の一つです。それでもこの当選は蔑にされた約束という印象を強めるだけでした。最もオバマを憎んでいるのが誰かご存知ですか? 黒人です。最近、アラバマ州の小さな黒人向け大学の学長と飛行機に乗りましたが、彼はこう言いました、「オバマは我々に何もしてくれなかった。」 これはもちろん、間違いです。しかし黒人は、オバマが十分にはしなかったという気持ちを抱いています。含みを帯びた判定の代わりに、全面的な拒絶が観察されます。
人々が毎日オバマに何かを要求しているという印象があります。彼が多くの努力をしていると、私は本当に信じていますが、毎日の奇跡を彼に期待することなどできません。さらに、有権者は非常に多様であり、彼を憎む共振駅な人種差別主義者をも含みます。ある著名な法律家が言ったように、「自由の精神は、敵対者に余地を残しておく能力から成る。」 これこそオバマがしようと努めていることです。たとえ敵対者が醜い動機を持っている時でも。

あなたの国の現在の問題はかなりの部分が貧富の格差の拡大によるものだたと考えますか?
もちろん。それ(格差の拡大)は私がどうしても書きたい要因、とりわけロナルド・レーガンによって撒き散らされたアメリカの巨大な嘘、の結果です。レーガンによれば、富裕層が豊かになれば貧困層も豊かになるといいます。格差が拡大すればするほど、嘘も強くなり、我々にとって致命的なほどになりかねません。アメリカ人は自分にとって何が良いことなのか知りません。歴史的に、この国は18世紀から、公共の物事と国家の問題に対する利害にかけています。それらが我々に関係ないかのように。我が国の短い歴史を通じて、我々は国家を喧しいもの、されには有害なものと認識してきました。そして国家に無関心でいられると信じています。アメリカ社会の根本そのものを崩すのは、この真実の歪曲であり、歴史的な嘘です。不幸にも、オバマ大統領は半ば無邪気に、そのように振る舞っています。彼は優れた人物です。私は彼に二度も投票しましたし、もし再び立候補する権利があるならもう一度投票するでしょう。しかしたとえ意識していたとしても、彼にはこの事態を変える意思はありません。そして同じような場合に、アメリカの歴史では、問題を解決する最も良い手段はいつも、戦争を始めることです。状況を劇的にし国民を熱狂させるのです。

前任者らと違ってオバマは好戦的ではありません。イラクとシリアに介入する決定を下し、ドローンの使用を強化して、グアンタナモを閉鎖もしなかったしパトリオット・アクトを廃止しなかったにしても。この偽の平和主義者をどう思いますか?
彼は善意に満ちた理想主義者、進歩主義者ですが、統治するよりは選ばれる才能に恵まれていると思います。彼を弁護すると、国民の中の反国家主義的部分はオバマより強い。ティー・パーティー、極右は、国家は戦争すること、国土を防衛することだけに役立つと考えています。オバマはそれよりも複雑な国家観を持っていますが、絶えず野望を後退させるように強いられています。介入できる領域があまりにも限られているために、もはや何をすべきかもわからないはずです。手を縛られて、彼の代わりにだれであっても、途方に暮れるでしょう。偉大なリーダーであることが明らかになっていたら、恐らく解決策を見出していたでしょう。しかし彼がそのような器であるか、私には確信がありません。

あなたはオバマが具体的な現実から切り離されたインテリのままでいたと考えますか?
いずれにしても、彼が対決を好んでいるとは思いません。根本的には、彼が何を考えているか我々は知りませんし、彼の意図もわかりません。しかし、結果から判断すれば、政敵に抵抗することができず、国家元首としては失敗したと言えます。

この夏は、ガザ危機、イスラム国の成功、ウクライナ、ミズーリ州ファーガソンの暴動…と、オバマにとっての試練でした。あなたは彼が変革を約束したから投票しました。変革することに成功したのでしょうか?
オバマの大きな勝利は国家レベルで展開され、同性婚に関するk十です。近東では、いずれにしても、アメリカは状況を掌握するのに常に苦労してきました。ファーガソンに関しては、確実にもっと有効に対処できていたはずです。残念ながら、白人警官が黒人青年を射殺することは全く目新しいことではありません。このような悲劇は、我々が現実の中に見る理想化された始祖うに反するから騒ぎになるのです。しかし、距離を置いて見る必要があり、歴史の文脈に置き直してみるべきです。この種の逸脱は10年間で既におよそ20回も再発していたはずです。私はファーガソンをよく知っています。その近くで法律の勉強をしていたからです。急激に変わりゆく郊外の住宅地です。ますます多くの黒人が住み着くために、白人が退去し始めています。とりわけ警察の人種差別は風土病のような社会問題であり、突然、メディアを賑わす事件となって際立つことがあります。それに反して、オバマや法務長官んは問題の根っこに気づいているのだから、それを根絶するための長期的な作業に取りかかるべきでした。

あなたはミズーリ州ジャクソンで生まれ育ちました。1950年代に学校に通っていた時、黒人とは全く接触がありませんでした…
ありませんでした。本当にアパルトヘイトの状況であり、悪化する一方でした。というのは、この人種隔離政策はさらに増強し、爆発し始めていたからです。もちろん黒人が最初にそのことに気づいていました。彼らが社会的に不利だっただけになおさら、最初に苦しんでいたからです。しかし白人でさえも、公民権運動に照らして、そこに道徳的不正を見出し始めていました。南部の白人は不条理で疎外された実存を生きていました。彼らが嘘、歴史的で道徳的な嘘の中で生きていたからです。それが、高校卒業後にミシガン州の大学に行くことを選んだ理由です。

この時代について、不公平に対する特別な感受性を持ち続けていたのですか?
そうだと思います。人種隔離政策は私の個人史の中で、不公平の原型そのものを成してきました。それはつまり、人が持っていることも持っていないこともある他者に共感する能力は、先天的な感覚であると私が信じているということです。母は私にいつも言っていました、「リチャード、あなたは優秀な弁護士にはなれない、心が優しすぎるから」と。私は法律に強くひかれていましたから、この言葉には激怒しました。しかし真実でした。私は道端で怪我した亀を助けるために車を止めるような人間でしたから。反対に、Graham Greeneは、作家は皆、氷の針を心に抱いていると言っていました。この二つとも、私の中では真実だと思います… 私はこの二つの傾向の間で分裂しているのです。

あなたは10の州で生活し、およそ10回も引っ越しました。ジャクソンで生まれ、ミシガン州で勉強し、ニュージャージ州で生活し、プリンストンで教え、ニューオーリンズ、ニューヨーク、デトロイト、メーン州、モンタナ州、カリフォルニア州に住んできました… 合衆国を構成するこれらの不均衡な場所を結集させるのは何でしょうか?
何よりもまず、一つの言語、一つの通貨、共通の連邦行政機関、さらには相対的な地理的近さです。それだけではなく、建国の父、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソンやベンジャミン・フランクリンから受け継いだ考え方もあります。これらの領土が別々に発展するよりも、連邦になることで経済的に多くのものを得てきたという考えです。しかしこの、統合へ意志、共通の利益という意識は崩壊し始めています。妻が最近私に言いました、「モンタナとフロリダが結びついたままでいる理由は、本当はない」と。多くの人がこのような感じを抱いていると私は思います。一般に受け入れられている考え方に反するので、口に出して言わないとしても。モンタナ州の住民にとって、ワシントンで決められることによって自分の生活が影響されるのを認めることは、当たり前のことではありません。南北戦争は、アメリカ合衆国の建国から1世紀足らずのうちに勃発しました。当時、この分離主義の誘惑は破廉恥にさえ見えかねませんでしたが、今日では、それほどでもありません。アメリカの思想の中心に、このような連邦に意味があるのかという、潜在的な疑念があります。アメリカ人にはこの疑問を抑え込む傾向があります。しかし、国家だけがこの連邦の唯一の存在理由であるにもかかわらず、1776年を受け継いだ統合の意志は、内心で、連邦国家への拒否感に衝突します。ミシガン州の北部には、分離することを望む小さな半島があります。それに私は、自分が住むメーン州の地域は、地理的まとまりを理由に、カナダの一部であるべきだと思うことがあります。

2008年、あなたは、ジョン・マケインが当選したらカナダに移住したいと断言していました…
実際にそうしていたでしょう! 個人的に、カナダは、合衆国の行き過ぎを免れた、寛容のオアシスに見えます。たとえ石油経済の発展がアルバータ州のような一部の地方を一種のファー・ウェストのようなものにしても、テキサスの、より一般的にはアメリカの狂気からは程遠いままです。2、3年前、ミシシッピーの大学で教えていた時、学生に武器を所持しているか尋ねました。自分も持っているということにして。彼らは神経質そうに笑っていました、なぜなら一部の学生は確実に武装していたからです。いずれにせよ、完璧に合法です。銃で武装したまま、大学に、教会に、レストランに、保育所に入ることができるのです… そして誰もが、そのことを普通だと思っています。しかし結局そうではない。アメリカ人の60%はこれが異常だと思っています。しかし我々は極右のなすがままです。そしてニューオーリンズに住んでいた時、誰かを街中で射殺してしまったら、死体を自宅に運び込めと言われていたでしょう。というのはこの場合、正当防衛になるからです! 

2005年、ニューオーリンズを廃墟にしたハリケーン・カトリーナの直後、あなたは我々に素晴らし文章を書きました。あなたの次の本、『Let Me Be Frank With You』は、あなたの作品の登場人物フランク・バスコンブを再び登場させていますが、今回はハリケーン・サンディが通り過ぎた後に繰り広げられています。
そうです。私はサンディを直接経験しました。カトリーナの場合とは違ったものでした。そしていくつかの印象を抱きました。特に、メディアが気づくことなく、ハリケーンがどのようにして密かに個人の生活に影響したかに注目しました。見かけ上は異質な出来事の間に隠された関係を暴くことが文学の力の一つです。エッセー、『自己への信頼』でラルフ・ワルド・エマーソンが言っていたように、「本性は観察されることを好まない。」 実に単純ですが非常に深い言葉です。これは、想像力が本性の影響を取り出すことができるということを意味します。本質がその影響を暴き立てないにもかかわらず。私の小説ではフランクはニュージャージー州の小さな町にいます。ある秋の日の午後、一人のアフリカ系アメリカ人女性がフランクを訪ね、ずっと前、彼が子供だった頃にその家に住んでいたことを打ち明けます。ハリケーンのために家を追い出された彼女はフランク隣人たちの家に泊めてもらい、かつて父親が母と弟を殺害したこの家に再会する決意をしました。彼女自身が、学校に行っていたおかげで死を免れたのでした。こうして、全く予期せぬ仕方で、彼女を悲劇の舞台に再び連れて行くのがハリケーンだったのです。しかし二つの出来事を関連付けるのは私です。

(以下略)


LE NOUVEL OBSERVATEUR DU 2 AU 8 OCTOBRE 2014, N° 2604



上記の『週刊東洋経済』2014年11月1号の特集、「分裂する大国 アメリカ」の中で、

p.34 からの、『Part1 現地報告アメリカ2014 オバマの夢から覚めた迷える大国はどこへ 1%と99%に分裂 格差に翻弄されるニューヨーカー』
という記事の中では、例の『21世紀の資本論』が登場します。
(pp.37-)
「ピケティ本は聖書だよ」
「部屋の巨象がわかった」

 
 10月3日。金曜日の夜だというのに、マンハッタン西16丁目のニュースクール大学講堂はニューヨーカーで埋め尽くされていた。ざっと300人はいるだろうか。
 この日登壇したのは、フランス人経済学者トマ・ピケティ教授だ。3月に米国で発売された著書『21世紀の資本論』は、700ページに及ぶ分厚い経済書にもかかわらず飛ぶように売れた。3世紀間のデータを用いて不平等の構図を解いた専門書が、米国人の心をつかんだのである。
 その一人、50代のマーク・サリバンさんはピケティブームをこう分析する。「米国に『巨象が部屋にいる』という表現がある。その存在に誰もが気づいているのに、誰もそれに触れない状態だよ。この本は、不平等が今そこにある現実だと認めた。本を買った人のほとんどが読みこなせないだろうけれど、これだけ売れるのは多くが『これは持っておかないといけない』と感じているから。聖書みたいなものだよ」。
 かつて格差といえば、持つ者と持たざる者の差だった。今はそれが「1%と99%」という形を成す。そして、中間層は99%のほうに含まれるのだ。米エコノミック・アナリシス・アンド・リサーチ・ネットワークの調べだと、09~11年の所得上位1%の所得額上昇率が11.5%だったのに対して、下位99%はマイナス0.7%になっている。
詳しくは本誌をご覧ください。







Capital in the Twenty-First Century/Thomas Piketty
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今さら「実は」と言われても困ります。


実は先進国トップの貧困率だった日本。貧困の波は年収500万円サラリーマンにも押し寄せている

 今までSPA!では何度も「貧困問題」について特集してきたが、年収500万円という平均的なサラリ..........≪続きを読む≫
以前からこの国は、所得再分配後に貧困率が上昇する、稀有な国として知られていました。

シングルマザーの就労率は世界トップクラスなのに、逆に貧困率は先進国トップというのも、某与党やそれに追随するマスゴミが知らせようとしないだけで、このブログの始めの頃から周知の事実でした。

今さら「実は」と言わないでください。

「アベノミクスで景気がよくなったといわれても、それを実感できているのは、一部の富裕層に限った話。雇用の流動化を進める安倍政権が目指すのは、1%の富裕層が富を独占するアメリカのような超格差社会です。すでに、正社員の労働環境も不安定化しており、中間層が下に落ちてきています」

これはその通りですが、こんなのを目指すアベノミクス(なんて恥ずかしいネーミング)を叫ぶ政権を、この週刊誌の出版社の親分である某メディアは散々支持してきたのではないですか?






3年以上前のことで自分でも殆ど忘れていた2011年9月11日の Norvège : la bonne réponse ノルウェーの優れた答え  で話題にしたノルウェーのイェンス・ストルテンベルグ首相(当時)が、2014年10月1日にNATO、北大西洋条約機構の事務総長に就任したことに関する話題を、全くの気まぐれですが、取り上げます。


週刊誌 Le Nouvel Observateur の2014年10月2-8日(通巻2604) に掲載された BONS BAISERS DE RUSSIE (ロシアより愛をこめて)という記事です。



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MONDE

OTAN

BONS BAISERS DE RUSSIE



Le nouveau secrétaire général de lAlliance atlantique, Jens Stoltenberg, a-t-il été un agent du KGB ? Les Russes le suggèrent. Leur but ? Discréditer leur principal adversaire


(大西洋同盟の新事務総長、イェンス・ストルテンベルグは、KGBのエージェントだったのか? ロシア側はそう示唆する。その目的は? 自分たちの主要な敵の信用を失わせること。)

PAR JEAN-BAPTISTE NAUDET


 クレムリンは大喜びだ。ウクライナ紛争以来熾烈を極める新たな東西の戦争で、モスクワは一つの見事な点に注目したところだ。それを信用すれば、10月1日に就任したNATOの新事務総長、55歳のノルウェー人イェンス・ストルテンベルグは、偉大な「「ロシアの味方」だというのだ。もっと言えば、彼はKGBのエージェントだった! ソビエト次いでロシアの拡張主義を抑え込む役割を担った、北大西洋の強大な軍事同盟が弱体化し、不安定になり、笑いものになるようなものだ。確かに、ノルウェーでは「情報」は否定され、「情報操作」とさえ言われている。しかし都合の悪いことが行われ、疑いが広められる。労働党で左翼の、ノルウェーで二期首相を務めたイェンス・ストルテンベルグの長文の紹介記事で9月中旬に事件を「暴露」したのは、非常にまじめなロシアのビジネス系日刊紙、『ヴェドモスティ』だった。「1990年代、ストルテンベルグはステクロフ(ガラス職人)のコードネームで、KGBのエージェントと定期的に接触しながら、ソビエトの情報機関のために働いていた」と、『ヴェドモスティ』は記すが、情報源は全く示していない。オスロでは、ロシア専門のスター記者、アスネ・サイエルシュタッドが憤慨する。「ここでは、2003年から、マスコミから出てきた古い話だ。KGBはストルテンベルグに“ステクロフ”と名付けて標的に選んだ。1990年代、当時国会議員だったストルテンベルグは、確かに、在オスロ・ソビエト大使館の二番目か三番目の書記官と正統に会見していた。しかし、ノルウェー秘密警察が彼に、その外交官がKGBであることを警告してからは、あらゆる接触を絶った。ストルテンベルグがモスクワのスパイだったことは決してない。」 ノルウェー情報機関によって確認された解釈である。

 多くの進歩派の欧州の同様に、ストルテンベルグはソビエト側と良好な関係を維持していた。策略はロシア情報局の極めて古典的な手法だった。左派政治家のソビエト連邦の「外交官」とのありふれた接触を、彼らがKGBのエージェントとして通用させるために利用することだった。この策略は1990年代に社会党のシャルル・エルニュに対して利用された。確かに、これら「革命家」の進化は面白い。例えば、若い頃、ワシントンが主導する軍事同盟の新事務総長、イェンス・ストルテンベルグは、急進左翼と一緒に、ベトナムにおけるアメリカの戦争に反対し、ノルウェーのNATOへの加盟に反対してデモに参加していた… しかし、こうした細部が際どいからといって、彼らがKGBの元エージェントから転向した左翼活動家ということにはならない。

 抱擁しながら窒息させるかのように、ストルテンベルグがロシアの「大切な友人」のままでいたことにモスクワが固執するのはそのためだ。そして誰もが彼の宣言に従う。NATO駐在のロシア大使、アレクサンドル・グルフコは言う、「ロシアは首相だった時のイェンス・ストルテンベルグとともに、生産的に働いてきた。我々の彼との共同作業の経験は以上にプラスだった。彼の内閣の下で、両国関係の強化のために多くのことが行われた。」 ストルテンベルグとの素晴らしい関係を強調し、漁業分野、とりわけバレンツ海でのタラの保護に関して結ばれた基本的な合意を繰り返すために、ロシア首相、ドミトリ・メドベージェフ、次いでウラジミール・プーチン大統領が矢面に立った… ロシアと国境を接する国の出身としては初めてのNATO事務総長は、とりわけ燃え盛るウクライナ問題に関して、モスクワに対してより柔軟になるだろうか? この問題に対する彼の発言はむしろはっきりしている。モスクワに対する制裁に賛成する発言をした。ウクライナのNATO加盟の可能性にすら言及している。クレムリンにとっては脅しともとれる仮定であり、一部の観測筋によれば、火薬に火を点けることも有り得た。それでも、妥協の名手でありロシアと交渉することに慣れているストルテンベルグは、ウクライナ危機の出口を見出すための策を得ることができよう。「安全保障に関して、イェンス・ストルテンベルグにタカ派の要素は見られない」と、ノルウェーの新聞「ネッタヴィセン」の記者、グンナル・スタヴルムは断言する。「国際紛争の増大の時代の後に、NATOの主要国は妥協の準備ができた事務総長を望んでいることを、イェンス・ストルテンベルグの選出が示している。」 クレムリンは、かくも良き「友」が差しのべた手を、しっかり掴むだろうか?


LE NOUVEL OBSERVATEUR DU 2 AU 8 OCTOBRE 2014, N° 2604









先日(10月16日)、オルセー美術館展 とやらの無料招待券を頂いたので六本木の国立新美術館 に行った帰り。

ミッドタウン前のビル工事現場にて。

「英国領バミューダ」・・・

なんと香ばしい・・・


タックスヘイブン


まだこんなことが大手を振ってまかり通っているんですね。
こんなんじゃ、いくら法人税減税したって、あっちに行っちゃいますよ、愛国心(笑)のかけらもないセコイ企業のお歴々は。

ちなみに、この工事現場の前の道路には、黒塗りの(窓も)のベンツやらレクサスやらが、多数、路上駐車しておられました。あと、真っ黒の大型威圧系ミニバンも。最近のその筋の方々は、超高級セダンだけでなく、下品系威圧系巨大ミニバンも利用されるようです。さすが合理的(笑)。

かつて鳴り物入りで登場した駐車監視員らしき人々やらも見て見ぬふり。その筋の方々が街に普通に溶け込んでいるところんど、いかにも六本木でした。




最近、ハンガリーが第二次世界大戦中の対独協力について「謝罪しなかったから偉い」「日本も見習え」とか、都合よく利用しようとする動きが一部にあるということを、風の噂に聞きました。しかし、どこかの国の、極右勢力を利用しておきながら知らんぷりの与党の支持層が思っているほど、事は単純ではありません、という話です。当たり前のことです。

週刊誌 Le Nouvel Observateur の2014年8月21-27日(通巻5998)に掲載された、LE BROUILLARD DE L’HISTOIRE (歴史の霧) という記事です。





20140821-01



MONDE

HONGRIE

LE BROUILLARD DE L’HISTOIRE



Pour capter les voix de l’extrême droite, le conservateur et populiste Viktor Orbán n’hésite pas à verser dans le révisionnisme

(極右の票を取り込むために、保守派でポピュリストのオルバーン・ビクトルは歴史修正主義に飛び込むことをためらわない)



DE NOTRE ENVOYÉ SPÉCIAL JEAN-BAPTISTE NAUDET

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 すり減った靴、古い眼鏡、乾いた花、ろうそく、ダビデの星が描かれた石の飾り、とても美しい女性が悲しく謎めいた微笑みを浮かべる横顔の白黒写真。このような説明が書かれている、「ハンガリー憲兵隊によってアウシュビッツに移送される前の母。」 ブダペストの都心で、異論が多いために長い間未完成の、第二次世界大戦の犠牲者を追悼する記念碑の足元に、ブダペストの当局の積極的な協力によって、1944年3月から5月の6週間で強制収容された43700人のハンガリーのユダヤ人の思い出、悲しみ、怒りを担った霊廟を、無名の人々が急いで作り上げた。足場の覆いと警官によって長い間守られてきた公式の記念碑は、ハンガリーのユダヤ人社会だけでなく、オルバーン・ビクトルの大衆迎合的で保守的な政府の「右寄り」な歴史観を共有しない人々にも、抗議行動を生んだ。破風と13本の古代様式の柱で飾られた、この記念碑は事件に対する特異な見方を示している。一羽の鷲(ナチスドイツ)が大天使ガブリエル(無垢なハンガリー)に襲いかかる。それは歴史のいくつかの「細部」を忘れることだ…

 第二次世界大戦中、ハンガリーのホルティ・ミクローシュHórthy Miklós 政権はヒトラーの同盟者だった。そして、たとえハンガリーのユダヤ人がドイツの部隊の入国後にしか強制収容されなかったとしても、この体制の大規模な参加、とりわけ非常に献身的だった憲兵隊の参加があってこその移送だった。生存者や、ガス室と火葬場で人生を終えた人々の子孫が、全く「天使のよう」ではないと判断する態度である。そうして、大ハンガリー帝国への郷愁、国粋的で大衆迎合的な欲望の底で、記憶をめぐる闘争がブダペスト中心にまで猛威を振るう。ユダヤ人社会は、ショアーの70周年を記念する公式のセレモニーへの参加を拒絶した。彫刻家 パルカーニ・ラーブ・ペーテルPárkányi Raab Péter の作品は3月には完成するはずだった。4か月以上経っても、醜聞を理由に、未完成のままだ。そして恐らくずっとそのままにはならないことを、当局はほのめかしていた。警察の警備の介入下で、記念碑を管制させるために真夏を利用してきたのだ。

 この夏、記念碑から数メートルのところで抗議行動に参加しているのはなおも数百人いる。日常として、このハプニングは3月から続いている。少し遠くで、20人ほどの人が椅子に座っている。歴史修正主義の記念碑を前にして、この集会は野党が「生ける記憶」と名付けるものを体現している。誰もがここに来て、それぞれの物語を、公に語ることができる。今日、言葉を発するのは、美術史の教授、レーニ・アンドラーシュRényi András だ。マスコミで、この記念碑の反対派は、オルバーン政権の主要な歴史家たちの一人から、激しく攻撃されている。なぜなら彼は共産党時代のノーメンクラトゥーラの家の出身だからである。レーニ・アンドラーシュ自身、聴衆の前でそれを認める。「父はユダヤ人の印刷工だった。第二次大戦中に共産党とレジスタンスに加入した」、彼は語る。「父は共産主義体制の幹部の一人になり、党の新聞のナンバー2になった。決してナンバー1にはなれなかった。ユダヤ人だったからだ。党は彼を出世させようとしなかった。」 一人の男が経ったまま、彼を好意的に見つめる。彼自身、1956年の反共産党蜂起の後に体制によって死刑判決を受けていた。

 レーニ・アンドラーシュはオルバーン・ビクトルの歴史歪曲主義に関して一つの学説を披露する。内密に分析する、「それは新しい歴史の語り方だ。1000年の間、ハンガリーは犠牲者だったが、オルバーンはこの不幸な千年紀を終わらせ、ハンガリー国家を作り直そうとしている。彼は政治目的に歴史を手段としている。この記念碑は、確実に極右に向けたジェスチャーだ。ドイツによる占領の間にハンガリー社会には全く責任がなく、したがって記憶の作業は必要ないということを意味するからだ。」

 記憶に関する論争は記念碑をめぐる対立にとどまらない。学校にも及んだ。複数の教員が、特に歴史の、修正主義と判断される新しい教科書の配布を非難した。歴史教育協会会長、ミクローシ・ラスレー Miklósi Lászlé は「到底受け入れられない、1989年以降初めての強制的なイデオロギー」を非難する。国有化された、したがって政府に統制される出版社から出された教科書は、「独裁者ホルティの肯定的な印象を与える」と憤慨する。「この教科書が欧州連合の資金のおかげで出版されているだけになおさらだ!」 いくつかの本では、「ヒトラーが西部劇のヒーローであるかのように紹介されている」と、うんざりしながら強調する。

 ハンガリーの色である、赤と緑の縁取りのついた白い小冊子もまた、論争を巻き起こしている。これは「国家への忠誠の表明」、すなわち、13歳から14歳の生徒全員に配布される、新憲法の前文だ。オルバーン・ビクトルを非難する側にとっては、愛国的信仰の手段だ。この国民的「祈り」は、ドイツ軍が侵入した1944年3月19日にハンガリーが主権を失ったと断言する。しかし、これが侵略以上に、ソビエト軍に対抗するための軍事的戦術であったこと、そしてドイツと同盟していたホルティ政権がその地位に留まったことを忘れることである。歴史修正主義は、論争の的となっている4人の作家の名誉回復をも兼ねる。Nyiro József (1889-1953)、Wass Albert (1908-1998)、Sinka István (1897-1969)、Szabó Dezso (1879-1945)。セリーヌのような才能よりも、反ユダヤ主義で有名な作家たちである。彼らは新しい教科書でそれなりの地位を得ている。反対に、ノーベル文学賞を受賞した唯一のハンガリー人で、ショアーの生き残りでもある、イムレ・ケルテス Imre Kertészは、「ハンガリー人作家」の中で教育課程に記載されていない。

 火薬に火を点けた、当局のもう一つの決定は、2014年1月のヴェリタス歴史研究所の創設だった。極右に近いと見なされる歴史家ソカ-リ・シャンドルSzakály Sándor率いるヴェリタスは、ハンガリー史の誇大な観点を押し付けるオルバーンの最後の試みと見られる。ソカ-リ・シャンドルは弁解する。「誰も私に何も問わなかった」と断言する。そして、歴史修正主義ではなく、「我々自身に対して批判的であることにすぎない」と誓って言う。1941年に中央ヨーロッパの14000人のユダヤ人がハンガリーによってウクライナに移送され、そこでナチスによって殺戮されたことを、単なる「外国人に対する警察の作戦」と形容したとして反対派がやり玉に挙げる男は、歴史の「複雑さを見つめ」なければならないと断言する。この御用歴史家はホルティ政権に「肯定的な要素」さえあると考え、「非難するのは安易に過ぎる」と判断する。最後には、話題をかわす。「ホルティの政策が肯定できるか否かを判断するのは難しい。歴史には黒も白もない。」

 ハンガリーのユダヤ教信徒協会の副会長、トルダイ・ペーテル Tordai Péter は歴史のこの時代に対してより明確な観点を持つ 。「極めて人数の少なかったドイツ軍は、ハンガリー側の積極的な協力がなければ、強制収容を実施することはできなかったはずだ」、ユダヤ人協会の会長室で、説明する。そこには1944年にアドルフ・アイヒマンがハンガリーにおける「最終解決」を監督するために居を定めていた。「政府は、ドイツ人のせいにすることで、1930年代から1940年代の右翼的政策の疑いを晴らすつもりだ」と、彼は続ける。「現政権は反ユダヤ的ではない。しかし、右翼や極右の支持者を惹きつけるために、歴史の霧を創り出している。」 ハンガリーのユダヤ人社会は、闘うことを強く決意している。「我々は、歴史がでっち上げられる国に生きたくない、トルダイ・ペーテルは力強く話す。「闘わなければ、ショアーが決して再び起こり得ないと、どうして信じることができるだろうか?」


LE NOUVEL OBSERVATEUR DU 21 AU 27 AOÛT 2014, N°2598
















何年振りかで、DVDというものを買いました。

ナオミ・クライン原作
マイケル・ウィンターボトム、マット・ホワイトクロス監督作品、
ショック・ドクトリン

もちろん、あの『ショック・ドクトリン』の映画化です。

DVD BOOK 「ショック・ドクトリン」 (旬報社DVD BOOK)/旬報社
¥3,456
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原作(の日本語版)はこちら

ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く/岩波書店
¥2,700
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ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く/岩波書店
¥2,700
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原著はこちら
The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capita.../Picador USA
¥2,004
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関連エントリーはこちら

ナオミ・クライン、危機を利用する資本主義【1】  2008年5月28日

ナオミ・クライン、危機を利用する資本主義【2】
 2008年5月29日

ナオミ・クライン、危機を利用する資本主義【3】  2008年5月30日



このDVDを見て気付いたことですが、ミルトン・フリードマンですら「民営化」を期待しないものがありました。

軍隊、裁判所、そして道路交通網です。

どこかの国は高速道路を「民営化」し、その宗主国さまは、軍隊の機能の多くを「民営化」しました。
そして両国とも、裁判所の先にある刑務所の「民営化」も進めようとしています。

地獄にいらっしゃるであろうフリードマン様も、さぞ驚いておられることでしょう。



それから、原著ではフォークランド紛争を「櫛をめぐる二人のハゲの争い」 "a fignt between two bald men over a comb" と形容していて笑えたのですが、この表現が出てこなかったのが残念です(笑)。




6月16日の PIKETTY SUPERSTAR ピケティ スーパースター  で取り上げた、トマ・ピケティ氏の『21世紀の資本論』が、今週の『習慣東洋経済』で特集されています。


週刊 東洋経済 2014年 7/26号 「『21世紀の資本論』が問う 中間層への警告/人手不足...
¥690
Amazon.co.jp

この表紙、英語版の表紙が掲載されていますが、できれば原書にしてほしかったと思います。
↓こんなふうに。


なんちゃって東洋経済


(画像は、あくまでもイメージです)

冗談はさておき、日本の信頼できる活字メディアでこの本が大きく取り上げられたことの意義は非常に大きいと思います。

原著も英語版も、分厚くて重くて持ち歩けないのを言い訳に、読めないままでいるのですが、この雑誌で取り上げられたポイントを元に、読んだ気になりたいと思います(笑)


38ページに「5分で読んだ気になる! 『21世紀の資本論』 3つのポイント」という特集があります。

詳細は本誌を読んでいただくとして、項目だけ挙げると、

資本収益率は経済成長率を上回っている

所得と富の不平等は21世紀を通じてさらに拡大していく

格差を食い止めるにはグローバルな累進課税が必要だ

これを念頭に置いて本書を読み進めるのがいいかもしれません。


3つ目の「グローバルな累進課税」に関しては、ピケティ氏とエマニュエル・サエズ氏らの共著、Pour une revolution fiscale (税制の革命のために)と、そのサイト http://www.revolution-fiscale.fr/  にも詳しく書いてあります。









今月は第二次世界大戦の、いわゆる「ノルマンディー上陸作戦」から70年でした。
また、第一次世界大戦勃発の原因の一つとされる、「サラエボ事件」から100年でもあります。

この機会に、というわけではありませんが、戦争が一般市民に強いる犠牲について考えさせられる記事がありました。死は敵からもたらされるだけではありません。


週刊誌 Le Nouvel Observateur の2014年6月5-11日(通巻2587)に掲載された、 CES BOMBES AMIES... (味方の爆弾…)という記事です。

Les derniers mystères du D-Day (D-Dayの最後の謎)という特集の最後に掲載されていたものです。


bombes-amis




TABOU

CES BOMBES AMIES...


Quelque 60 000 Français ont péri sous les bombes des Alliés entre 1940 et 1944. Aujourd'hui, on s’interroge sur cette stratégie cruelle


(1940年から1944年までに、およそ6万のフランス人が連合軍の爆弾の下に息絶えた。今日、この残酷な戦略が自問されている)


PAR LAURENT JOFFRIN



「別の世界にいるようだった」 爆撃されたフランス人の叫びは全員一致している。数分間の鋼鉄の嵐の中で、彼らにとって貴重なもの、彼らが愛した者、生活の糧だったものが爆発し、四散し、引き裂かれ、無に帰した。彼らの家、家族、道、街、子供の頃の思い出、夢と希望、全てが粉砕され、燃やされ、血で汚され、恐怖で貶められた。

 飛行機がやって来る。それまで、空に向かって首を傾ける男女に戦争は被害を及ぼさなかった。日常生活は苦しかったが耐えられるものだった。この後の瞬間、瓦礫、爆撃で穴の開いた道、不安定な表情、建物の残骸、淫らな姿勢で打ち捨てられた死者たち、裸の体、車道に長いあとを引いて広がる血の世界に投げ出される。

 最初に心を揺さぶるサイレンの唸りが聞こえ、次に暗く湿った避難所への競争が始まり、人々が行き先を追う編隊の唸りが聞こえる。避難所の中で人々は祈り、震え、老若男女、一塊になって身を寄せあう。耳を聾する振動は、間もなく負傷者の叫びに切り裂かれ、10分、15分、1時間と続く。それから静寂が戻る。恐怖の夜の後に悪夢のように、飛行機が飛び去る。人々は茫然とし、取り乱し、喘ぎながら、ひっくり返った石と執拗な炎の光景の中に飛び出す。

 こうした恐怖の光景は、カーン、サン=ロー、ルアーブル、ビランクール、サンテティエンヌ、ブレストやロワイヤンで見られた。ジュール・ロワが『幸せな谷』で描いたロマンティックな若いパイロットによって標的にされたフランスの100の街で。多くのフランス人に心的外傷を残した光景を、人々は戦後、忘れることを選んだ。なぜならこの犠牲は敵国、ドイツ、ナチスによって押し付けられたのではなく、フランスを解放する使命を持った、連合国によって科せられたものだからである。彼らの正義のために、およそ6万人の老若男女のフランス人が殺され、数十の都市が壊され、数十万戸の家が破壊され、およそ400万人が住むところを失って路上に放り出された。

 解放という祝祭の日、人々はこれらの苦しみに慎み深い覆いを被せた。不満を訴えようもなかった、友軍の犯罪の犠牲者のために訴えが起こされるには、激情が消え去り、事実が知られ、再調査がなされるのを待たなければならなかった。

 米軍と英国軍は、空軍、とりわけ彼らが「戦略的爆撃」と呼んでいたものに大きな希望を抱いていた。14-18の後、新しい戦争の理論家らは、空爆の効果だけで戦争に勝利することができると考えるようになっていた。この戦争の開始時に、英国と米国の空軍の将軍たちは、Bombaer Commandの司令官、ハリス将軍を筆頭に、この理論に賛同し、政府に対して、大量の爆撃機に予算を割くように説得していた。< br>
 この選択は道徳的問題を投げかける。率直に民間人に向けられる殺戮的攻撃は、非戦闘員の保護を目的とする、ジュネーブ条約のような国際条約の精神に反する。1939年、フランクリン・ルーズベルトは、都市の爆撃を禁止することを目指した呼びかけを発した。ジョゼフ・チェンバレンは、爆撃機は抑止的兵器になると考えていた。そして誰も本当には実行しないと考えていた。

 しかしすぐに、Luftwaffe (ドイツ国防軍空軍)によって行われた派手な空襲が、たとえ当初は敵国軍を標的としていたとしても、民間人、とりわけ道路上の避難民に被害を与えたことで、これらの決議に穴をあけた。イングランドの戦闘が障壁を崩壊させた。ある夜、一人のドイツ人パイロットが誤ってロンドンに爆弾を投下した。チャーチルはベルリンへの襲撃を組織して報復した。ヒトラーは、全面的航空戦争を布告するために、実際には殆ど犠牲者を出さなかったこの爆撃を利用した。何か月もの間、英国の都市はブリッツ、英国国民の抵抗を破壊することを目的としたが結局果たせなかったとはいえ、恐怖の爆撃の支配下に置かれた。ドイツの残虐性に解き放たれ、味方の死者の敵を討つことを決意して、連合国軍は、ドイツの中心部に恐怖と破壊をもたらした爆撃機軍団を装備した。軍事目標に限定するどころか、英国空軍爆撃機軍団(Bomber Command) と合衆国空軍は民間人を攻撃しようとした。かくして、「ゾーンの爆撃」は地区または都市全体を灰燼に帰した。

 ドイツ軍はヨーロッパを占領していた。連合国は被占領国の軍事標的も攻撃することを決意した。こうして、それまで戦闘から免れていたと考えていたフランス人が間もなく血塗れの攻撃の支配下に置かれることになった。英国空軍の内部報告は、爆弾の大部分が目標から8キロメートル以上離れた場所に落下したことを明らかにした。こうして、ルーアン、ブローニュ、サンテティエンヌやナントの住民は空からやって来た恐怖に支配された。Uボートの基地を破壊できなかったために、爆撃機軍団は「ゾーン爆撃」の実施をブレスト、ロリアン、サンナゼールまで拡大した。空軍相が明確にしたように、「居住地区の全面的な損害を引き起こすとしても。

 空襲の激しさはノルマンディー上陸作戦の瞬間に頂点に達していた。この時は、ドイツ軍の援軍を麻痺させて遠征軍を守らなければならなかった。ダンケルクからボルドーまで(上陸の場所を明らかにしないために、ノルマンディーに集中することができなかった)沿岸地区は、絶え間ない爆撃によって壊滅させられた。次いで、橋頭堡が築かれると、英国空軍爆撃機軍団は、ドイツ軍の戦車の動きを阻止するために戦場となった都市の大部分を破壊した。サン・ロー、リジウー、クタンス、アヴランシュ、カーンが灰燼に帰した。

 民間人の損失を少なくするために、爆撃の前に住民に避難を呼びかけるビラが撒かれた。しかし、1940年の脱出の時のように、不在時に自宅が略奪されるのを恐れて、多くの住民は自宅に留まった。マンシュ県の小さな街、ヴィルデュー・レ・ポワルでは、ビラの警告を受けた住民が隣の林に逃げ込んだ。空襲は標的を見失い、林が爆撃された。攻略するのに、降伏を待つことで損害を受けることなく包囲できたであろう、「ポケット」のようなロワイヤンを破壊することに決めた理由はよくわかっていない。3000人のフランス人と10人のドイツ人の死者を出した英国の爆撃によって壊滅したルアーブルについても、同じように謎である。

 フランス人の大多数は、かくも空爆する攻撃の必要性を理解していた。撃墜されたパイロットがパラシュートで降りてきた時、住民は彼らを保護しようと努めた。そのうちおよそ3000人が、レジスタンスによって秘密裏にイングランドに送還された。多くの場合、爆撃は戦争の避けられない恐怖と考えられた。しかしいくつかの場合、空爆の残虐性は大した役に立たなかった。複数の都市が、何のためにもならずに破壊された。

 上陸した兵士は、ノルマンディーで自分たちを迎える態度の冷淡さに、時として驚いた。犠牲者の家族は、今日もなお、彼らを虐殺した爆弾を思い出す。ある生存者が言うように。「死体を解放して何の役に立ったのか?」


LE NOUVEL OBSERVATEUR DU 5 AU 11 JUIN 2014, NO 2587


週刊誌 Le Nouvel Observateur の記事の引用は、今後しばらくできないかもしれません。






最近、トマ・ピケティ Thomas Piketty 氏の『21世紀の資本論 le Capital au XXIe siècle』が話題になっているようです。


【オピニオン】「21世紀の資本論」ピケティ氏は急進的なのか (WSJ)


LeCapitalauXXIe

実際、昨日行った紀伊國屋書店新宿南店の「国内最大級の洋書空間 Books Kinokuniya Tokyo」でも、この本が品切れである旨の張り紙を複数、見ました。日本でも、950ページもあって4000円以上もするフランス語の本が売り切れているわけです。

この本を私は昨年秋に注文して購入しました。実質的に本を読む時間が朝と夜の通勤電車内(座れない)に限られる状況では、この重くて持ち歩くのも困難な本を読むことができず、比較的最近に自分でPDF化するまで、殆ど読んでいませんでした。とはいえその後も、なかなか進みません。

今回は、週刊誌 Le Nouvle Observateur から、同書に関連する記事を引用してみます。

2014年5月29日-6月4日(通巻2586)に掲載された、 PIKETTY SUPERSTAR という記事です。



Piketty01 Piketty02


É CONOMIE

SUCCÈS

PIKETTY

SUPERSTAR



De Washington à Pékin en passant par Londres ou Berlin, son best-seller ”le Capital au XXIe siècle” réveille le débat économique. Explication



ワシントンからロンドンやベルリンを経て北京まで、彼のベストセラー、『21世紀の資本論』が経済論争を目覚めさせる。その理由

PAR SOPHIE FAY




パリ14区の南、ジュルダン通りにあるパリ経済学院の狭苦しく素気ない廊下で、オランダのテレビ取材班がトマ・ピケティの研究室を探している。受付の若い女性が、B棟の2階と、うっかり漏らす。3人のカメラマンを従えた記者は、ようやく目指すドアを見つける。「こんにちは、ピケティ先生、どこでインタビューを撮らせてもらえますか? - 私の研究室で。 - どこですか? - ここですよ…」 驚きが走る。世界中のメディアの寵児となったスター・エコノミスト、『エコノミスト』誌がカール・マルクスに喩えた研究者、中国でも噂の的のフランス人が、本と文献の入った箱で溢れそうな4つの本棚の間に挟まった小さな机で、飾りと言えば数式で覆われたパネルだけという、灰緑色の敷物の8平方メートルの小部屋の中で思索をめぐらせているとは…

 身近に知っている人の間では真価を認めてもらえないというが、トマ・ピケティも例外ではない。著書『21世紀の資本論』が40万部近く売れた、アメリカとイギリスでの華々しい準外からパリに戻った43歳の経済学者は、他と同じ大学教員のままだ。それに不満を漏らすこともない。自らの『資本論』について研究して15年、自分が遭遇した世界的な成功に困惑している。そしてフランスはようやく遅れを取り戻しつつある。「フランスで売れた部数を人口で換算してみれば、アメリカよりもずっと多い」と、彼は計算する。「10万部に達した。つまり、1日に3000冊売れている!」、編集者は大喜びする。18世紀からの資本主義の歴史を辿る、950ページ(英語版は700ページ)の分厚い本にしてみれば、上出来である。その中心的な命題は? 最初から、資本家の所得は経済成長よりも速く増加してきた、最富裕層を遠慮なくさらに豊かにし、不平等の機械的な拡大を引き起こして。この新しい法則の唯一の例外、それが栄光の30年だ。当時、先進社会では富の格差が縮小した。この経済学者が20世紀よりも資本主義の本性をよく現している時代と判断する、バルザック、ジェーン・オースチン、の時代、あるいはベル・エポックのように、不平等の機械が再び作動している。念入りに数値で裏付けられたこの研究はしたがって、富裕層の資産は最終的に貧困層の資産にもなるとする、「トリックリングダウン」という新自由主義理論にも、そしてアメリカ流の能力主義という夢にも、激しい一撃を加える。

 概念上の突破口? 「フランスの派閥から抜け出せば、人々はピケティのことしか語らない」と、自由主義の経済学者でトゥルーズ経済学校の教授、ジャック・デルファは断言する。フランスでは、昨年の新学期に出版されたこの本は、余り大きな波を起こさなかった。著者は多くのインタビューをこなし、メディアにも頻繁に登場した。しかし論争はショートした。「県庁レベルのマルクス主義」と、弁護士で自由主義のエッセイスト、ニコラ・バヴレスはすぐに切って捨てた「体制の正当化」、ピケティが階級闘争を捨てたと批判するブルデュー派の左翼は反論した。一時は税制の大改革に熱心だった、フランソワ・オランドが、2007年にセゴレーヌ・ロワイヤルの、そして2011年の大統領予備選ではマルティーヌ・オブリーの、元顧問だったピケティを信用していないように見えるエリゼ宮でももはや反響はない。ピケティが推奨する決定的な解決策である、資本に対する世界的累進課税を、この経済学者がほとんど関与していない社会党政権は信じていない。「大学人は現実から切り離されていると、政治家は考える。フランソワ・オランドも決して意見を求めない。その著作を読むこともない」、失望を隠そうともせず、この専門家は血色の好い顔でまくしたてる。「彼は、税制と経済問題に対する自分の無限の能力を確信した、ハイパー大統領、エナルクの王様だ。」

 アメリカ合衆国で、ミスター・ピケティは全く違う迎えられ方だった。ある種の身元保証ともいえる、マサチューセッツ工科大学(MIT)で教育を受けた彼は、非常に真剣に受け入れられた。共にアメリカの不平等を解剖した、バークレーの教授で、共同研究者の一人、フランス人のエマニュエル・サエズは、オバマの選挙公約の仕上げの際に助言を求められた。そしてさる4月14日、ピケティ自身が、財務省長官ジャック・ルーと、ホワイトハウスに構想を与える経済学者の顧問団に迎えられた。『21世紀の資本論』は、不平等問題が公的論争の中心となっている大西洋のこちら側に、折よく当たったのである。「そのことについて私に最も話かけるのはトマ・ピケティの業績を既に知っている経済学者ではなく、哲学者、政治科学の専門家、歴史学者だ」と、ニューヨーク大学教授、トマ・フィリポンは説明する。『ニューヨークタイムズ』は、スター論説委員でノーベル賞受賞者、ポール・クルーグマンによって熱狂的に力を込めて、少なくとも6本の記事を割り当てた。一つの統計が論争を集約する。最も豊かな1%という、家計全体のごく一部だけで、2012年のアメリカ合衆国の所得の22.5%を奪い取った。1928年以来、決して見られなかったことである。アメリカ人口の「最上位千分の一」、すなわち最も裕福な0.1%が、20年前は2%に過ぎなかったのに対して、今では国民所得の10%を独占すると、ピケティは記す。すなわち平均の100倍の収入を得ていることになる。フランスでは格差はこれほど大きくはないが、それでも平均よりも25倍多く稼いでいる。「大きな違いは」、自由主義者のジャック・デルファは記す、「超富裕層が広く知られていて、ベタンクール、アルノー、ピノーなどの大富豪であり、金融や非常に大きな事業の起業による収入のおかげで何もないところからのし上がった振興富裕層ではないのが、フランスである。フランスでは、これらの富豪は殆ど政治に関わらない。一方、アメリカでは民主主義のゲームで金がはるかに重くのしかかる。」

 ピケティによる経済はそれでも、全員一致で承認されるには程遠い。先入観なくこの本を受け入れた自由主義者らは、市場のゲームが不平等を減らすことが今でもできると確信して、彼の税による解決策に反駁することに専念した。ロンドンのシティーの日刊紙、『フィナンシャル・タイムズ』は、ピケティの計算が間違っていて、超富裕層と貧しい家庭の格差を誇張していると断定して、さらに先に進んでいた。「FTは笑いものになっている」、全てのデータをオンライン化し、自分の理論を補強する最近の研究を前面に出しているピケティは反論する。「どんな場合でも、論争に終止符を打つのはピケティの本だ」と、トマ・フィリポンは記す。

 アマゾンの販売実績でトップに立ってから『ニューヨークタイムズ』のエッセー格付けでナンバー1になった『21世紀の資本論』を奪い合って、世界中の編集者が翻訳を加速させている。この夏にはスペイン語で、9月にはドイツ語、秋には中国語で読めるようになり、この作品は全部でおよそ30か国語に翻訳されることになる。「記録的だ」と、著者のフランスの版元、Seuil は明確にする。広報活動を繰り広げながら、トマ・ピケティは発言を調整する。『ユーロの政治的連合のためのマニフェスト』の共著者でもある彼は、アメリカでの成功が、Occupy Wall Street 運動の憂慮と結びついていたことを強く意識していたため、彼はドイツでは、「個人資産は公的債務よりはるかに速く増加した」という事実に固執する。その結果として、ヨーロッパ人は多くの借金だけでなく、さらに多くの資産を子孫に移そうとしている。債務を減らすための、そして欧州全体に課された緊縮策の必要性に対するドイツの強迫観念を相対化する、「肯定的な」メッセージである。

 新しいドクトリン、「ピケティスム」はラテン・アメリカにも拡がっている。「チリの財務担当相、アレハンドロ・ミッコが私に会いに来た」と、ピケティは微笑む。その写真は日刊紙『ナシオン Nación』に掲載された。「チリ大統領、ミシェル・バチェレは、私の本と同じ路線にあると言って税制改革を正当化した。」 学校に投資し不平等を減らすために、この国は税収の水準を国内総生産の18%から21%に増やそうとしている。ヨーロッパ式の再分配にはまだ程遠い。それぞれが、固有の税収に応じて焦点を合わせている。

 「6月初めには、アジア歴訪の前に新華社通信と会見する」、トマ・ピケティは感激する。人民共和国は経済学者らにとって新しいフロンティアだ。アメリカ合衆国と同じくらい憂慮すべき不平等の拡大に直面して中国当局は、この現象を分析するために、主要大学への統制を緩めた。中華帝国の計量経済学者は、資産を評価するために創意工夫を競っている。「中国は平和の審判として私に助けを求めている」と、ピケティは楽しむ。「中国は、醜聞の流れに沿って一部の赤い王子を刑務所に放り込んで少数派の富裕化の問題を解決することで満足することはできないだろう。早々と訪れる人口の衰退に対して、相続の問題は中心的だ。遅かれ早かれ資産に対する課税の問題がのしかかってくる」と、経済学者ピケティは請け合う。

 ピケティは税金バカか? この四十代は距離を置く。「税金で経済を窒息させることには賛成しない。フランスでは、公私のパートナーを含めて教育と大学にだいきぼに投資しつつ、システムの現代化を支持する」と、彼は強調する。ピケティは例えば、パリ経済学院のキャンパスの再編成を引用する。私的基金を動員した基金に資金援助された、フランス流経済の新しい聖地は、法外な報酬という政策を彼が指摘した金融企業の寛容さに多くを負っている。優秀な経済学者は実際的であると自ら証明できなければならないことの証拠である。


LE NOUVEL OBSERVATEUR DU 29 MAI AU 4 JUIN 2014, N° 2586


日本語版は、みすず書房から2017年3月までに出版される予定とか。

えらく気の長い話ですね。

某国経済がそれまでに、何とかミクスによって回復不能なまでに破壊されつくしていないことを祈るのみです。草の根で少しずつでも翻訳を広げていくとか… 著作権の問題もあるので難しいでしょうけど。