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PAGES D'ECRITURE

フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

adb

この度の西日本の豪雨災害に遭われました方々には、心よりお見舞い申し上げます。 

前回の記事を書いてから、様々な出来事があり、続きを上げるのを躊躇していました。国内ではサッカーワールドカップの熱も少し冷めてきつつあるようなので、ここで続きを書いておきます。

週刊誌 L'Obs の2018年6月7日(通巻2796)に掲載された La politique en crampons  (スパイクを履いた政治、あるいは、うるさい奴らの政治)という記事です。


FOOT-DICTATURES




PASSÉ/PRÉSENT

La politique en crampons

Comme Mussolini en 1934 ou Videla en 1978, Poutine mise sur la Coupe du Monde de Football pour faire sa propagande

 

1934年のムッソリーニや1978年のビデラのように、プーチンは宣伝工作をするためにサッカーワールドカップに賭ける。


Par SÉBASTIEN BILLARD


ソチ冬季オリンピックから4年後、スポーツ界は既にロシアに再び足を踏み入れようとしている。ウラジミール・プーチンの剛腕に率いられるこの国は、6月14日から7月15日まで、サッカーワールドカップを迎える。スポーツを権力誇示の手段にしたロシア大統領にとって、賭けはスポーツの枠を超えている。多かれ少なかれ、取り戻されたロシアの偉大さを演出することである。

 2022年ワールドカップがカタールで開催されることになっている時、二つの世界大会が続けて、率直に言って民主的という評判のない国で開催されることは、論争を巻き起こす。去る3月に別の緊張の種が現れただけになおさらだ。クレムリンの仕業とされた、ロシアの元スパイに対する毒殺未遂事件への返事として、ヨーロッパのいくつかの国が外交的ボイコットの脅しをかけた。スポーツ大会は民主的国家でだけ開催されるべきなのか?この問題は既に過去に投げかけられていた。強権的な政権によって開催されたワールドカップの痕跡を見出すためには、1934年と、とりわけ1978年という、数十年も前にさかのぼる必要がある。

 1934年、競技が行われたのは、その最初の形が4年前に登場していた、ベニート・ムッソリーニのファシスト・イタリアである。ドゥーチェが準備には殆ど関心がなかったとしても、ひとたびトーナメントが始まると、すぐにサッカーが自分にもたらすものを理解した。ムッソリーニは、スクァドラ・アッズーラの試合の際には常に壇上に立ち、自分の人気のほどを演出する。イタリアチームの開催国優勝は明らかに、彼の宣伝工作に役立った。決勝戦では、ムッソリーニは勝者に、ワールドカップのトロフィーよりも重きをなす『ドゥーチェのカップ』を授け、イタリア聖杯を素晴らしいショーウィンドー、ファシズムの物理的・道徳的優越性の象徴にした。その政治的次元にかかわらず、この1934年イタリアワールドカップは、何の論争も、ボイコットの呼びかけも起こさなかった。「当時のサッカーワールドカップはまだしも慎ましい競技会で、現在ほどメディア化されていなかった。ムッソリーニに関しては、ヨーロッパの民主主義国家にとって、まだヒトラーに対する潜在的な同盟国と認識されていた。1934年のムッソリーニはまだ1938年のムッソリーニではなかった」と、歴史家のポール・ディエツィーは説明する。

 最初に論争を巻き起こした1978年ワールドカップの際には、事情は違っていた。この年、絶えず規模を拡大してきたトーナメントを開催する仕事が訪れたのはアルゼンチンだ。同国はその12年前の1966年に既に開催を決めていた。その間に、政治状況が全面的に変わったことを除いて。1976年3月、軍事クーデターが政府を転覆した。権力を掌握したのは、ビデラ将軍が率いる軍事政権だった。

 その時は、この大会への参加がヨーロッパ、特にフランスで論争を起こした。最初に問題が提起されたのは1977年だった。作家のマレク・アルテ Marek Halter は『ル・モンド』に、独裁政権の犯罪を告発し、すべてのスポーツ選手とそのサポーターにアルゼンチンに行かないように呼びかける論説を発表する。アムネスティ・インターナショナルは、ビデラの就任以降、処刑された人の数を6000人、拘束された人を8000人、行方不明者を15000人以上と推測している… フランスでは、抗議活動は極左の活動家の輪に広がる。ワールドカップボイコット委員会(Coba)が創設され、15万人の署名を集める。しかし、特に経済的利害が争点になっている場合、結局はスポーツがモラルに打ち勝つことなる。フランスチームも、他の全ての参加国と同様に、トーナメントを争うために、ほとんど何もなかったかのように、アルゼンチンに赴くことになる。そして歴史は繰り返す。1934年のイタリアのように、アルゼンチンは開催国優勝を果たす。決勝戦が行われ、血に飢えたビデラ将軍がトロフィーを授けたのは、反体制派が拷問された海軍学校の近くにある、ブエノスアイレスのスタジアム、エル・モヌメンタルだった。

 それでも、抗議行動が全くの無駄に終わったわけではない。1934年のワールドカップがムッソリーニのイタリアにとって完全な成功だったとしても、ナショナルチームの成功にもかかわらず、競技によって自らの権力を強化することができなかったビデラのアルゼンチンにとっても同じようなものとは言えない。「ワールドカップは体制のベールをはぎ取り、1983年に失脚して終わることになるビデラに、予め逃げを打たせた」とポール・ディエツィーは強調する。「サッカーは、必ずしも開催国にとっての栄光とならない鏡だ。」 この夏のロシアと、4年後のカタールではどのようになるだろうか? 少なくとも、歴史が口をつぐむことのできない点がある。ロシア代表とカタール代表が開催国優勝を遂げるには奇跡が必要だということだ。



https://www.nouvelobs.com/histoire/20180606.OBS7844/de-l-italie-fasciste-a-la-russie-de-poutine-la-politique-en-crampons.html

L’OBS No 2796-07/06/2018


今回の開催国の政権は、この記事にある2か国ほどには、独裁政権の本性をむき出しにはしていませんでした。奇跡がなければ起きないような事象も発生していません。

次回の開催国も(以下略…お察しください)



しばらくの間、テレビを見る限りサッカーワールドカップの話題を目にしないことはできなさそうです。

サッカーに大して興味のない人間は、テレビから離れるいい機会かもしれません。

とはいえ、折角なので、別の意味でワールドカップに関連した記事を紹介しておきます。

1本目は、週刊誌 L'Obs の2018年6月7日(通巻2796)に掲載された LA FOLIE DU FOOT : UNE MÉTA-PHORE DU MONDE (サッカーの狂気:世界のメタファー) という記事です。




FOOT-METAPHOREDUMOND






LA FOLIE DU FOOT : UNE MÉTA­PHORE DU MONDE
PAR Daniel Cohen
Directeur du département d’économie de l’Ecole normale supérieure


ひと月の間、文字通りの意味で、世界中がサッカーワールドカップに釘付けになるだろう。フランスのブラジル戦勝利20周年記念が、68年5月革命50周年記念よりも、強さにおいて圧勝すると賭けてもよい。サッカーは、それが生み出す視聴者や選手の給料によって、現代世界の非常識( démesure )に見合って(à la mesure )いる。単純な統計を見ればサッカーが記録するインフレが理解できる。ネイマールはPSGのカタール人経営者にとって2億2000万ユーロかかった。史上最高のサッカー選手と考えられるペレは、ワールドカップでの最後のそして伝説の勝利の年である1970年に、現在の価値で1000万ユーロを得ただけだった… 20分の1に過ぎない! 

 リュック・アロンデルとリシャール・デュオトワの本が、この変異に関するせわしない物語を語る。二人の経済学者はパヴァロッティ効果と呼ぶ(そのパヴァロッティもトリノのユベントスの大サポーターだったが…)。あるオペラのCDを買わなければならないとしたら、最高の歌手のものを買うだろう。それは「勝者総取り Winner Takes All」と呼ばれる理論である。最優秀な者が賭け金の殆ど全てを掻っ攫い、2番目が残りを、以下続く。現代の不平等の素晴らしいメタファーだ。ヨーロッパのサッカーに関しては、1991年に選手の移動を自由化したボスマン判決が、優秀な選手を引き寄せるためのクラブ間の競争を先鋭化した。この判決は報酬のインフレを恐ろしく加速した。「ファイナンシャル・フェアプレー規則」はこの変化を弱めはしたが、ごく僅かに留まった。

 現代サッカーの中心的なパラドックスの理由を明らかにするのがこのメカニズムだ。選手は財を成すが、クラブの財政は悪化する! アロンデルとデュオトワは、スポーツの結果とクラブの金銭的成果とに統計的な相関は全くないことを示す… レアルマドリードの利益は4000万ユーロ「しか」なく、ネイマールの年俸の5分の1である。主要なクラブの大半は、金銭的な見返りを期待せずに多額の金を注ぎ込む大金持ちの個人によって所有されている。彼らは名声またはゲームに対する並外れた情熱のためにそうしているのであって、金を稼ぐためでは確実にない。サッカーは若者、殆どの場合は大衆階級出身が、億万長者の情熱狂的な同意のもとに彼らから強請り取る唯一の例である。

 選手と出資者の間の富の分配の問題は、それがサッカーそのものにもたらす影響に比べれば大したことはない。この点で、アメリカ合衆国との比較は衝撃的で逆説的だ。アメリカのスポーツリーグは全面的に規制されている。クラブの給与総額はリーグによって規定され、平等だ。クラブ間の競争ははるかに釣り合いが取れ、試合の質は極めて高い。ヨーロッパにはそのような規制をする手段を持てないように見える。そして、サッカーがメタファーとして最終的に際立つのはこの領域である。ヨーロッパの自己組織力のなさのメタファーとして。

L’OBS No 2796-07/06/2018


https://www.nouvelobs.com/chroniques/20180604.OBS7699/les-joueurs-gagnent-des-fortunes-mais-les-finances-des-clubs-sont-mauvaises-le-paradoxe-du-foot.html


著者にダニエル・コーエン (Daniel Cohen)氏の著書(共著)が、発売されていました。

未来を読む AIと格差は世界を滅ぼすか (PHP新書)/ジョーン・C・ウィリアムズ
¥950
Amazon.co.jp
PHP新書というのが、どうも引っかかるので買わなかったのですが・・・


わざわざ「ワールドカップ特集(笑)1」というタイトルにした以上、2があるかもしれません。

2があるとすれば、独裁政権とワールドカップという内容です。

1934年のイタリアと、1978年のアルゼンチンに関して。

今回のワールドカップ開催国のロシアも、次回のカタールも(以下略)




1か月以上前の記事で申し訳ありませんが、久しぶりに『ル・モンド』の記事を引用します。

前回のエントリーと似たような話が含まれるかもしれませんが、著者は別人です。誰が見ても、某国の現状は同じということでしょうか。


Lemonde.fr に2018年5月9日に掲載された、 « Le Japon, pays où l’argent ne ruisselle jamais »  (日本、金が決してしたたり落ちない国) という記事です。

ついでですが、某国と某国には未だに根強い信者がいるようですが、1930年代に既に否定されていた「トリクルダウン理論 trickle-down effect (笑)」は、フランス語では théorie du ruissellement と言うらしいです。

« Le Japon, pays où l’argent ne ruisselle jamais »



Les salariés japonais ne bénéficient pas des résultats financiers exception­nels de leurs entreprises, explique dans sa chronique, Philippe Escande, éditorialiste économique au « Monde ».


(日本の勤労者は企業の例外的に巨額な金銭的成果の恩恵を受けていないと、『ル・モンド』の経済論説委員、フィリップ・エスカンドは自らのコラムで説明する。)

LE MONDE ECONOMIE | |Par


損失と利益の年代記 富裕層の金は結局、貧困層に幸せをもたらすのだろうか? 共和国の新大統領、エマニュエル・マクロンが推し進めた決定の有効性と正当性に関する政治論争のために、フランスではこの古くからの問いが再び飛び出してきた。したがって、1930年代にアメリカ合衆国で論争を巻き起こしていた、有名なトリクルダウン理論が引き出しから再び取り出された。直ちに否定されていたのだが。これは実は理論などではなく、正当性が極度に偶然に左右されるメタファーに過ぎない。なぜなら状況とありふれた力関係で決まるからだ。

両極端の事例がこのことを思い出させる。エールフランス航空では、操縦士が背景で人員の大半を訓練しているが、6%近くの給与の上昇を要求するために、会社の業績の改善に直ちに反応した。同社の脆弱な競争力、競争の強さと石油価格の再上昇から見て、経営陣にはあまりにも重いと判断された努力である。人事部で既にあらかじめ先取りされていただけの金が滴り落ちる。そしてジャン=マルク・ジャナイアックの辞任に続いて誰が社長になろうとも、譲歩せざるを得ないだろう。

Explosion de la dette

(借金の爆発)
地球の反対側では、日本の自動車メーカーであるトヨタが、2017-2018会計年度の同社の類稀な業績を発表したところだ。正味200億ユーロの利益を出し、他社をはるかに引き離して世界の自動車産業の王者となる。2017年には800憶ユーロ超まで利益が跳ね上がったホンダのような、現地の競争相手とともに分かち合う例外的な収益性である。

しかしながら、春闘の結果、トヨタは従業員に10ユーロという慎ましい賃上げしか与えなかったし、本田は13ユーロに過ぎなかった。エールフランスの従業員が要求した数百ユーロとは何の関係もない。日本の大企業の頂点に金は蓄積し、企業が保有する流動性とともに投資の必要額の2倍をカバーしかねないほどになっているが、この財源は実質的に底辺に行き渡らない。ゼロ・トリクルダウンである。

これら両極端な状況の理由は単純である。あらゆる航空会社は、ペルシャ湾岸の首長国も含めて、操縦士が不足していて給料が高騰しているために、収益を上げるのに苦労している。彼らの力関係はそこに由来する。反対に、日本における雇用の柔軟化と終身雇用の終焉は、著しい人手不足にもかかわらず、ニッポンの労働組合を奇妙なまでに弱体化した。国全体にとって残念な状況である。というのは、給料の低下が国内消費を侵食し、デフレと公的債務の爆発を助長する一方で、企業の財源はほとんど収益を生まない株式に下手に投資されるからだ。これが政権に、低金利での拡大的な通貨政策と国債の買い取りを続けさせる。日本が永遠に、決して金が滴り落ちない国であり続けることはできないだろう。




所得再分配が機能しない(どころか逆に機能している)国で、企業が労働分配率を上げずに内部留保を増やしていく一方であるどころか、消費税の本来の目的である輸出戻し税のおかげで濡れ手で粟、とうい現状で… (輸出戻し税については、ヨーロッパが先駆者であることの疚しさが、こういう記事で触れられることはありませんが)

某国の勤労者も、分断されて自分より弱い者を叩くことに満足していないで、連帯して反乱を起こしたほうが良いのではないでしょうか?

(こんなこと書くと、そのうち共謀罪か何かで逮捕されて、中世にも劣る非近代的な司法制度によって凶悪犯罪者に仕立てられるのでしょうか)



ご無沙汰しております。
1年以上も更新がトド凝ってしまいました。某亡国極右のアホヘイトコメントに疲れ果てたことだけが原因ではありません。

ずいぶん前のことですが、週刊誌 L'Obs (旧 Le Nouvel Observateur )で日本の経済に言及されている記事が掲載されました。2018年3月29日(通巻2786)に掲載された、"Rendons du pouvoir aux salariés"  (従業員に権力を返そう) という記事の一節です。

日本でも有名な、Patrick Artus (パトリック・アルテュス)氏の対談です。



ARTUS 1 ARTUS 2







Travail

"Rendons du pouvoir aux salariés"

Avec la journaliste Marie-Paule Virard, Patrick Artus publie un essai sur les dérives du capitalisme financier qui fait supporter tous les risques aux travailleurs

 

Propos recueillis par SOPHIE FAY



(ジャーナリストのマリ=プール・ヴィラールと共同で、パトリック・アルテュスは、労働者に全てのリスクを背負わせる金融資本主義の逸脱に関するエッセーを出版する。)



あなたは自由主義の経済学者ですがそれでも、著書『Et si les sa¬lariés se révoltaient ? (そしてもし勤労者が反乱を起こしたら?)』では、マルクスが正しかったと躊躇なく言っています。資本主義は自らの行き過ぎによって助かる見込みがないと…
マルクスはすべての点について正しかったわけではありませんが、次の点において確かに正しかった。資本の利益の低下というリスクを前にして、資本主義は勤労者への締め付けを厳しくすることで反応しました。アングロサクソンの株主は常軌を逸した収益性を要求します。システム全体の働きを脅かすほどに。

この歯止めの利かない資本主義の過剰はどこから来ているのですか?
アングロサクソン資本主義は、企業統治は株主に奉仕するものだという単純な決まりによって、ヨーロッパで幅を利かせました。最高経営責任者はあからさまにこう言います、私は株主の利益のために企業を統治するために彼らに指名され、報酬を支払われているのだ、と。ところがこの資本主義は、経済の面でも耐え難く非効率な仕方で逸脱しました。何故か? 金利がどのような水準であっても、15%の株主利益を要求します。ところが、国家や銀行が1%か2%で借りている時に、このような水準の利益を出すためにどうすれいいのでしょうか? この金はどこから来るのでしょうか? 従業員を犠牲にして株主により多く与えることになります。この法則から外れるのは二か国しかありません。フランスとイタリアです。SMIC(Salaire minimum interprofessionnel de croissance 全職種成長最低賃金)と未だに強い労働組合の力のおかげで、生産性よりも早く賃金が上昇したただ二つの国々です。ドイツ、アメリカ、中欧諸国、新興国は賃金を増やさないか増やしても僅かです。この視点で最も非常識な国、それは日本です。賃金が減少し生産性が上昇して20年になります。その結果、企業の利益は投資に必要な額の2倍になりました。使い道のわからない、0%で銀行に預けるしかない5兆ドルの現金を保有しています。給与を増やす代わりに、日本企業は0%の金利で貯め込んでいるのです。

それがなぜ、資本主義の働きを脅かすのですか?
なぜなら、経済が正しく回るためには生産性向上の成果を従業員に分配しなければならないからです。技術革新は、中流階級が繁栄している時にずっと早く広まります。それがフォーディズムの基礎です。中流階級が自動車を買えば、自動車産業が発展するのです。購買力を抑えれば、技術革新と技術の進歩が広がる力を抑えることになります。

15%の収益という要求はどこから出てきたのですか?
一種の局地的な習慣、理由があまりよくわからないまま、1990年代後半に<定着した基準です。経済危機の間少し減少しましたが、すぐに再上昇します。誰がこのような利益を要求するのか? 銀行ではなく、投資家の世界です。アメリカの年金基金、主要な投資マネージャー、ヘッジファンド、プライベートエクイティファンド、アクティビストファンド… これらは顧客、市場のシェアを獲得するために互いに競争しています。株主となっている企業に圧力をかけます。
二つ目の逸脱があります。アングロサクソン型資本主義は、絶え間なく増大する収益を押し付けます。それは一種の偏位です。今日、経済的ショックはもはや株主が耐えるものではありません。きわめて強い雇用柔軟性、労働条件、報酬…などによってリスクを取らされるのは従業員です。従業員は保護され、株主は利益を得るだけでなくリスクも取るという、給与所得者という言葉の定義の正反対です。もしも従業員がリスクを取るなら、その結果として報酬を受けなければなりません。

どのような形でですか?
例えば、(現在、CAC40の資本の6%に相当する)従業員株主制度を発展させるべきです。今日、大企業グループの従業員の60%に関わるものの、中小企業では10%に過ぎない、利害関係と参加を再構築すべきです。全く単純に、利益があるときには報酬を増やすべきです。一部の大企業集団(アマゾン、ウォルマート、無料の株式を配るトタルなど)は既にそれを実施しています。

Notat-Senard報告が提案しているように、企業の社会的目的を見直して柔軟性を再検討することは可能でしょうか?
この提案は、自発的な企業にしか関係ありません。リスクを取る従業員が見返りに繁栄という利益を得るような報酬制度を再構築するほうがずっと効率的であると私には見えます。企業内での社会的対話を発展させるべきであり、労働組合を弱体化させるべきではありません。私は取締役会への従業員代表の参加に極めて強く賛成します。

進化がなければ、従業員は反乱を起こすというのがあなたの考えです。どのようにしてですか?
ストライキでも巨大デモ行進でもなく、投票行動によってです。何も変えられなければ、勤労者はこう思います。アングロサクソン型資本主義は上手くいかない。世界化は上手く行かない。機械を壊し、国境を閉鎖し、邪悪な中国人から我々を守ると約束するトランプのような政治家を選ぼう、と。ブレグジットは脱世界化の最初の巨大な衝撃です。

どうすればこの資本主義を変えることができますか?
ヨーロッパの真の金融を発展させる必要があります。ヨーロッパには、公的債務を買い取り、資本からのあまり多くない報酬で満足する、生命保険会社と年金基金があります。しかしそれらは、株式には全くあるいは殆ど投資しません。ヨーロッパが自国の企業の所有者に再びなるなら、より少ない報酬と、取締役会における従業員のより積極的な役割のある、異なる資本主義を発展させることができます。それは左翼にとっても耳の痛いことです。株式を持つことは恥だ、年金基金は恥だと、左翼は常に見なしてきました。しかしながら、フランスまたは欧州の年金基金があったら、それらは我々の企業の所有者になり、今日のアングロサクソン型資本主義、あるいは、長期にわたる北京の利益を擁護することを目的として強大化する、明日の中国型資本主義に権力を委ねておくことはないでしょう。

エマニュエル・マクロンの政策が根拠を置くもう一つの理論をあなたは疑問視されています。経済学者ジョゼフ・シュンペーターが定義した創造的破壊です。なぜ、それが上手く行かないと言うのですか?
そうですね…今のところは、上手く行きません。シュンペーターは我々に何と言ったのでしょう? 経済成長は、質の低い雇用が質の高い雇用に置き換えられること、生産性の低い企業がより高い企業に置き換えられることから起こると言っています、一般的に、この過程は技術革新があるときに加速します。これが生産性を向上させ成長を生み出します。産業革命後の経済活動の頂点はそこに由来しています。
今日、インターネット、ロボット、人工知能といった技術革命があるにもかかわらず、生産性の加速の兆候は全くなく、したがって更なる成長もありません。むしろ正反対でさえあります。

何故ですか?
それには二つの理由があります。それぞれの工業国では、デジタル技術を採用した企業は効率を劇的に向上させますが、そうした企業は少数にとどまり、成長率を押し上げるには少なすぎます。そして、他の企業が消え去るわけではなく、低金利政策によって人工的に支えられます。
二つ目の理由は、マクロン神話の中心にある、企業と自営業者の発展が、雇用と成長を促進するのに十分ではないということです。アメリカ合衆国では、新技術の雇用は雇用全体の3.5%を占めるに過ぎず、この数字はむしろ減少しつつあります。フランスでは2.7%しかありません。したがって質の高い雇用の創出は限られます。自営業者に関しては、しばしばインターネットというプラットフォームに関連し、報酬はむしろ低めです。

したがって創造的破壊は本当には存在しないと?
企業がロボットを設置すると、平均して3人の雇用を破壊します。このロボットは一方で所得を生み出し、同じ企業の他の従業員、企業所有者、顧客に分配されます。彼らはどのようにそれを消費するのか?サービスを消費することによってです。産業革命が初めて、雇用を大半がより生産性の低い別の雇用で置き換えれるのです。単純な理由によってです。現代の経済はすべて、国内のサービスの経済になっています。中国を含めて、あらゆる国の内需は、レジャーであったり、人的サービスであったり、外食産業、早い宅配…だったりです。したがって全体としての雇用の問題はありません。地球上で最もロボット化された国である韓国の失業率は3%であり、アメリカ合衆国は4%です。しかし雇用の質という問題があります。

各国政府には何ができるでしょうか?
中流階級を救うためにロボットに課税する? そんなことが上手く行かないことはわかっています。この現代化は収入をももたらすのです!
競争力を上げること? 医療部門、建設、手工業…などでの30万人分の空き雇用を埋めるためにそれをする必要はあります。しかし、万人にとっての解決策にはなりません。それは若者の呪いです。長期間の学業は失業に対する保護になります(フランスでは、高学歴の失業率が4.5%で、低学歴層は18%です)。しかし知識の地位低下に対する保護にはなりません。いかに優れた免状があっても、期待していたよりもずっとさえない、サービス業の雇用しか得られないリスクがあります。

サービスという職業を再評価し、社会的有用性と報酬をより適正にすることはできるでしょうか?
一部のサービス業の雇用は質が高くなりつつあります。多くの技術が存在する物流では既にそうなっています。わが国にはさらに、SMICという防壁があります。これがなければ短時間労働の報酬はさらに低くなることが知られています。自営業者は月に平均して450ユーロの収入を得ており、一つのことが明らかになります。さらに先に進むために唯一の手段が、再分配です。社会は例えばEPHPADの介護職員に、さらに500ユーロを支給すると決めることもできます。わが国の当初の不平等の水準、すなわち再分配前は、OECD加盟国で最も高いです(アメリカやイギリスよりも)。そして再分配後はOECDで最も低いのです。さらに先に進むための財政的手段がわが国にあるか私は確信できません。わが国が1980年代から発展させてきた再分配政策には、費用がかかります。否定的な効果をもたらしかねず、不平等をより多く甘受している他国の経済に比べて競争力に問題をなげかける、税制上の圧力です。ただし、他国の勤労者が反乱を起こす日まで…


L’OBS No 2786-29/03/2018


 

https://www.nouvelobs.com/societe/social/20180329.OBS4390/patrick-artus-rendons-le-pouvoir-aux-salaries.html




二段落目の後半で日本に言及しています。
「この視点で最も非常識な国、それは日本です。賃金が減少し生産性が上昇して20年になります。その結果、企業の利益は投資に必要な額の2倍になりました。使い道のわからない、0%で銀行に預けるしかない5兆ドルの現金を保有しています。給与を増やす代わりに、日本企業は0%の金利で貯め込んでいるのです。」


この対談の元になった著作です。


ET SI SALARIES SE REVOLTAIENT?


この本の第4章は『 bientôt tous japonais ? 』です。その内容については、まだご紹介できません。


2015年6月10日の記事 LA FACE CACHÉE DE SHINZO ABE:アベシンゾーの隠された顔  に対して、 さんという方から、コメントをいただきました。全文掲載します。

何の集会?

悪いけど…何言ってんだ?この売国極左は(笑) 日本人が大陸、半島人の捏造洗脳に騙されない様に、事実を明らかにし、日本人と国を守る事が怪しいとは、なに人ですか?(笑)
アカヒ他内部の在日とその洗脳にドップリでマスコミでありながら客観的に事実を見る事もせず、まともに調べず既に判明してる事実も自分たちの主張に都合の悪い部分は声を小さく、事実も知らない、根拠もない海外の記事をさも正しいかの様に取り上げ…
コメント欄が肯定ばかりなのも都合のいいモノばかりなのが笑えますね♪

どうせ私のコメも削除でしょう。それが、捏造の正体ですよ。どうですか?

このコメと共に拡散します。

亡国極右(推定)の方からの有難いコメントです。


この記事を読まれた、非極右の方は、是非とも拡散をお願いいたします。



お久しぶりです。

フランス大統領選挙の決選投票を目前に控えた時期に、フランスの週刊誌にフクシマ原発事故後の帰還に関する記事が掲載されました。
 

週刊誌 L'Obs (旧 Le Nouvel Observateur)の2017年4月26日(通巻2378)に掲載された、

Les revenants de Fukushima (福島の帰還者たち)という記事です。
なお、revenant という名詞には、「幽霊」「久しぶりに戻ってきた人」という意味があるようです。(複数の辞書を参照しましたが、大体似たような記述でした)

 

文中に登場する日本人の方々については、テレビ番組に出演されたり、公開のHPやSNSで実名が公表されている方、あるいは公人の方で、漢字の氏名が判明した方については、漢字で表記させていただきました。(敬称は省略しました)

 

誌面の欄外に大きめの文字で引用されさている文は、本文の約の中で太字にしておきます。

 

今回は特に大急ぎで訳したこともあり、いつにもまして、不十分な点が多々あることと思いますが、ご了承ください。

 

 

 

 

 

 

GRANDS FORMATS

 Les revenants de Fukushima

 Six ans après la catastrophe nucléaire, les autorités incitent 120 000 Japonais à rentrer dans les villages fantômes qui cernent la centrale. La plupart refusent de rejoindre ces terres sinistrées. Reportage

 

(核の大惨事から6年後、当局は12万の日本人に、原発を取り囲む幻影の街に戻るように促す。大多数は呪われた地に戻ることを拒否している。ルポルタージュ)

 

DE NOTRE ENVOYÉ SPÉCIAL AU JAPON, ARNAUD GONZAGUE

 

  およそ百人がまるでただ一人のように一斉に『故郷(ふるさと)』を歌いだす。全ての日本人がこの生まれ故郷を讃える歌を聞いて育った。そしてこの歌はいつも、特別な感情を湧き起こす。フクシマ原発から40キロメートルにある飯館村のm役場で、3月30日の朝、それはいつにもましてはっきりしていた。白髪頭の集まりが「近いうちに、私は自宅に戻る」と、大仰に話す間に、部屋の奥の大きな幕が静かに上がる。春の寒さに凍りついた原野の壮大なパノラマをベールを外す。荘厳だ。しかし突然、列席者の茫然とした眼下に、濃緑食の小山が景色の中に現れる。防水シートの下には土の詰まった数十の黒い大きな袋が眠っている。容赦なく、事故の汚された思い出が。袋には飯館の農地の放射能を帯びた土、除染部隊がパワーショベルで削り取り、周囲の農地に置いた土が詰められている。土は、2011年3月の恐るべき爆発の後、フクシマ原発の3つの原子炉から放出された勝者性物質がいっぱいになっている。INES(国際原子力評価尺度)でレベル7の核の事故は、日本全体の心に傷を残した。

  しかしそれは飯舘の祭りの日になるはずだった。というのは村は6年間の避難の後に6200人の住民に公式に再び開かれるからだ。街の入り口に1976年からその職に就いている市長の菅野典雄は、「首を長~くして待ってたよ」とか書かれた大きな看板まで立てさせた。それは公式の推奨値よりも低いということになっている空間線量をリアルタイムで表示する。「国の側には、村への帰還という大きな希望がある」、安倍晋三首相の政党、自民党に近い市長は演説で叫ぶ。実際、今日生活が再開される周辺の他の三つの街区と同様に、政府が飯舘で新しい住民を帰還させたくてうずうずしていると言うだけでは事足りない。福島第一原発を経営する巨大企業、東京電力もまた、非難してまだ戻っていない、およそ12万3千人の日本人に、今から遠慮せずに戻ることができ、戻らなければならないと納得させる必要がある。しかし任務は(ほとんど)不可能のように見える。

  村役場のホールには、高齢者、さらには、先祖の家で死ぬことを願う、非常に年齢の高い人しかいない。放射線への被曝で生じる可能性のある甲状腺のガンは、高齢者では何十年もかかると言わなければならない。若い人々を納得させることは、全く別の問題だ… 「村によれば、知る限りでは、避難者のわずか10%から20%しか帰還することを望んでいいない」と、東京に避難する住民団体の責任者、カノ・ユウイチは詳しく説明する。「子供のいる家庭では、帰還は本当に検討もされていない。被曝への不安と言うよりも、6年経った後では、村に魅力がないからだ。生活利便性の大半が不足している。それから、避難者は外で生活を再建してきたからだ。」 フクシマ原発を取り囲む村々の大部分を歩くことは、本当に、形而上学的経験に属する。空虚で、静寂な、長い街路は打ち捨てられた商店と民家の連なりでしかない。その足元では、白い防護服を着てヘルメットと長靴、顔の半分をマスクで覆った「除染作業員」の集団に囲まれたパワーショベルが動き回る。まさに西部劇のゴーストタウンだ。

  残留する放射能についてはどうなっているのか?たとえ避難者がその話題について自発的に発言しなくても、それは全員の念頭にある。「ここでは、およそ北朝鮮に近い空気が支配している」、飯舘村の森に近い谷に位置する、家族の経営する金型工場にいる、35歳の佐藤健太は悔やむ。「疑うか批判する人は沈黙するように促される。村の役人は皆、指図のままに動いている。」 災害の後、彼は発電所から60キロメートル離れた福島市に住まなければならなかった。そして、飯舘で働き続けるとしても、そこに住むために戻ることは拒否する。「我々に繰り返される言葉を私は信じない。“全て上手く行っている、全て安全だ”と。」 最後の放射性粒子を取り除くために街路に高圧洗浄機をかけ、掃除する除染作業員の行動、彼はそれを信じることを拒絶する。「周囲を見なさい」、工場を囲む森を、腕の大きな身振りで指し示しながら、彼は声を上げる。「村の面積の4分の3を占める森と山を、どうすればいいのか? 私は自然と共に生きてきて、木の実を採ったりキノコ狩りに行ったりしてきた… 今、そこに足を踏み入れないようにしなければならない。森を除染することができないからだ。」 その通りと、東京大学の放射線専門家、小豆川勝見は裏付ける。「放射性粒子は埃のようなものだ。原子炉から放出されるときは空気中を漂ってから、地面に落ちる。森を除染するためには、全ての木の全ての葉を雑巾で拭かなければならなくなる。明らかに不可能だ。」 この化学者は除染作業員が直面する、もう一つの大きな困難を強調する。放射能は一様な仕方で地域内に拡散するのではなく、多かれ少なかれ放射性の小区域で「豹紋状」に拡散するのだ。「そして、”ホットスポット“と呼ばれる最も放射性の強い場所は、風やセシウム137(放射性同位体)の挙動に応じて、常に形を変えている。住民には、放射能と共に生きることを教える必要があるだろう。自分自身で、常時、放射線量を測定できるように線量計を配布すべきだろう。」

  大惨事を早く忘れさせたくてたまらない当局が、住民をこのような義務に従わせる意図が一切ないことは明らかだ。「はっきりさせよう、政府の頭にはただ一つの目的しかない。2020年のオリンピック大会だ。我が国に今や危険はないというメッセージを日本人と世界全体に認めさせなければならないのだ」、フクシマ原発から60キロメートルにある郡山から避難した、企業家で三児の父親、そして今は東京の南西、富士山のすぐ近くに住む長谷川克己は非難する。「原発業界もまた、事故以来大部分が停止している原子炉を再稼働させるために、我々にそれを信じさせるのが得策だ。そして避難した我々は、邪魔者になった」と付け加える。

  富岡町の方向へ。フクシマ原発から10キロメートル、その見事な桜並木で日本中に知られる町だ。4月の初めにバラ色に輝く花を咲かせる桜の木。演壇での演説、金色の鋏によるテープカット、風船が飛ばされ、激しく音を立てる花火… まさに「さくらモール」と名付けられた、ありふれたスーパーマーケットの開業を町役場は盛大に祝った。この除幕式の朝、45歳の鎌田久恵とその子供たちは、新しい大規模小売店の特売を利用しに来ていた。この、丸顔で少年のように髪を切った主婦は、統計とは逆の行動をして楢葉町で生きることを選んだ。原発から15キロにある、大惨事の後に彼女が去らなければならなかった町である。彼女をは我々を、夫のヒラノ(訳注:一郎?)、そして5人の子どもたちのうち4人と一緒に2015年12月に許可されてから暮らしている大きな家に案内する。楢葉町の7000人の住民が全く、または殆ど戻ってきていない、ほとんど無人に近い地区で、生活にぴったりで、粗末で色とりどりの、本当に奇妙な家。「村全体で700人しか住民がいないし、この地区では3人か4人しか近所にいない。不幸にも、最も仲が良かった人たちではない」、火力発電所で働く、夫の一郎は残念がる。毎晩、13歳の息子のカズキを打ちのめす孤独を和らげるために、父は、自動車で村を一周しに連れて行く。この中学生は窓に明かりを認め、夜の生活の兆しは少し彼を安心させる。

  それにしても一体なぜ戻ってきたのか? 「なぜなら、私が育ったのが楢葉だから、私の人生がここにあるから」、久恵は言い切る。そこから離れることは、本当に心の傷だった。「避難者は、全国平均の5倍、うつ病の発症率が高い。そして自殺とアルコール依存症の増加が認められる」、救急医で福島県立医大の副理事長の谷川攻一は記す。「日本人は極めて稀にしか引っ越しをしない国民であり、したがって突然の生活様式の変化、共同体の喪失、祖先を置き去りにしたという罪悪感は非常に破壊的な影響を与えかねない。」 富岡から逃げてから東京に避難している、三児の父親である市村高志も、程度は軽いが同じ感覚を共有している。「私は帰るつもりはない。というのは、政府が公共事業で街を変えてしまい、スーパーは遠くなり、学校に行くにも車に乗る必要があり、全て複雑になってしまったから… それでも、“懐かし”さは感じる」、子ども時代の村に対する、実にニッポン的な郷愁だ。

  鎌田家の人々は、隣のいわき市に「トランジット中」だった時の決してバラ色ではなかった生活にも言及する。それはもう一つの未だにタブーとなっている話題である。時として避難者に向けられる身の毛のよだつようなおもてなしだ。鎌田夫人はいわき市で最初に感じた緊張を完璧に覚えている。「ある番組がテレビで放送された時、全て順調に言っていた。しかし避難者のカップルが受け取っている補償金の額を明らかにした。その翌日、人間関係が極度に緊張した。“あなたもそのお金貰ってるんでしょ?だったらお金持ちよね…”と言うのを聞いた。」 間もなく廃止される、国家から支給されたこの補助金は、鎌田家とは反対に、フクシマ原発からそう遠くないところに住んでいるにも関わらず一円ももらっていない市民の恨みを刺激した。鎌田久恵は続ける、「2年前、息子のコウキが生まれたとき、恐ろしいことを言われた。“もっとたくさん賠償金をもらうために子供を産んだのね。でもこの子は障碍者になるかも…”」 ある日、避難先の家主がやってきて冷蔵庫を開けた。欧米では失礼な行動とされるが、日本でも耐え難い侮辱とされる行為だ。そしてこういった「へえ、いい物食べてるね!」 家族の飼い犬でさえ餌を食べることを拒み、石を投げつけられた後には散歩することも拒んだ。「国は日本国民に、原発についても放射能についても何も説明していない」、東京の避難者団体のカノ・ヨウイチは分析する。「間違って知られていることは時に、不合理な恐怖を引き起こす。“この人たちは汚染されていないの?”などと。避難者がどれだけ苦しんでいるか、配慮される資格があるかを当局がはっきりさせた地区では、大体もっとうまく行っている。」 いわき市で、敵意に疲れ果てた鎌田久恵は力尽きた。3度にわたって、医薬品を飲んで自死することを試みた。「帰還する可能性ができたとき、家族のだれも、一秒も躊躇わなかった」、伏し目がちに、控えめに話す。「今、私は幸せだ。4月には学校も再開され、私たちの村も少し活気を取り戻す。」 我々は少し躊躇した後、敢えて不愉快な質問をする。福島第一原発が未だにコントロールされていない中で、もし偶然に、また新たな事故が起こったらどうするのか? 彼女は夫に視線を投げかける。「そのことは私たちでも話し合ってきた。子どもたちは非難させるが、私たちが今度ここを離れるのは問題外だ。もしまた事故が起こったら、そう、私たちはここで死ぬ。私たち自身の土地で。」

L’OBS No 2738-04/026/2017
 


写真の説明

(1・2ページ)
鎌田久恵と夫、5人の子どもたちのうちの二人。一家はフクシマ原発から15キロの楢葉に、2015年12月から再び住んでいる。

(3ページ)
フクシマ原発から10キロの、富岡町の旧商店街。2017年4月1日に再び開かれる4町村の一つである。

(5ページ上)
「さくら」という名のショッピングモールが新たに富岡の住民を迎える。役所もこのイベントを祝った。

(5ページ下)
飯舘村の開村式。戻ってきた住民は大半が高齢者だ。

(6ページ上)
飯舘の傍の、汚染度貯蔵地区。

(6ページ下左)
飯館からの避難民、佐藤健太。

(6ページ下右)
「首を長ーくして待ってたよ」と看板が叫ぶ。

(7ページ上)
富岡の汚染が酷すぎる地区は閉ざされたままだ。

(7ページ下左)
楢葉に戻った、2歳の鎌田コウキ

(7ページ下右)
スーパーマーケット開業祭の時の議員。

(8ページ左)
東京で生活するために出て行った富岡の元住民。「村に戻る?そんな気になれない。駅前は破壊され、廃棄物置き場にされた。」

(8ページ右)
禁止区域の田園地帯。

 


(5ページ目 左下のコラム)

 

RADIOACTIVITÉ : Y A-T-IL DANGER ?

(放射能:危険はあるのか?)

日本では長い間、空間放射線被曝許容線量(自然界からの被曝は除く)は年間1ミリシーベルト(mSv)の国際基準に決められていた。それからフクシマ原発の大惨事が起こり、今日、この基準は年間20mSvに引き上げられた。原発の周囲には多くの「禁止区域(訳注:帰還困難区域)」が残る。そこは「およそ2万年間」一般人には閉ざされると東京大学の放射線専門家、小豆川勝見は推測する。しかしこの区域の外側では、一般人に再会されたどの村も20mSvを超えることはないと、ニッポンの当局は断言する。この線量は有害なのだろうか? 一般的に受け入れられている見解では、100mSvを超える線量は甲状腺ガンを生じる恐れがあるとされるが、30mSvの大台を下回れば、危険があるかどうかは知られていない。反核団体のグリーンピースが2016年11月に飯舘村の7軒の民家の周囲で非正規の測定を行ったことを除けば。その結果、多くの場所で年間20mSvの上限を突破した。物理学者のOda Beckerが計算したところでは、飯舘に70年間居住する個人にとって、この線量は39mSvから183mSvに相当することになる。したがって村民が全面的に危険を冒すことになると断言するのは不可能だが、その反対であることを保証することもまた、不可能だ。

 

 

遠い日常No Return to Normal

福島・飯舘村の民家における放射線の状況と潜在的生涯被ばく線量 PDF) 

 


(8ページ目 右下のコラム)
 

LE RETOUR FORCÉ PAR LE PORTE-MONNAIE

(財布の締め付けによる強いられた帰還)
日本政府は福島の避難者を統計から消滅させるための失敗しようのない方法を見つけ出した。彼らが存在しないと言い、まだ自分の村に帰るのを拒否している人々を「自主避難者」と呼ぶことだ。復興大臣、今村雅弘の言葉を借りれば、「本人の責任を負う」、要するに頑固な人々。犠牲者はもはや存在しないのだから、もはや彼らに賠償金を払う必要もない。実際には一世帯で一人当たり毎月10万円(850ユーロ)もらえる。二人の子どもがいる家族には3400ユーロという、かなりの金額になる。1年以内にこの補助金は全面的に消えることになっている。「我々を無理やり帰還させるために腕をねじ上げるやり方だ」、避難した50歳の企業家、長谷川克己は非難する。私は幸いにも仕事の状況が良くて、このお金がなくてもやっていける。しかし、最も貧しい人たちは、家賃を払うためにどうすればいいのだろう? 彼らは元の家に戻るしかなくなる。」 この補助金が打ち切られないための避難者のデモ行進が行われたが、反響は殆どなかった。

 

L’OBS No 2738-04/026/2017

 


とりあえず、記事の画像にある範囲のテキストのうち、chronologie という部分を除いて、訳してみました。

何らかの参考になれば幸いです。

 

なお参考までに、

経済的、社会的及び文化的権利委員会は、日本の報告書の審査に対する「最終所見」にて、 「東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の被害者に対する救済と差別禁止」についても勧告したことを付記しておきます。

 

久し振りに更新します。
今年初めてで、もしかしたら最後の更新かもしれません。

単身赴任でほぼ完全に自炊していると、仕事が終わって帰宅して、食事を作って家事が一通り終わって運動して風呂に入ると、殆ど日付が変わる時間帯がなってしまいます。というわけで、記事の準備ができませんでした。

そんな中で、週刊誌 L'Obs に掲載されたダニエル・コーエン氏の短い論説が面白かったので掲載します。2017年1月19-25日(通巻2724)の Trump, le grand désordre libéral (トランプ、リベラルの大混乱)という記事です。


 

 

POINT DE VUE

Trump, le grand désordre libéral

PAR Daniel Cohen

Directeur du déparytement d’économie de l’Ecole normale supérieure


 トランプの当選はリベラル秩序の終焉、エリートの権力に対する大衆の返答…などとして解釈された。しかし彼の閣僚のリストを読めば直ちに、全く違うことが起こりそうだと理解できる。トランプは国務長官としてレックス・ティラーソンを指名した。石油メジャー最大手エクソンの経営者でエネルギー市場自由化の熱烈な支持者である。財務長官、スティーブン・ムニューチンは、ゴールドマンサックスの元経営者であり、サブプライム危機で破産した家計の不動産証券を買収することで大儲けしたハリウッドの金融資本家である。労働長官、アンドルー・パズダーは、ファーストレストランチェーン、CKEの経営者であり、最低賃金の一切の引き上げに反対を表明してきた。さらに加えるなら、オリバー・ストーンの映画、『ウォール街』のモデルにもなった元トレーダー、カール・アイカーンは連邦規制に関する大統領特別顧問に指名された!…

 『エコノミスト』によると、それだけで600億ドルを超える資産を持つ偶像破壊的な億万長者から成る内閣を、トランプは自分に似せて組んだ。閣僚らは国際的な規制に対して同じ嫌悪感を抱く。気候に関するパリ協定、世界貿易機関、北大西洋条約機構の協定など。全員が規制緩和をさらにずっと先に進めたがっている。特にエネルギー、労働、金融市場について…

 ヨーロッパから見ると、トランプの当選は不平等の驚くべき増大に対するアメリカ人の不満を表していたと考えることができた。しかし不平等を減少させることはトランプの頭にあることでは明らかにない。トランプは逆に減税したがっており、その分野でレーガンの後継者であると主張している。トランプは支持者を裏切ろうとしているのだろうか、それとも、彼の成功の理由について誤解があるのだろうか?

 ハーバード大学の哲学教授でベストセラー『正義』(邦題:『これからの「正義」の話をしよう』)の著者であるマイケル・サンデルが興味深い答えを提示した。彼は説明する、左派のエリートは社会正義を弁護する。所得の再分配、学校、医療へのアクセス、誰もが社会的に上昇できるという約束…など。彼らはこの能力主義の理想が、高等教育を受けなかった人々の耳には非難、批判のように響くことを理解してない。こうした人々には特に、自分たちに似せた世界の到来を称賛する民主党のエリートの傲慢が見える。サンデルは結論付ける。トランプの支持者は、そうあることができた、またはあるべきだった状態にではなく、今あるがままの状態に対する、狂おししいまでの承認・社会的評価の狂欲求を抱いている。

 武器の所持を禁止し環境基準を押し付けようとしている民主党の「超自我」を非難することで、トランプは彼らの票を結集した。大統領の破壊的なツィートは、成文化された規制から解放された政府の新しい方法を物語る。それは彼の閣僚が持ち込む熱狂的な規制緩和計画と相性が良い。遅かれ早かれトランプは、フロイトが快楽原則に対する現実原則の復讐と呼ぶことの実験をすることになる… そうこうしているうちに、待ち受けるのはリベラルの巨大な混乱だ。

L’OBS No 2724-19/01/2017
 
今の生活では長い記事の訳は難く、このような短い記事が限界のようです。
個人的に興味深いと思った記事があったら紹介します。(多分)


 

1年振りに更新します。

いつものように週刊誌 L'Obs を読んでいて目に留まった、フランスの水素爆弾に関する記事に興味を引かれてしまいました。

 

週刊誌 L'Obs (旧 Le Nouvel Observateur )の2016年8月11日(通巻2701)に掲載された、 L’espion qui a livré la bombe H à la France (フランスに水爆を届けたスパイ)という記事です。

 

乱暴に言えば、

 

1967年当時、英国は欧州経済共同体(EEC)加盟を認められていなかった。それはフランスのド・ゴール大統領の拒否権による。英国のウィルソン首相は、水素爆弾を保有したがっていたド・ゴール大統領に、テラー・ウラム型熱核爆弾の情報を提供する代わりにEEC加入を認めさせるという取引を提案するが、大統領は応じない。

フランス大使館付武官という肩書のスパイ、アンドレ・トゥルーズはロンドンで、英国の科学顧問ウィリアム・クックを標的として・・・

 

というようなお話です。

 

 

bombe H 1bombe H 2

 

Révélations

L’espion qui a livré la bombe H à la France

Cette intrigue à la John le Carré, toujours couverte par le secret-défense, se déroule en 1967. De Gaulle veut à tout prix l’arme thermonucléaire alors que la Grande- Bretagne est prête à tout pour entrer dans le Marché commun...

 

VINCENT JAUVERT

 

常に軍事機密によって覆い隠されてきた、このジョン・ル・カレ風の筋書きは1967年に繰り広げられる。英国が欧州共同市場に参入する準備が整っている一方でドゴールは是が非でも熱核兵器を欲しがった…

 


それは第五共和制で最も固く守られた秘密の一つである。半世紀前の物語だが、しかし驚くべき今日性を持つ。そこではスパイ行為、原子爆弾と欧州共通市場への英国の参入候補が絡み合う。これまで断片しか知られていなかった、そして今、ロンドンで最近機密指定解除された公文書と『Obs』が初めて、フランスで入手した私文書のおかげで語ることができるようになった、意外な進展を見せる物語だ。
 

 1967年春。英国はまだ、10年前に結成された欧州経済共同体(EEC)の加盟国ではない。それでも同国は加入を夢見ていた。しかし疑い深いドゴールがいた。1963年、フランス大統領ドゴールは、英国首相、保守党のハロルド・マクミランが提出した最初の加入申請に対して、断固として拒否権を行使した。自由フランスの元代表にとって、ロンドンはアメリカ合衆国に依存し過ぎていた。特に最も戦略的な分野、すなわち核兵器に関して。今回、ブリュッセルの門を叩いたのは、意志堅固な労働党のハロルド・ウィルソンである。1967年5月2日、彼は公式に新たな加入申請を提出する。今回はどのようにして、頑固な将軍に受け入れさせるのだろうか? 何でドゴールを釣るのだろう?

 その年、ドゴールの頭にはただ一つのことしかなかった。フランスの核兵器である。攻撃力こそ、第五共和制の創設者の主要な計画だった。間もなく、それは国民国家の生命保険となり、国家元首の王杖となるとドゴールは考えた。しかしフランスの攻撃力はまだその域に達していなかった。確かに、1960年以降、フランス原子力庁(CEA)は既にサハラ、次いで太平洋のムルロアで原子爆弾をテストしていた。しかしドゴールは知っていた、フランス、したがって彼自身が、はるかに強力であり軽量でもある最終兵器、水爆(「核融合爆弾」または「熱核兵器」とも呼ばれる)を装備しない限りフランスの装備が本当に信頼できるものにはならないことを。ところがCEAの技術者たちは捗っていなかった。努力にもかかわらず、この二段式の兵器のシェーマ、より正確には、その発火装置の秘密を突き止められなかった。米軍が1952年に初めてテストし、1954年にソビエト軍が、そして1958年に英国軍がテストしていた秘密を。ドゴールは待ち切れなかった。1967年の初め、CEAの研究所を訪れた際、技術者たちに1968年にはこの種の兵器を爆発させるように要求する。彼は苛立っていた。ドゴールは知っていた。フランスが遅れをとっていて、一方で中国もまた、初めての水爆を実験する準備が整っていたことを。

女王陛下の首相、ハロルド・ウィルソンもCEAの苦難を知らないではなかった。英国軍機が太平洋上でフランスの核実験をスパイしていた。したがってロンドンでは、CEAの技術者たちが、英国の科学者が10年早く発見していた水爆の作動する原理(考案した2人の名を採って後に「テラー・ウラム型」と呼ばれる構造)で躓いていた。ウィルソンは頭を掻き毟る。そしてもし、この奇跡の構造が、連合王国がEECに加入するための鍵、餌だったとしたら? 英国の加入申請提出から数日後、ベルサイユでのドゴール将軍との決定的な改憲の数日前、ウィルソンは秘密裏に一人の使者をフランスに送る。科学顧問、ソリー・ズッカーマン Solly Zuckerman である。その任務は、ド・ゴールに「涎を垂ら」させること。水爆によって。

 

LE GÉNÉRAL PIAFFE

5月28日、ソリー・ズッカーマンは将軍の信頼篤い3人の男と夕食を共にする。軍事顧問、アンリ・ボルダス将軍、核兵器製造所長、ジャック・ロベール、そしてCEAの国際部長、ベルトラン・ゴールドシュミットのである。3人ともロンドンとの巨大な闇取引に乗り気のようだった。ウィルソンに宛てた極秘の報告書にズッカーマンはこう記している。「ド・ボルダスは、我が国が核兵器の分野で最大限に協力するという熱意が、英国のEEC加盟に対する(ド・ゴール)大統領の態度に重要な鍵となり得ると私に(語った)。」 ゴールドシュミットはさらにはっきりしていた。「(彼によると)、フランスの原子物理学研究者が未だに水爆を製造できていないために、ド・ゴールは非常に不安になっている。彼らの問題を解決することを助ける、我々とのあらゆる協力は、したがって大きな価値を持つだろう。」 ウィルソンの密使は彼らに答える。「我々が自ら開発した(熱核兵器の)原理と技術に関して(あなた方に)情報を与えることを我々に禁じるものは何もない」。何も、「政治的合意」以外は。

 2週間後、その合意も間近に見えた。ド・ゴール将軍を最も良く知る人物の一人、戦時中の自由フランスの広報官だった、モーリス・シューマンはパリの英国大使館を訪問する。原子力問題担当相としての資格で、女王陛下の全権大使、パトリック・レイリー卿に、ド・ゴールが「軍事部門における核の協力」に強い興味を示すであろうこと、しかし何も求めないことを打ち明ける。ウィルソン首相に宛て書簡で、レイリーは付け加える。「シューマンによると、あなた方が少しでも手を差し伸べるなら、将軍はその機会を捉えようとするだろう。」 だから、大きな闇取引が起こりそうに見えた。

 6月17日、ウィルソンはベルサイユでド・ゴールと会見する。英国首相はシューマンの助言に従って将軍に「手を差し伸べる」。「我々は核の分野でより多く協力しあうべきだ」、数十年間も機密のままになっている対話の間、彼はフランス大統領に投げかける。「我々の目的は、特に防衛の分野で、フランスもイギリスもアメリカの技術に依存しないことであるはずだ。」 しかしド・ゴール将軍の態度は曖昧なままであり、密かな誘いに応じない。なぜなのか? 英国の指導者を信用していないから? このような物々交換そのものを拒否するから? あるいは、後にCEAにテラー・ウラムの構造図を提供することになり、ウィルソンが健闘した取引を無駄にすることになる恐るべきスパイ作戦を、フランス軍の第2部がロンドンで開始したばかりであることを既に知っていたからか? 

一人の影の男が、このジェームズ・ボンドばりの事件の中心にいる。アンドレ・トゥルーズAndré Thoulouze将軍、最も数奇な運命を辿った人物の一人だ。46歳の操縦士である彼もまた、自由フランスの元闘士である。非常にドゴール主義的で、プレーボーイでもある。公式には、ロンドンのフランス大使館付空軍武官だった。しかし、高級車を乗り回し、最高級のテーラーの服を着ていた。「実際、常軌を逸したスパイだった」と、息子でジャーナリストのミシェル・トゥルーズは今、打ち明ける。カナル+の創立者の一人であり、自分が持っている文書を『l‘Obs』に公開した。「死後ずっと立って、父の功績のいくつかを知った。1950年代、ローマの大使館付空軍武官だった頃、父はイタリア人パイロットとして通っていて、イタリア政府によってナセルに売却された戦闘機をエジプトに届けていた。目的は、エジプトの空港を秘密裏に撮影することだった。その写真はスエズ上陸の際にイスラエル軍に非常に役に立った。後に、父はドイツのラール空軍基地を指揮した。そこはアメリカの核爆撃機を収容していてた。夜間に、アメリカで製造された原子爆弾を、その設計を研究するために、密かに解体させた。」 とりわけ、二つの行動は、防衛機密によって常に隠蔽されてきた。1967年の作戦Hのように。

 その年、アンドレ・トゥルーズはロンドンで、英国エスタブリッシュメントの重要人物の一人と定期的に会っている。サー・ウィリアム・クック (Sir William Cook)、英国国防相の科学顧問である。二人はともに、パリとロンドンが開始しつつあった航空機産業の巨大プロジェクトであるエアバス、コンコルドと爆撃機のエンジンの計画を仕上げることを委任されていた。しかし、数か月の後、サー・ウィリアムはさらに重要な題材でフランス版ジェームス・ボンドの興味を引くことになる。この英国人は軍事研究の大御所である。何にもまして、原子爆弾では。何年か前、彼は英国の核弾頭製造所である、アルダーマストンのナンバー2だった。その任務は、連合王国で最初の熱核爆弾を仕上げることだった。1958年にそれに成功していた。したがってテラー・ウラムの原理も知っている。まさに理想的な標的だった。

 原子物理学者をエージェントとして採用するために、アンドレ・トゥルーズは、秘密資金や陰謀用のアパートメントにより、ケースオフィサーとしての装備一式を利用する。「このスパイ作戦のために、父は無制限の財源を自由にしていた」と、息子のミシェルは語る。「カンヌにアパートメントも買った。玄関が二つある1階の部屋で、クックと父は何時間もの間、秘密裏に会っていた。」 資金はド・ゴールの軍事顧問、ボルダス将軍が流していた。共和国大統領の押印とボルダスの自筆の署名が入った1968年4月11日付の書類に、彼は記している。「1967年から1968年の間に、トゥルーズ将軍は国家の利害に直接関係する問題の中心にいた。このために、共和国大統領と原子力庁が彼に割り当てた目的を達するために使い方が決められた、多くの金銭的手段が個人的に自由に使えるようにされた。」 カンヌのアパートメントの他に、この金が英国人学者に払うのに役立ったのだろうか? 謎である。

 フランス史上最も重要なものの一つであるこのスパイ事件は、その後30年の間、秘密のまま残ることになる。一握りの人々、1987年のクックの死後も沈黙を守り続ける仲間たちにしか知られることはなかった。クックの転向が噂され始めるのは1990年代の終わりに過ぎない。この転向の理由について彼の友人たちに尋ねると、誰もが、フランスに買収されたことなどあり得ない、当然に政府との合意に基づいて行動したのだと断言する。当時、1967年の文書がまだ公開されていなかった頃、こうした説明は納得できるように見えた。今日、ウィルソン首相が英国のEEC加入をテラー・ウラムの設計図を交換しようとしていたことが知られている。この秘密を、何も代価なしにド・ゴールに引き渡すように首相がサー・ウィリアムに命じたなどということは、全くあり得ない。ド・ゴールは結局、1967年11月に2回目の拒否権を行使することになるのだから(連合王国は、ド・ゴールの退任後の1973年にようやくEECに加入する)。

 したがってクックは必然的に、命令なしに行動したのである。そもそもそれは、1990年代初頭にCEA長官だったロベール・ドトレーの意見でもある。2007年に出版された回顧録の中で、彼は40年前に原子力庁ではアンドレ・トゥルーズの交渉相手だったこと、このことから、英国の核物理学者が提供した情報の最初の受領者だったことを明らかにしている。トゥルーズは彼に、サー・ウィリアムの動機を話したとされる。このスパイによれば、ウィリアムは自分の意志でそして…愛国心から裏切ったという。フランスが水爆を保有することを助けたかった、なぜなら「英国が欧州で唯一の熱核兵器保有国のままだったら、ソビエトの核攻撃の全てが英国に集中する危険があるから」。この説明は実に簡潔過ぎるようだ。ドトレー自身によれば、サー・ウィリアムが1970年代を半ばまでトゥルーズに情報を提供し続けたとされるだけになおさらである。彼は熱核弾頭の小型化に関する決定的な情報をトゥルーズに漏らすことになる。この時期を通じて、このような機密をフランス国家から金を支払われることもなく提供したというのは、ほとんど有り得ないように見える。


クックがもたらした情報はド・ゴールの夢の完成に決定的だった。1968年1月23日、CEAの核兵器担当部長、ジャック・ロベールは将軍に現状報告する。その3か月前のエリゼ宮での会見の際、技術者の進捗について楽観的ではなかった。1969年まで、さらに確実には1970年まで熱核爆弾を調整することはできないということだった。今回は、「作動することができる」ように見える「新しいアイディア」、明らかに1967年9月にクックによってもたらされたシェーマについて言及した。さらに、「68年夏には1基か2基の水素爆弾」を発射できると考えている。そして、実際に、1968年8月24日、フランスは最初の熱核爆弾をファンガタウファで爆発させる。「カノープス Canopus」と名付けられた核実験は、広島型原爆のおよそ100個分に相当する2メガトンの威力を発揮する。フランスは核大国の宮廷に仲間入りした。

 アンドレ・トゥルーズは、最後の勤務先であるアエロスパシアル社に所属するヘリコプターの事故により、1978年に死亡する。その死を知った時、ド・ゴール政権の元首相、ミシェル・ドゥブレは、アエロスパシアル社の社長、ジャック・ミッテラン将軍(訳注: 後のフランス大統領フランソワ・ミッテランの弟)に秘密の手紙を書いた。「私は、熱核兵器に関して我々の知識の進歩のために彼が果たした類まれなる奉仕の知る数少ない人間の一人だ。彼は歴史上の知られざる人物の長い続きに場所を占めたが、その役割は特定の状況で必要不可欠だった」と、ドゥブレはこの秘密の親書に記している。ミッテラン将軍がミシェル・トゥルーズに打ち明けるのはずっと後のことになる。

 

L’OBS No 2701-11/08/2016

 

http://tempsreel.nouvelobs.com/monde/20160809.OBS6015/l-espion-qui-a-livre-la-bombe-h-a-la-france.html


個人的には、

「英国が欧州で唯一の熱核兵器保有国のままだったら、ソビエトの核攻撃の全てが英国に集中する危険があるから」« si le Royaume-Uni restait seul en Europe à posséder des armes thermonucléaires, il ris-quait de concentrer sur lui toute attaque nucléaire soviétique » 

というところに重みを感じます。ウィリアム氏が英国を裏切ったのは、それだけではないようですが・・・

 

なお、Wikipedia の「テラー・ウラム型」の、「開発の歴史」の項には、

フランスが開発したテラー・ウラム型熱核兵器については、ごく少しの内容しか分かっていないが、フランスは1968年8月にカノープス作戦として核出力2.6メガトンの核実験を行っている。

と記載されています。

今回紹介した記事や、最近公開された文書などにより、この項目も書き換えられることになるかもしれません。

 

 

最後に、

1年振りにアメーバで「ブログを書く」機能を使ってみましたが、酷く使い難くなっていました。

HTMLで編集しても勝手にタグまで書き換えられるようでは、お話になりません。

しかもページ読み込みは重すぎるし、どうにもなりません。

 

少なくとも、今使っているこの変てこなエディターだけは何とかしていただきたいと思います。

 

 

先週の水曜日(7月15日)、北国の某ターミナル駅近くのヨドバシカメラで買い物をして、その南側にある紀伊國屋書店に向かうと・・・

何やら香ばしい雰囲気が。


日本会議(笑)



何と、表に出てこないはずの、あの「日本会議」の幟が。

さらに、あの恐るべき妙齢の女性のお顔も・・・




日本会議(爆)



週に1回しかない休日は、紀伊國屋書店に立ち寄るのを楽しみにしていましたが、この日は入る気がしなくなってしまいました。このまま、地下鉄に乗って、買い物して帰りました。残念。


ヨドバシカメラでは、SSDを買って、動作が怪しくなってきたノートPCのHDDを換装するつもりでした。
それが順調にはいかなかったことが、この記事が今日まで書けなかった原因の一つです。

何度かの試行錯誤を繰り返して、本日早朝、ようやくHDDからSSDに乗り換えることができました。
この間の苦労話は、当ブログの趣旨から外れますので省略します。




それにしても、表舞台に登場しないはずだった極右団体が、こうして、地方とはいえ大都市の主要駅前に堂々と名前を出すようになったのは、大変残念な事態です。

この日、某国議会の某委員会で、とある法案が与党によって強行採決されました。




当ブログをご愛読の皆様(いないと思いますが)、ご無沙汰しておりました。
2015年初の更新となってしまいましたが、ようやく訳し終えた記事をご紹介します。

週刊誌L'Obs (旧 Le Nouvel Observateur)の2015年5月21日(通巻2637)に掲載された、LA FACE CACHÉE DE SHINZO ABE  (アベシンゾーの隠された顔)という記事です。




Obs20150521-01


Obs20150521-02

Japon

LA FACE CACHÉE

DE SHINZO ABE



Loin de son image de réformateur économique, le Premier ministre japonais est lié à une organisation d’extrême droite révisionniste qui prône un retour à l’empire


(経済改革者のイメージと程遠く、日本の総理大臣は、帝国への回帰を称える極右団体に関係している。)


VINCENT JAUVERT




それは国際政治で、大幅に無視されているとはいえ、主要な事実だ。世界第三の経済大国である日本は、数か月前から、(総理大臣、安倍晋三も含めて)閣僚の4分の3が、歴史修正主義で権威主義の極右団体、「日本会議」と呼ばれる、目立たないが影響力のある団体に属していることだ。

 2012年12月に政権に復帰したとき、安倍晋三が、新自由主義的であると同時に戦前に郷愁を抱く強硬な右翼出身の政治家であることを知らない者はなかった。プーチンやインドの国粋的指導者モーディを称賛していることも知られていた。安倍が近かった、祖父の岸信介が1932年に大日本帝国によって併合された満州のナンバー2であり、次に戦争中に東條内閣の一員であったこと、そして結局、1945年の敗戦の後、A級戦犯として投獄されていたことも、誰もが知っていた。しかし明らかに、反動的で反民主主義的なイデオロギーへの安倍晋三の政治的根強さは過小評価されていた。「数か月前まで、安倍の最終目的は有名なアベノミクス(編集部注:安倍の名を冠した経済再建計画)によって日本経済を立て直すことだと多くの人が考えていた」、上智大学‘国際教養学部)教授の中野晃一は分析する。「今日、安倍が本心を隠さないで行動しているのか、戦後に採択された平和的で自由で民主的な憲法の根本的な改変を日本人により容易に”売り込む“、という目的のためだけに経済的成功を追及しているのではないかと疑問視されている。そうして、彼が1997年の創設時から加入している団体、日本会議に特有の、帝国主義に憧れを持つ、古い秩序への回帰を押しつける目的でも。」

 「逆説的だがこの非常に重要な団体は日本では未だに真価を認められていない」、日本版『リベラシオン』ともいえる『東京新聞』に昨年夏、日本会議に関する初めての長い記事を書いた佐藤圭は言う。「その出発から、日本会議はレーダーに現れないようにあらゆる注意を払ってきた。広告も出さないし、テレビにも出ない。戸別訪問的な活動をしながら、視線の及ばないところで前進していた。その集会はメディアに開かれていない。そして、会員たちには会談の間も、写真を撮る権利もない。」 この信じられない「ステルス性」にはもう一つの理由がある。「日本会議は、より反動的な、地方で発展してきた」と、日本の右翼運動の専門家である法政大学の政治学者、山口二郎は説明する。「大手メディアは、元々ローカルだったこの団体を見下していた。2012年12月の安倍内閣の指名と、さらに昨年秋の内閣改造後、日本会議所属の閣僚の数がさらに増えて、その強大さに面食らうまでは。それまでは田舎の、片隅のものと見なされていたこの極右団体が、日本の政治の中心にいたのだ。」

 日本会議は1997年、一つは満州侵略を率いた帝国軍元司令官によって、もう一つは主に神道の宗教団体によって設立された、二つの極右団体の合併により生まれた。「反動的で1930年代に郷愁を抱くこれら二つの集団は、日本が戦争中に行った残虐行為の過ちを告白することに耐えられなかった。彼らによれば、日本人は帝国に誇りを持たなければならなかった」と、山口二郎は説明する。「分裂したままではイデオロギー闘争に敗北しつつあったと理解したときに、合併した。」 彼らの自覚は1995年8月15日に起こった。村山首相が有名な謝罪宣言を述べたときである。その日、世界は第二次世界大戦終結の50周年を記念していた。この機会に、日本が1930年代と1940年代に、「植民地支配」を押し付けるためにアジア諸国を「攻撃した」ことを、日本の政府のトップが初めて、公に、そして公式に認めたのだ。この認識は、帝国軍が政敵奴隷に頼っていたと1993年に認めた、内閣のナンバー2、河野洋平の宣言の後に来たものだ。婉曲に「慰安婦」と呼ばれた女性たちは、朝鮮やフィリピンの村で誘拐され、強制的に軍の売春宿に住まわされた。反動主義者と超国粋主義者には、もう我慢できなかった。反論し、新しい運動、つまり日本会議を建設することが急を要した。新しい団体の事務総長職は、1970年代の極右学生のリーダーで、今も強大な力を持つ、椛島有三なる人物に委ねられた。そしてこの団体は今、3万5千の会員と200の支部を数える。



289 PARLEMENTAIRES MEMBRES

(289人の議員メンバー)

10年前に祖父が亡くなった安倍晋三は1997年に国会議員になる。お友だちと一緒に、直ちに「日本会議」に、次いで日本会議を支持する議員団体に加入する。「当時彼らは、保守のジミントーでも周辺的だった」と、中野晃一は言う。「20年近く経った今日、彼らはジミントーと内閣を席巻している。そして日本会議は、国会の40%に相当する、289人の議員を集めている…」 彼らのスローガンとは? 戦後の日本、「アメリカに押し付けられた」制度と生活様式から決別することだ。彼らは、「勝者の正義」、戦争犯罪人を裁いた東京裁判の正当性を認めない。彼らは歴史を自らの味付け、敗者の歴史を書き直したがっている。日本帝国はアジアの民衆を「解放した」と声高らかに断言したい。1938年の日本軍による南京大虐殺は作り事であり、最悪でも、民間人に変装した数百人の中国兵が死亡しただけだ(日本人も含めてまともな歴史家は少なくとも数万人の民間人が拷問された後に殺戮されたと考えているのに)。日本会議の歴史修正主義者らは、「慰安婦」は勇敢な日本兵を慰めて月末に手取りを増やして喜ぶ、単なる自発的な売春婦だったと断言する(この主題に関して帝国軍に反対する証言が圧倒的であるにもかかわらず)。



CHANGER LES LIVRES D'HISTOIRE

(歴史書を変えること)

日本会議の目的は、歴史書を書き換えることだ。有利な状況を作ることから始めた。間もなく、中学校の教科書は、歴史学者の視点と同じく論争中の問題に関して「政府の公式の立場」を言及しなければならなくなる。「別の言い方をすれば、歴史修正主義のぱっとしない教師が、南京で民間人の死者はなかったと断言すれば、それが我々の子どもたちの教科書に書き込まれることになる」、政治学者の中野晃一は説明する。教育に関して、日本会議は「愛国」教育への回帰を熱望する。彼らの夢は、1890年代の帝国時代の法にできるだけ早く近づくことだ。個人に対して天皇への全面的な服従を押し付け、将来の神風の複数の世代にわたって洗脳してきた法に。

 これで全てではない。「アメリカの圧力下で」採択された、1947年の平和憲法を、日本会議は根本的に変えようとしている。その最初の標的は、第9条だ。この中で日本は「戦争を、永久に放棄」している。国粋主義者は世界のどこでも、そして「自衛力」だけではない軍隊を望んでいる。「安倍と日本会議にとって、第9条の廃止は決定的に重大だ。なぜならこの条文が軍国日本との決別を意味しているからだ」、『朝日新聞』論説委員の大野博人は説明する。運動は既に進行中だ。昨年7月、政府は初めて、「自衛隊」が日本の国土を離れて同盟国を助けることを憲法9条が認めていると断言して、同条の解釈を変更した。それが最初の突破口だ。日本会議は他の条文、最初に婚姻における男女の平等に関する第24条と決別するために、そこに殺到しようとしている。彼らにとってもちろん、夫は全ての領域で配偶者を支配しなければならない。彼らはまた、戦前の風習に戻ることを望んでいよう。学校では、まず男子、次いで女子の五十音順で点呼されること… とりわけ、戦後の裁判で裁かれた戦争犯罪人を含む、死亡した兵士が祀られる、靖国神社に国家が関わることを邪魔する、宗教と国家の分離に関する16条も廃止することを目指す(中国と韓国の気分を害して、安倍晋三は2013年12月、首相就任1周年に靖国神社を参拝した)。最後に、明らかに、日本会議は天皇が、一種の権威主義的民主制に変質した日本の政治の中心に戻ることを望んでいる。

 安倍とそのお友だちの反動主義者は、どこまで行くことができるだろうか? 日本の誰もが、第二次世界大戦終結70周年記念の8月15日に首相が発するに違いない声明を待っている。前任者たちの宥和的な宣言と、どの位まで距離を置くことになるだろうか? 「ホワイトハウスは、地域の他の同盟国を失う恐れがあるため、余りにも反動主義の臭いがすることは受け入れられない。」 そして、国民がいる。安倍の目的は、2016年7月の参院選を利用して、国会で憲法を変えるために必要な圧倒的多数を得ることだ。それができるだろうか? 「日本会議はエリートの運動だ」、中野晃一は言う。「大多数の国民は、その思想の大部分に反対している。しかしその受動性のために、特にアベノミクスが上手く行っていれば、国民はされるがままになりかねない。」 少なくとも今のところ思いがけない人物が抵抗勢力になり得る。81歳の天皇、明仁だ。日本会議が政治問題に戻るのを待っている、その人である。さる1月、新年の祝辞に際して、天皇は行間で、歴史の反動的な解釈に反対であることを示した。2月、長男である皇太子、55歳の徳仁殿下はさらに雄弁だった。極めて稀な記者会見の席で、皇太子殿下は、戦争の歴史が「正しく伝えられる」ことを望んだ。逆説的に、皇室は今や、日本の自由民主主義の最も優れた盾となっている。


L’OBS/No2637-21/05/2015


あくまでも、フランスの週刊誌の記事を紹介しただけですのであしからず。
それにしても、ここに書いてあることを知らない日本人がいるのかどうか知りませんが、知っていてあれだけの支持率だとしたら恐ろしいですね。

国民の権利を含む、日本国家に対する最大の脅威はアベシンゾーとジミントーだと思っていましたが、実は一部を除く日本国民そのものが脅威だったりして・・・(以下略)



個人的には今年に入って、特に4月以降、いろいろなことがあり過ぎました。紆余曲折を経て、東京から直線距離で800km以上離れた某地方都市に単身赴任することを強いられています。家族と暮らしていた頃は、たとえ片道100㎞以上の通勤を強いられていても、夕食は原則として自宅で、という生活をしていたせいか、単身赴任になっても外食できません。というわけで、慣れない自炊をする羽目になりました。

通勤時間は短くなったのに、家事に要する時間が増えて、生活時間は以前よりも窮屈になりました。

結果的には、ほぼ完全に「糖質ゼロ」の食事をすることになって、体重がさらに1キロ減って、腹囲が70cmを切りました(胸囲は96cmのまま)・・・

こんなことをグダグダ書いても誰も興味がないでしょうから、ここで終わりますが、このような事情から、今後も滅多に更新はできないことでしょう。



【追記】 (2015年6月16日)
ふと気づいたら、ものすごいアクセス数になっていました。
SNS 恐るべし、というところでしょうか。

一方、SNSと殆ど縁のなかった私のような人間だったら、この記事にアクセスするきっかけは、やはり検索エンジンということになります。

私自身、このブログの過去の記事を探すときにも、わざわざgoogle で検索したりしています。

そこで気付いたのは、この記事を検索する際、「アベシンゾー」では検索できても、「安倍晋三」では検索できない可能性があることです。
同様に、「隠された顔」ではできても、「隠れた顔」ではできなかったことです。

「安倍晋三の隠された顔」
「安倍晋三の隠れた顔」
「アベシンゾーの隠された顔」
「アベシンゾーの隠れた顔」

このような検索でも引っかかるようにしていただきたいものです。(今さら大勢に影響はないでしょうけど)