Cleat からのメッセージ -6ページ目

若いときの成功体験を引きずって、失敗したここ数年

それまでチャランポランに生きていた20歳の男子が、ある時目覚め、毎日を精一杯生きるようになる。
 そんなありふれた形で僕の仕事人生が始まった。23年前、3浪目のことでした。

 いつもちょっとずつ、あるいは大幅に背伸びをして物事に取り組んできました。
その背伸びに追いつくため、必ず無理をしてそのおかげで背を伸ばしてこられました。
 
 失敗もあったが成功も多かった。小さな会社ですが、ユニークな会社に育ったと自負しています。価格競争に巻き込まれることも無いし、良いリーダーやメンバーにも恵まれました。

 ただ、ここに来て気づきました。(正確には親しい人が気づかせてくれました)
背伸びをして、背を伸ばせるのは30代前半までで 40を過ぎた今そのやり方はまったく効果がないということを。 そして、それは信用を失うことにもつながることだということをです。

 気づいたその日から等身大で進むことにしました。コミットメントは自分ができることの95%以下にしようと思いました。虎の威を借ることもしません。良い変化は早いに越したことは無いので、直ちに実行することにしました。

 と同時に明日のために今を我慢するのではなく、今やりたいことは何か?をいつも問い、それを行い、その上に明日を築いていこうと思いたったのです。40過ぎにしては高校生のような変身ぶりです。

見栄っ張りの癖は、変化を決めた直後から頭をもたげてきますが、気づく度に直している毎日。
クルマも即座にグレードを下げました。
 白のゴルフGTI。 気持ちいいジーンズみたいなクルマです。これでワンコも乗せられる。

カレラ4からの乗り換えはさすがに意気消沈するかと思いきやこれがすこぶる楽しい上に、一番フィジカルに等身大を感じさせてくれたエレメントです。無理がまったくない。

しばらくこのスタイルを楽しもうと思っています。変わった時はまたブログでご報告いたします

デザインと付加価値の関係3

 前回の話をまとめると・・・・
製品にデザインが施されていること自体は今日 コモディティーでしかない。つまり付加価値は備わることがありません。
 しかし顧客視点に立った継続的かつ個性的活動があってかつ、それがデザインによって表現されている場合は、そこに付加価値が備わります。
 確かに顧客視点の個性的活動さえあればデザインなしでも付加価値は備わるかもしれません。それでもデザインは伝播するエリアとスピードを増幅させる機能があるので、投資効率や競争の継続性、ブランド効果による排他的競争視点から見ても、デザインすることを私はお勧めします。

顧客視点に立った個性的活動そのものが、デザインへの強い取組みということもあるでしょう。B&Oのオーディオなんて見てるとそんな気がしてきます。 このような場合はデザインへの取組み自体を強烈に個性的にする必要があります。 それは並大抵レベルでは達成できません

BMWは「駆け抜ける喜びのため」に、人事も開発も調達も機能させているそうです。 デザインを顧客視点の個性的活動と位置づけたいのであれば、同じように会社の機能すべてを優れたデザインのために機能させる必要があるのです

他者レベルの環境と人材を与えておきながら、才能だけでガンバレって言っても できることに限界があるのです

デザインと付加価値の関係2

当社の強みはデザインですというクライアントに対し私は時折
「すでに○○でさえもデザインに取り組むようになったということは、デザイン自体は今日コモディティーなのです」
という意地悪なことをいう時があります。(○○の中にはその業界で価格競争力に優れた会社の名を入れます)

それは顧客視点に立った個性的かつ継続的活動だけが昔も今も付加価値を生むにも関わらず、そこから目を背けて安易な道を歩もうとする危険を避けていただきたいから申し上げるのです

個性的な活動というのは怖いものです。人と違った道を選ぶということですから当然失敗すれば「馬鹿!」呼ばわりされます。 特に良い学校で良い成績をとり、上司の顔色を覗ってその立場を得たダイレクター(部長)職には 断じて選びたくない道です

個性的であることは業界で自分ひとり衰退する可能性がありますが、皆と同じにしていれば多くの利益は取れないけれど自分一人だけダメになることはないからです。ダメになるときは皆と一緒なので自分が責められることはないと思えば、非個性的な道ばかり選ぶことになるでしょう

そんな背景を持つ会社が、行為自体がコモディティーと化したデザインなんて行なったところでそれが付加価値になることは絶対にありません。デザインは飽くまでもその会社の継続的個性を表現するもの以上にはなれないのです。もしその会社が個性的活動をしていないにも関わらず個性的なデザインを施せば、それはただの道化です。 経営者がデザインを理解する必要はありませんが、この一点だけは知る必要があります。


(以下次号)

デザインと付加価値の関係1

以前、付加価値の話をしました。
スターバックスのカップを例にとり、飲み口とブランドマークについてそれぞれの付加価値を説明したものです。
今回は、昔を振り返るシリーズで、もう一度この「付加価値」をお話したいと思います。

付加価値という言葉はコモディティーという言葉とセットにした方が、うまく説明できることに遅まきながら最近気づきました。コモディティーとは「日用品」を意味しており、経済の世界では一般的に価格競争に巻き込まれていて、高い収益を上げられない商材を指してこの言葉を使います。

辞書で見るとコモディティー自体には「日用品、便利なもの」といった表記しかなく、語源に遡っても「価値が低いもの」という言葉は見当たりませんが、エンジニアリングプラスティックをコモディティープラスティックというように、企画大量生産品で「薄利多売品」の代名詞から来たのかもしれません。(無知な私の勝手な想像です)

そこでコモディティーとデザインを組み合わせるとこんな言い方になりますね
「薄型テレビは既にコモディティー化が進んでいるため、当社はよりデザイン性を高めることでお客様に付加価値を提供しようと考えています」

この例文は、技術と価格で戦えなくなった会社を経営する者が、デザインをさも付加価値であるかのように語る危険なフレーズなのですが、それが未だに平気でまかり通っているから恐ろしいのです

今日もし経営者が「デザインが当社の付加価値である」と言う時は、その裏にその企業の個性ある顧客視点の継続的活動が無ければ言えないのだと私は思うのです

以前はデザインを施すこと自体が企業の個性である時代が確かにありました。それはデザインというものに対する知識がまだ蓄積されておらず、その扱い方を多くの企業が知らなかったからです

つまりデザインを製品に施すことが難しく、できる人が少なかった時はそれが付加価値だったのです。

(以下次号)

コラボレーション4

これまでもそしてつい最近でも、海外ブランドの名を冠したスペシャルエディションを、メーカーは作ってきました。
ただその多くはけっして「コラボレーション」と呼べないものが多かったように思えます。

ばかげたブランド使用料を支払って、○○バージョンなどと言っている活動は単なるセールスプロモーションでしかありません。
極めて一過的な活動で、付加価値でさえありません。 そこには Collaboration=「共同で行なう、(敵国などに)進んで協力する」という言葉の意味があてはまらないのです

しかしダントツの強さを持っているブランドであるなら、それはけっしてスタイリッシュではなくてもより強気な提案を相手に持ちかけることが可能になるでしょう。

近年のロータスエリーゼには一部のモデルでトヨタのエンジンが積まれていますが、エアコンは効くし壊れないし、それでいてエリーゼのエキセントリックさは失われていない。 トヨタもどうしてこれにコラボレーションを提案しなかったのでしょう? 自らMRSなんか作るよりずっと安い投資で、トヨタブランドと歴史あるスポーツブランドをセットにしたイメージ訴求ができたはずです。

クルマもバイクも、エンジンなんて作らなくて良いから とにかくクルマが作りたいという小さくてもブランド価値の高いメーカーと、エンジンこそが儲かると考えている大きなメーカーがあります。こうした二社が組むことは、エリーゼの例をとってみても顧客満足を得ながら、双方手に入れたいものが得られるので、まさしくコラボレーションと呼べるのだと思います

もちろんこうした活動には、優れたコーディネーターが必要になるでしょう。 今後ダントツの力を持つブランドに双方が対等となる条件でのコラボレーションプランを持ち込むことが、ブランドコンサルタントにとって、高い付加価値業務になるかもしれません。

以上、ブログならではの無責任な予言を繰り返しましたが、つくづくブランドというものは面白い素材だと思います。


もちろんこうした活動には、優れたコーディネーターが必要になるでしょう。 今後ダントツの力を持つブランドに双方が対等となる条件でのコラボレーションプランを持ち込むことが、ブランドコンサルタントにとって、高い付加価値業務になるかもしれません。

以上、ブログならではの無責任な予言を繰り返しましたが、つくづくブランドというものは面白い素材だと思います。