Cleat からのメッセージ -7ページ目

コラボレーション3

コラボレーションで大切なのはもちろん「誰と組むか?」です
またコラボレーションの時代において大切なのは「あいつと組みたい」といわれる強さを持つことです

コラボレーションの時代haダサくったって「ダントツに優れた何か?」を持っていることが重要で、それを備えればダントツにスタイリッシュなパートナーとコラボレーションできるのです。

つまりダントツな強ささえ持っていれば、ダントツのスタイリッシュ手に入れられるのですから、ブランディング手法自体が大きく変わる可能性があります。

しつこいようですが大切なのは「ダントツの何か」でありバランスではありません。中途半場にどれもこれもソコソコ良いではだめなのです。

こう考えると、日本のメーカーはそれぞれ何らかのダントツを持っているところが多と思います。私の無責任な予知能力から未来を見れば、グローバルにスタイリッシュなキャラクターを持てれば、日本メーカーは多くの企業とラボレーションできる機会が増えることでしょう

ですからダントツの何かを持っているなら、ダントツにスタイリッシュなブランドとダブルネーム・コラボレーションを積極的に取り入れるべきです。

たとえば、わずか2センチの厚さしかない液晶テレビを作れるシャープだったら、「ブルガリ meets アクオス」や「アクオス& B&O」、 「Bose in アクオス」なんてものにチャレンジできる力が十分あると思います

大切なのはブランド買収ではなくブランドコラボレーション。 時代が変われば求められるコンビネーションは全く変わってしまいますから、リスクを冒し、反感を買ってまでブランド買収をする意味なんてないのです。

そして、やってみてダメだったら 何度でも相手を変えてまた試すべきです。 「ダントツの強さ」を持っているあなたの会社が失敗する訳は、ただ単に相手との相性が悪かっただけです。 コラボレーションのよいところは、成功するまで相手を何度でも変えられるところですから、成功するまで色々なマッチングを試すべきでしょう。 そしてもし成功したならそれを、色々な形でストレッチしてゆくべきです。

買収だったらこうは行きません。成功するまでやり続けるしかありません。やめるのは自分の意思ではなく、自分が引きずりおろされるときだけです。

(以下次号)

コラボレーション2

ドラッガーが言うところのコラボレーションは、彼がかねてから唱える
「自らの強みに焦点を合わせ、強みでないことは他社にまかせる」という言葉に集約されます

インターネットが社会に及ぼす影響は競争のスピードを加速させ、インフラを整えるための時間を満足に与えてくれません。 こうなると資源投入は、ますます自らの強みを磨ききる以外に手がなくなってきます

大切なことは「これだけは誰にも負けない」を持っていることで、それさえあればそれを時代に合わせるために必要とする他の要素は、パソコンのモジュールのように最も強いパートナーとコラボレーションすべきと言うのです。

「自らがすべてを持つことは、強みに集中すべき資源を弱みにもつぎ込むことだ」という考えは、一頃加速したアウトソーシングでもありました。しかしコラボレーションという考えは、これと少し意味が違うように思えるのです。 アウトソーシングは先に紹介した本にも書かれていましたが、コストを下げることと、面倒から逃れるために行なわれていました。

アウトソーシングでは同業と組むことはありません。 せいぜいコムデギャルソンがクロネコヤマトに物流を依頼する程度です。そこには外注という意識しかありません。ダブルネームという手法もありましたが、それは時計のロレックスとジュエリーのティファニーのように双方が異なる業界に位置した場合が多かったように思います。

ところがジュンヤ・ワタナベとバンソンは、どちらもレザーブルゾンやカットソーを自らのブランドで作っている、同業です。 もちろん顧客は大いに違いますから、競合ではありません。そしてアウトプットを見れば、自らの弱さを相手の強さで補完しあいながら、双方のブランドをより強く光り輝かせ、これぞコラボレーションと呼びたくなる仕事をしました。

GEがドラッガーの教えのもと行なったのは、“他社をまきこんだベストチームの再編” 顧客に最高のサービスを届けるためのパートナーシップでした(本からの抜粋) コムデギャルソンはバンソンと組むことにより、顧客がブランドに感じはじめていた「退屈」さに、ブランド持つ楽しさを蘇らせていることこそ、この活動が21世紀型コラボレーションと私が感じるゆえんです

(以下次号)

コラボレーション

ちょっと古くなってしまったけど、コムデギャルソンとバンソンがコラボレーションをしました。今回はこれを題材にお話したいと思います。

1990年以降アパレルの有名ブランドは買収に次ぐ買収で、いったい今このブランドはどこが作っているのか?わからなくなってしまった状態にあります。 スーパーブランドがスーパーブランドを買って運営するのですから なんとなく納得してしまいますが、 実際のところただのライセンス生産のようになっています。 企業買収はビジネスの世界ではドキドキしますが、ブランドでやられると、げんなりします。

対して、コムデギャルソンが様々なブランドとコラボを繰り返しています。
買収ではなく、ワタナベ・ジュンヤさんがリーバイスやチャンピオンといった USブランドの良さを引き出す形でクリエイティブ活動を行なわれているのを見ると、こちらはやはりドキドキします。 特にバイク好きの僕としては、バンソンとのコラボにかなりやられました。

面白いことに、マネジメントの父と呼ばれるドラッカーへのインタビューを一冊にまとめた、「P・F・ドラッカー 理想企業を求めて」(ダイヤモンド社)の中で、「21世紀のビジネスの世界は、組み合わせ自在のおもちゃのレゴの世界である」と語り、コラボレーションの重要度を強調しています。

(以下次号)

差別こそ重要

沖縄に出張がてらでかけて参りました。
ホテルはG8にも使われたブセナテラス。一泊7万もする部屋ですから、それなりの期待もして行きましたが結果は散々。もう二度と行かないという気持ちにさせられ、宿を後にしました。

日本のメーカーがブランド下手のことは、これまで散々書いてまいりましたが、今回ホテルでの経験がそのわけを教えてくれたような気がします。 キーワードは差別、あるいはCLASSです

今回のことで、先の5月にイタリアでモーターサイクルの最高峰レースMoto GPを見てきた経験を思い出しました。とある会社の現地法人社長がアテンドしてくださっただけあって、とても良い扱いをしてくださったこともあり、どこに行くのもパスひとつで回遊することができました。

コース脇でファイナルを観戦できたり、バレンチノ・ロッシがいるピットに入らせていただいたり、 、レースクイーンやレーサーの家族がいるホスピタリティールームで据え膳上げ膳の思いをさせていただいたりと、何から何まで非常に良い思い出を作らせていただきました。

そして私がこれだけ良い思いをする対極には、私が入場できた場所のどこにも入れないという対象的な一般人がいらしたのも事実です。あらゆるゲートには屈強な男たちがいて、出入りする人のパスに目を光らせます。
「お前は入ってよし、お前はダメ!」
明らかな差別がそこに存在するのです。そして、差別されればされるほど 入れる側の喜びは増してゆくのです。私が卑しい生まれのせいかもしれませんが、きっとヨーロッパ文化の根底に”差別こそホスピタリティーの源泉”という考えがあるはずと思います

話をもとにもどせば、ブセナテラスには差別が少なすぎるのです。
「ここは大人だけ」とか、「ここは金持ちだけ」とか、「ここはオシャレしている人だけ」とか、こうした差別が結局ブランドを作るのだと思うのです

アウディのイベントで感じたこと

アウディーのMusic meets artというイベントに行って参りました。

 アウディーフォーラムTokyoで行われたこのイベントでは、シャンパーニュ(ヴーブクリコ)とフィンガーフードが振舞われた後、山中千尋さんという可愛らしくも、チョイエロなジャズピアニストがベースとのセッションを披露してくださるという、少なからず予算がかかっているものでした。

インターネットで来たお知らせに対し応募して当たりさえすれば無料招待してくださる、実に気前のよいプロモーションで、実にアートやデザインをテーマとするアウディーらしいものでした。今日はこのイベントをブランド視点からお話したいと思います。

 ブランドとは噂によって作られます。 お客様に「こう見られたい!」と思うことを メディアを使って訴えかけてきみても、ブランドは育まれるわけではありません。いくらトヨタがDrive your dreamと何億円もかけて言っていたって、「トヨタって夢があるよね」なんて誰も思ってくれません。

それは言葉が悪いのではなく、このブランドスローガンが「何をしたか?」にリンクしていないからです。 同じようにPower of dreamsと訴えかけるホンダは、アシモや飛行機といった「活動」と言葉がリンクしているため、お客様に「ホンダって夢感じるよね」と言ってもらえるのです。

余計なお世話ですが、トヨタも夢だなんて語らずに「品質の限界へ!」くらいにしとけばよかったのです。

さて、そういった意味でアウディーはよくやっています。 増上寺や国立競技場を使ってきたイベントはさながらスーパーブランドのコレクション発表のようです。 今回のイベントも70人程度の来場者に向けてクルマを売ろうということが目的では当然なく、 あくまでも来場者が語る噂話。 あるいは報道を通した噂話。 こうしたものが人の言葉に翼を与え、広く「Audi = Art」というパーセプションを顧客に植え付けるのです。

こうした活動、本当に日本のメーカーは下手ですね。とはいえここで小言をひとつ。

アウディーさん せっかくのパーティーなのに麗しい淑女がほとんどいないっていうの何なんですか?
「噂作りは 風景作りから」というのが私の持論。目を閉じて、見えてくる風景こそが噂を作り、ブランドを形成するのです。

「Audi = Art」という風景に麗しの淑女は不可欠。 イケメンのギャルソンをづらりと用意するのはよいけれど、結局パーティーを表現する上で最も重要なのは ゲストの見映えだと思うのです。

ゲストの見映えという点において男は何の用も足しません。やっぱり女性です。若く、お肌の露出も多く、うず高く巻かれたヘアーが必要です。 サクラで結構ですからぜひアートを感じさせるゲストを次回からお集めください