つねづね「絵は好きなように見たらいい」と嘯きながらも、
先に出光美術館で「長谷川等伯と狩野派」展
を見ましたときには
「きっと見所勘どころ」というものがやはりあるんだろうなあと思ったのですね。
ですから、そっと何かしら知っていてもいいよねと考えたわけでして、
そんな折に図書館で見かけた一冊の本、それが中公新書の「絵画の変」でありました。
これがですね、面白いのですよ。
日本美術のことをよく知らない人間が言うのですから、
たぶん誰にでも読みやすいものではないかと思うところです。
ところで、「絵画の変」というタイトルですけれど、
「変な絵」を取り扱っているわけでないことは想像がつくところと思いますが、
本能寺の変とか桜田門外の変
と言うときの「変」だと思われます。
つまりは、日本の美術史において変事を来たしたことを指して言っているわけで、
中心となるのが室町後期から安土桃山の時代であって、絵画の潮流での主役交代があったように考えると、
まさに絶妙なタイトルと言ってもよろしいのかと。「乱」でも「戦」でもおかしいですしね。
(ただ本来的な使い方としては「変」というには、かなり長い期間を見てる気がしますが)
そしてそして、この絵画の潮流での主役交代の場面で、
狩野正信、狩野元信に始まる狩野派がかなり大きな役割を果たすとなれば、
思い込みを捨てて狩野派を探究する一助にもまたなるところが、
個人的にはありがたいところでありました。
さて、絵画における主役交代とは?ですけれど、
従来たいそう有り難がられていた「唐物」(要するに中国渡来の美術品)から「擬似唐物」作りを通じて、
それまであった「大和絵」の伝統とも異なるいわば「和漢混淆」の作風が生まれてきたということなのですね。
背景としては、
美術品を飾って見せびらかすことが自分の権勢を示す手段ともなったことが関わっているようで。
いつの時代にもありそうなことですけれどね。
足利将軍としては武家の頭領たる自らの勢威を示したい欲求があり、
武辺一辺倒ではないところで「どうじゃ!」と言いたいわけですね。
美しいものを愛でることにおいても、他の追随を許さずというところを見せて「さすがは!」と言ってもらいたい。
武家社会が作り出した書院造にしても、「掛け軸を掛けて、愛でておりますよ」といわんばかりの
床の間然とした設えがあるわけで、ここに掛けられる掛け軸というのが「唐物」であったわけですね。
ただ掛け軸のひとつくらい見せたところで権勢は示せない…となると、もっともっととなりますが、
部屋の中に掛け軸をだらだらとたくさんぶら下げても、品が無いてなことになってしまう。
(この「品が無い」は今風の言い方のようで、本来の上品、下品(かひん)の解説もしっかりされてます)
そこで、部屋自体を美術品のように飾り付けてしまおうと「襖絵」を描くことになっていきますし、
また襖絵は掛け軸のように別の場所に運んでいくことができませんから、
それなら「屏風絵」が良かろうてなことにもなっていくという。
この辺りからも、
西洋絵画のタブローとは全く違う捉え方が日本の絵にはなされていたことが想像できますよね。
描かれたものそれ自体を愛でるところもあったとは思いますが、
それ以前にその場を華やがせたりする装飾のひとつと考えられていたのだと。
かねがね素人考えながら日本美術は装飾工芸に深い伝統があるやに感じておりましたけれど、
こういうこともあったのですなあ。
…と、記したことは本書で知りうる欠片でしかないのでして、
和洋混淆に果たした狩野元信の役割と影響ですとか、
そも唐物の画題が日本の絵画にそのまま受け入れられ、後に変容していく流れですとか、
実に分かりやすくすうっと染み入る本書はこの後に日本の美術を味わうよすがとして
手元に置きたい一冊と思っておる次第であります。
前に読んだ「俵屋宗達
」共々、入手することにいたしましょうかね。

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