何となく想像が付いた方も多かろうと思いますけれど、
忠臣蔵 」の話が出ればやっぱり行ってしまいますね、高輪の泉岳寺へ。

♪右は高輪、泉岳寺 四十七士の墓どころ
 雪は消えても消えのこる 名は千載の後までも

音符をつけましたの歌だということはお分かりになるでしょうけれど、
何の歌かご存知でありましょうか。
実は長い長いことで有名な「鉄道唱歌」の2番の歌詞なのですね。


広く知られた1番の歌詞は「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」と始まりますけれど、
江戸城松の廊下での刃傷沙汰を起こした赤穂藩主の浅野内匠頭は

事件後お預けになった一関藩田村家の邸で切腹したわけですが、
この邸があったのが藩主の田村氏に因んで、ひと頃は田村町と呼ばれていた辺り、

今は西新橋となっているところですね。


もしかすると「鉄道唱歌」の作者は「忠臣蔵」がお好きだったのかもしれませんですね。
汽車の出発するのが新橋ですので、「おお、浅野殿が切腹なさった近くじゃの」と思ったかどうかですが、
そんなことが頭に過ぎったものですから、2番にはいきなり泉岳寺を持ってきてしまったのではないかと。


討ち入りの日に雪が降っていたことに引っ掛けて、

「忠義の名は雪のように消えてはなくなりませんよ」と言ってるあたりご贔屓筋の発言かと。

全くの推測ですし、明治の頃なら作者がどうのというより「忠臣蔵」は国民的人気だったのもですが…。


というところで、泉岳寺のお話であります。

やはり師走故でもありましょうか、結構訪ねてくる人がいるのですねえ。

(その中の一人ではあるんですけどね…)


高輪 泉岳寺


この立派な山門脇では、さっそくに大石内蔵助良雄の像がお出迎えです。


大石内蔵助良雄之像


そして本堂の左側一帯に赤穂浪士(泉岳寺では赤穂義士)の墓所、記念館が配されておりまして、

浅野内匠頭が田村邸で切腹した際にその血がかかってしまったという梅の木やら石やらが

こちらに移されていたり、さらにはこのようなものも。


泉岳寺 首洗いの井戸


浅野内匠頭の墓所に供えるため、この奥にある泉水で討ち取った吉良上野介の首を洗ったのだとか。

あんまり想像したくないところではありますけれど、記念館の展示物の中には「首請取状」なるものも。


宿敵討ち取りの報告さえ終わればもはや首は不要であって、

反対に吉良家からは返してほしいとの要請があり、泉岳寺の僧が使いにたって届けたところ、

先方では「確かにお預かりしました」と請状を書いてくれたのそうな。

「首 一つ、 紙包み 一つ」とは、何とも事務的なような。


さて、四十七士の墓所はと言えば、かような形でずらりと並んでおりました。


四十七士之墓


でも、やっぱり大石内蔵助だけは別格扱いのようで。


大石内蔵助之墓


…という具合に、泉岳寺を訪れたというよりも四十七士の墓所を訪れたといった感がありますが、

これは昔から同様だったようでして、先に読んだ「江戸川柳で読む忠臣蔵」の中にも、

こんな川柳が紹介されておりましたよ。

本堂は参り人のない泉岳寺

泉岳寺といって、どうやら人の足は本堂とは違うところに向くようで…。

ただ、本堂に掛かる「獅子吼」の額から受ける勇壮さな印象は

(やはり赤穂浪士を思い浮かべてしまうにしても)見といていいのではないですかねぇ。


泉岳寺 本堂

本来春先の開催が中止となって一時はがっかりしたものの、
秋になって「おお!やってくれるか!」と喜んだ「セガンティーニ 」展。
喜んでおきながら、またしても会期終了が近づく中でようやっと足を運んだ

損保ジャパン東郷青児美術館でありました。


セガンティーニ展@損保ジャパン東郷青児美術館


回顧展としてはいささか小ぶりの感はあるものの、
初期から晩年までの特徴をつかみ易く作品が並べられていたものと思われます。


そうであらばこそ、だんだんと高みにのぼって行く中でセガンティーニが得た

眩いばかりの陽光が取り分け際立つというものではありませんでしょうか。


個人的には、分割主義の独自技法、つまりは「短めに切った葛きり」状の筆致が見られるあたりが
いかにもセガンティーニ!であって注目してしまうところですけれど、
本展ではその技法の導入、実験、確立、爛熟といったプロセスが見えるような気がしたものですから、
非常に興味深いものがあったのですね。


展示の方は肖像画をカテゴライズしていたりといったコーナーごとのまとまりを持たせていますので、
全てが時系列の流れにはなっていませんけれど、そこはそれ行きつ戻りつする中では
「あ、ここで悟ったね!」みたいに思ったりしたのでありますよ。


フライヤーに使われている「アルプスの真昼」(1891年)は(翌年制作の同名作もあるものの)、

アルプス の山々に囲まれた牧草地を覆う青空がとりわけ印象的な作品で、

初期の暗めの作品、そして屋内で描く肖像画を見てきた後ではなおのこと目が惹かれるところかと。


帽子のひさしごしに手を当てて、目を細めながら太陽に向かう女性の姿も実に清々しいものです。

分割主義を実践する筆遣いにセガンティーニが自信をもって臨んだ様子を偲ばせるに充分かと。


さりながら、手前側に描かれた草地のあたりなどは、まだまだ「どう処理したものか」との

戸惑いを想像させるところではありますね。

これが翌年(1892年)の「水を飲む茶色い雌牛」になりますとも少し精緻になるような。


ジョヴァンニ・セガンティーニ「水を飲む茶色い雌牛」


こんな過程を経ながらセガンティーニは技法を確かなものにしていったのだなと思うわけですけれど、

風景画のみならず肖像画でもセガンティーニらしいものということで、同技法を使うのでして、

「カルロ・ロッタの肖像」(1897年)などは見事なものですねぇ。


ジョヴァンニ・セガンティーニ「カルロ・ロッタの肖像」


あの筆遣いで描けるもんなんだなぁと思いつつも、

実は洋服を描くにはかなりマッチする技法なのかなと思うところでありましたよ。

そして、「カルロ・ロッタの肖像」と同じ1897年作の「虚栄」に至って、「ついに完成か?!」というものに。

ジョヴァンニ・セガンティーニ「虚栄」


アルプスの風景を真正面から描いたような作品とは「晴ればれ感」の点で大きく異なる題材ながら、

こうした面も確かにセガンティーニですし(例えばウィーンのベルヴェデーレ で見たような)、

やはり到達点とも言ってよいのかなと思ったのですね。


いささか小ぶりの回顧展とか言っておきながらなんですけれど、

「いやあ、いいもの見たな」の展覧会で、

いつぞやセガンティーニが目指した高みへの道をトレースする旅に出ようと

思いを新たにするのでありました。

毎年十二月ともなってきますと、この時期俄かに盛り上がりを見せるものがありまして、
例えば日本だけのようではありますが、クラシック音楽の演奏会は

ベートーヴェンの「第九」 一色になってしまいますね。


そして、日本だけといいますか、日本ならではといいますか、

「忠臣蔵」もまた思い出すもののひとつではないかと。


てなことを言いながら何ですが、赤穂浪士の討入りが十二月だったということを知ったのも
「いい大人」になってから(もっとはっきり言うと、実は近年)なのでして、
ようやっと日本の歴史やら文化やらにもまともに目を向けるようになってきた今日この頃といいましょうか…。


そんな具合ですから、

十二月になったからといって「ああ、忠臣蔵の季節だあね」との思いが自然に湧いたということでもなく、
ついこの間「ヴェネツィア」展 を見に行った江戸東京博物館の
常設展内企画展示で

「絵で楽しむ忠臣蔵」が取り上げられていて、「ああ、そうか」と思ったという次第(お粗末!)。


「絵で楽しむ忠臣蔵」展@江戸東京博物館


そこの展示には、歌舞伎で演じられる「仮名手本忠臣蔵」を題材にした錦絵などがあったわけですけれど、
そもそも史実としての討入り事件と「仮名手本忠臣蔵」は別ものであって、
舞台化にあたっては「これは作り話なんですよ」ということを示さんがための工夫がしてあるわけですね。


ちょうど太田記念美術館で見た戦国絵巻 とまるでおんなじようですけれど、
検閲逃れとしては分かり易過ぎると思える工夫のひとつは、やはり登場人物名の変更ですね。


討入りの頭目である大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が仮名手本の中では

大星由良助(おおぼしゆらのすけ)になり、武器調達を手伝う商人の天野屋利兵衛(あまのやりへえ)が

天川屋義平(あまかわやぎへい)になるといった具合。


そして、これも戦国絵巻同様ですが、時間と場所を変えてしまうわけです。
本来舞台化される何十年か前の江戸での出来事を、室町時代の鎌倉の話にしてしまう。
こうなると検閲側も、身近な出来事をどれだけうまく遠い話に置き換えられたかによっては
お目こぼしの対象にしてたんじゃないかと思えてきたりするところです。


…とまあ、さも知ったかぶりをしておりますけれど、先の錦絵を見たときに
広重 がお得意の風景画を活かした背景の下に芝居の場面を描き出しているなんつうのも

面白いものよと思いつつも「仮名手本忠臣蔵」のことをよぉく知っておれば

もっともっと面白く見られたろうになぁと思ったものですから、
ちょっとかじる程度に探究をと文春新書の「江戸川柳で読む忠臣蔵」を読んでの俄か知識なのでありまして…。


江戸川柳で読む忠臣蔵 (文春新書)/阿部 達二


ところで、そもそも「忠臣蔵」とは芝居のタイトルであるにも関わらず、
実際にあった討ち入りの史実(歴史的には「赤穂事件」とか「元禄赤穂事件」と言うらしい)そのものから、
「仮名手本忠臣蔵」そのもの、それに材をとった落語 や講談、

そして話のひとり歩きで付け加わった巷談俗説まで全部ひっくるめて「忠臣蔵」と呼ばれてしまうほど、

人口に膾炙しているのはすごいことですね。


「忠臣蔵」というタイトルは、
蔵の中にものがいっぱい入っているように忠臣がたくさん(何せ四十七士ですから)という意味合いと
芝居の中では検閲懸念から大星由良助に変名されているものの実際には忠臣・大石内「蔵」助を

描いたものだという含みを持たせたところから来ているという、いかにも芝居がかったもの。


それだけに、史実としての赤穂事件 を扱おうとすると、
例えば映画でも「赤穂浪士」というようなタイトルを使うのでありましょうね。
それでも、一般的には「あの、忠臣蔵の映画、見た?」てなことになりましょうけれど、おそらくは。


というところでですね、本当は「仮名手本忠臣蔵」を見てみたいところでありますが、
おいそれとは見られるものでもなさそうですので、関連した映画のひとつも見てみることに。


四十七人の刺客 [DVD]/高倉健,中井貴一,宮沢りえ


タイトルは「四十七人の刺客」ですので、史実ベースなのかなと思っておりましたら、
武器調達には天野屋ではなく天川屋(板東英二)が出てきました。
では、仮名手本かというと、おかる(宮沢りえ)は出て来るものの、勘平との関わりはまるでなく、
由良助ならぬ内蔵助(高倉健)と子をなすということになっていて、混乱の極みに陥るというお話。


と同時に、作りとしてもかなり特異な形と思われますね。
吉良邸 討ち入りをひとつの軍事作戦と位置づけて、その準備から決行に至る過程を淡々と、
実に淡々と描き出しているという。


当たり前の導入部と思われる松の廊下から浅野内匠頭切腹のあたりは、
ずうっと後の方に回想シーンとしてちょこっと触れられるきり。


討ち入り準備を悟られぬための内蔵助の昼行灯ぶりもないですが、
昼行灯の様子が想像できない高倉健を配したところが、
そもそも武辺一本槍に徹したところなのでしょう。


そして何よりも謀議にあたって「討ち入り決行の大義名分は?」などというやりとりが出て来てしまうと、
「こりゃ『忠臣蔵』的なタイトルはつけられんわなぁ」と思うわけです。


最後の最後はどうも炭小屋らしからぬ小屋に吉良上野介(西村晃)を追い詰めた内蔵助ですが、
「浅野殿が刃傷に及んだ理由を知りたくないか」とくすぐっておいて難を逃れようとする上野介に
「知りたくない!」というひと言浴びせて一刀両断、首級を挙げるところでお終いになるという。


なんだか「忠臣蔵」を支配する「情」のウェットさが非常に少なく、とってもドライな印象ですかね。

総称として使われるところの「忠臣蔵」にもいろいろあるということがよぉく分かるものでありました。
でも、もそっと「いかにも!」と思えるものも見てみたいところでありますねえ。

この間、ヴェネツィア展で見た総督帽があんまり威厳を示すようには思われず、
むしろ「何だかへんてこ…」の感があった一方で、

たぶん他国から見たら日本の風習もさぞや奇異に移るであろう、
例えばちょんまげといったヘアスタイルなども…てなことを書きました。


そこへもってきて、それでは19世紀半ばのイギリスでは世界の国々、人々をどう見ていたんだろう
ということを記した本に出くわしたのですね。
題して「モーティマー夫人の不機嫌な世界地誌」というものであります。


モーティマー夫人の不機嫌な世界地誌-可笑しな可笑しな万国ガイド/トッド・プリュザン

手に取った当初はてっきりフィクション、
つまり「当時の人はこんなふうに思っていたんじゃあないかな、今となっては頓珍漢もいいところだけれど」
というような内容を想像で書いたものなのでは…とも思ったりしたのですけれど、
ところがどっこい、このモーティマー夫人という人は単にそこらの不機嫌なおばさんではないらしい。


「38カ国で翻訳され、少なくとも100万部を売るベストセラーになった」(amazonの内容紹介より)著作を持つ
児童文学作家なのだそうでありますよ。


それだけに書いたご本人としては、何も知らない人たちに「世界の国々はこんなだ」と
教えてやろうという啓蒙意識が出発点になっているのではないかとも思われるわけです。


内容としては、ヨーロッパ各国からアジア、アフリカ、南北アメリカ、大洋州まで
あまねくとは言わないまでもかなりの国・地域を網羅して紹介に、これ努めておられるのですね。


19世紀半ばと言えば、世界に冠たる大英帝国、ヴィクトリア朝の時代ですから、
折りも折り、人々の目も広く世界に向けられ始めていたのでありましょうか。


そうしたところへ世界中の国々に関してのあれやこれやを紹介するとなれば、
さぞやモーティマー夫人はいろいろな国を旅して歩いた経験をお持ちなのではと思ってしまうところですが、
子供の頃に一度家族でパリ、ブリュッセルに行ったことがあるきり、
それ以外にイングランドから外へ出たことがないのだとか。


そのくせ、ガイドブックには何とも自信たっぷりにあることないことが書き記してあるのでして、
行ったこともないのによくここまで言えるなという記述の数々はぶっとびものです。
これまたAmazonの内容紹介から引かせていただきましょう。

唖然、呆然、清々しいほどの独断と偏見が炸裂!
痛烈かつ容赦ないコメントが満載!
フランス「おしゃれだが、不潔」
スペイン「怠け者なだけでなく、残酷」
イタリア「無知で不道徳」
ギリシャ「歌が好きだが、うまくない」
ペルシア「物を売るときは高い値段を吹っかけ、約束をすれば破る」
トルコ「怠惰だから、賢いはずがない」
中国「中国の宗教はぜんぶ邪悪」
日本「邪悪な風習、ハラキリのある国」
エトセトラ

これに加えて、ひと言「笑えます!」という惹句が添えられていました。
こうした部分だけを引いてみますと、「こりゃあ、笑える」と思えなくもない。
売る側としては副題に「可笑しな可笑しな万国ガイド」と付けてるくらいですから、
「笑える本」という触れ込みなのかもしれません。


ですが、本当に「笑える本」という位置づけでいいのかなと思ってしまうところでありますよ。
先にも触れましたように、モーティマー夫人にとっては

笑えるどころか極めて真面目な啓蒙意識があったのでしょうし。


本書の編者が補足的な引用に使っている当時の百科事典などは最先端の知識の宝庫であって、
イングランドからほとんど外へ出たことの無いモーティーマー夫人にしてみれば、
百科事典からの受け売りはそんな書物など手に取ることのできない人たちに

最新情報を分け与えることに他ならないとも思っていたのではないですかね。

(つまりは、百科事典の中身からして、ぶっ飛び的記載であったわけですね)


ただ、単に百科事典から切り貼りして集めた情報をまとめたというだけでないことには触れておかねばですね。
作者自身の信条から出たことと思いますけれど、カトリックは異教と切ってすてられますし、
飲酒癖をとんでもない「悪」と見なしていたりする部分がみられて、
ある信条の下では当時こういう考え方があったのだなと思わせられます(もしかしたら今も)。


またそうした信条の延長上かもしれなりものの、例えばアフガニスタンの紹介では、

イギリス側にも多数の死傷者が出たであろうアフガン戦争(第一次 1838-42)で
「アフガン人を責めることはできない。自分の国を守っただけ」といった記述があったり、
アフリカなどの紹介では肌の色が黒いことで差別が生じていることに

「間違ったことではないか」と問いかけたりしているのですね。


いろんな国のいろんな人々が、いろんな国のいろんな人々と関わる中で、
互いに対する知識なり、より良い考えなりが取捨選択されて今に至るわけですけれど、
150年ほど前のイングランドではこんなふうに理解されていたということを、どれだけ笑えるのでしょうかねえ。


もしかすると否もしかしなくても、

さまざまな面での思い込み(例えば日本は相変わらずフジヤマ、ゲイシャ、ハラキリとか)が
今でもあるのではと考えてみることこそ、本書から思い浮かぶのではないかと思ったのでありました。

先ごろ普段あまり聴けないロシア音楽の演奏会を聴いたというのも機会ですので、
家の中にあるCDでもっておよそ普段聴くことのないロシア音楽を探してみることにしたのですね。


そうした見つけたのは、ヴァイオリニスト、ダヴィド・オイストラフの演奏を収めた廉価版ボックスセットの中から
先日の演奏会でも取り上げられていたセルゲイ・タネーエフ(1856-1915)の
「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏的組曲作品28」の入った一枚であります。


ダヴィッド・オイストラフ ヴァイオリン協奏曲名演奏集(10枚組)/Davio Oistrakh

モスクワ音楽院の院長を務めたタネーエフにはたくさんの教え子がおるようでありますが、
ラフマニノフもスクリャービンもとなりますと、弟子によってずいぶんとまあその毛色の異なることよと思ったり。

タネーエフ自身はマーラーあたりと近い世代ながら、
作曲をチャイコフスキーに学んでたっぷりロマン派の息吹を吹き込まれたのか、
作風は古典的な方にいるようですので、ラフマニノフに近いのかもしれないですね。


ただし、異形の作品を作る弟子にも目をかけていたのでしょう、
師よりも先に亡くなったスクリャービンの葬儀でタネーエフは棺を担いだそうなんですね。
ところが、そのときにどうやら風邪をひいてしまったようで、それが元になって亡くなってしまったそうな。
何やらベートーヴェンシューベルトを思い出してしまう…
もっとも師匠と弟子的な立場としては逆でありますけれど。


ところで、取り出だしたるCDでありますけれど、
タネーエフの曲の前に1曲、ヴァイオリン協奏曲が入っておりまして、これがまたずいぶんと馴染みやすい。
だもんで、何度も繰り返し掛けている間にも、そっちの方に耳を傾けてしまったりするとうい。
それが、ドミートリ・カバレフスキーのヴァイオリン協奏曲ハ長調作品48でありました。


カバレフスキーと言えば1904年生まれでありますから、
生み出される音楽はといえばやっぱりどっぷりと「20世紀音楽」のはず。
ですけれど、社会主義リアリズムに与するところ大でもあったようで、
先日タネーエフと同時に聴いたラーコフよろしく聴き手にとってはとても平易に受け止められる音楽を書いたのだとか。


このヴァイオリン協奏曲にしても「なるほどねぇ」と思わせてくれるものでありまして、
無窮動的な出だしにハッとさせられるものの、極めて取っ付きやすいメロディが次々に現れる第一楽章や
生き生きと楽しく賑やかな第三楽章は、子供向けの演奏会で取り上げてもいいのでは思ったりするのですね。


特に第三楽章では木琴まで登場するんですが、カバレフスキーと木琴とくれば、
小学校の運動会などでよく耳にする定番曲というのに思い当たるところではないかと。




もしかするといささかの世代間ギャップがあるやもしれませんが、どうでしょう、聴き覚えのほどは。
カバレフスキー作曲の組曲「道化師」の中のギャロップです。


これで思うところは「木琴って目立つよなぁ…」ということ。
考えてみると「木琴」というのは、楽器の中でもシーラカンス的なところがあるような気がしますね。


楽器というのも、長い歴史の中で改良が加えられて進化していったように思うのですけれど、
木琴はといえば、かなり原型のままなんではないですかね。
長さの違う木片を並べて、ぶったたくという点でも。


木琴の親戚であるマリンバはもそっと洗練されていくといいますか、
少なくとも木琴のキンキン、カンカンという固い尖った(他と混じらない)音ではないような。
ですから、むしろこの木琴の特徴を活かして土俗的な雰囲気を出そうというときに
使われるケースがあるのかなと考えてみると、例えばストラヴィンスキーの「火の鳥」が浮かんだり。


一方で、合奏から浮き上がってしまう点では滑稽さを出すこともできそうで、
こちらの方ではサン=サーンスの「死の舞踏」ですとか「動物の謝肉祭」の中の「化石」が思い浮かべるところかと。




こうした浮き上がってしまうような滑稽さは、子供受けするところでもありましょうかね。
響きが特徴的なだけに、ユーモラスにも思えますし。
それ辺りのことが、小学校の運動会でカバレフスキーのギャロップが使われる理由なのかな…
と思ったりもしますけれど、カバレフスキーは子供の音楽教育にずいぶんと熱心に携わったようですね。

むしろそうした面で、
子供にも分かりやすい、受け入れやすい音楽を書いたといった方がよいのかもしれません。
とまあ、本当はタネーエフの話のはずが、すっかりカバレフスキーの話になってしまいました…。