新宿でちょうど映画一本分くらいの時間調整が必要だなと思ったところで、
目にとまったのがこの映画、「よりよき人生」でありました。
それにしても「よりよき人生」とは付けも付けたりというタイトルだと思ったわけですが、
原題が「Une vie meilleure」で(フランス語が分からないものが何とか検索してみた結果としては)
どうやら的外れな邦題でもないのだなと。
ただ「よりよき人生」とまで言われると大仰に思えもするので、
「よりよき生活」くらいかなとは思いましたけれど。
学校給食の調理人として働いているヤンは、
自らをシェフとしてレストランに売り込みいっては断られることの繰り返しのようで、
またしても…というところがファースト・シーン。
世の中いかないことばかり…てな展開を予期させるはわけですけれど、
たまたまレストランの入り口は送り出すことをマネージャー(らしき人)から仰せつかった女性従業員ナディアに、
タバコを勧め、ひとしきり愚痴り、ついでに仕事が終わったら飲みに行こうと誘うヤンには、
極端に酷い状況下とは見えません。
そしてここからの展開の速さは、実はこの映画の中でいちばん驚いたところかも。
(日本人だからというのか、個人的に保守的?いや奥手?いや常識人?何と言おう…)
夜になって、先のレストランで仕事を終えたナディアを待ち受け、
連れ立って歩き始めて最初の角を曲がったところで、
空腹の人が食べ物にかぶりつくようにキスを始め、ナディアも拒むことはない。
次のシーンはベッドになり、目覚めると彼女には子供がいることを知るヤン。
転じてさらに次のショットでは、ヤンはナディアの子スリマンと湖畔で遊んでおり、
ナディアは草地に横になって彼らの姿を幸せそうに眺めやっている。
湖畔の森の中に分け入ったヤンとスリマンは古びたコテージを発見。
ナディアもやってきて、「ここでレストランが出来たらいいね」と。
続いてはコテージを買い取る金策の話になって、銀行に融資を申し出る場面。
頭金がしっかりあることを前提に融資は認められるわけですが、
大した蓄えなどあるはずもない二人には、自前の頭金と偽って
いくつかの消費者ローンから借り出すことにするわけです。
このあたりで速い展開は落ち着きを見せてはきますけれど
「レストランさえ開業できれば返せる」と成功を全く疑わないヤンは、
あの手この手の無担保借財を探し求めることになっていくのですよね。
確かに手に職を持つものが自前の店を開けるというのは、
大きな夢でぜひとも実現したいと思うところではありましょう。
ですが、そうであっても無理なことはやはりあるのではないかと。
頭金すらない中で、無茶とは思わないのですかね…。
映画のオフィシャル・サイトにはこうした言葉で映画の紹介がされていました。
人生において大切なものとは、“よりよき人生”とは何か、が浮かび上がってくる。
過酷な現実に翻弄されながらも、明日を信じ、心を折ることなく前進していく「新しい家族」の姿に、見る者は熱い感動につつみ込まれることだろう。
確かに「過酷な現実に翻弄」されているとは言えないながらも、
自ら招いたものであるとすると「翻弄」とはあまりにも被害者然…。
昨晩のNHK-TV「花鳥風月堂」で取り上げられていた歌舞伎「天守物語」は、
妖怪の世界と人間の世界という、交錯してはならない世界が交錯したがゆえに生まれる悲劇
というようなお話だったわけですけれど、単に人の住む世界だけを考えても「世界が違う」といった
ことがありますですね。
それを飛び越えよう(もっぱら上方にですが)とするような向上心というのか、
出世欲というのか、そうしたものが人間にはあって、階層移動がないわけではない。
ですが、誰にでもできるものではありませんし、うまくいくとばかりも言えない。
だから、今に安住してなさいというつもりはありませんが、
冒険とか挑戦とかいうこととは別の無理、無茶は破綻につながると想像することは必要かも。
しかも、自分以外の人も巻き込んでという場合には、一層の熟慮がいるのではないかと。
ただ、そこらへんの熟慮ぐあいにはそれこそ個人差があるわけで、
手堅く手堅くいく方もあれば、勢いに任せる方もありましょう。
ヤンの場合は後者だったのかもしれませんけれど、
その後の展開(ここまでは語ってしまわないようにします)までをご覧になったときに
はて、どう思われるでしょうか。
こうした部分だけでない感慨もないではないですが、
オフィシャル・サイトに紹介されるような「見る者は感動に包まれるだろう」ということに
なりますかどうか、これまた個人差ということやもしれませぬ。