もう終わってしまった企画展ですけれど、

ついこの間の19日まで三鷹市美術ギャラリーで「三鷹ゆかりの文学者たち」展が開催されていたのですね。


三鷹といえば、まずもって太宰治 が思い浮かぶところではないかと思いますけれど、
それ以外には同市内に山本有三 記念館があることは知っているものの、
ほかに「ゆかりといっても…」と思っておりましたら、なかなかににぎやかな顔ぶれなのでありました。


ささっと名前だけでも挙げてみますと、
古いところでは三木露風や武者小路実篤から始まり、辻井喬、瀬戸内寂聴、吉村昭、大岡信、大岡玲と
いっとき在住した人から生涯の終焉を三鷹で迎えた人たちがさまざまに取り上げられています。


また、市内にある国際基督教大学の卒業生ということで、

高村薫や奥泉光といったところまで含めて紹介されていたのですね。


各人の三鷹市の関わりやら自筆原稿やらの展示があったのですけれど、
その中でいちばん目を引いたのが吉村昭のコーナーでありましょうか。


まずもってこの方が第1回太宰治賞の受賞者であったとは、
いくつか読んだことのある作品の傾向からして、あまりの「ピンとこなさ加減」に「ほお」と思ったわけです。


もっとも読んだことのあるというのが、日露戦争やその後を扱った「海の史劇」や「ポーツマスの旗」、
太平洋戦争 に関わる「戦艦武蔵」「零式戦闘機」「陸奥爆沈」といったあたりだものですから、
もそっと異なる傾向の作品に接すれば「なるほど」と思うのかもしれませんが。


ところで、この吉村さんの取材ノートの綿密さ、下書きの細かさは尋常ならざるものがありますね。
だからこそ「戦艦武蔵ノート」といった作品に至る過程までが出版されたりもしたのでしょうけれど。


ということで、差し当たり気になった吉村昭の本を読んでいたのでありますが、
これが小説ではなく、「歴史を記録する」というタイトルの対談集を手にとったのですね。


歴史を記録する/吉村 昭


あの緻密さの背景なりが出てくることもあろうかというわけでして、
対談相手はともかくも吉村さんの言葉の中から、少しばかり拾っておこうかと思います。

だれも目にしたことのない史料。つまり史実ですが、そういうものを見出して小説に書く。それを基本にしています。ただしそれが歴史的に重要な意義を持つ史実でなければ書く気はしません。

史料を渉猟するあたり歴史学者はだしと言われる吉村さんが決定的に学者と違うのは、
学者は明らかなことだけを並べますけれど、分からないところを飛ばしては小説は書けないわけですし、
また学者ならどうでもいいようなことへの執拗なこだわりも持ち合わせているところでしょうか。


例えば、主人公がA地点からB地点に移動したという史実があったとして、
学者であれば、○○という史料に主人公がA地点にいたとあり、

数日後の△△という日記にはB地点にいたとあって、
どちらの史料も疑わしいものでなれば、この人はAからBへ移動したと言えるわけですね。


でも、吉村さんにしてみれば、移動した道筋は?そのときの天候は?周囲の景色は?等々の

細かなところがクリアにならないと小説にできないといって、これを調べに歩き回るわけです。
それこそ、その土地の郷土史家を訪ねたり、旧家の土蔵から日記や手紙を掘り出してもらったり。


だからこそ、その実証的な方法によって、

少々手垢がついたような話を取り上げてほしいといった編集者から望まれることがあるそうですが、

これへの対応は極めてはっきりしてますね。

今まで人に言われて書いたのは「ポーツマスの旗」だけ。「忠臣蔵」も書かないかと言われたけど、あれは一種の私的な争いですから、歴史的に何の意味もない。編集者にいわれても興味がないから書かない。小村寿太郎だけが唯一の例外です。

なんとも、はっきりしてらっしゃる。
「忠臣蔵」をして「私的な争いだから歴史的に何の意味もない」と全く興味を示していないとは。
記録すべき「歴史」ではないと考えているのですねえ。


とまれ、こんなふうな取材を重ねていると、

一般的に知られる歴史とは違う側面に行きあたることもあるようですね。


対談の中で紹介されたのは、伊勢新九郎 (後の北条早雲)の出自が解明されるあたりであったり、
「解体新書」の翻訳者は杉田玄白ではなく、実は前野良沢であった…とか、
尊皇攘夷=倒幕という発想ではない…とか、
坂本龍馬は「ちょこちょこ表舞台に出てくるけれども、歴史を動かした人ではありません」…とか、
ペリーの黒船来航は、幕府では事前に知っていて狂歌に歌われたように驚いたはずがない…とか。


どれをとっても「ふ~ん」でありますけれど、世界史でのヨーロッパ中心主義と同様に、

日本の歴史の中でもそのときそのときの強者(維新のときの薩長とか)から見た歴史が
正しいものとして伝わる側面があるということから来るようですね。


「物事を批判的に見る」てなことはよく言われることながら、片一方の意見だけしか聴かなかったり、
何かしら鵜呑みにしてしまったり…ということは、歴史を振り返るときにも必要なのですよね。