友人知人が所属しているわけでもなく、取り立てて評判やら噂を聞くわけでもないながら
「アンサンブル・コトカ」というアマチュアの方々の弦楽合奏を聴いてきたのですね。
以前は、縁もゆかりもないアマチュア団体の演奏を聴きにいってたことがありましたけれど、
なかなかに聴くに苦しい演奏もこれあり(ごめんなさい…)、
最近はちと控え目になっているところでして。
もっとも、アマチュア音楽団体の演奏会というのは、
かつての自分のことを考えても、板に乗って演奏している自分たちがいちばん楽しいのでして、
聴衆が少しでも多い方がいいなと思い、聴衆にも楽しんでもらえるといいなと思うのは
実は一番目の眼目ではないので(そうでないというご意見もおありでしょうけれど)、
聴きにいくならそのつもりでないといけんですね。
あそこがよろしくない、ここをどうにしかしてほしいてなことは思っても詮無いこと。
プロだったら、ずけずけ言うにもしてもですが。
のっけからこんなことを言い出しますと、
もしかして「ほんとはひと言、ふた言、言いたいわけ?」てなふうに思われるかもですが、
アンサンブル・コトカの皆さん、頑張っておられましたよ。
また、聴きに行ってもいいなかと思うほどに。
もそっと、個々のスキルの粒がそろうとさらに良いのですけれど(あ、言ってしまった!)。
と、それはともかくこの演奏会に出かけてみましたのは、
またまた珍し系のプログラムに釣られてのことでありますよ。
「奥深きロシア」と題されたプログラミングのほどはと言えば、こんなふうでありますね。
- ラーコフ/弦楽のためのシンフォニエッタ ハ長調
- ショスタコーヴィチ/弦楽のための2つの小品
- グラズノフ/主題と変奏 ト短調作品97
- タネーエフ/弦楽五重奏曲第1番 ト長調作品14
どうです?渋いですよねぇ。
どれ一つとして聴いたことのない曲でありますし、ラーコフに至っては名前も知りませんでした。
ですが、このラーコフの曲が一番印象的だったかなとも思うのですね。
そもそも最初の曲ですから、こちらとしても「この人たち、いったいどんな音出すんだろう」と
アマチュアの演奏会だけに身構えていたところ、
ラーコフが鳴り始めたとたんに「これならすっかり安心!」と思ったものですから。
もっともこの最初の曲がいちばん馴染みやすいものだったからということもありましょうね。
プログラム・ノートによりますと、ニコライ・ペトローヴィチ・ラーコフは1908年生まれでありますから、
その手にかかる音楽はといえば、例によって?どっぷり「20世紀音楽 」なわけですが、
「弦楽のためのシンフォニエッタ」は青少年オケ向けに書かれたということで、
例えばベンジャミン・ブリテン の「青少年のための管弦楽入門」ほどではないにせよ、
親しみやすく作ったということなのでしょう。
ですから、この一曲で比べてはなんですが、
1906年生まれでラーコフとは同世代と言ってもいいショスタコーヴィチ の方になりますと、
むしろ「20世紀音楽」てな言い方がしっくりきてしまうような。
ただ、「弦楽のための2つの小品」といいますのは(プログラム・ノートによればですが)、
ショスタコーヴィチがオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を作曲中に
滞在していた黒海沿岸の町のホテルにたまたま弦楽四重奏団が同宿しており、
気分転換に弦楽四重奏用に自作をアレンジした小品を提供した…その作品なのだとか。
ですから、2つの小品のひとつは「ムツェンスク郡のマクベス夫人」のアリアから持ってきて、
もうひとつはちょっと前に作られたバレエ「黄金時代」の曲を使ったそうな。
しかし、ショスタコーヴィチ本人がどこまで意識してこの2曲にしたのかですけれど、
よく言われるショスタコーヴィチの二面性をかくも如実に表わすことになろうとは。
この二面性は、あまりに卑近な例でいえば、
普通に歌を歌うときの中島みゆきとオールナイトニッポンで「ギャハハ」とDJする中島みゆきのギャップと
思っていただければ、当たらずとも遠からずかと。
深く深くシリアスな一面、これが一曲目のアダージョに刻まれて、
そして「猫ふんじゃった」にも聞えるポップな?弾け方をしている
二曲目アレグレットと組み合わさっているわけです。
ところで、このラーコフとショスタコーヴィチ、同世代の二人を並べてみると
ロシアというよりソヴィエト時代の音楽受容のほどが偲ばれるような気もします。
古典的なところに忠実なのがいけないとはいいませんけれど、
ともすると西側世界では「時代遅れ」ともされてしまうような音楽、
誰にもふっと口ずさめて、歌えば士気が鼓舞されるような分かりやすい音楽が
社会主義リアリズムに適うものとして称揚されたとすれば、
ラーコフの音楽は保守的であるが故に、革新的(社会主義的)世界にマッチしたのでしょう。
(なんだかややこしい言い回しになってますが)
反面、むしろ先進性を持ってずんずん先へ先へ進もうとしていた作曲家はといえば、
立ちはだかるものを気付いたときにプロコフィエフ は急ブレ―キを踏まざるを得ず、
ショスタコーヴィチも急カーブをきらざるを得なかったのでしょうし。
てなことをつらつら考え始めますと「奥深い世界だぁねぇ」と思うわけでありますよ。
と、気がついたら、グラズノフにもタネーエフにも触れておりませんが、
この奥深い世界はまた別途の探究が必要でありますなあ。