瞑想の実践  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・スワミ・ブラマーナンダ

 

 “マハラージ(ブラマーナンダ)が無私の奉仕、人の内なる神に仕える、という理想を礼拝の一形式と考えていたことは事実であるが、かれは同時に、瞑想を実習しないで働きを礼拝行として行うのは非常に難しいことであり、また、どれほど無私の行為であろうとも、働くことだけによってエゴを消滅させることは全く不可能である、ということを指摘した。われわれは働かなければならない。しかしわれわれは同時に、瞑想によってエゴを神の中にとけ込ませるように努力しなければならないのである。”

 

 “瞑想の効果は避けることのできないものだ。もし信仰をもって……いや、信仰は無くてもよい、やっているうちに生まれてくるのだから……ジャパム(称名)を行ずるなら、結果は出てくるに決まっている。もう少しの間、規則的に修行を続けたまえ。平安を見出すであろう。瞑想は健康にもよいのだ。

 瞑想は、初歩の段階では、心と戦争をやるようなものだ。努力によって、落ち着かぬ心を支配下におき、それを主の御足のもとに置かなければいけない。しかし最初には、頭脳に負担をかけすぎないように注意したまえ。ゆっくりと進み、徐々に努力を強化するのだ。規則正しく行ずることによって心は落ち着いて来、瞑想がらくになる。もはや長い間坐っていても少しも疲労を感じないようになるであろう。

 熟睡したあとで心身がさわやかになるのと同様に、瞑想の後は気分が爽快で、強烈な幸福感を経験するであろう。

 肉体と心とは密接につながっている。肉体が不安定だと心も不安定になる。それゆえ、肉体を健康に保つよう、食事には特に気をつけたまえ。

 どんなことがあっても求道者は胃の半分以上を食物で満たしてはいけない。

 瞑想はそんなにやさしい仕事ではない。食べ過ぎると、心は落ち着かなくなる。また色情や怒りや貪欲などのような感情が征服されていないと、心はやはり不安定である。不安定な心で、どうして瞑想することができようか。

 君たちは厳格な苦行を行わなければいけない。しかし決して肉体の苦行をせよ、肉体を苦しめよと言っているのではない。真の苦行は、情欲の征服である。情欲には、決して頭をもたげさせてはならない。しかし憶えておきたまえ。宗教は去勢された男のためのものではないし、自分の体を不具にする男のためのものでもないのだ。

 瞑想しなければ心を制御することはできないし、心が制御されなければ瞑想することはできない。しかしもし君たちが、「まず心を制御させてくれ、それから瞑想をしよう」と思っていたら、決して成功はしないだろう。心を静めることと瞑想とを同時に行うべきである。

 瞑想に坐った時には、心中に起こる欲望を、単なる夢であると思いたまえ。非実在のものと見よ。それらは決して、心に付随することはできないのだ。自分は純粋である、と思いたまえ。そうしていれば次第に、君たちの心は純粋さで満たされるようになるだろう。

 瞑想を続けているうちに、神聖な光を経験したり、ベルの音とかオームの響きなどを聴いたりするかもしれない。さまざまのそのような霊的経験がやって来るであろう。しかしそれらに注意を払ってはいけない。それらは、君たちが正しい道を歩んでいることを示す以外には価値の無いものなのである。

 もし君たちが神を悟ろうと思うなら、忍耐と不屈の精神をもって修行を続けたまえ。やがて智恵が啓けるであろう。時が来れば、主が、その恩寵をお示しくださるのだ。シュリ・ラーマクリシュナはよくおっしゃった、「時が熟するまでは、母鳥は卵のカラを破らない」と。あせるな。あせっても何一つ得られはしない。努力して、そして待ちたまえ。この待つ時期は、たしかに、非常に退屈なものだ。一瞬希望を感じたと思うとまた絶望が来る。喜びの次には悲しみだ。そのようにして、ようやくのことで遂に神が啓示されるまで、しばらくの間、奮闘努力がつづくのである。“

 

 (「永遠の伴侶 スワミ・ブラマーナンダの生涯と教え」(日本ヴェーダーンタ協会)より)

 

*スワミ・ブラマーナンダ師は、聖者ラーマクリシュナの高弟で、ラーマクリシュナ・ミッションの初代僧院長になられた方です。1980年代には、まだスワミ・ブラマーナンダ師やスワミ・サーラダーナンダ師などのシュリ・ラーマクリシュナの高弟の方々の直弟子であられた方々がご存命で、私は幸運にもその内の何人かの方とお会いすることができ、祝福していただきました。素晴らしい体験でした。

 

・パラマハンサ・ヨガナンダ

 

 “瞑想をするのに、瞑想の成果にこだわってはなりません。むしろ、神を喜ばすために瞑想をしなさい。もしよい結果を求めてすれば、その結果がやってこないとき、落胆することになります。

 バガヴァッド・ギータの中で、クリシュナは、成果を期待しない行為を勧めています。瞑想もまた、そのような気持で取り組まれるべきです。

 成果への執着のない瞑想に励みなさい。“

 

  (スワミ・クリヤナンダ「パラマハンサ・ヨガナンダとの対話」(三雅)より)

 

*明日22日は冬至の日で、24日はクリスマスイブです。「あるヨギの自叙伝」で知られるパラマハンサ・ヨガナンダ師は、クリスマスの時季の一日すべてを瞑想と、キリストとの霊交に捧げてイエス・キリストの生誕を祝う習慣を確立するよう求められました。それでヨガナンダ師が設立されたSRF(自己実現同志会)では毎年、クリスマス終日瞑想会を実施し、クリスマスを霊的にお祝いしています。今年は12月17日で既に終わっていますが、毎週水曜日には日本語によるオンライン瞑想会も開かれており、ZOOMで参加できます。「初心者向けの瞑想(日本語字幕付)」の動画もあります。

 

 

 “私の願いは、あなたがたがそれぞれ内なるキリスト意識を経験し、その聖なる意識でほかの人たちすべてのクリスマスを祝福してくださることです。そのとき、われわれはもう死によって互いに引き離されることはなくなり、生死を超えてだれとでも一緒に、いつも天の父とこの日を祝うことになるでしょう。SRFは、『真のキリストに対する信仰』という決して消えることのない火をともしました。それはこの地上を新たな光で照らすとともに、セルフ・リアリゼーション(真の自己を自覚する)という聖なる炎で戦争や悲劇を焼き尽くすのに役立つでしょう。――パラマハンサ・ヨガナンダ”

 

 “われわれ人間の意識が聖なる意識に目覚めるためには、キリストについての限定的で型にはまった考え方から脱却しなければなりません。私にとって、クリスマスといえば、霊的な崇高さが思い浮かびます。つまり、キリストとはすべての創造物に内在する知的意識であり、われわれの心はキリストの祭壇であると悟ることなのです。

 この季節には、エーテルの中にいる天使たちもクリスマスを祝います。クリスマス初日には、聖なる無限の光が地上に輝き、この神聖な時期には毎年、エーテルがその光で満たされます。瞑想の中でキリストを礼拝することこそが真のクリスマスの祭典なのです。

 自己の内に存在する全能の神の恩寵を知覚するためには、深く瞑想するしかありません。体の動きを止め、感覚器官から脳へとエネルギーを引き上げ、心臓を落ち着かせなさい。キリストはあなたのハートに来られます。あなたはそこに無限のキリストの聖なる喜びを感じるでしょう。

 キリストは瞑想の喜びです。静寂の最も深まった時間にあなたが感じるものは、キリストの知覚です。私は、あなたがこのキリスト意識を毎日、毎時間、自分の心に招き入れるよう望みます。

 キリストがあなた自身の意識の中に復活されますように!これが、今日あなたに贈る、私の謙虚な祈りです。そして、皆さんにこの特別な祝福を贈ります。クリスマス・シーズンに深く瞑想するなら、あなたはキリストのご存在を感じるでしょう。

 

(SRFのHP 『パラマハンサ・ヨガナンダ――クリスマス・シーズンにキリスト意識を感じるために瞑想する』より)

 

・ルドルフ・シュタイナー

 

 “人間の生は全体として、一年中均等に経過するのではない。人間は一年を通じて変化する。

 太陽が最高度に熱を展開する夏には、冬よりも、人間は自分の物質生活、周囲の物質のいとなみに自己を委ねる。外界の自然現象と戦わねばならない冬には、人間はもっと自分自身に依拠する。春には精神を自分および地球から引き離し、精神界、霊的な周囲全体と結び付ける。

 クリスマスが祝われる冬の日々、人間も地球全体も神霊に帰依する。冬、神霊が人間に近くに立つのを、私たちは体験する。

 その結果、クリスマスのころから新年まで、人間のアストラル体は生命精神との出会いを体験する

 クリスマスのころ、生命精神と出会うゆえに、キリスト・イエスが近くにやってくる。キリスト・イエスは、生命精神をとおして自らを開示するからである。キリスト・イエスは、大天使の領域の存在をとおして自らを開示する。

 生命精神との出会いを、ある意味で「心魂の深みにおけるキリスト・イエスとの出会い」と呼ぶこともできる。宗教的に深まり、宗教的な修行によって精神意識を発展させるか、宗教的な修行と感受を、精神科学の表象を受け入れることによって補うと、感受生活を深め、精神化できる。そうすると、起きているときに守護神との出会いの作用を体験できるように、生命精神・キリストとの出会いの作用を体験できる。

 事実、クリスマスから復活祭のころまでは、人間がキリスト・イエスとの出会いを意識するのに特別よい状況にある。“

 

(ルドルフ・シュタイナー「シュタイナー キリスト論集」(アルテ)より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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