瞑想の姿勢 〔ラーマクリシュナ〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “ある日師は、一人の若い弟子に有形、無形の神を瞑想するのに適した座法と姿勢を示された。

 

 師は蓮華座で座して、左の手の平に右手の甲を置いて、両手を胸の高さにまで上げられた。それから目を閉じておっしゃった。「これが、有形の神を瞑想するのに最高の姿勢だ」それから同じ座法で座って、左右の膝の上に手の平を上に向けて載せて、親指と人差し指で輪を作り、他の指はまっすぐに伸ばされた。そして目を眉間に据えるとおっしゃった。「これは無形の神の瞑想に適した方法だ」師はこうおっしゃって、サマーディにお入りになった。

 

 間もなく、無理矢理心を通常意識に戻すとお続けになった。「これ以上は見せられない。この姿勢で座ると、心が刺激されてサマーディに入ってしまうのだよ。そうなると、身体の気の流れが上向きになって、喉の腫れ物に障るのだ。それで医者がサマーディに入らないように忠告するのだよ」若い弟子は謙(へりくだ)ってお尋ねした。「師よ、どうしてこうした瞑想法をお教え下さったのですか?私が頼んだ訳ではありませんのに」師がお応えになった。「それはそうだ。だが、霊的な教えをしないままに黙っているなんて私にはできないことなのだよ」若い弟子は師の無限の慈悲に感動し、またその自然なサマーディへの傾向に驚いたのだった。”

 

(スワミ・サーラダーナンダ『ラーマクリシュナの生涯 下巻』(日本ヴェーダーンタ協会)より)

 

*上の写真のシュリ・ラーマクリシュナは蓮華座でもなければムドラーを組んでもいませんが、サマーディーの境地を写したものです。私が最初にこの写真を見たときは、正直あまりの威厳のなさにがっかりしたのですが、今はこれこそが真の聖者の姿であることが理解できました。

 

 “師はまた右手の四本の指をぴったりとくっつけてジャパをするよう、私に教えてくださいました。

 「指の間に少しでも透き間があると、ジャパの効果が失われてしまう」

とおっしゃいました。また別の折には、

 「このカリユガの時代にはゴパーラ・マントラ(ゴパーラは赤子クリシュナの呼び名)かカーリー・マントラがすみやかな結果をもたらしてくれる」

とおっしゃいました。”

 

(「ラーマクリシュナの回想録Ⅰ ―出家と在家信者による―」(日本ヴェーダーンタ協会)より)

 

*ジャパとは称名のことで、神の御名やマントラを繰り返し称える行です。「南無阿弥陀仏」の念仏もまたジャパです。

 

*なぜ指の間に透き間があるとジャパの効果が失われるのかわかりませんが、若い頃、仙道連の集まりに行っていたときに、「気が散じてしまわないよう、両手は『握固(あくこ)』しておくべし」と教えられたのを思い出しました。「握固」とは親指を内側に入れて手を握ることなのですが、指の間に透き間があるとせっかくの気(プラーナ)が逃げてしまうからかも知れません。

 

愛する人の中に神を見る   

 “彼(ラーマクリシュナ)はすべての人に、自己を解放し、内部の泉を飲み、各人の中にあり、また神であるところの普遍存在の歓喜に、……自己の本性に叛くことなしに、それを不具にしたり、あるいは「曲げ」たり、またとりわけ自分を頼りにする人を誰も少しでも傷つけることなしに……、参加する手段を与えるのである。正当な愛情を禁止しないばかりか、彼らを悟りに導くために、彼はそれを用いるのである。それは清浄な単純な人々を神の許に連れて行く美しい影を映した平和な運河である。そうしたじつにうるわしい一例を次にあげよう。
 彼の門弟の一人(ブラフマー・サマージのマニラール・マリック)の娘が、悲しんで彼に訴えて、自分はお祈りをするときに、気が散って精神を集中することができないと言った。ラーマクリシュナは尋ねた。
 「あなたが世の中で、いちばん好きなものは何ですか?」
 それは兄の幼児だと彼女は答えた。すると師は優しく彼女に言った。
 「それじゃあ、あなたの考えを彼に集中しなさい!」
 そこで彼女はそうした。そして、幼児を通して、幼児のクリシュナを見た……
 この愛情の花、それはどんなに私には尊いものだろう!なんという深い意味だろう!われわれのめいめいは、たとえ心は闇に充ちていても、いかに微かでも真の愛の発露の中には、神聖な火花をもっている。誰もこの小さい燈明をまったく持たない者はない。それは彼の道を照らすには十分である。すべての道は良い……悪い道さえも……すべての個人の運命も、もしめいめいがわが道を、誠実に真摯に歩むならば。その他のことは神の御心である。信頼せよ、そして歩め!”

 〈同種類の逸話〉
 “ある善良な祖母さんが年寄ってから世を棄てて、ブリンダーバンで宗教三昧に入りたいと望んだ。ラーマクリシュナはそれを断念させて、彼女は孫娘をあまりにも可愛がっているので、彼女の瞑想はそのために乱されるだろうと言った。そして付け加えた。
 「もしあなたが孫娘に対する優しい愛情を、彼女がシュリー・ラディカ(クリシュナの愛人)だと思って育てていけば、ブリンダーバンの生活から期待しているすべてのものはあたえられるでしょう。思うがままに彼女を愛撫し、美味しいものをやり、美しい着物を着せ、自分が満足するまで寵愛しなさい!ただしかし、そうしたすべての行いの中にも、あなたがブリンダーバンの女神を崇めていることを憶えていてください。」(「ラーマクリシュナの教え」第一巻70節)
 このように、自分の生活を生き、自分の愛する人々を、単純に平和に愛すればよいのである!彼らの愛のヴェールの蔭から神を見、神に感謝すればよいのである。

    (「ロマン・ロラン全集 15 生けるインドの神秘と行動」みすず書房より)

 

(ラーマクリシュナが崇拝した、ドッキネッショルのカーリー女神像)

 

 

 

 

 

 

 

 


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