・神と人間
“人は神の子神の宮である。だが人間即神の子神の宮ということは、ちょっと考えなくてはならない。人間は人であることは間違いないのだが、神様が仰る人ということは内分の世界を見て、その本質的のものから言われるのであって、一般的にはまだ人間の部類に属する状態である。
原則的に言われた時と、内容的状態に対して言われた時とがあって、今地上に生きる一切の人間は神の子神の宮であるといって、いちがいに原則を当てはめることもできぬ場合がある。人を裁くなということがあるが、もちろん神の子神の宮を裁く権限はない。だからといって、それでは悪いことをした者でも法律は裁くことの権限はないというようなことは言えない。人間が向上進歩して神の子神の宮の状態にまでなれば、裁くというようなことで法律と矛盾することも無くなるであろうが、それまでの人間の状態に於いては、秩序を維持する上に裁くということも必要である。しかし、いくら悪人だといっても生命を奪う権限は与えられていないのだから、死刑ということは廃止されなくてはならない。”
(「神の国」昭和25年9月号 大国以都雄編『瑞言滴々』より)
・「善悪不二」についての誤解
“信者の中には善悪不二だとか、正邪一如とか云ふ聖言を楯に取って、自分の勝手のよいように解釈して居る人もあるやうだが、是は神が善悪不二と云はるるのは中有界に迷へる人間に対して云はれるのであり、且つ神は善悪に拘はらず慈愛の心をもって臨ませられるる見地から仰せらるる言葉である。決して人間の云為すべき言葉ではない。”
(「霊界物語 第五十二巻 真善美愛 卯の巻」『飴屋』より)
・19世紀インドの聖者、ラーマ・クリシュナの言葉
“「私が彼(神)である・・・」と自負することは健全な態度ではない。肉体的自我の意識を乗り越える前にそうした理想をいだくものには、大きな害が生じ、その進歩は遅れ、少しずつ、彼は下に引き下ろされる。彼は他の人々をだまし、また自分自身をだます。自分がどんなに悲惨な状態にあるかを全く知らないうちに……”
(「ロマン・ロラン全集 15 生けるインドの神秘と行動」みすず書房より)