未来のエルサレム (万教同根の根拠地) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

 “……霊界物語には、この万教同根の思想が一貫して説かれており、全巻の骨格はすべてこの精神でつらぬかれている。それによると、『国祖引退後、救いの神の命を受けた宣伝師たちは、数十万年にわたって地球上のあらゆる地域におもむき、千辛万苦の末、救いの神の教えを宣布すると共に各地に住して各宗の祖となった。そして国祖再現までその教えを拡め時節を待っていた』と、すべての宗教の起源と目標を明確に位置づけられ全く独自の世界観が展開されている。このように万教同根とは、神の救済史観であり、神の経綸そのものである。

 この世界観にたって王仁師は、大正十四年から北京に世界宗教連合会を発足され、現実的にこの壮大な神の経綸に着手されている。この経綸が最終的にどのような実を結ぶのかまだわからないが、王仁師自身は弟子の大国美都雄氏にこんな予言ともいえる言葉をのこされている。

 

 「万教同根の根拠地として、将来政治的に考えなくてはならないのはエルサレムである。ここを世界の指導者が全人類の聖地と決めて、その聖域は、ローマにカトリックの本山である法王庁があってイタリーは干渉できないようになっているが、ああいうように一つの緩衝地帯をおいて誰が行っても祈りができるようにならないと宗教間の争いはとけない。その地域は広大なもので各国宗教の教会と宿舎を造れるようにする。大本もその中に日本庭園と教会をつくる。」”

 

        (「人類愛善新聞」昭和51年12月号 『霊界物語をさぐる』より)

 

 

・「霊界物語」第64巻上より、エルサレム、オリーブ山上でのアラブ三人衆の会話

 

テク『一体此シオン大学とか云ふのは何をするのだらうな。又してもユダヤ人が頭をもちやげて、おれ達を圧迫する機関だあるまいか。それだとすれば、世界人類の為におれ達は節義を重んじ、仮令半日でも人足に使はれる訳には行かぬだないか、鷹は飢ても穂をつまぬといふからなア』

ツーロ『世界の所在哲学者を集めて神政成就の基礎を固めるのだ。此シオンの国は太陽の天に冲した真下に当る霊国だから、云はば時計の竜頭のやうなものだ。茲に於て世界を支配するのは最も天地の経綸上適当の場所だから、さう心配するには及ばないよ、おれ達だつて、やつぱり其恩恵に浴する時が来るのだから、辛抱せい、回々教だとか基督教だとか猶太教だとか、自分の心の中に障壁を設けてひがむから妙な不平が起るのだ。誠の神様は唯一柱よりないのだ。人間を相手にする必要はない。何事も皆神様の御経綸だからなア』

テク『それでも余りユダヤ人がイバリちらすだないか。それが俺は気にくはないのだ。チツタ不平も起らうかい』

ツーロ『ユダヤ人にも種々あつて、ポンポンぬかす奴ア、カスピンのコンマ以下の代物だよ。丁度おれ達と同じ様な境遇にゐる劣等人種が威張るのだ。あんな者を数に入れて不平をもらすやうな馬鹿があるかい。キリスト再臨の近付いた今日、そんな偏狭な心はスツカリ放擲して天空海濶日月と心を斉しうする襟度にならぬか。アラブの為にいい面汚しだぞ。所は世界の中心地、エルサレムの橄欖山上に身をおき乍ら不平を云ふ奴がどこにあるかい。のうトンク』

トンク『ウン、そらさうだ。人は何事も思ひ様が肝腎だ。おれ達のやうな労働者は労働者らしくして居つたらいいのだ、紳士の真似をせうたつて、到底出来ないからな、あの紳士だつて、元は俺達と同様労働者だつたのだ、精神的労働をやるか、肉体的労働をやるか丈の違ひだ。仮令アラブでも紳士紳商となればユダヤ人を頤で使ふことが出来るからなア』

 

       (「霊界物語 第六十四巻上 山河草木 卯の巻」 『公憤私憤』より)