宣伝使 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・宣伝使

 

大下「宣伝使の霊は、祖霊舎があるからそれでよいのじゃないのですか」

聖師「神諭に『万古末代、神にまつりてやるぞよ』とある。月照山は救世的神霊の集合するところだ。だから現在肉体をもって働いている宣伝使も、ここに参拝して幽と顕との交渉を保たないようでは、裏の活動はできない」

  「そうですか、しかし祭るに価するほどの宣伝使がいるか私には疑問だ」

 森老人は、

   「大下君(大国美都雄)は、何にもせぬ宣伝使なんてしようがないから、宣伝使なんて廃止したらよいというております」

  「ハハハハハ、そうもなるまい」

 この時とばかり大下は例の持論を持ち出した。

 大下の持論というのは、古代とちがって、現代は文字が発達し、印刷物が普遍化した時代だから、神の教えはすべて印刷されて配布される。なまじっか宣伝使というものが神の道だといって偉そうに説くと、自己流を宣伝して真実を曲げる。だから印刷したものを見せたら、それがそのまま読む人に素直に伝わるのだから、その方法が文明時代のやり方で、印刷物が媒介天人で宣伝使だというのであった。

 大下の議論は、宗教改革当時のヨーロッパの歴史や日本の宗教史などによってみても、僧侶、宗教者が人類を非常に誤らしめている。神仏の教えは正しく伝えられないで、神仏は僧侶、宗教者の私有になっている。そして、それらが人類社会の進歩発展を神仏の名によって阻止し、神仏の名によって人類の自由を奪っていた。極端にいえば、文明の敵は彼らだったというのであった。

 大下は、

 「宗教宣布者に、神の名によって特権を持たせるというのは、再び中世にもどすことになりはしませんか。それを私は恐れる」

と。

 大下の気炎がしだいに激烈になってきたので、工事の手をやすめた青年たちが周囲に集まって苦笑して聞いている。

 出口師は悠然とタバコをふかし、大下の議論を空吹く風と、聞くでもなしに聞いている。

 「大体、宗教がどれもこれも、宣教者と信徒とを区別している。それがシャクにさわる。宗教が信者と未信者を区別したり、宗教者と信者を区別したりするから、特権意識を持つものと奴隷化されるもの、救われたもの、救われないものの対立感情ができる。新しい宗教は、そういう差別観を撤廃して、すべての人類を神に直結すべしだ。中間的存在、特権意識の温床となるものは一切なくする必要がある。自由と平等の原則は宗教にもなくてはならない。今日の大本は時代に逆行している。すなわち……」

 出口師は「ハハハハ」と大きく笑って、

 「お前の言うようなことが行われる時代なら、人類はみな救われているよ。中間の存在が必要な時代は、まだ神と直結していないのだからなあ。黄金時代にでもなれば別だが、しかしなあ永遠に必要だろう。一応の議論としては考えられるが、それは結局宣教者が悪いので、正しい宗教者なら、そういう問題は起きないはずだ」

 「しかし……過去の歴史を見ても、そう正しい者はおりませんよ」

 「いや、そう断言はできぬ。表面ばかり見ず、かげにつつましく誠の魂の光っているのがある。わしはそういうものを作るのだ。教育する」

 「私には考えられません。今後できるという見通しもない」

 「必ずつくる。それがまたわしの使命でもある。霊界物語で……」

 「気の長い話しですなあ。いったい今の宣伝使で物語に熱意を持っているものがおりますか?疑問だ。出口師の前に出たときは、いかにも拝読しているように見せかけ神書だ、スバラシイ魂の糧だというが、自分のうちでは書棚の飾りにして、読んでもわからんと投げ出している。物語の価値をどれだけ認めているだろうか。すでにその真価を認めず、疑惑視している以上、心が拒否しているから内的な流れはないはずだ。御利益だ、おかげだと、そんなものに心が傾いている連中に、生命的の内在に真の糧が浸透するはずはない。それだから物語で教育することは困難です」

 「そう極端にさばいてはならない。十年後に、また五十年後真価が認められて教化されるかも知れん。わしは後世に知己を得ることを確信している」

 「そんなのん気なことで立替立て直し、人心の改造ができますか」

 「神がなされる。まあまあそう理屈を言うものではない。神の経綸は人間にはわからぬ。かんながらの摂理にまかせればよい」

 「そこです。かんながらといってよい逃避の言葉があるから、信者はみな責任回避や利己主義の反省を行わず、かんながらにもっていって恥としていない。無責任な中毒者だ」

 「ハハハハハ。『かんながら中毒医薬では治らない』か。信仰中毒もなかにはあるわい」

 

      (「人類愛善新聞」昭和30年1月~9月 大国美都雄『法城の月影』より