リンカーンとスピリチュアリズム | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “アメリカの大統領リンカーンといえば、われわれはただちに、「人民の、人民による、人民のための政府を地上から消滅させてはならない」という名言を思い出し、また「奴隷解放宣言」のことや、悲劇的な最期のことなどを想起する。ところで、この宣言の公布は、一少女霊媒の託宣によって促進させられたのだ、という話がある。そして私は、それは実際にあったことであろう、と考えている。

 どうして私がこんな秘史めいた話に関心をもつようになったかというと、英国の人道的社会主義者ロバアト・オウエンが最晩年に、唯物論的思考から、当時勃興した新スピリチュアリズム(新霊交思想)に急展開をして深く傾倒した事実を詮索したのがきっかけであった。

 オウエンが北米インディアナ州で共産村を経営したとき、まだ若い、長男のロバアト・デール・オウエンも、いっしょに来て手伝いしていたが、この人は、失敗した父が帰英した後もふみとどまって、帰化した。このR・D・オウエンもなかなか有能な人物で、下院議員(一八四三~四七年)になり、その後外交使節としてイタリアに駐在したりした。そしてまた、南北対立の中で大きな問題となる奴隷制について、強固な廃止論者となった。八歳年下のリンカーンが初めて下院議員になったのは一八四七年であるから、すれちがったわけだが、すでに二人は互いに存在を知っていただろうと想像できる。

 ところで新霊交思想の勃興はこの頃からであった。そしてR・D・オウエンは父に優るとも劣らぬ新スピリチュアリストであった。一帯にその頃には、相当な知識階級の人々の中に、迷信じみたことにかかずらうものだ、といういわゆる科学的常識からの非難をあびながら、この新興思想に傾倒したものがかなりにいた。

 こんな事実を知った私は、他界の存在が実験的に証明できるという信念に基づいて、『人間の尊厳は本来平等』という思想を提唱する新スピリチュアリズムは、かなりに奴隷制度廃止論者を内面的に鼓舞したのではないか、とさえ想像してみたことがある。

 こんなふうに見てくると、リンカーンだって、もちろん大手をふってではなかったであろうが、霊媒に近づき、もしくは近づけたとしても不思議ではない。――そしてリンカーンの場合には、夫妻共々であった。たとえばあるとき閣議を終えて出てくると、夫人が外出しようとしているので、どこへ行くのかね、と問うと、「ジョージタウンへ。交霊会ですの」という返事に、「ちょっと待ってくれ、僕も行く」という調子だった。

 ところで、「奴隷解放宣言」を遅らせるべきではない、という託宣を、入神状態(心理学者の用語では、恍惚状態)になって述べた霊媒は、ネッティ・コルバーンという少女であった。この人は後にメイナード氏と結婚した。そして、ネッティ・コルバーン・メイナード著「エイブラハム・リンカーンはスピリチュアリストなりしや?」という小著を残した。リンカーンが死んでから二十余年たったころ、彼女が再起不能の病床で語ったことの筆録が主体となっている。その日付は一八九一年九月、出版されたのは一九一七年である(一九五六年再版)。序文の署名者がR・C・H・と頭字だけであるのが残念だが、往年のことを知る人々や彼女の旧知などに会って、口述内容の信憑性を確かめた、と言っている。

 少女ネッティは二、三人の人々といっしょに、リンカーン夫人に招かれてホワイトハウスへ行ったのだが、リンカーンに会ったのは二度目のときであった。彼女が言っている、「私は心のおののきを感じながら、一八六二年十二月のその夜の九時に、友人たちといっしょにホワイトハウスのレッド・パーラー(赤の間)に入りました」(「奴隷解放宣言」は、一八六三年一月)

 背の高い親切そうな人がおだやかな笑みを浮かべて入ってきた。リンカーンだった。彼はこの少女の頭に手を載せて言った、「ネッティさんだね、あなたのことはいろいろ聞いていますよ」。そして彼女に椅子をすすめた。

 この席でネッティは入神して何かをしゃべった。こういう場合の発現は『コントロール』(支配霊、と訳されている)の言であって、本人の意識から出たものではないという。このときの『霊言』は力強い男性の語調であった、と彼女はあとで聞かされた。彼女がわれにかえってみると、自分は「リンカーン氏の面前に来て立っていた。氏は椅子に背をもたせ、両腕を胸の前で組んで、私をじっと見つめていた」

 この少女はその後もリンカーンにいくつかの予言的な言を与えているが、立会者の言によると、リンカーンは再び大統領候補に指名されそして再選される、とコントロールが言ったとき、彼は淋しく笑い、「義務なら仕方ないが、望ましい栄誉とはいえませんね」と言ったという。”

(田中千代松「霊の世界 ―小品集―」(日本心霊科学協会)より)

 

*「奴隷解放の父」と呼ばれる第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンについては、もはや日本人でも彼を知らない人などいないと思います。実は彼については様々なミステリーがあり、夢で自分が暗殺されることを予知していたという話や、同じように暗殺されたケネディ大統領との数々の不思議な一致など、そういった話を読んだことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。「奴隷解放宣言」についても、背後に霊界からの導き、働きかけがあったというのは興味深い話です。彼自身も何らかの霊能を持っていたのかもしれませんが、実は彼が少年時代を過ごした丸太小屋の隣人サージャント夫妻は当時のイリノイ州のスウェーデンボルグ派の中心人物で、リンカーン家もサージャント家での礼拝式に定期的に出席していたということですし、さらに20代から30代にかけてイリノイ州スプリングフィールドで法律事務所を開いていた頃も、引き続きスウェーデンボルグ派の人々と交流を持っていたことが数々の資料によって明らかになっています(日本スウェーデンボルグ協会編「スウェーデンボルグを読み解く」(春秋社))。ただ残念ながら、数多く出版されているリンカーンの伝記の中で、このことに触れているものはほとんどなく、彼の強烈な正義感、人類愛の源を無視しておいて、果たして「リンカーンの伝記」としてどれほどの価値があるのか疑問です。また有名なゲティスバーグ演説についても、最後の部分の原文は、“……that this nation, under God, shall have a new birth of freedom—and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.”であり、この訳は『この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために……』です。民主主義の前提となる『神の下での自由の新しい誕生』のことがはっきりと述べられているにもかかわらず、この部分を削除した伝記ばかりで、正直言って少々腹立たしくもあります。悪魔的な共産主義などは論外ですが、たとえ民主主義でも、それが無神論的なものであったならば結局は破滅をもたらすものでしかなく、多くの日本人は民主主義のことを誤解しているように思います。もともとは民主主義も資本主義もプロテスタンティズムにその起源があり、本来の理念が忘れ去られてしまったのは悲しいことです。

 

・スウェーデンボルグの予言 「未来の宗教」
 

 “……スウェーデンボルグが語る人類史とは、宗教の体系が変容しながら循環し、螺旋上昇的に進歩するものである。天使的教会といわれた最古代教会から始まった堕落の歴史は実のところ、後の人類がさらに霊的な成長を遂げるためのプロセスだったのであり、人類の未来に約束されている「ニューエルサレム」は、もっとも天使的な天界である「最高の天界」をも凌駕する「全天界(=天界の巨大人)の冠」となるものである、と彼は言う。
 しかも人類のその新しい宗教は、特定の宗教だけで形成されるのではない。それは、天界の冠に輝く「複数の宝石」に象徴されているように、多くの宗教に含まれる最高の真理が結合された形でできあがる、とスウェーデンボルグは説いている。つまり、人類史の最初に神から与えられた「根源的唯一神」と「仁慈」について説く宗教は、そこから発展した諸宗教の多様性を保持したまま、近い将来、さらに高いレベルでふたたび原初の形へと回帰していく。いいかえれば人類の宗教は、あたかも膨張と収縮を繰り返す宇宙のように、その歴史の最初に存在した「人間の姿をした神=霊界のイエス」という一点から始まり、いったん堕落し多様化するがふたたび統合の道をたどり、最後には「神人イエス」という一点に収束するのである。
 その新しい人類の宗教は、何も真新しい教理や難しい論理を必要とするものではない。

 「一人の人間の形をした神」を信じ、「隣人を愛する心」をもち、聖言に含まれる「内的な真理」に従って生活する人間であれば、誰でも新しい天界である「ニューエルサレム」に加わることができる。しかも意外なことに、その「一人の人間の形をした神」の名称はかならずしも「ヤハウェ」や「イエス」でなくてもよい、とスウェーデンボルグは説いている。

 「名」という言葉の霊的意義は「性質」であり、つまりは神イエスと同じく本質的に愛と知恵であり、みずから「犠牲の愛」の尊さを示し、現界と霊界との結合を象徴する「一人の人間の形をした神」の性質をもつ神であれば、「ニューエルサレム」で信仰される対象となりえるのである。
 さらにスウェーデンボルグは、従来のキリスト教に代わって人類を「ニューエルサレム」の信仰に導く「地の新しい教会」の可能性についても語っている。彼によれば、かつてのユダヤ教会の後を継いだキリスト教会がユダヤ教世界から見て異邦人の地に造られたように、キリスト教会後の新しい教会もまたキリスト教会から見て異邦人の地に造られるという。キリスト教会のドグマによって拘束されない、人間の霊性発揮にもとづく自由選択によって本当の神を知ることのできる新しい教会、それはおそらく古代教会の形態をとって存在し、諸宗教の故郷でもあるアジアのどこかに創建されるにちがいない。”

 

       (瀬上正仁「仏教霊界通信 賢治とスウェーデンボルグの夢」春風社)
 

 

 “霊界での自分の見聞や体験を描くさい、きわめて誠実であった彼は、『最後の審判とバビロンの滅亡』の最終ページに、「天使たちと語りあったこと」と前置きして、将来のキリスト教と新時代の宗教とについて以下のように付記している。

 
 「今後の教会の状態について、私は天使たちとさまざまに語りあった。彼らはこう言った。 『将来おこることは主のみに属していることゆえ、私達はそれを知りません。けれども私たちは、教会の人間が以前陥っていた奴隷と捕囚の常態が取り除かれ、今度回復された自由によって、教会の内的な真理を認めようと思えば、これをもっとよく認めることができ、またもっと内的な人間になりたいなら、そうなることもできるということを知っています。
 しかし、私たちは、キリスト教会の人々には依然わずかな希望しかもっていません。かえって、キリスト教世界から遠く離れ、そのために悩ます者たちから引き離されている或る国には多くの希望を抱いています。この国は霊的な光を受け容れ、天的-霊的な人間になされうる国です。現在、内的な神的真理がこの国に啓示されています。そしてこの啓示は、霊的な信仰をもって、つまり生命と心情をもって受け容れられ、その国民は主を礼拝しています。』」(「最後の審判とバビロンの滅亡」七四)

 
 キリスト教会の時代に続く新しい教会の時代に入ってすでに二百数十年が経過した。この天使たちが語ったという国とは、いったいどこなのだろうか。未来のことを知ろうとするのは「悪しき愛」であり、将来起こることは「主にのみ属する」とはいえ、現代の私たちは過去に語られた天使の言葉を検証する資格を有する。しかしそれは、あまりにも抽象的で簡潔な言明でしかないから、この国を特定することは不可能である。
 ただ、原宗教の循環の中で新しい教会は「異邦人」のもとに興るという、スウェーデンボルグの明確な言明がある。彼はこう述べている。

 
 「教会が教会でなくなるとき、すなわち仁愛が死滅して新しい教会が主によって再び創建されつつあるとき、新しい教会は、古い教会に属する者たちのあいだには、たとえ創建されるにしても、まれにしか創建されない。新しい教会は、以前に教会が存在しなかった者たち、すなわち異邦人のあいだに創建されるのである。」(「天界の秘儀」二九八六)


 この引用文に続いて、スウェーデンボルグは、原古代教会の終わりつつあったときの古代教会を始め、ユダヤ教会もキリスト教会も、すべてが「異邦人」のあいだに創建されたと述べている。そして他の個所において、キリスト教会に続く新しい教会は「今や異邦人のもとへ移されつつある」(同書、九二五六〔五〕)と明言している。「キリスト教世界から遠く離れた」「異邦人」の国とはいったいどこなのか。興味をそそる問題ではあるが、これ以上の深入りは慎みたいと思う。” 

   

        (高橋和夫「スウェーデンボルグの宗教世界」人文書院)

 

 

 

 

 

 

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