鉄鋼王カーネギーとスウェーデンボルグ | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “自伝によると、カーネギーの両親は貧乏ではあるが正直者であった。そしてよく読み、よく考えるというのがカーネギー家の家風であった。宗教は長老派であったが、教義的な理由から父親がその教会をやめ、スウェーデンボルグ派の教会に移った。陰鬱なカルヴィニズムにはがまんがならなかったらしい。このあたりの事情を長くなるが自伝から引用してみたい。スコットランド時代の話である。

 

 私の幼少時代、周囲の環境は、神学や政治の問題に関してひどく動揺し、不安な状態にあった。特権階級の打開、市民の平等、共和主義など当時としてはもっとも革新的な思想によって、政界はいつも騒乱をきわめていたが、宗教の問題については異論百出で、感受性の強い少年は、大人が想像しないほど多くそれを受け入れて、幼い胸にきざみこんでいたのであった。カルヴィニズムのきびしい教義は、おそろしい悪魔のように私の上に重くのしかかってきたのを、私はよく憶えている。しかし、先に述べたように外部からの多くの刺激によって、そのような心境からまもなく脱出することができた。ある日、牧師が、幼児も死ぬと地獄の罰から逃れることはできないと説教したのを聞いた父は憤然として席を立ち、長老派教会から籍をぬいてしまったのであるが、私はこれを尊いものとして胸におさめて成長したのであった。これは、私が生まれて間もなく起こったことであった。

 父はこのような教義を許すことができなかった。「もしそれがあなたの宗教で、またあなたの神であるならば、私はもっとよい宗教ともっと崇高な神を求めて他へ行く」といって、教会を離れた。父はふたたび長老派教会に帰らなかったが、他の宗派の教会に行くのはやめなかった。私は、父が毎朝、大きな戸だなにはいって祈っているのを見たが、これは強く私の印象に残っている。父はほんとうに聖人のような人で、終生信仰心の厚い人であった。彼にとってあらゆる宗派は善を行うための機関であると考えていたのである。彼は、神学にはいろいろ学派があるが、宗教は一つであるのを発見したのである。私は、父が牧師より真理をよく知り、天の父を旧約聖書が描いている残酷な復讐の神と見なさなかったのを非常に満足に思っていた。

 

 “自伝では、アメリカ、アレゲニーのスウェーデンボルグ派の宗教コミュニティについても触れられている。

 

 アレゲニーの町で少数の人たちといっても、たぶん全部合わせても百名を越えなかったかもしれないが、スウェーデンボルグ協会を組織し、私のアメリカに住んでいた親戚たちは、その有力なメンバーであった。父は長老派教会を脱退してから、この協会が建てていた教会に出席していたので、もちろん私もよく連れて行かれた。しかし、私の母は、スウェーデンボルグの教えに何の関心も示していなかった。あらゆる形の宗教に尊敬の念をいだき、神学的な論争は避けて、宗教を宗教として認めていた母は超然とした態度をとっていた。彼女の立場は、孔子の次の有名な格言でよく言い表されていると思う。「この人生のつとめによくいそしみ、他人の事に口を出さないのが、最高の知恵である」。母は、息子たちが教会と日曜学校に行くのをすすめた。しかし、スウェーデンボルグの著書や、新旧約聖書の大部分は神のことばをそのまま書き写したもので、人間の行為の最高の権威であるなどと考えていなかったのは明らかであった。しかし、私は、スウェーデンボルグの神秘的な教義にひどくひかれ、熱心な信者であったエートケン伯母に、師のいう「精神の価値」をよく理解しているとほめられたことがある。この私をたいそうかわいがってくれた伯母は、いつか将来私が新しいもとの都エルサレムの輝く光となることをのぞんでいたようであった。それだけではない。彼女はひそかに、私が「神のことばを説く人」となって社会に貢献する日を夢に描いているようであった。

 

 “彼の音楽への関心がスウェーデンボルグと関連していると述べているところも興味深い。少年時代、彼はピッツバーグのスウェーデンボルグ協会の合唱隊の練習に頻繁に出かけていた。「私の最初の音楽教育は、ピッツバーグのスウェーデンボルグ協会のささやかな合唱隊ではじまった」と彼はいう。カーネギーといえば、オルガンや音楽ホールの寄贈でも有名であるが、数々の名演奏が残された音楽の殿堂カーネギー・ホールも、彼のスウェーデンボルグの著作との出会いがなければ存在しなかったかもしれない。”(大賀睦夫)

 

 (日本スウェーデンボルグ協会(JSA)編「スウェーデンボルグを読み解く」春風社より)

 

*大賀睦夫氏は、香川大学の経済学の教授で(本書刊行当時)、ここで紹介させていただいたのは、大賀氏による論文『アンドルー・カーネギー 社会進化論者かスウェーデンボルジャンか』の一部です。上記の内容に続き、カーネギーが著した「富の福音」について、さらにカーネギーの思想とキリスト教倫理、社会進化論との関連についてなどが詳しく述べられています。鉄鋼王として知られるカーネギーは、決して特定の教会に所属することはありませんでしたが、スウェーデンボルグの影響をかなり受けていたことは明らかでした。彼が、その莫大な財産を使って、様々な慈善事業を行ったことは日本でもよく知られていますが、彼のスウェーデンボルグとの関わりについては、ほとんど知られていません。なお彼は、熱心なスウェーデンボルグ信奉者だったヘレン・ケラーの支援者でもありました。

 

*アメリカ大統領で奴隷制度を廃止したエイブラハム・リンカーンもまた、青年時代にスウェーデンボルグ派の人々と交流しており(隣人であり親友でもあったサージャント夫妻はその地域のスウェーデンボルグ派の中心メンバーだった)、ようやく近年になって、奴隷制度廃止の決定に、スウェーデンボルグの思想が果たした役割についても言及されるようになりました(スウェーデンボルグは、「黒人は霊的に優れている」と語っていた)。これまでスウェーデンボルグについては、霊界と交流し、死後の世界を明らかにした、といったことぐらいしか知られていませんが、彼が社会に与えた多大な影響についても、多くの人に知って頂きたいと思います。