善行の力 〔スワミ・シヴァナンダ〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・食生態学者・西丸震哉氏の体験

 

 “西丸氏は大正十二年に東京で生まれ、文豪島崎藤村は祖父の兄にあたり、実兄の島崎敬樹氏は、精神病理学の権威として知られている。

 現在(昭和42年)、農林省食糧研究所の主任研究官をしておられ、そのかたわら、日本熱帯医学協会参与、日本山岳会役員などをかねている。少年時代から人魂を見たり、青年時代に岩手県釜石市にある水産試験場に勤務していた時は、投身自殺した女の幽霊に会い、その後も計四回、その幽霊に出会っているが、週刊平凡にのったその体験を、東京に居る実兄、島崎氏から「一度しっかりした病院で、脳を検査してもらったらどうか」という返事がきた。

 西丸氏は早速東京へ出て診察してもらうことにしたが、その結果は、「現在の医学では、西丸氏の精神はまったく正常である」とでたそうである。”

 

 

 “処で(と西丸氏は話題を変えて)僕は天気を変える能力を最近、身につけたんですよ。(これには物に動ぜぬ筆者もいささか驚いて問い返すと……)

 たとえば、何月何日に雨が降るのを延ばさせて、晴れさせねば、工合のわるい時がありますね。たとえば雪山のなだれの多い所へ僕の代わりにある人が行ってくれる場合など、その間は降らないようにしたい。そう願うと三日三晩快晴がつづいた。天気図には雨と出ている。気象台の友人に前もってたしかめると「その三日間天気の悪いのは確実である。低気圧がヨーロッパから同じ速度で来ているので、動かしようがないのだ」と言うのです。処が僕が願って、朝鮮の東に低気圧が三日間停滞した。そしてもういいよ、という時に動き出した。そこで再び気象台に質問して「何故低気圧が停滞したのか」「その東側の高気圧が停滞した」「なぜその高気圧は停滞したのか」「そういうことは間々あるんで、判らない」というような調子なんです。

 これは、ヒマラヤの麓、ニューデリーから北東約二〇〇キロの、ガンヂス川のほとりに、ヒマラヤの聖者といわれるシバナンダーというヨガの生神様が居ますが、その聖者に、何となくブラブラ行って会ったのです。すると「お前は何しに来た」「イヤ何となく面白そうだから来ました」「マアいいだろう。ここで遊んで行け」そこでブラブラしていると「お前は何ができる」「何とは何ですか」「何かマカ不思議の事ができるか」と言われて思い出したのは、雨をとめた経験です。

 それは富士五湖の中の西湖で友人と遊んでいた時、向こうの山から通り雨がバシャッーとやってきた。誰も雨具を持っていない。目の前までバシャバシャときたので「やめてくれ!」と叫んだんです。すると雨がとまっちゃった。そこで皆でかけ足をして三十分くらいかかって、道端の茶屋に飛びこんだんですが、それを見はからうように雨が来た。この経験を話すと、ヨガの仙人は「フーン。お前はそれができるんだろう。ではここで善意の修行をして雨やみの術をマスターして帰れ」「どうすればいいんですか」

 「ただ善意を磨けばいいんだ。善意を持ちなさい。善行をしなさい。人にサービスしなさい。それに徹するように、ここで修行をして行きなさい」

と言うので、別に何も教えてくれなかったのですが、三日間ブラブラして朝晩好きな歌など歌って娯んだんですが、インド滞在中、一ばんたのしかった思い出でした。何しろ周囲には悪人は一人も居なかったんですから。それで別れ際に「色々お世話になった」と言ったら

 「いつも善意を失わなかったら、好きなことができるから、そんな生き方をしなさい」

と言われて、それからその調子で暮らしているんです。

 それで昨年一月三十日に、四十二才で結婚したんですが、結婚式の前日は、ぐあいのわるいことには低気圧が関西に来て、翌日は一日雨だという予報で、どうしようもない。いくら平服で着てくれと言っておいても、来る人に悪いので、前の晩に、天気の神様かなんかに「何とかしてくれや」と頼んだところ、夜半の十二時ころから風雨がひどくなり、翌朝覚めると、明け方に雨が雪にかわって、五センチばかり積もり、快晴でした。そこで又気象台に電話して「昨日の低気圧はどうした」と言うと「あれは関西を過ぎるころから、速力を倍加して早く通り抜けた」「何故早くなったのか」「そういうことは、ままあるんだ」と言うんです。

 (聞いていて筆者はすっかりたのしくなった。現代にこんなことを信じたり、平気でしゃべる人があるだろうか。聞いていながら、そっとまわりを見廻したくなったが、実業の日本社の二階の乱雑な部屋には、事務員が一人、黙々と校正の筆をとっているのみであった。しかしながら一々合づちを打っている筆者もお義理で、そうやっているのではなく、同じような経験がある。数年前、東京の郊外の学校で教鞭をとっていた時、何かの用で武蔵野の原野の中の道を自転車で走ったことがある。強風がまともに吹いて自転車は前へ進めなくなってしまった。その頃、火伏せ、風止めの神伝などと言うものを、習っていたので、それを思い出して、烈風に向かってエーイッと九字を打つと、風がピタリととまる。少なくともとまったような気がしたので、それっと自転車で走る。又強風が吹いて止まる。又九字を打つ。又、風が一時やんで走る、ということをくりかえして、ようやく学校へ着いて、子供達に「実は先生、今日、こうだったよ」と話すと「嘘だーい。そんなことがあるものか」とやられて、それ以来、誰にも話していない、という経験があるのである。そんなわけで、西丸氏のお話を大へんたのしく拝聴したのであった)

 「そのように雨を止めたりすることは、西丸さんのお力というより、その通信がとどいて大いなる力が動いたと解釈してはどうでしょう」「そうですね。低気圧なんてものは物凄いエネルギーなので、私にそれをとめる力はないのですが、しかしこの頼みは、自分勝手でなければとどくらしいんで、今まで十回ほどやって、皆聞き入れられましたよ」

 

(「心霊研究」1967年2月号 岡田光生『一科学者の心霊体験 西丸震哉氏とのインタビュー』より)

 

*食生態学者の西丸震哉氏(1923~2012)については、1990年に出版された「41歳寿命説」がかなり話題になっておりましたので、ご存じの方は多いと思います。早くから環境問題に取り組まれ、人類の未来に警鐘を鳴らしておられましたが、結局、彼が予言していた41歳寿命説などは外れ、西丸氏を批判していた方々の『科学的根拠はなく、環境汚染や食品添加物の害を過度に煽っている』という批判は正しかったということになります。それでも、現実に地球環境の汚染は深刻となっていますし、高度経済成長、そしてバブルに浮かれていた当時の日本人に、環境問題の重要さについて説いておられたことは、やはり評価されるべきだと思います。

 

*このインタビューには載っていませんが、西丸氏はリシケシで三日間ただブラブラしていたのではなく、ライ病患者の包帯を替えてあげたりなど、何人もの病気の方々の世話をしておられたということです。

 

*西丸氏にこの『常に善意を持って、善行をするよう心掛けていれば、好きなことができる』という教えを説いたスワミ・シヴァナンダ師(1887~1963)は、ヒマラヤの麓のリシケシでシヴァナンダ・アシュラム、そしてディヴァイン・ライフ・ソサエティを主宰しておられた方です。私も若い頃、リシケシのヨガのアシュラム、ヨーガ・ニケタンにしばらく滞在したときに、シヴァナンダ・アシュラムを何度か訪れたことがあります。日本人も何人か会いましたし、おそらく現在日本でヨガの教師となっておられる方々の中には、シヴァナンダ・アシュラムで修行された方が相当数おられるはずです。

 

*肥後の神人、松下松蔵祖神様も、ただひたすら親に孝行を尽くされたことで凄まじい神通力を身につけられました。もともとヨガもパタンジャリの「ヨーガ・スートラ」によれば、八支則の第一は「ヤマ(禁戒)」で第二は「ニヤマ(勧戒)」です。「悪いことをしない」「積極的に良いことをする」というのはすべての宗教の基本です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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