“石川県松任市の松任駅や北陸自動車道のサービスエリアなどで、松任市の名物として「圓八(えんぱち)あんころ餅」という和菓子が売られている。あんころ餅を包む昔ながらの竹皮には、なぜか天狗の羽団扇(はねうちわ)の図案がある。
添えられた一枚の由来書が、あんころ餅と天狗の関係を教えてくれた。
江戸時代の中期、松任には村山家という旧家があったそうだ。不思議な天狗伝説のはじまりは、元文二年(一七三七年)六月、村山家二代目主人圓八、四十二歳の初夏だった。圓八は、思いつきの願かけで、家の裏庭に羅漢拍(翌桧(あすなろ))の苗木を植える。
そして、「我が願いがかなうなら、この苗木も繁れよ」と、祈願した翌日の夕方から、この村山家の当主は行方をすっぱりと断ってしまったのだ。
残された妻は、当然、探しまわる。心当たりのところから、もしやと思われるところまで、八方手を尽くしたが、まったく消息がつかめない。夫が家を出ていった理由にも思いあたるものはなく、妻は困り果ててしまった。
亭主が行方知れずとなって数年後、秋の盛りのころの真夜中に、いまは思い出となってしまった圓八と夢の中で会っていたのか、眠っている妻の枕元に、当の圓八がひょっこりと現われた。寝惚け眼だが、圓八は山伏になってしまったようだ。修験者の装束を着ている。驚く妻に圓八は、
「わたしは今、山城国(現在の京都府)の鞍馬山で、天狗より幽界の教えを受けて修行している。わたしのせいで、おまえには苦しい思いをさせて申し訳ない。そこで、これこれの製法で餅を餡で包み、それを売って生計を立てなさい。このあんころ餅を食った者は息災延命し、商(あきな)う者は商売繁盛となろう」
と語った。
びっくりして眠気は去ったものの、夢かうつつかはっきりしない妻は、愛しい夫の言葉にもすぐ返事ができない。あわあわしている内に、圓八の姿はかき消えてしまった。いま主(あるじ)が立っていたはずの枕元には誰もいない。
当主がいなくなったために、娘と二人との生活にも困窮していたところだったので、妻は亭主の言葉どおりに「あんころ餅」を作り、みずから女主人となって売り出した。天狗秘伝の味はたいそう美味で、その謂われも相まって評判を呼び、あんころ餅は売れに売れた。こうして「圓八あんころ餅」の製法は、一子相伝で二五〇年間も村山家に伝えられてきた。これが松任市に本店を構えている、現在の株式会社圓八だそうだ。
村山家の裏庭には圓八を天狗として祀る天狗堂があり、家と店の守護神としてたいせつに扱われている。圓八手植えの翌桧も天に幹を伸ばし、枝葉を繁らせている。これは圓八の願いが通じた徴(しるし)のようにおもえる。
圓八が何を願ったかは判らないが、いまは立派な天狗に成長したであろう圓八が、時には鞍馬からこの翌桧に飛来して、家の隆盛を喜んでいることだけは、確かなことに違いない。”
(多田克己+村上健司「不思議の旅ガイド【日本幻想紀行】」(人類文化社)より)
*以前、北陸を旅行したとき、私もこの「圓八あんころ餅」を駅の売店で買って食べてみました。実に美味しく、お土産としても非常に喜ばれました(日持ちしないのが残念ですが)。これを食べると「息災延命」「商売繁盛」となるということですが、確かに美味しいものを食べて嬉しく、楽しくなると免疫力も上がり健康になるでしょうし、高まった「陽気」は開運にも繋がります。さらに社長の村山氏は、自宅に隣接する天狗堂に朝夕お参りして御祈念しておられるということですので、もしかしたら鞍馬山の天狗さんの霊力も、あんころ餅の中に込められているのかもしれません。