カンディド神父と映画「エクソシスト」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “晩年、心臓の不調を訴えていたカンディド神父は、司教からも、修道院長からも、エクソシズムをきつく止められていたという。その姿は、まさにマックス・フォン・シドーが演じた映画『エクソシスト』の老神父を連想させた。すると、今度はカルミネ神父が、目を輝かせた。

 「そういえば、神父は、あの映画の制作者側から、ヴァティカンを通じて、完成前に試写を観て感想を聞かせてほしいと頼まれたそうです」

 私は、内心、小躍りした。オカルト・ブームの走りと言われたアメリカ映画とローマのエクソシストの間にも、意外な接点があったのだ。

 エクソシストとはいったい何者なのか?そう聞かれた、我々日本人の多くが連想するのは、おそらく、七三年に公開されたウィリアム・フリードキン監督のこの映画くらいなものだろう。私のエクソシストというものへのイメージの大部分を占めているのも、やはり、この映画だといってよかった。

 物語は、不吉な予兆に満ちていた。考古学者でもある老神父が、中東の砂漠にある発掘現場で、小さな異教の悪霊の浮き彫りを掘り当てる。すると、時を同じくして、アメリカのある町で、一人の少女が屋根裏の奇妙な物音に悩まされ始める。やがて、少女は夢遊病のような病状を呈し、夢うつつの中で妙なことを口走ったりするようになる。そこで精神科医や心理学者が治療に乗り出すが、脳腫瘍も見つからず、身体には異常なしという結果がでる。原因は一向に解明されぬまま、事態は悪化の一途をたどる。ついに、少女の寝室のベッドや家具ががたがた音をたてるといった現象が起こり、人相まですっかり変わってしまったところで、いよいよエクソシストが呼ばれる。一種のショック療法として試してみてはどうかという心理学者からの意外な提案に、熱心なクリスチャンというわけでもない母親は呆然とするが、彼女はすでに藁をも摑む心境にある。

 一方、初めてエクソシズムを行なうことになった若い神父も、半信半疑である。ところが、少女の言葉をテープに録音したり、腹部に浮かび上がった火膨れの中に、HELPという文字を見いだすことで、だんだんと悪魔の憑依を信じるようになっていく。そして自分の経験不足を実感したこの神父が教会に申し入れることによって、経験豊かなもう一人のエクソシストが招かれる。それが、浮彫りを掘り当てた冒頭の老神父である。

 ある霧の深い晩、運命を悟ったかのような老エクソシストが、この家に到着する。首から紫色のストーラという典礼用の飾り布をかけ、聖水入れと、黒い革表紙の祈祷書を手に儀式にのぞむ。このあたりから、映画はいよいよクライマックスに突入し、ホラー映画の本領を発揮する。少女は物凄い形相で、緑の液体を吐いてベッドの上でのたうちまわる。すると神父たちが聖水を少女に振りかけながら、力を込めて繰り返す。

 「キリストの力が汝を滅ぼさん!キリストの力が汝を滅ぼさん!」

 だが、悪魔も負けてはいない。少女の身体がゆっくりと宙に浮いたかと思うと、果ては首を一回転させ、神父たちを威嚇する。儀式の途中で、心臓の弱っていた老神父が殉職する。最後には、思い余った若い神父が自己犠牲の精神を発揮し、少女に憑いた悪魔を自らに乗り移らせて、そのまま窓から身を投げる。悲劇的なエンディングだった。

 この映画には、凝り性のフリードキン監督が、豚の激しい叫び声や興奮した蜜蜂の羽音を使ったり、四十八分の一秒に一コマだけ、青黒い顔の悪魔的容貌を組み込むといったサブリミナル効果を取り入れたという。そのせいかどうかは知らないが、公開後、アメリカでは、劇場で失神する人や自分に悪魔が憑いていると訴える若者が続出した。九〇年代に入ってからも、自宅に少年たちを誘い込んでは、十五人の命を奪ったミルウォーキーの殺人鬼ジェフリー・ダーマーなど凶悪な連続殺人者たちが愛好していたということがマスコミに強調され、すっかり札付きのカルト映画になってしまった。

 現実のエクソシストを理解するにあたって、映画の鮮烈なイメージに引きずられないためにも、まず最初に虚構と現実の境をはっきりさせておく必要がある。そう感じていただけに、カンディド神父が公開前に試写を観たという事実は興味深かった。

 

 「それで、神父は何とおっしゃったのですか?」

 「ごらんになって、少女の首が三六〇度回転するといった誇張を除けば、かなり評価なさったそうです」

 「ああいうことは、実際にはやっぱりありえないわけですね」

 「悪魔は人の目を欺くといいます。当事者に、どういう現象が見えるかは、また別問題ですが、しかし、あれでは奇跡のレベルです。悪魔は神の創造物ですから、人間に幻影を見せることはできても、奇跡というものは起こせない。最後に、若い神父が自分に悪魔を乗り移らせて自殺しますが、神学的には、悪魔は司祭を外から妨害することはできても、憑依することはできないとされています。神の力をお取次ぎするからこそ、悪魔祓いも可能なのですから……。けれども、それも映画的誇張ということで許される範囲だとおっしゃって、全体的には気に入ってらしたようです」

 ハリウッド側は、カトリック大国の対応に慎重になっていたのだろう。過去には、十字架に架けられたキリストが悪魔の誘惑に屈しかける『最後の誘惑』(八八年)や、いまだに霧の中にあるヴァティカン絡みの金融汚職事件を扱った『ヴァティカンの嵐』(八九年)などが、イタリアで上映されることなく終わっていた。

 「それから映画の中で、神父たちが少女に聖水をかけたり、首から紫の布をかけていたりしますが、あのエクソシズムの儀式は、ある程度、事実に則しているんですか?」

 「ええ、とても簡略化されていますけどね」

 「神父たちの、キリストの力が汝を滅ぼすという科白(セリフ)もですか?」

 カトリック信者でない私には、キリストへの祈りが、なぜそれほどの力を発揮するのかがピンとこなかった。神父は、無知な相手に閉口するでもない。

 「それは、たとえば、マルコの福音書、十六章十七節の中で、イエス・キリストが〈われを信ずる者は、わが名において悪鬼を祓う〉とおっしゃっているからです。

 

 カルミネ神父は、自分のもとに通ってくる人たちのことは、最後まで一切語ろうとはしなかった。それでも、映画『エクソシスト』の一件は、私を充分に興奮させた。そのインタヴューの後、私は、もう一度、映画を見直してみたいという衝動に駆られた。カンディド神父は、あのグロテスクな映画のどこがそれほど気に入ったのか、どうしても知りたくなった。数日後、たまたまビデオを持っていたローマの友人のうちで、その機会を得た。

 タイトルバックに、さっそく面白いものを見つけた。REVERENDO-レヴェレンド-という敬称を持つ人物が三人もいる。一人は特別出演までしていた。これはカトリックとプロテスタントの聖職者だけに使われる敬称だ。つまり、映画作りに際して、アメリカの聖職者たちが関与していたのだ。もっと調べてみると、原作は、一九四九年の冬、メリーランド州マウントレーニャに住んでいた十三歳のロビー・マンハイムという少年の身に起きた実話を基にしていた。最初は、少年の寝室の壁から何かをひっかくような音が聞こえ始め、やがて映画のようにベッドが激しく揺れ動いた。司教の依頼によって駆けつけたのは、イエズス会の二人の神父だった。但し、映画とは違って、現実には死者は一人も出ておらず、六週間のエクソシズムによって少年は正気を取り戻し、奇妙な現象は跡形も無く消えたという。この事件には、後日談も残っており、四十年近くたったある日、セントルイスのある病院の独房から、当時のエクソシズムの助手を務めていた神父の手記が発見され、原作者のウィリアム・バットレーは、これに刺激され、今度は自らがメガフォンをとって『エクソシズム3』を製作している。”

 

(島村菜津「エクソシストとの対話」(小学館)より)

 

*昨日7月13日は、『オカルト記念日』でした。1973年の映画「エクソシスト」がこの日に公開されたことに由来するのだそうです。そして本日7月14日は、映画「ヴァチカンのエクソシスト」の公開日です。これは実在のエクソシストであったガブリエル・アモルス神父をモデルにした映画で、アモルス神父のエクソシズム(祓魔式)の師匠だったのが、文中のカンディド・アマンティーニ神父(1914~1992)です。この島村菜津氏の著書「エクソシストとの対話」は、なかなか興味深い内容で、カトリックのエクソシズム(祓魔式)だけでなく、スピリチュアルやカルト宗教の危険性について知るためにも、読んでおかれるのが良いと思う本の一つです。「マンマ・エッペ事件」と同様のことは現在でも起こっているはずですし、最初は癒しや占いに興味をもって軽い気持でオカルトに関わった若者達が、知らず知らずのうちに深みにはまり抜け出せなくなり、さらに自分が哀れな犠牲者となってしまっていることに当の本人は気づけないというのは恐ろしいことだと思います。

 

〔カンディド・アマンティーニ神父〕

 

*私は若い頃、カンディド神父が院長であられたローマ市内のスカラ・サンタ(聖なる階段)教会を訪れたことがあります。すでに神父様はお亡くなりになっておられましたが、小聖堂での早朝のミサに参加することができました。御聖体は拝領しませんでしたが、キリストが悪魔に対し数々の勝利を収められた実際の空間に身を置くことが出来たのは、素晴らしい恵みだったと思います。

 

*この動画は、20数年前に「世界まる見えテレビ特捜部」の中で放映されたもので、フリードキン監督の映画「エクソシスト」のもとになった実話を紹介したものです。大天使ミカエルを「神」と呼んだり、翻訳にいくらか問題はありますが、当時実際にエクソシズムを担当したウィリアム・ボーデン神父の助手であったウォルター・ハロラン神父の証言などがあり、貴重な映像だと思います。実際の話を御存じない方にはわかりにくいと思いますが、この少年、家族はもともとイギリス聖公会の所属でしたが、聖公会の教会では対応できなかったために、祓魔式(エクソシズム)の伝統のあるローマ・カトリック教会へ連れて行かれたのでした。新たに洗礼を受けることになったのはそれが理由です。また、そもそも少年が悪魔に憑依されてしまったのは、ウィジャ盤(西洋こっくりさん)で遊んでいたことがきっかけでした。もともとは母親が若い頃からウィジャが好きで、息子も自然とこの遊びをするようになったのでした。このときのエクソシズムでは、大天使ミカエルが決定的な役割を果たしますが、確かに大天使ミカエルへの祈り、さらに聖母マリアへの祈りには、特別な力があります。

 

*この「ヴァチカンのエクソシスト」の宣伝ポスターで、ラッセル・クロウ扮するアモルス神父が手にする十字架の中心にはめ込まれているのは「聖ベネディクトゥスのメダイ」です。悪魔祓いの力があるとされ、刻まれているアルファベットは、実際のエクソシズムの儀式で使われる祈りの言葉(単語の頭文字)です。パウルスショップやドンボスコ社などのカトリックの聖品・聖具を扱う店で購入できると思いますが、メダイが力を発揮するためには司祭に聖別(祝別)してもらう必要があります。なお、聖別後の聖品の売買は一切禁じられています。

 

*ガブリエル・アモルス神父は、ハリーポッターの映画の上映に反対しておられましたが、これは映画の中で実際の黒魔術の呪文が使われていたというのが理由です(私はこの映画を観ていないので本当かどうかはわかりません)。また神父は、「ヨガ」も悪魔崇拝に導くものとして批判しておられましたが、私はこれは誤解によるものだと思っています。確かに、超能力開発などの不純な目的でヨガを行なうのは間違っていますが、例えばパラマハンサ・ヨガナンダ師が伝えられたクリヤ・ヨガなどは真に神聖なものです。もちろん、カトリックの教義と異なるところはありますが、敵対するものではないですし、決して、異教の神々イコール悪魔ではありません。あと、アモルス神父様は、メジュゴリエの聖母の御出現を肯定しておられました。

 

 

 

 

 

 

人気ブログランキング
人気ブログランキング