悪魔ソラトの介入 〔R・シュタイナー〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・「666」の意味するもの 〔ルドルフ・シュタイナー〕

 

 “ゲマトリアによれば、666の数字はまず、60、6、200、400の合計であり、それぞれの数値に対応するヘブライ語のアルファベット、Samech、Waw、Resch,Tawをあてはめ、現代ヨーロッパのアルファベットに置き換えると、“SORAT”という単語が完成します。シュタイナーによれば、「ソラト」、これこそが「黙示録」の著者が「666」という数字で表そうとした存在だとされます。”

 

 “太陽にも善き霊的存在と悪しき霊的存在の二つが存在します。太陽に属する善なる霊的存在の代表はキリストです。

 

 “一方、太陽にはこのような善なる霊としてのキリストとは別に、きわめて凶悪な悪の霊が存在します。それが太陽の悪魔としてのソラトです。

 

 “ソラトは私たちの太陽系でもっとも強力な悪魔の一人です。基本的には、それは太陽の悪魔であり、人間の唯物論のなかで作用します。

 

 “二十世紀にはいってから、人類はじつに数多くの戦争を経験してきました。戦争はソラトが引き起こす災厄のなかでも、もっとも大きなものの一つです。たとえばシュタイナーは、第一次世界大戦の勃発にソラトがどう関与したか、という点について次のように述べています。

 

 いまや、大いなるソラトの悪魔の信奉者である、悪魔たちが入り込むための道が開かれています。たとえば、第一次世界大戦の出発点について何らかのことを知っている、あの悟性的な人々と話をするだけで、このことがわかるはずです。ここで、「この世界大戦の勃発に関して責任のある、約四十人の人々のほぼ全員が、戦争勃発の瞬間に、意識を鈍らされていた」といってもまちがいではないでしょう。このような入り口をとおって、アーリマン的な悪魔の力は、そしてこのアーリマン的な悪魔の中でも最大の存在の一つである、ソラトが入り込んでくるのです。まず最初に少なくとも一時的に人間の意識のなかに入り込み、災厄や混乱を引き起こす、というのが、ソラトの側からやってくる誘惑なのです。世界大戦ではなく、それに続いて起こり、それよりももっと恐ろしく、将来ますます恐ろしいものとなるものを―― たとえば現在のロシアの国家体制を(訳注 旧ソビエト連邦を指す)、人間の魂のなかに入り込むソラトの霊が引き起こそうとするのです。(GA346 123~124

 

 シュタイナーによれば、第一次世界大戦が勃発したとき、列強の指導者の意識はソラトによって支配されていました。ソラトはみずから直接軍勢を率いて人類を襲うわけではありません。ソラトは国家の最高権力を握っている人間の意識のなかに入り込むことで、結果として戦争を引き起こすのです。”

 

(松浦賢編訳「ルドルフ・シュタイナーの「大予言」2」(イザラ書房)より)

 

*「この世界大戦の勃発に関して責任のある、約四十人の人々のほぼ全員が、戦争勃発の瞬間に、意識を鈍らされていた」とありますが、これはいつの時代にも起こり得ることだと思います。権力者は必ず悪霊のターゲットにされるでしょうし、かつて日本にも民主党政権時代に、海外のメディアから「猿がジャンボジェットを操縦している」と評された総理大臣がいましたが、そのように悪にとって都合の良い愚鈍な人物が、権力の座に坐るように仕向けられることもあり得ることです。

 

*出口王仁三郎聖師は、政治家の条件として「ます神様を信じていること」を挙げています。「霊的な世界」について何の関心も持たない者、「高次の世界からの導き」を受けていない者は、悪霊に簡単に憑依されてしまいます。さらに、唯物論、共産主義はアーリマンによってもたらされた思想ということですので、それらの思想の信奉者は自ら気づかずして既に悪魔に憑依された、あるいは囲い込まれた状態にあると言えるかもしれません。また、神様を信じていると言っても、特定の宗教のみに偏向しているのであれば、それは神様ではなく彼らのエゴが投影されたものにすぎません。そのような連中に政治を任せるなど、あってはならないことです。

 

 “それでは、唯物論と同族の結びつきを克服することを通しての霊性と普遍的人類愛の獲得は、どのような手段と方法によってなされうるかを考えてみましょう。正しい普遍的人類愛を強調する必要があり、人間愛を目的にした結びつきを作らねばならない、という意見が生まれるかもしれません。神秘学は決してこのような意見を抱くことがありません。反対です。普遍的兄弟愛や人間性について語れば語るほど、自分の言説に酔ってエゴイストになってしまうのです。感覚的な歓楽があるように、魂的な歓楽が存在します。「私は道徳的、倫理的にますます向上したい」というのは狡猾な淫蕩のもたらす歓楽なのです。このような言説は通常のエゴイズムではありません。このような歓楽から生じるのは老獪なエゴイズムです。

 愛や同情を説くことによって、人類が進化するのではありません。もっと別の何かを通して、人類は友情を作り上げていくのです。別の何かとは霊的認識にほかなりません。普遍的な人間的友愛をもたらす手段は、神秘学的認識の普及以外にはありません。人々はいつも愛や人類の同胞化について語り、いくつもの連盟が創設されますが、目標を達成することはありません。正しいことを行うには、どのように人類の結びつきを創造するかを知る必要があります。全人類に通用する神秘学的な真理を生きる人々だけが、一つの真理の下にともに存在するのです。植物はみな太陽に向かって生長しながらも、しかも、個々の植物は個体性を有しています。そのように、真理は一元的なものでなければなりません。統一的な真理を目指すことによって、人々はともに在ることができるのです。人間は真理に向かって精力的に働かねばなりません。そうして初めて調和的な共同の生活が可能になるのです。

 「人はみな真理に向かって努力しているではないか。だが、さまざまな観点があるゆえに、闘争が生じ、分裂が生じるようになるのではないか」と反論されるかもしれません。‥‥‥このような考えは、真理について十分に根本的な認識がなされていないために生じます。真理についてさまざまな観点があるということはできないのです。真理は唯一でしかありえないということを、まず認識しなければなりません。真理は国民投票に依存するようなものではありません。真理はそれ自体において真実なものなのです。三角形の内角の和は一八〇度であるかどうかを投票で決めたりするでしょうか。百万人の人々が承認しようと誰一人承認しまいと、この定理は真理なのです。真理には、民主主義というものは存在しません。まだ考えの一致しない者同士が真理に向かう事に、すべての闘争の原因が存在するのです。「だが、神秘学的な事柄に関しても、ある者はこう言い、また別の者は違う意見を主張している」といわれるかもしれません。このようなことは、真の神秘学においては生じません。物質的なことに関しても同じです。ある人はこういい、他の人は違うことをいう場合、どちらかの意見が間違っているのです。神秘学においてもそうです。神秘学を理解する前に神秘学を判断するのは、礼儀を欠いています。

 第六文化期における人類の努力目標は、神秘的真理の普及にあります。これが時代の使命なのです。霊的に結集した協会は、神秘学真理を人生にもたらし、適応させるという課題を持っています。このことが現代には欠けているのです。いかに今日、みなが正義を探し求め、そして、誰も正義を発見できないかを考えてみてください。現代は、無数の問題、教育問題、婦人問題、医療、社会問題、食料問題を抱えています。何人もの人がこれらの問題を解決しようとして、無数の論文や本が書かれていますが、どれも自分の観点から意見を述べていて、中心となる神秘学的真理を学ぼうとはしていません。霊学的、神智学的な真理についての抽象的な知識が問題なのではなく、社会問題、教育問題を研究するために、霊学の真理を直接生活の中にもたらすこと、人生を真の神秘学的叡智の観点から研究することが大切なのです。‥‥‥けれども、そのためには最高の叡智を認識しなければならないと反論されるかもしれませんが、人生に適用されるものをつねに完全に認識していなければならないと考える必要はありません。‥‥‥”

 

(ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)より)

 

 

・出口王仁三郎聖師の平和論

 

 「そうすると、みろく世界の構想も、真の世界平和のあり方も、すべて宗教的根源から研究しないと判らないことになるのですね」

 『そうだよ。みんなは宗教的宗教的というが、神の創造した世界で神の守護にある以上、神意、神則を見ないで、世界の構成や発展が判るはずがないじゃないか。しかし神ということが判らぬから宗教的にゆかなくてはならないだけのものであって、神の世界ということが判っているものには、宗教的とか信仰的とかいう言葉が、いかにもつけ足したように感じられる。要は宗教的に進んで行くことが真実をつかむのに早いだけであって、神の世界ということが確かになっている者には、みろく世界も、平和世界も、メシヤの降臨する世界も一つで、国魂によって人類はその位置を得、互いに協力一致すれば、それが神代なのだ』

 「そうですか、元の神代にかえすぞよといわれるのは」

 『元の神代の元ということには国祖という意味もある。現代は神をないものにして、人間主体となっている。元切れて末続くと思うなよという神諭もあるが、すべての元、根源に一応帰一して、そこから一切の眼鼻をつけなくては、神的の順序が違うのだよ。外流ではものはなりたたない。内流が外へと流れて形体ができるという根本がつかめておれば、わけなく理解されるじゃないか』

 「知恵や学では世は治まらぬというのですなあ」

 民族問題については、霊界物語の山河草木の卯の巻にも出ていることであるが、出口聖師の民族論も、国家再編成というみろく神世の構想も、神的秩序による根源からいわれるのであって、平和論のごとき、時には誤解を招いたこともあるが、時代思想から批判すると間違いが起きるのもうなずけるのである。”

 

(「おほもと」昭和32年8月号 大国以都雄『出口聖師と現代社会』より)

 

 

・G・I・グルジェフ 「人間の内にある原因から手をつけなくてはならない」 

 

 “戦争を嫌う人々は、ほとんど世界創造の当初からそうしようと努めてきた。それでも現在(20世紀初頭)やっているような規模の戦争は一度もなかった。戦争は減らないどころかむしろ増えており、しかもそれは普通の手段では止めることができない。世界平和とか平和会議などに関するすべての理論も、単に怠惰、欺瞞にすぎない。人間は自分自身について考えるのも働きかけるのも嫌で、いかにして他人に自分の望むことをやらせるかばかり考えている。もし、戦争をやめさせたいと思う人々が十分な数だけ本当に集まれば、彼らは先ず、彼らに反対する人々に戦争を仕掛けることから始めるだろう。また、彼らはまちがいなく、別の方法で戦争をやめさせたいと思っている人たちにも戦争を仕掛けるだろう。彼らはそういうふうに戦うだろう。人間は今あるようにあるのであって、別様であることはできない。戦争には我々の知らない多くの原因がある。ある原因は人間の内にあり、また他のものは外にある。人間の内にある原因から手をつけなくてはならない。環境の奴隷である限り、巨大な宇宙の力という外からの影響をいかにして免れることができよう。人間はまわりのすべてのものに操られているのだ。もしものごとから自由になれば、そのときこそ人間は惑星の影響から自由になることが出来るのだ。

 自由、解放、これが人間の目的でなくてはならない。自由になること、奴隷状態から解放されること‥‥‥人間が自己の位置に少しでも気づけば、これこそが彼の獲得すべき目標になる。内面的にも外面的にも奴隷状態にとどまる限り、彼にはこれ以外に何もなく、また可能なものもない。さらに、内面的に奴隷である間は、外面的にも奴隷状態から抜け出すことはできない。だから自由になるためには、人間は内的自由を獲得しなければならないのだ。

 人間の内的奴隷状態の第一の理由は、彼の無知、なかんずく、自分自身に対する無知だ。自分を知らずに、また自分の機械の働きと機能を理解せずには、人間は自由になることも自分を統御することもできず、常に奴隷あるいは彼に働きかける力の遊び道具にとどまるだろう。

 これがあらゆる古代の教えの中で、解放の道を歩みはじめるにあたっての第一の要求が〈汝自身を知れ〉である理由だ。‥‥‥”

 

“‥‥‥意識的な二百人で地上の生きとし生けるものすべてを変えることができる。しかし今は、彼らの数が十分でないか、彼らが望まないか、おそらくその時期がまだ来ていないか、あるいは他の人々があまりに深く眠っているかのいずれかなのだ。”

 

(P・D・ウスペンスキー「奇蹟を求めて グルジェフの神秘宇宙論」(平河出版社)より)