古代エジプトの繁栄 (文明と経済) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “人類はつねにプラスの利子のつく貨幣システムで生きてきたわけではありません。例えば、いまエジプトは発展途上の国家です。ナイル川流域は砂漠です。ところが古代世界でエジプトは世界の最先進国であったわけです。ナイル川流域は広大な穀倉地帯でした。それが、なぜ今日のような状況にあるのでしょうか。実は、それを解く鍵がお金のシステムなのです。古代エジプトでは数千年にわたって、私たちがいま使っているようなお金のシステムとは別のシステムをもっていたのです。

 それは減価するお金のシステムです。当時、農民は穀物を収穫すると、それを穀物備蓄倉庫にもっていきました。そこで保管してもらうのです。その代わりに、納入した穀物量と引き渡し日が焼き込まれた陶片を受け取ります。この陶片は穀物の受領を証明するものですが、同時にお金としても使われました。

 これは倉庫に収められた穀物によって担保されるお金だったのです。当然、穀物はネズミなどによる食害や保管費用がかかります。したがって、その担保物の原価率をそのお金も反映しなければなりませんでした。ですからマイナスの利子のお金であったわけです。そうすると農業者は、このお金を貯めておいても損ですから、別なモノの形で、自分の豊かさを維持しようとします。当時の農民は、そこで自分の豊かさを灌漑施設の整備や土地の改良にそそぎ込んだのです。豊かさをお金の形でもたず、自分たちに長期的な利益をもたらすものに投資したのです。したがって、ナイル川流域は豊かな穀倉地帯となったのです。

 これはローマ人がエジプトを支配し、自分たちのお金の仕組、それはプラスの利子の付くお金のシステムですが、それを強制するまで続いたといいます。しかしそのシステムが終焉したとき、エジプトの繁栄も終わったのです。

 同様の例は、西欧中世にもあります。一一五〇年から一三五〇年にかけて「ビジネスの黄金時代」と呼ばれる時代が欧州には存在しました。この時期、いまでも多くの人が欧州に観光旅行に行ったときなどに見物するカテドラルが次々に建設されました。今日の観光客の役回りを演じていたのは当時では巡礼者でした。各地方は競ってカテドラルを建設し、巡礼者を惹きつけようとしました。ですからこの時代は、精神的にばかりでなく経済的にも繁栄を謳歌した時代であったのです。なぜ、そのようなことになったのでしょう。これもまた、お金のシステムに原因があったのです。ここでも、減価するお金のシステムがあったのです。「ブレクテアーデ」と呼ばれる貨幣改鋳のシステムです。

 当時、金や銀がお金として使われていたのは遠隔地の貿易においてでした。領主たちが支配する各地域では、領主がお金を発行していました。薄い銀の板に刻印をした貨幣が使われ、領主はこれを六カ月とか八カ月とか、一定の期間がたつと回収しました。そして2~3%、減価させて再発行しました。この仕組は、富をお金の形でもつのではなく、永久に価値が維持されるであろうと思えるものに再投資させることになりました。地域の人々は連帯して、信仰の対象でありながら、経済的な意味でも将来の投資としてカテドラルを建設していったわけです。

 ここに見られるのは、もしお金がマイナス利子のシステムのもとにおかれるならば、社会が実現した富はなるだけ長期的に価値が維持されるようなものに投資されるということです。これと対照的に、プラスの利子の場合には、より短期の利益をあげるものへの投資が優勢になります。よい例は日本の林業です。なぜ日本の森は死に、そしてそれが海の砂漠化といわれる磯焼けを引き起こすまでになっているのでしょうか。それはいまのお金のシステムだと、林業が割に合わないからです。木を切って売り払ったお金で別の短期的な利益をあげるものに投資したほうが有利だからです。

 しかし、オーストリアのヴェルグルで減価する労働証明書が貨幣として使われたとき、町民は自分が手に入れた富を家の修繕に使い、その次には、積極的に木を植えはじめたといいます。マイナス利子のシステムは、環境にもよい長期的な投資へと、投資誘因の変更をもたらすのです。人は経済活動を行ない、豊かさを手に入れます。それをお金の形で貯蓄し、それが金融システムを通して投資に回っていきます。しかしそのあり方が、そもそも貯蓄をする人間に役立つ形で成立しているかは疑問です。社会の〈貯蓄-投資〉の流れが、お金のシステムが変われば変わっていくのです。

 エジプトや欧州に旅行し、古代の遺跡や中世のカテドラルを見物したことのある人は多いことでしょう。数千年、数百年後の人間が見るに値するものがそこには残っています。いま、私たちは一〇〇〇年後の人間の見るに耐えるものをつくりだしているでしょうか。二〇年たったら壊れるような住宅やビル、一〇年もつかどうかの自動車、すべては私たちの、利子の存在ゆえに短期的な利益をあげていかねばならない仕組のなかで成立しています。息の長い価値あるものはつくられず、他方で、浪費の果てにゴミの山が吐き出されています。三〇〇〇年後の考古学者は現代の都市のあった場所を発掘して何を見つけるというのでしょうか。”

 

(河邑厚徳+グループ現代「エンデの遺言 根源からお金を問うこと」(NHK出版)より)

 

*一般には、文明が発達すると共に経済システムも確立していくと考えられていますが、むしろ文明の発達は経済システムがどのようなものであるかにかかっているというのが正しいようです。ならば、現在の経済システムは根本的に改められなければならず、さもなくば文明は衰退に向かうことになってしまいます。

 

*現在問題となっている地球規模の環境汚染が、産業革命後の大量消費社会によって引き起こされたものであることは明らかです。「マイナス利子のシステム」においては、富は長期的に価値があるものへ投資されるので、限りある資源をできるだけ長く有効利用することに繋がるでしょうし、この問題を解決する有力な手段となるはずです。

 

 

・「天津罪(あまつつみ)」とは

 

 “神が自然界の事物を通して、人類に与えられたもう恩恵はまことに豊かなものですが、その恩恵をますます豊富にするには、自然界の事物の慣性を理解し、その人類に役立つはたらきを引き出して利用することが、人類の繁栄のうえに、どんなに大切であるかは云うまでもありません。これを怠ることは、天地経綸の使命を負わされている人類の罪であると、出口聖師は示されています。

 大本信徒が朝夕奉唱する祝詞神言(かみごと)の『天津罪』を、天地自然に与えられている水力、火力、電力、磁力、鉱物、動植物その他あらゆる自然力、自然物の利用開発を怠る罪をいう」(祝詞釈義)と解釈されています。

 私たちは『もったいない』という言葉を日常よく使います。これは分に過ぎて有難いときにも申しますが、物のはたらきを死蔵して、活用しないことを、相すまなく思う気持ちをこめて云う場合が多く、前述の天津罪に関連のある言葉であります。健康で立派な体格をしているのに遊んでいてはもったいないとか、四石とれる田から三石前後ではもったいないなど、と申します。つまり日本人が自然力、物、あるいは人間の慣性を活用しない怠りを、罪悪と考えていることがわかります。

 天恵の死蔵に罪悪を感じるのは、神の恩恵に敬虔な心を抱き、積極進取の人生観をもつ民族の感覚です。『もったいない』という意味の言葉を日常ふだんに使う国民が他にないかを私は機会あるごとに外国語に詳しい人に訊ねていますが、まだそのあることを聞きません。

 外国人はよく、日本人が自然に親しみと経験の心をもつ勤勉な国民であることを、指摘しますが、このような美徳は、日本の風土の影響と神ながらの人生観から生まれたものと思います。

 日本が明治以来わずかに七、八十年で世界屈指の近代工業国となったことは、世界の脅威とされていました。これを日本人の猿真似の上手さや器用さからとするのは、日本の伝統を知らない者の、あまりに皮相な見方といわねばなりません。

 「愛善(愛善は主神の御心、万有の慣性は主神の御心の現われである―筆者註)は神より発する最高至大の真愛であって、人がその至善の愛を慕い求める心、これに住する心を、愛善の精神というのである。故に物質に内在する愛善の力を、正しく利用する道が即ち科学なのである。例えば今日の電気科学は水や火の発する愛善の力を応用したものであり、農業や牧畜は、動植物の愛善を人間の福利に供せむとする業なのである。また人の心に神ながらに内在する愛善の力を発揚せしめて、もって国家社会を正しくする道が、政治であり経済であり、教育である」(惟神の道)

と出口聖師は示されています。

 万有の慣性の開発は、人類の天職であるという大本の教えを心にとめて、開祖、聖師の御示しを拝読し、御生涯を偲ぶときに、私たちは人に接し、物を取り扱い、自然に対する日々の生活のうえに、実践せねばならない教訓がみちていることを、痛感する次第であります。”

 

(「おほもと」昭和32年11月号 出口新衛『慣・造について』より)

 

 

  経済の根本革正なさざれば

        地上の国はほろびゆくべし

 

                   (出口王仁三郎歌集「愛善の道」より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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