「古事記」の解明 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

問 古事記は言霊学で解けますか。

答 古事記は言霊学丈で判るものではない。言霊学でヒントを得て後は神がかりに聞いて知ったのである。

 今は皇孫は南洋からとか大陸から渡来されたとか云っているが、全然(本当のことは)判っていない。こちら(日本)から行って開拓したのである。白鳥○○氏が人類学に就いて本を出しているが間違っている。日本が本で日本から外国へ行って開拓したのであるから、似ているのである。伊勢神宮のつくりが南洋の建築に似ているなどは之である。(昭和十七年十月十二日)

 (参照)霊界物語第八巻第六篇黄泉比良坂第三九章乃至第四三章。第一〇巻第二篇禊身の段第二七章乃至第三一章。第一一巻第三篇言霊解第十五章乃至第一七章。第一二巻第四篇第二八章乃至第三十章。第一五巻第二篇古事記言霊解第一一章。”

 

(木庭次守編「出口王仁三郎聖師玉言集 新月のかけ」より)

 

*出口王仁三郎聖師は、「自分はかつて稗田阿礼であった」と言われたことがあります。出口聖師が古事記を口述した稗田阿礼の生まれ変わりであるならば、聖師が口述された「霊界物語」は、アップデートされた「古事記」であると言えるかもしれません。

 

*「古事記」が我が国の神典として最も尊いものであることは言うまでもありませんが、「霊界物語」を読まれると「古事記」の内容がさらによく理解できます。ただし出口聖師によれば「古事記」には六通りの読み方があるということですので、決して「霊界物語」を読めばすべてがわかるというわけではありません。しかし、少なくとも「古事記」とは自分がこれまで思っていた以上に素晴らしいものであったということはおわかりになると思います。

 

*私は若い頃、イスラエルを旅行中に、夜にドミトリーで各国のバックパッカー達と話をしていたとき、一人のヨーロピアンから「自分は各国の神話に興味をもっている。ぜひ日本の神話について教えてくれ」と頼まれたことがあります。そのときに「天からイザナギ、イザナミという男女の神々が降りてきて、結婚して夫婦となった。この二人が我々の祖先だ」と言ったら、何やらびっくりした様子で、更に周りにいた他の欧米人や地元のジューイッシュの連中もわらわらと集ってきたので、突然の意外な反響に驚いて、「みんな日本の神話に興味があるのか?」と尋ねると、「どこの国の神話でも、人間は『土から』『造られた』とされているのに、『天から降りてきた』というのは初めて聞いた。驚いた。」との返事でした。また、「どうやって天から降りてきたのか?」との質問に、「神々は『天之鳥船』という空を飛ぶ船を持っていた」と答えると、「それではまるで宇宙船ではないか?」と、さらに驚いた様子でした。私はこの時に初めて、日本の神話が他国のとは異なる特殊なものであることに気づいたのですが、まだこのことに気づいておられない方は案外多いのではないでしょうか。そしてこれは私の考えですが、「神話」というものが、太古に我々の祖先が宇宙、そして霊界(他の次元)と感応して編まれていったものであるならば、我々は反対に神話を通じて宇宙及び霊界と感応することもできるのではないでしょうか。さらに、出口聖師が言われたように、芸術やテクノロジーのインスピレーションは霊界からもたらされるもので、時間を超越した高次の霊界にその起源があります。そして、各民族が神話を通じて霊界との繋がりを保っているのであれば、神話こそがそれらすべての発明発見の源泉であるということにもなります。霊界は時間を超越した世界であり、ゆえに神話には過去だけでなく未来の出来事も反映されているのです。現在、唯物論的全体主義国による他国に対する主権侵害や、カルト宗教の反社会的な活動のことが問題となっていますが、彼ら神を否定する唯物論思想や、低級なカルト宗教に染まって神話を失った人々には、もはや創造的、生産的な活動は不可能となっており、他人・他国の財産や為し遂げた成果を横取りすることしか考えられないのです。そしてそのような連中が日本の神話・国体を異常なまでに敵視するのは、悪魔的な存在が背後にいるのであれば当然です。日本の神話ほど、人と天界との繋がり、神代の記憶を色濃く伝えているものはなく、また皇室についても、ニニギノミコトは最初から葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めるべく降臨されたのであって、決して他国のように「王権を授けられた」のではありません。今日二月十一日は紀元節(建国記念日)ですが、日本の神話、そして国体がいかに尊いものであるかを、日本人はあまりにも知らなすぎると思います。

 

 

・神国の人民の大責任

 

 “古き神世(かみよ)の有様を早く世界の人民に解いて聞かさんと、日本の神国の人民が、天地を経綸する主宰者(つかさ)でありながら、外国の人民と同じ如(や)うになりて了(しま)ふて居るから、第一番に日本の人民が我身霊の天職を覚りて日本魂(やまとだましひ)に立ち帰りて、神世からの尊い因縁を覚りた上、世界の人民を助けて與(や)らねばならぬ天来の大責任者であるぞよ。世界の大混雑が起こるのも悪い病が流行るのも、日本の人民の上下の身魂が曇りて、天までも曇らして日本魂の活動ができぬからの事であるぞよ。世界の小言(こごと)が絶えぬのも日本国の責任であるから、斯の地の世界を守護いたす日本の守護神と人民が一番に改信を致して天地の間を清浄(きよらか)に致さねば、何時までも天下泰平には治まらんぞよ。日本の人民は尊き神の生宮に拵へてあるのであるから、神の生宮をよほど清浄に致さんと、神が生きた宮に住みて天地経綸の御用を勤めることは出来んから、一日も早く今までの汚い心や小さい物欲を速川の瀬に流し捨てて、身禊の行を致して居らんと肝心要の世界改造(よのたてなおし)の御用が勤め上がらんぞよ。(大正八年旧正月十八日)”

 

(「神の國」昭和10年8月号 『皇道大本神諭』より)

 

 

・スサノオは芸術の祖神

 

 “私の流儀は、みずから称して神代派といっているが、神素盞嗚尊を心に念ずるとき、ああした絵が描けるのである。私の絵画展覧会を見た人が『一々描き方がかわっていて、一人の人がかいたとは思えない』と評したと聞くが、まことにそのとおりで、私の想念が応挙にある時、その画風が応挙とあらわれ、月樵を思う時、その筆法が月樵と出てくるので、私の想念しだいで、千種万態の画風が生ずるのであるから、一人の人が描いたと思えぬという評は、私の絵を知るものの言である。一流一派に拘泥する必要はないと思う。

 私は近ごろ、山水と漫画との調和を思いたち、筆をとってみたが。あんがいうまくいって、ちょっとおもしろいものが出来た。これはおそらくレコードであろうと思う。

 そもそも、芸術の祖神は素戔嗚尊さまであるから、心中この大神を念ずるとき、絵画といわず、陶器といわず、詩歌といわず、あらゆるものに、独創が沸くのである。”

 

      (「出口王仁三郎著作集 第三巻」『絵について』読売新聞社より)

 

 

 

 

 

 

 

 


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