幼子イエズスの御出現 〔ピオ神父〕 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “イレルシ地方生まれのイグナシオ神父は1922年9月22日から1925年8月25日までサン・ジョバンニ・ロトンド修道院の院長をしていた。彼は自らの日記に次のように書いている。

 「パドレ・ピオは、いかなる愛をもってクリスマスを大切にして祝ったのかを言葉で言い尽くせない。彼はいつもそれについて考えている。クリスマスの祝日の次の日から次のクリスマスまでの日数を数えている。不思議なくらい、彼は幼子イエスさまに心を惹かれていて、クリスマスキャロルか子守歌を聞くだけで、彼は恍惚状態になるほど大喜びする。ピエトレルチーナの天使のようなパドレ・ピオの伝記には幼子イエスさまは、三回ほど彼に出現された証拠文章の裏づけがある。」(1923年12月24日)

 

 1921年10月の末から12月7日までパドレ・ピオはヴェナフロ(イセルニア県)にある修道院に滞在していた。ここで彼は病気になり、また、ラミスのサン・マルコのアウグスティヌス神父によれば、ピオ神父は肉体的にも精神的にも悪魔に襲われたり、度重なる恍惚境に陥っていた。

 また、アウグスティヌス神父の証言によれば、「これらの現象は、ほとんど絶えず、一日の内に二・三回も行なわれ、なお、それぞれ一時間から二時間、時には二時間半まで続いていました。これらの前か後か、悪魔の出現があり、また、イエスさまや聖母マリアさまや聖人たち、そして自分の守護の天使を伴っていました。時々、聖フランシスコも現われました。」

 アウグスティヌス神父は日付を記録していなかったが、「ある時の恍惚状態の中で、幼子イエスさまはパドレ・ピオに現われました。ところが、今度の出現は珍しくて、私の知っている限りでは、聖人たちの中でも一度もなく唯一の現象だと思います。ということにも、幼子イエスさまはご受難の傷をもって現われたということです。」

 その時の恍惚の内容はアウグスティヌス神父の日記によってでも、ヴェナフロで滞在中のパドレ・ピオのことについて十分な情報を書き留めてある。

 ここでパドレ・ピオの全体的な出現を紹介します。

 ある日の朝、病床で横たわり、恍惚状態となっていたパドレ・ピオの部屋にアウグスティヌス神父はご聖体を持っていった。パドレ・ピオは人がいることや周囲の何事にも気づいていなかった。アウグスティヌス神父は従順の誓願だと言って、パドレ・ピオに命令で彼を起こした。

 「パドレ・ピオ、命令です。ご聖体のイエスさまを私のふさわしくない手から受け、聖体拝領しなさい!」そして、ふざけ半分なのか、お勤めのつもりで、フランス語で付け加えた。“petit enfant, petit enfant”(小さな赤ちゃん、小さな赤ちゃん)。

 二回ほど繰り返されたこの二つの言葉を聞いたパドレ・ピオは深く感動して、聖体拝領後、再び恍惚状態に陥ったが、あたかもエコーか歌の折り返しのように彼はいく度も繰り返していました。

 この恍惚状態の中で、イエスさまは小さな赤ちゃん“petit enfant”として現われたので、彼は驚いてイエスさまに言いました。『わがイエスよ、今日、どうしてこんなに小さくなっておられるの?……突然、ご自分をこんなに小さくしてしまうことは……。』

 こればかりか、幼子イエスさまには傷をもっておられるのを見たパドレ・ピオは、ますます驚きました。すると、自分の守護の天使に目を向けて願いました。『わたしの天使、イエスさまが見えますか。ひざまずいて下さい。』天使は従ってすぐにイエスさまを敬い拝んだ、と。

 ところが、パドレ・ピオはこれだけでは満足せず、強力に推し進めた。『それだけでは足りないよ。イエスさまの傷に口づけなさい!』天使はただちにそうした。

 そこで、パドレ・ピオは、『よかった!よくやった、わたしの天使。よくやった、小さい召使い……。まあ、どうしてあんなに緊張して、不機嫌な態度となっているの?私はあなたをなんと呼ぶべきですか。お名前は何?私の天使よ、許してください。私に代わってイエスさまを祝してください。』

 しかし、パドレ・ピオが注目していたのは守護の天使ではなく、あくまでもイエスさまでした。それで、再びイエスさまに目を向けて言った。『わがイエスさま、わがイエスさま、どうしてこんなに小さくなっておられますか。どうか、教えて下さい。私に近づいて来られ、話してください。お話が出来ますか、小さくて……。本当に小さい、ね。』

 その後にも、神なるその赤ちゃんとの対話がいろいろあったのですが、それは次のように簡単にまとめられるでしょう。『イエスさま、今朝、私は聖体拝領しましたか。』イエスさまは答えられた。『もちろんしました。』パドレ・ピオは、『そう……?だれが私に聖体をくださったの。』『アウグスティヌス神父があなたに聖体をくださった。彼に聞いてごらん。』『あー、いつも彼ですね。』彼に聞いたら、彼はいつも同じことを繰り返します。『私はご聖体をあなたに与えました。』そして、彼はまたフランス語でこう言います。『“petit enfant, petit enfant”(小さな赤ちゃん、小さな赤ちゃん)。』

 この対話は聖体拝領の点についても続いていました。最後には、パドレ・ピオはこう言いました。『ああ、私のイエスさま、ありがとうございました。感謝します。どうぞ、私のイエスさま、ご自分のところにお戻りください。』

 ここで言い尽くせないほどの美しさで聖母マリアさまが表われます。パドレ・ピオは深く感動し、愛と崇高な言葉を言います。「私(アウグスティヌス神父)は、この出現には特に二つのことに注目すべきだと思います。そのひとつは、すでに書いたように、幼子イエスさまは傷を持っておられたということ。言うまでもなく、その傷は十字架の上のイエスさまの両手、両足と脇腹の傷です。もうひとつの点は、パドレ・ピオは守護の天使とイエスさまご自身との関わりの中での奥深い親密感です。この親密さはパドレ・ピオが霊界の者たちと密接な関係を持ち始めた証拠です。傷をもっておられたイエスさまのこの出現は、彼のクリスマスの受け止め方への洞察となります。

 パドレ・ピオとして、クリスマスは十字架上のイエスさまの背景の中で見抜かれ、そして、クリスマスはイースターと強く結びついているものだと理解しておられたことです。」

「The apparitions of the Child Jesus to Padre Pio」ペトロ神父訳”

 

  (ペトロ神父編集「パドレ・ピオの声」2011年(№2)祈りの園事務局 より)

 

*カプチン・フランシスコ会のペトロ神父が主宰される「祈りの園」(現在はfacebookでの活動のみになっています)には、聖パードレ・ピオ(ピオ神父)のお取次ぎを求めるミサを依頼することが可能です。ここに引用させていただいた「ピオ神父の声」は、サン・ジョバンニ・ロトンドで発行されている「Voice of Padre Pio」の記事をペトロ神父様が日本語に訳され、編集されたものですが、この日本語版は確か第三号までで以後は休刊となっていたと思います。現在入手できるピオ神父関連の本としては、ジョン・A・シュグ著「ピオ神父の生涯」(聖母文庫)があり、Amazonからも購入できます。ピオ神父はカトリック教会からかなりの迫害を受けられましたが、それでも最後まで教会に対して忠誠を尽くされ、信徒達にも教会に従うことを求められました。宗教組織の腐敗はカトリックに限ったことではありませんが、なぜピオ神父は腐敗した教会に対しても従順であり続け(かといって決して盲目的に従っておられたわけではありません)、教会のために祈り続けられたのか。私たちは、このことの意味を深く考えるべきだと思います。また、ピオ神父が霊的子供たちに、特に聖母マリアへの崇敬と煉獄の霊魂のための祈りを求めておられたことはよく知られています。相変わらず「暗黒の三日間」がどうのとか、ピオ神父に関する間違った情報が氾濫しておりますが、ぜひ神父様について正しく知っていただきたいと思います。

 

*聖パードレ・ピオ(ピオ神父)の伝記映画 「ピオ司祭」

 

 

「聖ファウスティナの日記」から
 

 “「今日、ミサ聖祭の間に私は幼子イエズスを私の祈り台の隣に見た。イエズスは 一歳くらいに見えた。そしてイエズスは私に自分を抱き上げるように求められた。
 腕の中に抱き上げた時、イエズスは私の胸に寄り添って言われた。

 『あなたの胸のそばは心地よい。』

 『あなたはこのように小さいけれども、あなたが神であることを私は知っています。あなたが小さな子供として私に会いに来られるのはなぜですか?』

 『それは子供の霊魂を持つよう、あなたに教えたいと思っているからだ。あなたが最も小さい者であることを私は望んでいる。なぜなら、あなたが最も小さい時、あなたがちょうど今私を抱いているのと同じ仕方で、あなたを私の御心のそばに運ぶ事ができるからだ。』 」”
  
     (シスター・エマヌエル「メジュゴリエの証言者たち」(ドン・ボスコ社)より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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