キリストの降誕 〔エドガー・ケイシー・リーディング〕 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・キリストの降誕 〔エドガー・ケイシー・リーディング〕

 “幼な児キリストの誕生日として、ケイシー・リーディングは二つの日付を与えている。一つは12月24日、25日(五七四九-八)であり(誕生はちょうど真夜中であった……五七四九-一五)、もう一つは1月6日である(五七四九-一五)。この二つの日付はそれぞれキリスト教の二大グループ……ローマ・カトリックとプロテスタントを含む西側と正教会の東側……で祝されている。リーディングの述べるところによると、この二つの日付はいずれも使用した暦、もしくは計算される時期によって正当な根拠を有する。(原注:別のリーディングで、ユリウス暦によれば、イエスの誕生は4年の3月19日……)”

 “……マリアとヨセフが到着したのは夕方で、気候は寒かった。その途上には大勢の人々がいた。その多くはユダヤの丘陵地帯からの人々で、他には北方からの人々もいた。彼らの職業もまた様々であった。羊飼いもいれば、牧畜者、農夫、それに色々な種類の工芸人がいた。ナザレ地方からの一行の中には、「大工のヨセフを助ける人々」(五七四九-一五)がいた。多数のリーディングがヨセフのことを「建築大工」であったと述べている。ルカ福音書(2章1~5節)によると、すべてのユダヤ人はローマに税金を納める手続きをするために、先祖の土地に戻って登録をしなければならなかったのである。これがその旅行の目的であった。リーディングによると、ヨセフとマリアはエッセネ派のメンバーとして、他の場合同様この度も、その土地のローマ人だけでなく宗教の権威者たちから尋問を受けたのである(五七四九-一五)。
 ケイシーのリーディングが指摘するところによると、子供の誕生を間近にひかえた聖家族のベツレヘムへの旅行は、当然のことながらエッセネ派の大きなグループが面倒をみたのである。そのために、「ヨセフとマリアが到着したのに部屋がないことを聞いた外の人々は驚きあわてたのである(五七四九-一五)。

 「部屋は一つも空いていません」と彼らは告げられた。
 ……彼らは他の場所、他の避難所を探し始めた……。
 そして多くの者が手わけして場所を探した。どうしても場所を見つけなければならなかった。それもすぐに。そうして丘のふもとの馬小屋が見つかった。その馬小屋の向こうでは、羊飼いたちが羊の群れを柵の中に集めていた。(五七四九-一五)

 ……夕方、パレスチナの丘にかかる荘厳な太陽がまさに天の声を発し、地上への新しい希望、新しい誕生の前兆を宣べ伝え、神への人間の希望を讃えんとする時、夕暮れの空に忽然と現れた主の星が、それを見たあらゆる者に畏怖と神秘の念をもたらした。(一一五二-三)

 そこで救い主、幼な児が誕生した。このお方は、現わし給うた意志と生き方によって、世の救い主となられた。……古(いにしえ)の人々は、かの経路を通じてイブに与えられた約束はいつか成就すると告げられていた。そしてモーゼに与えられた如く別の約束が再び蘇り、そしてダビデに与えられた如く、約束はかの経路からはずれることはなかった。しかし何が必要なのかについての人間の概念が、ますます低下してしまっていたのだ。
 そして、希望が去ってしまったかに見えた時、伝令の天使たちが歌った。あの星が現れ、羊飼い達を驚かせ、宿屋の周りにいたすべての人々に畏怖と驚嘆の念を起さしめた。(五七四九-一五)

 宿屋の主人が部屋を拒わると、身重な美しい少女のような妻を連れた初老の男を見て、嘲笑が起こった……。
 ……からかう者もいたが、やがて起こるであろう出来事に対して彼らの吐いた不親切な言葉は必ずや訂正されなければならないだろうという確信で胸を強く打たれた者もいた。
 主の星が現われ、光り輝き、天界の楽奏が「地には平和、神を信ずる人々に祝福あれ」と喜びの歌を唱うや、人々は皆畏れた。
 すべての人はその音(バイブレーション)を感じ、偉大な光を見た……それは馬屋の向こうにいた羊飼い達だけでなく宿屋にいた人々も同様であった。
 もちろん、これらの出来事は後に疑い深い者らによって削除されることになった。彼らはこれらの人々がワインか何かに酔っていたのだ、と語ったのだ。
 ちょうど真夜中、主は誕生し給うた。 (五七四九-一五)”

 (リチャード・ヘンリー・ドラモント「エドガー・ケイシーのキリストの秘密」たま出版より)