ピオ神父の守護の天使 「守護の天使への祈り」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

「旅と、あなたたち二人の成功のために準備しなさい‥‥‥(トビア記 5・16

 

 私の友、ピエル・ジョルジオ・ビアバディ氏はすでに、彼の天国の報酬を受けているが、以前に次のような話をした。ピオ神父のミサに出席し、神父に告解するため、フィレンツェからサン・ジョバンニ・ロトンドに向かって旅をしていた。

 自動車道のひどい渋滞のため、彼は大分時間を浪費してしまっていた。日没にはサン・ジョバンニ・ロトンドに着く計算をしていたが、ナポリにやっと着けたところであった。神経が切れぎれになり、疲労困憊したので、一晩ナポリに泊まり、翌朝改めてサン・ジョバンニ・ロトンドに旅することに決めた、

 自動車道のスナックバーで停車し、一杯のコーヒーを飲みに中に入った。その後二、三分バーの中にいるうちに、もう一杯飲みたくなった。しばらくして、三杯目が欲しくなった(親愛なる読者よ、私たちの強いイタリア・コーヒーを一杯でも飲んだら、三日三晩目を覚ましているであろう!)。三杯目を飲み終えると、充分楽になり、眠気が覚めたと思い、運転を続け、すでに真っ暗になってきていたけれども、一泊を取りやめることにした。

 ビアバディ氏自身の言葉を引用しよう。

 「私はたった一つのことだけ覚えています。エンジンを始動し、両手でハンドルを握ったことだけです。その後のことはまったく覚えていません。三時間運転中の一秒さえ記憶にありません。そればかりか、修道院の広場に着いたとき、誰かが私の肩を揺すって言いました。『さあ、今、代わりなさい!』

 彼はどんなに驚いたことであろうか。約三時間運転したに違いないのに、その時間全体の一秒さえ記憶になかった。恐れに襲われ、駐車してピオ神父のミサに与かるため修道院へ行く前、休むことにした。ミサの後、彼はピオ神父に会って言った。

 「神父様、私はナポリからここまで運転してきましたが、自動車を運転したことをまったく覚えていません」

 ピオ神父は微笑みながら答えた。

 「ええ、あなたの言うことは正しい。あなたは道中ずっと眠っていました。私の守護の天使があなたの代わりに運転していました!」

 この「小さな人」は幸いにも警官に止められなかった。彼が運転免許証を持っていなかったのは確かなのだ!

 もしも、天使が一人の人を長い道中それほど安全に保護したのであれば、私たちは皆、あのよく知られた祈りを出発前に唱えるべきだと私は思う。その短い祈りを印刷し、全読者ができるだけ頻繁に祈るよう提言する時期は熟した。

 

ああ、神の天使、私の親しい守護者

神の愛がこの世で私をあなたに

委ねてくださいます

今日も私のそばにいてください

私を照らし、守り、命令し、

そして指導してください

アーメン

 

(アレッシオ・パレンテ「ピオ神父と守護の天使」(フリープレス)より)

・守護の天使への祈り

 

わたしの守護の天使、主のいつくしみによってあなたに委ねられたわたしを照らし、守り、導いて下さい。アーメン。

 

(カルメル修道会編「カトリック祈祷書 祈りの友」より)

 

*カトリックやオーソドックスでは、洗礼の秘跡を受けることによって、各自に守護の天使が一人ずつ付くとされています。仏教の灌頂なども同じだと思いますが、私が以前お会いした日本心霊科学協会の方の話では、どの人にも生まれながらに守護霊が付いているということでしたし、シュタイナー人智学では、天使はあらゆる人の意識に働きかけているということですので、ここで紹介させていただいた祈りは、すべての人にとって有効だと思います。しかし、天使は決して神ではなく、スウェーデンボルグによれば、神をないがしろにして天使を神のように崇拝してしまうとしたら、それは彼らにとって恐怖でしかない、さらにシュタイナーによれば、物質的なことを願う祈りをすることは、天使たちに耐えがたい苦痛を与えることになる、ということですので、あくまでも神様が第一で、天使へは単に守護や霊的な導きを願うだけにすべきであることは言うまでもありません(逆を言えば、天使を名乗る存在がたとえ愛や善を説いていようとも、それらは結局は主なる神から発するものであり、故に人を神様へと導こうとしないのであれば、それは天使ではありません)。

 

*ローマ・カトリック教会の聖人で、聖痕を受けた奇跡の神父として知られる聖パードレ・ピオ(ピオ神父)の生涯を映画化した作品「パドレ・ピオ」のDVDが、川崎市の「祈りの園」(責任者:ペトロ神父(カプチン・フランシスコ会修道士))から発売されています(日本語字幕付)。「祈りの園」を通じて、ピオ神父の取次ぎを求めるミサを依頼することも出来ます(カトリック信徒でなくとも可)。なお、数ある終末予言の中に「ピオ神父の暗闇の三日間の予言」なるものがあるようですが、これは捏造されたものであって、ピオ神父はそのような予言を遺してはおられません。

 

*聖パードレ・ピオ(ピオ神父)については、ジョン・A・シュグ著「ピオ神父の生涯」(聖母の騎士社)をお読みになることをお勧めします。なお、聖母の騎士社は、アウシュビッツの聖者、マキシミリアノ・マリア・コルベ神父が、日本に赴任しておられたときに創立されたカトリックの出版社です。

 

・天使からのメッセージ  (シュタイナー人智学)

  

 “それでシュタイナーは、意志とは覚醒期における眠りである、と言っているのですが、その意志を霊界の方に向かって開くことができたときに、天使との出会いが可能になる、とシュタイナーは体験したのです。

 ちょっと話が前後してしまいましたが、そういう体験を元にして、さっきちょっと言いかけましたように、彼(フランツ・ブレンターノ)は三つの大事な事柄を天使から学ぶのです。その第一というのは、天使はあらゆる人間の無意識に、眠りの中で働きかけているので、あらゆる人間も無意識の中では天使の語らいをみんな聞いている。そしてどんな人間も、他人の誰かがこの世で不幸である限りは幸せになれない、という事実を天使は人間の無意識に語っている、という体験なのです。もちろん日常生活の中のわたしたちはそうは考えていません。周囲に不幸な人がいても十分幸せに生活することはできる、と考えています。けれども、毎晩毎晩天使との語らいの中で、天使は人間の無意識に向かってそのことを告げている、というのです。ですからどんな人間も、今いった天使の語る事実を、心のどこかの片隅では、真実だと認めている、というのです。(以下略)”

 

(高橋巌氏講演録「千年紀末の現在とシュタイナー神秘学」関西ルドルフ・シュタイナー研究会出版部より)