聖母マリアへの奉献の祈り | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・聖母マリアと共にささげる祈り (聖グレニヨン・ド・モンフォール作)

 

 “ああ、マリアよ。わたしはきょう、天国のすべての天使、聖人たちの前で、あなたを私の母、女王として選びます。

 わたしはまったき服従と愛情をこめて、わたしのからだも、たましいも、内的善も、外的善も、過去、現在、未来の功徳までもことごとく、あなたにゆずり渡し、ささげ尽くします。わたし自身について、この世から永遠にわたって、これを神の最大の光栄のために、あなたの思し召しのままに、ご自由に処理する権限を、ことごとく、あなたにゆだねます。”

 

 

・「愛と光の家」の祈り (尊者マルタ・ロバン作)

 

 “聖性と愛の道に精通しておいでになる愛すべき聖母よ、わたしたちがしばしば精神と心を聖三位一体に上げ、尊敬と愛に満ちた注意を、いつも聖三位一体に定着させていることができるように教えてください。

 あなたも、わたしたちといっしょに、天国への道を辿っておられるのですから、あなたが愛によって受け入れて下さった、このあわれな旅人なるわたしたちに対して、よそよそしい態度をおとりにならないで下さい。

 慈悲深いおまなざしをわたしたちの上に注いで下さい。あなたの光の中に、わたしを引き寄せて下さい。あなたの甘美なる母性愛を、洪水のように注いで下さい。わたしたちを、光と愛の中に、運び入れて下さい。

 わたしたちを、天国の輝きの中に、いっそう近く、いっそう高く、運び入れて下さい。この世のいかなる出来事も、わたしたちの平和を絶対にみだしませんように。

 また、わたしたちを、神へのめい想から、引き離しませんように、そしてそればかりか、いつの日か、わたしたちの霊魂が、神との一致の輝きに、完全に開花して、永遠の愛との一致の中で、万物を眺めるときがくるまで、生涯の一秒一秒がわたしたちを、神の神秘の深さに向かって運び去りますように。

 ああ、栄えある聖ヨセフ、ナザレトの聖家族の長(おさ)よ。

 あなたは聖家族のあらゆる必要を満たすため、このうえなく熱心に配慮をかたむけておいでになりました。あなたの心優しい配慮を、あらゆる愛の家庭に、あらゆる家庭の父親の上にかたむけてください。

 家庭の父親たちのすべての霊的、物質的用務を、あなたの監督のもとに置いて下さい。そして彼等の収入がすべて、神の栄光と人々の救霊のためになるよう取りはからってください。アーメン。

 すべての恵みの仲介者となるマリア、わが国と全人類を、神にささげてください。平和の仲介者なるマリア、人びとの心にも、すべての国にも、平和を与えてください。家庭の元后(女王)なるマリア、わたしたちのうちに、また、あなたがお愛しになるすべての家庭に、あなたの支配を確立してください。心の女王なるマリア、すべての人、また、わたしたち一人ひとりのうちで、あなたの支配権を行使してください。

 おん父に栄光あれ。

 おん子に栄光あれ。

 聖霊に、栄光あれ。

 いとも聖なるおとめマリアよ、あなたにも栄光がありますように。

 神の母、わたしたちの母、天の女王、地上の女王、あなたにも栄光がありますように。いまも、いつも、世々に、とこしえに。アーメン。”

 

(アラン・フランシスコ/喜田哲也編纂「あいしん 3号 聖母マリア特集」(愛心館)より)

*ローマ・カトリックの聖人、聖グリニョン・ド・モンフォール(18世紀)は、以前にも紹介させていただいた「聖マリアの秘密」の本を書かれた方です。彼は、世の終わりに人類に起こる大災害の啓示をうけ、それに備えるために、聖母マリアに対する信心の重大さを人々に知らしめるために、まず「聖母マリアへのまことの信心」を書き、そしてその次に、「聖マリアの秘密」を書き上げました。その他にも何冊もの著作を残していますが、特にこの二冊は、多くのカトリック信徒たちを聖母マリアへの信心に導き、ヨハネ・パウロ二世教皇もこの本を愛読されていたことが知られています。現在世界60ヶ国以上に拡がる黙想の家「愛と光の家」の創設者で、キリストと同じ聖痕を受け、御聖体以外の飲食物をとることなく生き続けたマルタ・ロバン(1902~1981、2014年にカトリック教会により『尊者』として認定)は、ある日、聖母マリアの御出現を受け、聖母からこの「聖マリアの秘密」の本を渡されて、「私はこの本を世界中に広めたいと思います。これは奉献の本です」と告げられた、と証言しています。どちらの本も大阪府茨木市の「愛と光の家」から購入できます。

 

*ローマ教皇庁は昨日、来週の3月25日(神のお告げの祭日)17時(日本時間では3月26日の午前1時)に、教皇フランチェスコが、ロシアとウクライナを、バチカンとファチマの両聖地で、聖母マリアの穢れなき御心に奉献することを発表しました。式典の模様はVatican Media Liveあるいは、Stream em direto de Santuário de Fátimaでもライブ配信されるのではないかと思います。

 

 “3月25日、教皇、ロシアとウクライナをマリアの穢れなき御心に奉献”

 “教皇フランシスコは、3月25日、ロシアとウクライナをマリアの穢れなき御心に奉献される。

 教皇フランシスコは、来る3月25日17時より、バチカンの聖ペトロ大聖堂でとり行う共同回心式で、ロシアとウクライナをマリアの穢れなき御心に奉献される。バチカンのマッテオ・ブルーニ広報局長が声明した。

 同日、ポルトガルの聖母巡礼地ファティマにおいても、教皇特使として派遣される教皇慈善活動室責任者コンラート・クライェフスキ枢機卿によって、同じ奉献がとり行われる。

 カトリック教会において、教皇たちはこれまでも様々な機会に、様々な形で、マリアの穢れなき御心への奉献を表している。(バチカン・ニュース、3月15日18:00)”

 

 

・ファチマの聖母マリア(ルチア(聖母の御出現を受けた三人の牧童の一人)へのインタビュー)

 

 “一九四六年の面会において、ルチアは、ロシアをマリアの汚れなきみ心に捧げることが、重要な問題であると強調したことについての質問に次のように答えた。

 「聖母が望まれることは、パパ様と全世界の司教たちが、ロシアをある特定の日に、聖母の汚れなきみ心に献げることです。もし、彼らが実行するなら、聖母はロシアを改宗させて、世界は平和になるでしょう。もしそうでなければ、ロシアの謬説が世界の全ての国々に広まり、続くでしょう。」

 

質問 「あなたの考えでは、それは全世界の国々が例外なく共産主義に支配されるだろうということですか」

答え 「はい、そうです。」

 

 その後ルチアは、面会者アッフェルトにも全く同じことを言った。彼は、もう一つの戦争があるだろうかと、彼女に尋ねたので、ルチアは、

 「大切なことは、パパ様が全司教と一つになって、ロシアをマリアのみ心に奉献することだと私は思います」と言って、黙ってしまった。アッフェルトは重ねて、

 

質問 「あなたは、ロシアの改宗は世界に平和をもたらすと確信しますか」

答え 「はい。聖母は、それを約束なさいましたから」

 

(「ファチマの聖母の啓示 ルチア修女の手記」(ドン・ボスコ社)より)

 

*ローマ教皇による聖母マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献は、過去にもヨハネ・パウロ2世によって行なわれており、既に果たされているという解釈の方もおられます。今回のフランチェスコ教皇による奉献が、ファティマで聖母が求められた奉献に該当するのかはわかりませんが、他に伝えられている幻視者たちの証言によれば、この奉献が為されたからと言ってすぐに世界の危機が解決に向かうわけでもなく、すべてのことが成就するまでは、むしろこれをきっかけに今後教皇はとてつもない苦難を経験せねばならなくなるようです。もしかしたら教皇フランチェスコは、ついにその覚悟を決められたのかもしれません。

 

・聖パードレ・ピオ(ピオ神父)

 

 “ミサや告白の外に、祈りの生活のためピオ神父が勧めた主要なことは、祝福された聖母マリアへの献身である。「マミーナ、私の愛すべき小さな母」と、神父は聖母を呼んでいる。自分のすべての霊的子どもたちの上に、優しく、しかも断固として聖母への奉献を押しつける。「全世界の罪人たちに聖母を愛するよう呼びかけるため、充分に大きな声を持ちたいと願っています」神父は言った。

 ピオ神父の聖母への献身の形式はロザリオの祈りである。神父はロザリオを手から決して離さなかった。修道士の一人は、「ロザリオが神父の手の中で根を張らなかったので、驚いています」と言っている。

 亡くなる二日前に、霊的娘の一人にピオ神父は語った。「聖母を愛しなさい。聖母を愛することを確かめなさい。そしてロザリオの祈りを唱えなさい。それは現代世界の諸悪に対する武器です」

 ロザリオを何回唱えるかと質問されて、「(一日)六十環のロザリオを唱えた時は満足です」と答えた。

 この答えに驚いて、友人は質問した。「しかしピオ神父様、どのようにしてそんなにたくさん祈れますか」

 神父は答えた。「それぐらい祈れないのはどうしてですか?」

 ある日、エウゼビオ神父は、ピオ神父の部屋に来て、三環のロザリオを唱えたと、とても誇らしげに報告した。「私は充分に祈ったのでピオ神父から誉めてもらえると思った」とエウゼビオ神父は言った。「ピオ神父にロザリオを何回唱えるのか質問しました。四十環ですか?」

 ピオ神父は彼に答えた。「もっとです」

 「四十環以上ですか?」とエウゼビオ神父は質問した。

 「私は六十環のロザリオを唱えます。しかし他の人には言わないでください」

 そのような長い祈りがどのように時間的に可能かについて疑問に思う。しかし、神父が一瞬たりとも無駄にしなかったこと、群衆が彼の周りに押し寄せていた時、神父はロザリオを爪繰っていたことなどを実感するならば、そして、神父は決してほとんど眠らなかったのを想い出すならば、ピオ神父の祈りの魂がそれほど多くのロザリオを唱えるように彼を導いたと理解できる。

 ある月、聖ペトロと聖パウロの巡教の芝居を、ピオ神父は病院で見物した。彼は観劇に熱心であった。芝居を食い入るように見ていた。しかし、鑑賞の間中、神父は胸ポケットに手をあて、絶えずロザリオの祈りをしていた。

 ピオ神父を六十回以上も訪れたダニエル・ヒッキー神父は、誓いを立てて書いた。

 「ピオ神父は、カプチン会修道服の胸ポケットの中に右手を入れて立っているのが常であった。手をポケットから引き出した時、二、三回、彼の手が小さな数珠を爪繰っているのが見えた。ある人は言っている。ロザリオの祈りは、一、二秒の間に容易にできる短い叫びの祈りである、普通の人がロザリオを寛で爪繰るのと同じくらいの速さである。会話の途切れる時、どんなに短い時間でも、彼の唇は微かに動いていた。短い祈りをもう二つ三つ祈っていたのである。しかし、これは見せびらかしではなかった。神父の手が修道服の胸ポケットの中で絶えず動いているのは気がついていたけれども、長いこと、何をしているのか知らなかった」

 心の中に燃えさかる火を感じてピオ神父が考えていたのは。聖母マリアのことであった。‥‥‥”

 

(ジョン・A・シュグ「ピオ神父の生涯」(聖母の騎士社)より)

 

*何度も書いておりますが、ネット上で見かける「ピオ神父の暗黒の三日間の予言」なるものは捏造されたものであって、ピオ神父はこのような予言は残してはおられません。このことはカプチン・フランシスコ修道会がはっきりと否定しています。この「暗黒の三日間」の話は、もともとは福者アンナ・マリア・タイージの予言の中にあるものですが、たとえこのようなことが実際に起こるとしても、聖母が求めておられるのは人々が神に立ち返ることであって、あれこれ物質的な備えをすることではありません。

 

・エドガー・ケイシー

 

 “プロテスタントの人々はこのような話に反発を覚えるかもしれないが、ケイシーのリーディングは、マリアはイエスと同じく、「子宮に宿った瞬間から原罪を持っていなかった」と断言している(5749-8)。このことは「マリアの無原罪懐胎」を主張するローマ・カトリックがこの点で正しいことを裏付けるものである。”

 

 “リーディングは終始一貫してマリアを高く評価している。マリアは処女懐胎によって母体に宿っただけでなく、非常に神秘的・不可思議な概念であるが、「地球に関する限り・・・、主が地上に入られた際に、マリアは主と双子の魂(ツイン・ソウル)であった!」(5749-8)”

 

  (リチャード・ヘンリー・ドラモント「エドガー・ケイシーのキリストの秘密」たま出版より)

 

 “ 「ロシアの宗教的発展に、世界の大きな希望がかかっている。そのような関係を密に持っている集団が、ゆっくりと進む変化の中でうまく立ち回るであろう。」(3976-10、1932年2月)

 

 「ロシアの中に世界の希望は生まれるだろう。共産主義の希望ではない。人間一人一人が同胞のために生きるという自由である!その原理はすでに生まれている。形をとるまでには幾年もかかるだろうが、ロシアから再び世界の希望はやってくる。それは何に導かれているのか。『われら神を信ず』という言葉を貨幣単位の中にまで刻みつけている国との友好である。」(3976-29、1944年)。”

 

(林陽「エドガー・ケイシー世界大破局への秒読み」(曙出版)より)

 

 

・聖母崇拝(崇敬)について  (カール・グスタフ・ユング)

 “・・・聖母崇拝は民衆信仰のレベルでは時代と共にますます強くなっていった。マリアが死後肉体のまま昇天したとする聖母被昇天の信仰は既に4世紀の外典から現われ、東方では4、5世紀ごろから、また西方では7、8世紀ごろから昇天祭の習俗が生まれた。
 ユングはある講義の中で、パリ郊外シャルトルの聖堂の由来についてふれている。シャルトルは中世の聖母崇拝の霊場として知られている。この街の聖堂は11世紀から13世紀にかけて建立された有名なゴシック建築であるが、聖堂の中心にクリプト(地下玄室)がある。ユングの説明によると、この聖堂のある場所は、もとはキリスト教以前の古代ケルト族の聖地だったところで、泉のほとりにケルトの処女神が祭られていた場所だったという。キリスト教が入ってから、この原始の地母神の神域はキリスト教の聖地に変わり、ケルトの処女神は聖母マリアに変身したのである。クリプトは地面より低い泉の位置に女神の祭壇があった痕跡らしい。ローマ時代のキリスト教寺院にはこういう例が多いという(西欧にキリスト教を布教した法王大グレゴリウスは、異教寺院を破壊せずに、キリスト教の寺院として用いよと命じている)。これらの例からみても、聖母信仰が異教の地母神信仰を吸収して、民衆信仰の底流を形成していったことが知られよう。つまりユングに言わせれば、キリスト教というものは、原始時代以来の民衆信仰の地層が何重にも重なって出来た大木のようなものであって、みえない地下の根には異教的要素がたくさん見出されるのである。ユングはそういう精神の底層が果たしている役割を重視しなくてはならないというのである。
 教義学の歴史をみると、聖母被昇天の信仰は8世紀ごろから論議の的になり、いわゆるマリア無原罪説が唱えられる。13世紀のトマス・アキナスらは、無原罪説は認めなかったが被昇天説は支持している。近代に入って、法王ピオ9世は、1854年無原罪説を教義として採用し、さらに1950年には、ピオ12世が聖母被昇天を教理として公布したのである。これらの教義はいずれも教会内部の神学論争から生まれたものではなく、民衆層から起こってきた要求を教会が受け入れたものである。この点に聖母崇拝の独特な性格がみられる。エロス的なるもの・女性的なるものとキリスト教の精神的伝統とは、論理的になじみにくい。しかし、カトリック教会がこの信仰を許容したことは、中世ヨーロッパの社会にみえない大きな精神的安定作用をもたらしたように思われる。聖母崇拝はグノーシス思想の流れをくむ中世の錬金術的世界観と深く結合しながら、精神史の底流として展開してゆくのである。ユングは、聖母崇拝が教義的疑問点を含んでいるにもかかわらず、古代から現代にいたるまで常に民衆信仰の大きな支えになってきたという事実を重視する。彼の言うところに従えば、聖母崇拝は非キリスト教的思想として退けるべきものではない。もし疑問があるとすれば、あらためるべきはむしろ教義学の方なのである。教義体系が人間の心理的経験の基盤を失い、魂の本性と相反するものになってゆくならば、それは信仰にとって有害な結果をもたらすであろうからである。ここでは、神学者の知的思弁よりも民衆の直観の方がかえって正しいのである。

               (湯浅泰雄「ユングとキリスト教」人文書院より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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