太古の楽園世界 (母系制社会) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “ともすれば、私たちが有史以前の歴史について学ぶとき、人類はまだ野獣に近く、すさまじい暴力と戦争に明け暮れていた時代だと考えがちである。しかし、それは現代人が作り出したイメージにすぎない。人類はもともと戦争に明け暮れていたわけではなく、それは後になって出て来たということを、古代文明の遺跡は伝えている。

 女神信仰を中心とした古い遺跡からは、組織的な戦争があったことを伺わせるものは、何一つ出てきていない。農具や祭器用の斧などは出てくるが、武器が発見されず、戦いで死んだと思われる遺体も出て来ないのである。

 トルコのチャタル・ヒュユクでは、命を尊ぶ態度は、人間ばかりではなく動物にも及んでいた。チャタル・ヒュユクでは菜食主義が一般的であった。すでに動物は飼われていたが、肉をとるためではなく、ミルクやウールをとるためだったり、あるいは単にペットとして飼われており、まだ動物を生贄として捧げる風習はなかった。

 一九六一年から一九六三年にかけて、チャタル・ヒュユクを発掘したイギリス人の考古学者ジェームズ・メラートは、チャタル・ヒュユクには、文字通りユートピアと呼んでも構わない平和な社会が存在しており、どの神殿でも女神が崇拝されていたと断言している。

 また、シュメール人が作った都市アララクを発掘したレオナルド・ウーリーは、不思議な事に武器が一つもないことを驚きをもって報告している。

 そのほか、紀元前三〇〇〇年頃に栄えたクレタ島での迷宮での驚くべき発見は、敵の侵入を想定した城塞が築かれていなかったことである。ここを発掘したのはアーサー・エヴァンズだが、彼は次のように述べている。

 「(クレタの)ミノア人は、平和な環境で快適な生活を営んでいた。戦争や市民の争いのための武器や、外部からの侵入を防ぐものを、何一つとして持っていなかった」

 またモヘンジョダロの遺跡でも、何千年もの長い間、戦争がなかったことがわかっている。

 すなわち有史以前の多くの遺跡を調査した結果、何千年にもわたって戦争がない社会が、歴史的な事実として存在することが明らかになってきているのである。そして、それらの平和な社会で崇拝されていたのは常に女神であった。

 母なる女神が崇拝されていたところでは、いっさいの戦いは悪であり、ましてや人間同士が武器を手にして、組織的に戦うことなど許されなかった。

 女神文明時代に生きた人々は、大地の豊穣さを謳歌し、すべての良きものは豊穣の女神から与えられると信じて、平和な生活を送っていた。それは、今の人が言う楽園の世界でもあった。

 ケルト民族の間でもまた、「常若の国」と呼ばれる楽園伝説がある。大変、興味深いことに、この常若の国を治めるのは、女王であり、あるいは女たちの国であると伝えられている。

 楽園神話は、人類が想像力を駆使して作り出したことではなかった。それは、かつて地上にあった世界なのである。まだ人類が自然と敵対することもなく、豊穣の大地の女神の懐に抱かれて生きていた時代があったことをそのまま伝えている。

 その時代、人類はまだ大地を荒らすことをしないまま、平和を好み、森や海に住む動物と共に日々、おおらかな生活を送っていた。そしてその時代、死はまだ恐ろしいものではなく、それは再び安らかな女神の懐に帰ることであった。”(P26~P28)

 

 “母系制社会は、一般に、歴史の早い段階で消え去ったと考えられている。それは、原始的な社会や科学を有したに過ぎない文明であったと考えられてきたからである。しかし、母系制社会が特殊な人類学の対象になってしまったのは、世界史的にはたかだか二〇〇〇年前のことであり、日本では、ほんの七〇〇年ほど前のことに過ぎない。

 言い換えれば、母系制社会はヨーロッパではつい二〇〇〇年前までは、ごく一般的だった世界である。エジプトではクレオパトラの時代まで、そして日本では、武家社会が出てくるまで、庶民の家族制度の基本的な慣習となっていた。

 さらにトルコの母系制時代の国々は、農業ばかりではなく、様々な科学技術を発達させている。それは、法律から、航海術、天文学、冶金術、建築術に及んでいる。

 たとえば、世界の七不思議として古代人から絶賛された建築もあった。その一つは、トルコのエフェソスのアルテミス神殿であり、もう一つは、ポドルムのマウソロウス霊廟である。これらはともに母系制社会を形成していたカリア人によって建てられたものであり、その時代、いかに壮大な技術の発展をみたかを示すものである。

 母系制時代において、これらの高度に発達した技術は、人びとの生活を美しくうるおすものとして使われていた。(P33~P34)”

 

(伊藤俊太郎氏インタビュー「女性原理と文明」から)

“伊東 だけどはっきりしていることは、縄文時代の偶像はすべて女性ですよ。

 ―― そうですね。

 伊東 全部、女性と言っていいと思う。だから女性としてみなきゃいけない。あの目の大きい遮光器土偶を宇宙人と言っているけれど、女性ですよ。そして妊娠という事が非常に問題でしてね。妊娠線なんかを描いているのもありますし、梅原猛さんも言っているけれど、すべて女性ですよ。だから、そういう対応をやって見るのは、すごく面白い。古ヨーロッパと古日本という対応はね、すごく面白いと思う。

たぶんマリヤ・ギンブタスが調査した女神像と、縄文時代の土偶の分類は、ほとんど対応して成り立つんじゃないかという気がしている。そして縄文時代において特殊なことは、つまり古ヨーロッパと違うのは、非常に速い時期から土器が作られているということですね。

 古ヨーロッパで土器が作られたのは、遡っても紀元前七〇〇〇年でしょう。だけど縄文はね、一番古い縄文早期の土器というのは紀元前一万年、つまり一万二千年前。この違いは気をつけなくてはいけない。この土器を誰が作ったかだ。それは今まで男性が作った、と根拠もなく言われてきたけれど、実は女性だという気がする。というのは、この間、どこかのテレビでもやっていたけれど、古い土器を再現しようというんで、東南アジアの人を皆呼んでね。伝承されてきた土器を作る人を呼んだら、みんな、女性でしたよ。五人くらい、みんな女性でした。

 ―― そうですよね。私も昔、インドネシアにあるミナンカバウ族の母系制社会を訪ねたことがあるんですが、びっくりしたことがありました。農業は、体力のある男性がやっているのかと思ったら、働いていたのはみんな、女性だったんです。小さい子供から七十才のお祖母ちゃんまで全員が女性。それで夫は何をしているんですかと聞いたら、夫は家で子供の面倒を見ていますという答えが返ってきてびっくり。ああ、まさしく農業というのを発明したのは、やっぱり女性なんだという確信を得た思いでした。どうも女性だけが農業にたずさわっているというのは、宗教的な意味もあって畑で働くのは女性だと考えているんじゃないかとも思うんですが。

 伊東 そう。それはね自然の豊かさ、豊穣、生み出して育てるという概念、これと女性は親近なのかもしれない。農業と言うのは耕して育てて生み出すわけだから、生命力を共感しなければならない。そういうことが一方であるかもしれない。潜在的にあるでしょうね。ですからね、縄文土器は女性が作ったという目で見てもらいたい。初めから。

 ―― そうするとこれまでとは全く違う歴史が見えてきますね。

 伊東 火焔式土器なんかすごいよね。男性の作り手もあったかもしれないけれど、だけど女性の作り手というふうには日本の考古学者は言わなかった。

 ―― 暗黙の了解で男性と考えていますね。

 伊東 僕はそこのところはひっくり返さなければいけないと考えている。それでマリヤ・ギンブタスについてもう少し続けると、ヨーロッパの母系制社会が遊牧民によって、父権的なものに変わってゆく。だけど古い女神を完全に消すことはできなかった。それがアルテミスとかキュベレとかヘカテとか、イシスとかいった地中海に残っていく女神たちなんです。それは、キリスト教のマリアにまで繋がっていく。ミケランジェロのピエタにまでこれが続いてゆく。ここでもう一つ注意すべきは、クレタというものをやっぱり注目しなければならない。(P343~P347)”

 

 “水上 どんなに気まぐれな恋愛にしろ、女性は生む性である限りは、すごく長い時間を見ているような気がするんです。たとえば、先史時代の遺跡の中でチャタル・ヒュユクというところがあるんですが、そこから出てきたものでとても面白いものがあるんです。それは四人の人物が並んでいる小さな石像なんですが、一方には女と男が抱き合っている、そしてその隣で母と子供が抱き合っている、これが一緒になっている。これは私は非常に女性的な考えを表していると思うんです。

 実際には、いちいち子どもを生むわけではないにしろ、可能性として男性の向こう側に子供という未来を見ながら恋愛をしているのではないか。女性の後ろには延々と流れてきた長い時間があって、そして前にはまた延々と長い時間がある。その中の一点として女性は、恋愛を見ている。(P391~P392)”

 

   (水上洋子、葉月純「女神の時代 女性原理が21世紀の文明を作る」星と森 より)

 

*この本「女神の時代」には、古代エジプトやギリシャ、メソポタミアだけでなく、古代エリトリア、インドネシアの母系制社会についても詳しく記述されており、なかなか勉強になりました。私も縄文土器の製作者が女性とは、考えたことがありませんでした。著者のお二人は、大学とかの研究機関で専門的に研究しておられるわけでもないようですが、よく調べておられると思います。この本の中にトルコのチャタル・ヒュユク遺跡のことが何べんも出てきますが、「霊界物語」によると、最初に艮の金神様が霊主体従の神政を行われたのは、現在の小アジア(ただし場所はチャタル・ヒュユクではなくエルズルム)であった、ということで、さらに、出口ナオ開祖の御筆先には、大本の代々の教主は女でなければならぬ、とも示されており、本の内容と通じるものがあるように思います。ただ、艮の金神様は男神でありますし、出口ナオ開祖は変性男子(=女体男霊)、出口王仁三郎聖師は変性女子(=男体女霊)であって、単純に男か女かということでもないような気がします。

(イシュタル像(シリア出土)