女性への性暴力について (女神達の復活) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・女性への性暴力について 

 

 “レイプは「まさに人間の本性」であり、したがって根絶することはできない、という考え方はわれわれの心に強く根をはっている。ある地方検事は次のように語った。「レイプはなくならないですよ。レイプのない世の中なんて、ありえない。アダムとイヴだろうと、ルーク・スカイウォーカーとレーア姫だろうと、私の知ったことじゃないが、とにかく日常茶飯事さ。まさに人間の本性なんだから。」

 

 しかし、レイプはけっして「人間の本性」などではないし、「自然な」ことでもない。部族社会におけるレイプを研究した人類学者のペギー・リーヴス・サンデーは、九五の部族社会のうち、レイプのみられない部族が47パーセント、レイプの起こりやすい部族が18パーセント、そしてその中間の部族が35パーセントだったと報告している。

 

 サンデーによると、

 「部族社会におけるレイプは、人間どうしの暴力、男性の優越性、性による分離と同様、文化形態の一部をなしている。ムンドゥルク族に関してマーフィスが述べているように、レイプの起こりやすい社会では「男性は……ペニスを使って女性を支配する」。何が原因でレイプの起こりやすい文化形態ができあがるのかという疑問は残る。かなりの証拠からすると、このような文化は、食料の枯渇や移住その他の要因のため、女性の生殖能力より男性の調達能力のほうが重視されたという歴史をもつ社会に生じることが多い。」

 

 サンデーによると、人間が周囲の環境と調和している場合はふつうレイプは生じない。

 「重要なのは、レイプは生物的本能として人間に備わっているものではなく、社会的に身に着いてゆくものだということである。レイプは男性の本性に最初から備わっているものではなく、暴力に訴える習慣のついた男性が社会的自己を表現するときの手段なのである。成熟した女性の美や、生命の神聖さを尊重することに慣れている男性は、女性に暴行しない。自然を聖なるものと見る社会ではレイプがほんの稀にしか生じない、という事実は注目に値する。”

 

        (ティモシー・ベイネケ「レイプ・男からの発言」ちくま文庫より)

 

 

・「女神」というシンボル

 

 “女神崇拝の考え方が保たれている社会では、強姦は―― 夫婦間であろうとなかろうと―― まず起こらない。女性のセクシャリティーはほぼ十全に開発されている。(バーバラ・ウォーカー『女性のための神話と秘密の百科』(一九八三年)”

 

 “西洋の宗教が身体、自然、そしてこの世界から疎外されるにしたがい、女たちは男を生み出す文化に比べてより肉欲的で、世俗的だとみなされたために貶められてきた。……女の身体とその力への侮辱は、西洋文明における出産の捉え方により明白に表れている。……女性解放運動は、女性が自分の身体をコントロールし、自らの進退に誇りを持つことが必要であると主張し、自然出産と自宅出産の唱道者を支援してきた。

 「女神」というシンボルは、こうした女の身体とその機能に名を与え、取り戻すプロセスの助けとなる。古代世界において、あるいは現代の女たちの間でも、女神というシンボルは自然と人間世界における出産と死、再生のプロセスを表すものである。女性の身体は、生命と死のサイクルを直接的に表現あるいは具体化したものとみなされている。(キャロル・P・クライスト〈ヘレシーズ〉誌 一九七八年春季号)”

 

 “歴史学者ヴィンセント・スカリーは、クレタ島で最も大きな建築学的意味をもつのは宮殿ではないと主張する。もっと重要なのは、そうした建築物がどんな風景のなかに建てられているかという点だという。同島では、ギリシャの他の地域と同様、寺院は周りを高い山に囲まれた谷間に南北方向に建てられ、そこから円錐形の丘の渓谷、さらにはその先に洞穴の神殿を抱く切り立った山か双峰の山が見晴らせるのが典型的な形となっている。クノッソス宮殿では、こうした地理的特徴は「聖なる峰々」に見ることができた。宮殿を建てる正しい位置を見きわめる際には、風景を「女神」の身体としてとらえることが強調された。谷間は宮殿を抱く女神の腕、円錐形の丘は女神の乳房すなわち養育能力を示し、切り立った山々は女神の「窪み」すなわち外陰部の割れ目で、大地の活動的な力を示し、洞穴の神殿は生命を生み出す子宮を表していた。(ミミ・ローベル〈ヘレシーズ〉誌 一九七八年春季号)”

 

  (スーザン・グリフィン「性の神話を超えて 脱レイプ社会の論理」講談社選書メチエより)

 

 

・聖母マリアへの崇敬 〔ルドルフ・シュタイナー〕

 

 “神智学において、一面的な男性的努力は克服されねばなりません。中世に、霊的な方法で、男性の中に異性を創造する準備がなされました。男性は集中を通して、後に存在として発生すべきものを、まず思考の中で創造しました。その準備として、中世に、マリア崇拝が発生しました。マリア崇拝は、男性の中で女性を生み出す行為に他なりません。イエス崇拝が女性の中に男性を生み出すのと同じです。このような基盤からマリア崇拝は発生したのです。”(ルドルフ・シュタイナー『男性の叡智と女性の叡智』)

 

   (アラン・ハワード / ルドルフ・シュタイナー「性愛の神秘哲学」創林社より)

 

(聖者ラーマ・クリシュナが崇拝した、ドッキネッショル寺院(カルカッタ)のカーリー女神像)