アマヤドリ -90ページ目

夜と輪郭



やわらかなのにくっきりとした、
そういうおんなのひとになりたい。

淀みなくはなすそのひとの移り変わる表情をずっと見ていた。
どんな感覚でいたらよいのか、
定まるまでずっとどきどきしながら。

すとんとここに落として、
じっくりしみわたらせてから、
だからそこには今までの私と、新しいわたしがいるはず。

たえず。


停滞しない。
やわらかくみちくさをしながら。

そうして
ひとすじの流れる星をみた。

『キリクと魔女2』

4つの話のうち、キリンの頭に乗って知らない土地の旅をする話がものすごく好きだ。
ちいさいキリクがキリンの頭に乗るというだけでもう全然違った世界を得るのに、キリンはずっとあちこちを歩いてくれる。
新しい世界をみるどきどきや、知らない色のにおいや、恐いようなけものの声…見ていて不思議なくらい胸がつまった。
一緒に体験しているみたいに。

そのなかでも一番すごいと思ったのは瀑布を描いたシーン。
シンプルな線、たった2色の濃淡で無尽に踊る水をあらわしている。
散る水に冷やされる空気や叩かれた泥の匂いまでしてくるようだと、呆然と見つめてしまった。

アニメが表せることってこういうことなんだよ、と胸が踊った。
もちろん、実写さながらのCGを否定しているわけではない。すばらしいなと感じるものだってたくさんあるのだから。

けれど、なぜこの手法なのか。なぜこの方法でで世界を表しているのか。
モノクロで、弦で、ことばで、動きで。なんでもそうだ。
どうしてこの手段を使いたいのか。
そのことを自らが知っているひとのつくったものは、強い。
だから、まっすぐとどく。
アルバトロス
キリクと魔女2 4つのちっちゃな大冒険

ゆさぶるのはやっぱり。


このごろずっとまた自分の周囲のほんの狭いところだけでぎゅっと凝縮してしまっている感覚があった。
空気も動かないし、芯のこともわからない。
もしかしたら、このがさがさした毛糸をほどいていったらずっとするすると毛羽立った枯れた紐が延々と、何もこのらないところまでとけていってしまうのではないかという気がしてきていた。
光がさすには、対象物がないといけない。
ひかりがゆき当たらないのはそこになにもないからじゃないか、風が運んでくるものがないからじゃないのかな、と、少し行き詰まったような気持ちになっていた。

いくどもこんなことを書いている。
やっぱりこの繰り返しなんだなぁと思う。
繰り返しが無駄だとはやっぱり思わない(思わないようにしている)ことは、救い。

もがくにも揺れる場所が必要なのに、うっと詰めた息のようにぐっと噛み締めた奥歯のように重く淀んでただそこにとまっている。
切実さがないからさらにたちがわるい。

だからといって、ここで固まってそのまま崩れてしまうわけもないんだ。
そのことがわかっているからこうして、反芻してみることができる。
探ってつめをひっかけて、揺るがして奥底の反応を見る。
ちょっとした、甘え。


雨だ。
今日の雨はきらきらしてる。

きっと不安だったんだ。
自分がほんとうにできるのかということが。


きらきらした夜道。

『断絶』

モカシンや中途半端な長い髪やちょっと可愛いセーターや。
まさにイメージのなかの70年代。
ビーチボーイズのデニス・ウィルソンなんて実際には知りもしないのに、村上春樹と結び付いてこれも70年代の匂い(香り、じゃなく)を放つ。
この登場人物たちのような生き方を誰もがしていた(ように見える)70年代ってすごい時代だ。

シボレーのエンジン音がしぶくていい。
ついこのあいだ、車を手に入れるとしたらどんな車がいいかと友達と話して「私はエロい車に乗りたい」と発言してびっくりされた。が、私がイメージしていたのはたぶんこんな、古いアメ車とかヨーロッパ車のこと。

ガソリンの匂いは嫌いだけどエンジンの音は好きだなぁ。こんなふうにくぐもった、不機嫌な雲を震わせるような音。


GTOに乗るおじさんが最初はなんだか好きになれなかった。口をまげて笑うところも目を縁取る頭蓋骨のかたちもそこにできる照りとしわも。手塚治虫の漫画に出てくるぬめっとした刑事役のキャラクターみたい。
骨に張りつく肉もそこに巻毛がはりつくのも、苦手だ。と思って見ていた。
けれど旅するうちにだんだん悲哀みたいなものが滲んで見えてくるようになってくる。嘘ばかり軽くぽんぽんと出てくるその口を動かす彼に積もったあれこれを、痛みに似た感覚とともに想像することになる。
この痛みは自分のちょっとした恥とか小さな後悔とか…取り沙汰するほどでもない、けれどかっこわるさを大人なフリをしてぽい捨てしている自分との対比からきたものなのかもしれない。
つまりおじさんへの哀と、自分への悲、のような。

おじさんはすごく人間らしかった。
ぬめりなのに、ナンバープレートと格闘して子供みたいに眠り込んだりしちゃう。
私がおじさんのことばかり書くのは私がこの年でこれを見たからなのだろうなぁという気がする。

女の子はとてもリアルだった。
最後のほうにおじさんと入ったカフェの後ろの棚がやたらと色鮮やかなおもちゃだらけで可愛かった。


ラストが衝撃的だと何かで読んだことがあってどういうことなんだろうと思っていたけれど、なるほどな、だった。
その震源地のことだけはわかっているのに、やり場をうまくみつけることができない、ように見える彼のなかの感情。からだの幅よりも大きく揺らすまいとしているかのような。
だけどふつふつとそれはたぎっていて、ああやっぱりな、と思うこちらの共感を急に追い抜いて増幅し、あっと気付いたときには臨界してる。
そんな、ラスト。

埃くさくて苦くて乾草の匂いがするみたいなロードムービーでした。
キング
断絶

ヘンデルとグレーテル


景色は、反芻することでかおりや温度を得る。
呼び戻して再現することでそれは皮膚の内側をとおり、そのときの感触を覚えるようになるから。

なんども繰り返すことになる景色や想いを、今この瞬間、私は味わっているのかな。
今ひとみをひらかないと、未来の私はそこを振りかえることもできない。


森をあるく幼い兄妹のように、闇のなかにぼんやりと光るパンくずをまかなきゃ。



ああ、だから写真をとりたいのかな。
留めておけないものたちのために。