アマヤドリ -88ページ目

『パフューム』

信じられないような感覚だった。
あれだけ、感覚に固執できたらすごいな。
私は鼻がそんなに利くほうではないから、どうしても色のことを考えてしまった。世界のあらゆる色のこと。見える色やことばの色や、温度や肌ざわりの色。

ただただそのことを純粋に追っているから不思議と嫌悪感がない。だからといってあんなことがまかりとおっていいわけはないけれど。

けれど彼もほんとうに匂いそのもののことだけを執拗に探っていたのではなくて、本当はそのいしずえに自らの存在への探求というものがあったところが、やっぱりこれが人間なのかなぁという気がした。
けれどはたと、じゃあ動物はどうなんだろう。犬は?ジャッカルは?うちのちゅんは?
そこに、個としての存在がからまないわけはない。

主役の俳優さんにものすごくひきこまれた。役柄そのものを体液や心音すべてを包んだ肌で生きている。
瞳のひかりは人間離れしていて、けれどどこまでも人間以外ではありえない。
実在した人物だそうだけれど、どこまでが伝説でどこまでが真なのだろうか。
後半のまさか、というような奇跡や終焉がなかったら、もしかしたら体験のような感覚だけがずっと残ってしまったかもしれない。

原作を読んだらどんな匂いを感じるのだろう。
映像からは、かえって匂いを感じなかった。(そこがすごい、とも思ったのだけれど)


お父さん役のひと、見たことあるなぁって思っていたらスネイプ先生だった。
それから終わってから気付いたのだけれど音楽がサイモン・ラトルとベルリン・フィルだった。
おもしろいなぁ、ベルリン・フィル。
香りを音楽にするという試み。
ギャガ・コミュニケーションズ
パフューム スタンダード・エディション

黒鳥から妖精へ



舞台、無事に終わりました。

今は胸がいっぱい。
終わってしまった淋しさもそこにはだいぶミックスされている。
そんな、楽しかったこの作品づくり。

実際にはすごくうにゃうにゃと考え込んだけれど。自分のなかで何かがとまってしまって焦ったこともあった。
そうだ。結構、どうしようって思ったかも。
でも今考えたらその止まってしまったところって、私が今まで以上に受け入れようとしたから起こった反応だったんだと思う。
バレエを踊るということに対して何の言い訳もしたくないと思ったということなのかなと思う。いまさら!な幼稚さなのだけれど、頭から芯に辿り着く速度がなかなかに鈍い部分であったからこれは仕方がない。
だけどじわじわと、それが作用していて、私はいっとき自分を見失った。
どうしたら気持ち良く踊れるんだっけ?私の感覚たちはどこにいっちゃったのかな。どうして空中にもっといられないんだろう。なんでぎりぎりまで使おうとするとこんなにみんなとズレちゃうんだろう。
求められてることも汲み取りたい、私の体がやりたいこともやらせてあげたい、そしてそれが共生できないわけないということも知ってる。
なのになぜ?
って。

停止。

だけどなんだろ。
みんなの感情が高まってくるにつれて、だんだん私も視界がクリアになっていった。
霧が晴れたのはゲネだったかも。
光があって、お手伝いのかたやスタッフさんが客席で観てくれて、そして本当の感情でみんなが舞台にいる。
ああ、いいんだ、これでいいんだ、私は今この作品をどんどん発見してる。大きく飲み込んで、吸い込みたいことを逃さずにいよう。からだがどう動きたいのか、どうみせたいのか、黒鳥のすがたをした私はいったいなんなのか。
ぐるぐるめまぐるしく拾って、味わってみて、こころのなかはどきどき高まって、
だから私は本番中もずっとただそれを体験していた、ような気がする。

ちゅん1号の書いてたことが、ばしんと背中をたたいてくれた気がする。
黒鳥である私は、やっぱりもしかしたらオディールの心の一部であり続けたいのかもしれない。単純な意味での悪でもなく、オディールと別の人格ではあるんだけど、投影でもあるというような。
もしかしたら、あと1週間公演が続いたら別の気持ちになったかもしれないけど。

生きてるんだな、と思う。
少しでもこの作品に息を吹き込めたらいい、という祈りは、通じたかな。


踊りって楽しいんだよ、って感じてほしくて私は舞台にたってるのかもしれない、と昔よく生徒や友達に言ってた。
あの頃よりずっと私のなかは複雑に入り組んで、抱えきれないくらいの想いをぎゅっと詰め込まれて、今はもう踊る意味なんかことばにはできない。きっとどんなにうまくまとめようとしても、ひとことでは無理。色を重ねるようにして、そして感じてもらうという方法でなら、もしかしたら。
だけど、舞台って楽しいんだよ、は、このみんなと踊るようになってからますます濃くなった。
楽しいって単純なことばだけれど、なんて素敵なことなんだろ。


決めてしまわない分、瞳が迷わなかったのかもしれない。感情を、わたしを、そのまま観ようとしてたから。
包みたくてその先に辿り着きたいのはいつも同じ。

今回は、制御できない暴れ方をしなかった。
次は制御できないくらい暴れつつ、乱さず保つ、というところまでやりたいな。
だってやっぱり暴れるの好きなんだもの。


忙しさにかまけてメールやメッセージのお返事が遅くてごめんなさい。
大切にお返事します。

見守ってくださってありがとう。
応援をありがとう。
ほんとに、少なくとも私にとっては踊りと気持ちはしっかりと手を結びあっているから、舞台が素敵に無事に終えられたのは、いただいたちからによるものが大きいのです。
ほんとに。
ありがとうございました。

それから一緒に踊って、悩んで、ご飯食べて、おばか話や恋話して、…の同期組も、ありがとう。




さて!
淋しがる間もなく、11月9日、10日にもまた踊ります。
明日も朝から稽古。演出の先生を酔っ払わせて稽古なしにさせよう作戦は失敗に終わりました。


■第46回バレエ・フェスティバル
『レ・フェドレ』振付:佐藤宏(ラ・ダンス・コントラステ)
11月9日(金)18:30~
11月10日(土)15:00~
メルパルクホール
S席6000円 A席5000円 B席4000円


お時間あったら、みにきてください。
ぜひ。

今日も本番



昨日はおかげさまで楽しく踊ることができました。
今回は珍しく、楽屋でも全然食欲がわかなくて変なテンションでした。
いつも本番といえば楽屋でのお菓子なのにね。
だからって元気がなかったわけではもちろんなくて、元気ならいつも以上にあったのです。踊りを見てくださったかたなら分かるように。
きっと、どこか緊張していたのね。

今日も本番です。
今日でこの白鳥を踊ることは少なくともしばらくはないし、みんなと過ごしたリハーサル期間も終わっちゃうんだと思うと本当に寂しい。
今回はほんとうに本番直前までこの「寂しい」がなくて、よほど余裕がなかったんだなあ、って思います。
でも今は切実に寂しい。
寂しがる前に本番のことを考えろよ、だなあ。
でもね、ほんとうにほんとうに私はこの、一緒に踊るみんなが好きなのだと思う。
時々みんなとふざけて笑っていると、きゅうーって涙が出そうになるときがある。
みんな踊りに対して真剣で、だけどそこにぎゅっと凝り固まらずたくさんの幅を持っていて、すごくすごく忙しいひとたちなのにいつもにへっと笑ってくれて、帰ってきたみたいな気持ちになる。
もっと私も、素敵なダンサーになりたい。
今も私なりに素敵なところはあると思ってるけど(笑)、だけどもっともっと。

今日もまたひとつ、みんなで素敵なものを生み出せますように。


昨日来て下さったみなさん、ほんとうにありがとう。ええ!来てくださってたの?というサプライズを日記で下さったかたも。ふふ。
楽屋でお会いしても胸がイッパイでいつも「ありがとね」ばっかりしかいえないけど。ゆっくりありがとうのメッセージをお送りします。
応援の言葉をいただいた皆さんもありがとう。
そして今日来てくださる方も、ありがとう。気をつけて来てね。

今日は本番

白鳥の湖、本番です。
どんなふうに踊ることができるのか。なにを発見するのか。
舞台は私にとっても手に負えないいきものです。
なのでいっしょに、精一杯暴れてきます。

メールやコメントへのお返事をしていなくてごめんね。
だけど全部読んで、からだにしみ込んでいます。
ともに舞台にあげてきます。
ありがとう。


で!
チケットはまだあります。
突然いらしても大丈夫!
なのでふらりと遊びに来てくださいね。

あと、私たちのカンパニーの写真集ができました。
すんごい素敵なモノクロです。
アマゾンや書店にも並ぶことになるのですが会場でも販売していますので、お手にとって眺めてみてね。


ではでは、いってきまーす☆


■ラ・ダンス・コントラステ定期公演
『le noir?白鳥の湖?』
2007年10月29(月)・30(火)19:00開演
全労済ホール スペース・ゼロ(新宿駅より徒歩10分)
全席指定5000円(22歳以下の学生は2000円 ※前売りのみ)
コントラステHP http://www.contrastee.com/index.html

ざわめきを生む、静止


ちいさなマグマをはじめてみるもののように眺めまわす。
ざわ、ともせず静かにとどまっているのに、いや、だからこそ奪うのか。

空の低い位置に強く光るシリウスを、今年はじめて意識して思わず立ち上がる。
ふいにそれまでずっと嗅いでいた淡い香りが消え、それがどこからきていたのか、と月明かりに呼吸をはじめた花たちをふりかえる。
ひとつずつ顔をよせて確かめようかと思ったけれどやはりやめておく。夢のように微かなままでいい、と思う。月明かりの下ではどの花もいろどることをやめて素肌でいるのだから。
記憶に縫い留めておけないほどかおりはほのかで、そっと目を閉じたけれどもういちど見失ってしまった。
だけどそれでいい、とまた思う。
このひかりがいっときもとどまらないように。
それでいい。

砂時計のかたちの星座の右端に薄く雲がかかっている。きっとこのまま返せば零れ落ちてしまうだろう。
こぼれた先を探している間にその雲はどこにも流れることのないまま、暗い空に溶けてしまった。


通り過ぎるものばかりのなかに私はいて、少しでもつかまえたり映しとったり押し止めたりようとやっきになっている。
ほんとうは私自身もそこに含まれているのに。
流れていることを感じるだけでいいのだと思う。そうでしょ?と、こんな日にはそう思える。
ときどき。
とりこぼすものも、しがみついた途端に剥がされてしまうことも、恐れなくたっていい。そして同時に恐れてみたっていい。この内側では濁流もしんと動かぬたまりも同じことなのだから。
けれど、とまた思う。
このどんと居座ったどうにもこうにも絵にならない岩を削り終わるのに、果たして私は足りるのか。
くすぶっているその火には触れられずにいるように。
そんなふうにも、やっぱり思う。


どうしてあの花は、虫たちが寝ているこの夜にかおっていたのだろう。