くちにしない時ほどことばのことを
間違ってばらまかれたことばにもわたしのなかからうみだされたものが映っている。
いいわけはしても仕方がない。
ことばにはわたしがはいりこんでいるし、わたしはことばによって変えられる。
いつからことばにこんな想いをいだくようになったのかな。
無限みたいに流れている感覚に対してこんなにもことばをうまく紡げないと意識してから?
文字に色があってことばに温度や肌ざわりがあるとはっきり認識するようになってから?
深くてゆるくて、たゆたうことのできるさまざまな濃度。
ことばと時間と光。
ことばに責任をもたなきゃいけないって言うけれど、それにいちばん揺さ振られるのはみずからなんだろうな。
それもあっての、責任。
たくさんを知っていることよりも今は、深さを求めている。
塗りかさねたときのここちよさを。
受けとめられたときにはじめて花ひらけばいい。
夢/エッフェル塔広場にゆく
フランスにいる夢。
電車を降りてエッフェル塔のある広場に向かう。
パリ、久しぶりだ、と思う。
広場に入るための料金所(実際はそんなものないけど)にむかう道で写真を撮る。
パリまで来てよかったな、と思う。飛行機もあっという間だったような気がするし…。と。
この広場に入るのに料金なんか必要なんだっけ?と思い、料金所のお兄さんに「チケットを買わなければいけませんか?」と訊きたいのに「チケットを買うことはできますか?」という英語しかでてこなかった。
にこにこして売ってくれるお兄さん。
すると今実際スイスの方に行っている友達とたまたま会う。
旅疲れしているようには見えなかったからほっとした。少し痩せてシャープな印象になっていたけれど。
料金所のお兄さんも含めて、旅の話題で盛り上がる。
私もジュネーブに行ったときのことを思い出して、いろいろ話す。
チケットの料金を払おうとすると財布に11ユーロ札が入っていた。
なにこれ?こんなのできたの?と驚くと、日本の2000円札みたいに、なにかの記念でつくられたんだよ、と友達とお兄さんが教えてくれる。
そういえばお兄さんは最後のほうはすっかり日本語を話していた。
観光地だからな、と納得していたような気がする。
瞬間ノ連続
なぜこんなにあおいのか、と思う。
闇に近いくらいなのに長いこと閉じていた目には眩しすぎて、冷たく染まりそうになる。
淡い色の帯が生まれる瞬間にはいっときの境もなくて、そういうものは連続とは呼べないのだろうとふと考える。
過去と今、のように。
見逃すまいとするとこころがざわつくことになってしまう。
だからただうつしていようと言い聞かせなければならない。ときどき細部に気付き、奪われればいいんだよ、と。
けれど「今」を持つわたしはいつも絶えず瞬間を切りとって持ち運ぼうとしてしまう。
「今」はたぶんことばをもっていることと深く関係がある。
曖昧にしかことばをあやつれないにもかかわらず、わたしはなかなかそこから逃れることができない。
いたずらにとどめようと追い縋る。
連続とは多角形で、ここにあるのは完全な球体。
円をこえて。
切り刻んで近づくのではなくてまるごと飲み込みたい。
わたしの視界は限られているけれど、うつる時間にはかぎりがないから。
瞬間などほんとうはどこにもないのだと気付く。
つくっているのは、わたし。
『聖地へ Light&Shadow』/久保田光一
願えばわたしは何にでもなれるしどこにでも存在していられる
あの眺めを今呼吸することもできるし
あの音を聴いて顔をあげるあのひとを想像することも
おもいをはせるって、
そういうことなんだな
時間も場所も
もしかしたら知らないものにさえ
ゆきつくことができる
***
この本をくれたひとに、私には屋久島の血が流れているんだよって言ったことがあっただろうか。
まずはじめにそこに驚いた。
うん、たぶん言ったのかもしれない。
けれどこの本を選んでくれたのはそこから辿り着いたのではないような気がする。
深い苔やまっすぐに水にうつりおちてゆく細い杉の木立ち、
霧にいぶされた土からたちのぼるあたたかいかおり、どこかで枝が落ちる音。
根がすいあげる水のおと、ぎりぎりと擦れ合い割れる幹の乾いたひびき。
一度も訪ねたことのないところなのに、ここにはなにかがとくとくと流れている。
大きな樹にまきついて耳をつけて、きいてみたい。
指先がなじむまで。
ほおがしっとりと濡れてくるまで。
- 久保田 光一, 小澤 征良
- 聖地へ―Light&Shadow





