くちにしない時ほどことばのことを
間違ってばらまかれたことばにもわたしのなかからうみだされたものが映っている。
いいわけはしても仕方がない。
ことばにはわたしがはいりこんでいるし、わたしはことばによって変えられる。
いつからことばにこんな想いをいだくようになったのかな。
無限みたいに流れている感覚に対してこんなにもことばをうまく紡げないと意識してから?
文字に色があってことばに温度や肌ざわりがあるとはっきり認識するようになってから?
深くてゆるくて、たゆたうことのできるさまざまな濃度。
ことばと時間と光。
ことばに責任をもたなきゃいけないって言うけれど、それにいちばん揺さ振られるのはみずからなんだろうな。
それもあっての、責任。
たくさんを知っていることよりも今は、深さを求めている。
塗りかさねたときのここちよさを。
受けとめられたときにはじめて花ひらけばいい。
