アマヤドリ -86ページ目

『宙を繋ぐ』池田光弘



今日はお友達の個展を見にいきました。

清澄白河駅を降りて、庭園の脇をぬけ、ひかりにあふれる公園を通って。
公園にはたくさん羽虫がいて、みんなそれぞれが太陽の光を浴びて透き通るように輝いていた。
雪虫を見てみたい。そのことをまた思い出した。
芝生の一本いっぽんも、根元まであらわになるかのようにきらきらしている。
ひかりはすべてのものに注がれているんだ、と見とれる。


ギャラリーは舞台裏とか集荷所のような大きな倉庫に含まれるように存在していて見逃してしまいそう。
けれどなかはさまざまなかたち、大きさの部屋があって、ここが作品の舞台になるんだなぁと思う。

はじめにある洞窟の絵にはっと足がとまる。
インターネットや印刷されたもので見ていたこの絵はもっと孤独で取り残された心許なさが印象的だったから。
かといってそこに淋しさばかりを感じていたわけではない。
たおやかに包まれた空気感。たったひとつの星を、まるで誰かが守っているみたいに。

実際作品を見てその海底に流れる緩やかなしおのように奥底で、でも確かに感じていたものが、ぐんとおもてに近づいてきたような気がした。
それをことばとして明示することはやはり困難だけれど。

どんな時間からも、場所からも取り残されている。
静かでひそやかなかおりだけを感じて、なにものか…もしかしたら私かもしれず私も含まれたすべてかもしれず、もしくは私の知っている命とはまた別の存在が、そこで何かを続けている。
村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を思い出した。
あの森。
うたを忘れて、けれどこのうえなくやさしく生きて、世界を続けているひとびと。
不思議なくらいに穏やかだと思った。
石や表面の朽ちかけた枝や、もしかしたら乾いた根、が敷かれた世界なのに。
うたを忘れた世界なのに生まれる前から聞いていたあたたかい音が、世界ではなく、自分の体内に流れていることを感じるような。
いつのまにか自分の心に浮かぶものごとすべてが時間を越えてここに存在して、そうして表面としての、皮としてのわたしもここにいるんだ、と思う。
だからきんとしたその空気を、なぜかしら心地よく吸い込んでいたくなる。

ひとつひとつのある時点と流れをとめることのない連続とは同時に含まれて、たえずどこかに消え去っている。
無垢になにかを探しているように見えるのはそのためだし、ただひとつの宝石や、ぬるい心地よい泥に足首を浸しながら帰る我が家のように見えるのも、そのため。
これは体験なのかなぁ、という気がした。


深くいろんな話をしたからなのかもしれない。
けれど意識してそこに歩いていったわけじゃなかったから、辿りついた場所なんだろうと思う。
わたしだけの。


今私がもつさまざまをつなぐだけじゃなくて、きっとこの作業はこれからうまれるさまざまをも、つなごうとするんじゃないかな。
そんな気がした。

ぜひ、足を運んでください。


『宙を繋ぐ』 Mitsuhiro Ikeda
場  所:SHUGOARTS  *地図 *
期  間:2007年11月10日 ~ 12月08日(12:00~19:00)
       ※月曜・日曜・祝祭日休館
交  通:半蔵門・大江戸線清澄白河駅A3出口より徒歩7分
      半蔵門線水天宮前駅2番出口より徒歩9分
         〒135-0024 東京都江東区清澄1-3-2-5F
                 電話:03-5621-6434 ファックス:03-5621-6435


北海道近代美術館 の特別展にも参加されています。来年の1月24日まで。


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はろるど・わーど
ex-chamber museum
One person a day

ひふより外、景色より内


楽屋で友達に、ずっと訊きたいと思っていたんだけど私の名前は何色?ときかれ、あたたかいチャコールブラウンの下地によく陽に当たったふんわりした細かな苔のような名字、クリアケースみたいに少しすりガラスの曇りを持ちつつ透明感と艶のある赤みのオレンジの名、だと告げた。

そのことがあったからだろう、うちに帰ってお湯につかっているときにふと、ちいさなころ私は自分がもしかしたら色盲と呼ばれる色の見え方のひとなのかもしれないと考えたことがあったことを思い出した。

小さな点々が数字や文字をかたちづくっていて、そのまわりにほかのいろんな色の点々がとりまいている。多くの人が感じるのと近い色の感じ方をするならばおのずとそこに隠されている文字を読むことができるけれど、色に対する認識の違いで、それが読み取りにくくなる。
あの検査。

ランダムに点が並んでいて何も書いてないと判断するのが正しいページは、私にとってちかちかといろんな文字が浮かんでは消える…といったページだったし、緑の背景に赤で書かれた数字の6は、6なのに赤であるというところにひっかかった。
うしろに薄く見えている9のほうが正しい色だからそっちを答えればいいの?それとも6は深緑ですと言えばいいの?
いやいや、たぶんちがう。
でもでも。

…混乱のままここは普通の人はどう答えるんだろう、とじっと考え込んでしまう。
女の子には色盲と呼ばれる色の見え方をするひとは少ないそうだから、いつももういいよ、と言われたけれどなんだかちょっぴり悲しかったような気がする。
どうして当たり前に、さらっと答えられないのか…へんなひとなんだったら困るなあ、って。

だけどあの本のことは好きだったけど。
錯覚の本を見るみたいで。


でも実際のところ私が見えている、感じている色はどのくらい共通のものなんだろう。
犬の世界は白黒だという。
紫外線が見える虫もいるらしい。
じゃあ温度は?
奥ゆきは?


見て痛いとか、噛んで色がひろがるとか、そんなのを自分から切り離すことを子供の頃は楽だと思って、あえてしていた。
私が感じているのは実際ここにあるものとは無関係な感覚。だから大丈夫。なんてことないと思えばいい。
いつのまにかそこに慣れて、遠くに追いやっていた。

それをまた引き寄せて解き放ったのが踊りであり、ことばであり、ひとと話すこと、写すこと。なのかもな。
それともおとなになったこと、そのことじしん。

忘れていたものを取り戻すことでかえって、手放すことができる。

舞台無事終わりました


楽しかった舞台もおわってしまいました。

ほんとに楽しかった…。
最後のほうは楽しすぎて自分が声を出して笑ってしまいやしないかとはらはらしたくらい。
うきうきとくつくつがずっとお腹から湧いていました。
あぶなかった。
テンション下げて…を思い出してやっと冷静に。

今回の舞台でも学ぶことだらけ。
反省もいっぱい。
踊りのことはもちろんだけれど、それ以前のこと…。

んー。
次回に生かそう。
それでいいや。



袖から友達が踊るのを見て、ときを奪われる。
幕がひかりをさえぎって私をわけるように道をつくる、その先に。
風やひかりや温度をつくりだすここは、なんてすてきな場所なんだろう。
懐かしいみたいに泣きたくなった。
もうこの作品をしばらく踊らないんだなぁという淋しさも手伝って。

みにきてくださったみなさん、応援してくださったみなさん。
一緒に踊ってくれたみなさん。
ありがとうございました。

感想を書いてくださったかたもほんとにありがとう。
お客さんからの声はたしかに私たちを変えるのです。
誉めていただいたことばも、私たちとはまた違う解釈も、感動も、楽しかったなぁという残像も、もちろんその逆…よくなかったということばもすべて飲み込んで、また次に向かう。

幸せだなぁと思います。


ありがとう。

よあけのゆめはくりかえす


無邪気にみないふりをした。
まっすぐ、気付かない瞳でみつめた。

そのことがどんなに重たかっただろう。

私は、日のあたらない部屋に迷い込んだ蝶のようにとらえられないひかりで誘ってただ、撹乱させただけなのかもしれない。


影を重たくおもたく感じることを、それでも求めずにはいられない掌を、私は無邪気に開いてみせた。

ふたたび本番


この秋の舞台のふたつめ。
カンパニーで初めて踊った作品の再演。

はじめ私はカフェの椅子に、丸くなって座っている。
夢見るように、拒絶するように。
くりひろげられるのは私の空想であり、わたしはそこで思い切り翔ぶ。

夢の終焉は、夢見るわたしに、どんな景色をみせてくれるのかな。