アマヤドリ -371ページ目

背中あわせ

雑誌で服や化粧品を見るのがすきなのは多分その“色”を眺めるのがすきなのだろうと思う。
あの色とりどりがグラデーションに並んでいる様子をうっとり見る。
「ほしくなったのだ」と勘違いしてその中のひとつを買ってみても、すぐに飽きてしまう。
それもそのはず…私はあのグラデーションが欲しかったのだから。


自分の感覚を勘違いすることはたまにある。
ドキドキは嬉しいのか怖いのかわからなくなる。
具合が悪いのはおなかがすいているのかと思う。
そんな感覚たちはきっと私の中でお隣同士に住んでいるのだろう。



ワードローブ・モノローグ

服にはあまり愛がないらしい。
おしゃれすることは好きだし(上手じゃないかもしれないけれど)雑誌で服を見たりすることは好きなのだけれど、実際服を買うと「着られればいい」みたいな扱いになってしまう。

愛を注がれた服を見ることは気持ちがいい。
アイロンをちゃんと掛けられたり、クリーニングに出されて吊るされていたり、端をきちんと揃えて折り紙みたいに箪笥に閉まっている服を見るといいものだなあと思う。
気持ちがしゃんとするというか。
儀式みたい。

そういう人の着こなしはやっぱり気持ちがいい。
繊細であたたかなつながりが、服とその人の間にある。


私の愛を注がれない洋服たちは、やっぱりそれに応えるがごとくすたれてゆく。
襟がちょっと歪んだり引っ掛けて毛糸が出ていたり。
洗濯が下手なのかもしれない。ざばざば洗うのが気持ちよくて。

本当は華奢な感じのものも着たいのだがどうしても頑丈なものを選んでしまう。
シーンズとか、スウェット地のものとか。これならちょっとしたくたびれも味として認められるから。


箪笥の中の服は、ちょっと忘れられた押入れの中のぬいぐるみに似ている。

『プラスティック』井上夢人


著者: 井上 夢人
タイトル: プラスティック

出張中の夫を待つ主婦、向井洵子は図書館に出掛けたその日から身の回りで得体の知れない混乱が起こっていることに気付く。
自分を脅かしている人物とはいったい誰なのか?それを説き明かしていくうちに…



向井洵子という主婦の日記から始まり、この奇妙さにひかれた作家、犯人…登場人物が記録したフロッピーディスクの内容を読み進むという形で物語は進む。
途中なんとなく仕掛けは見えてくるのだが混乱がすべて解けたわけではなかった。
そっか、まさかここまでとは。

この本は1994年に書かれているのだが、当時まだこの犯人のような症状は日本では一般的ではなかったのだろうか。事件が起こったのが2年前だとか書れているから、それを考慮したとしても。

もしこんな事が実際ありえるとしたら(外国の小説にもあるのだし実際の症例なのだろう)なんと人間は不思議なのだろう…私はそこに可能性を見てしまう。
勿論自分にこのようなことが起こったらもうお手上げだしどうして良いのか分からなくなっちゃうだろうけど…


しかし最後の方ですべてを解説しなくてもよかったのに、とも思った。
でもそれがこの事件すべての元へのメッセージだったのだけど。

とても読みやすい作品でした。


透明の糸と凍りつく時間

こうやってずっと宙ぶらりんでいることに慣れてしまったのかもしれない。
こうやってずっと宙ぶらりんでもいいと、思い続けてしまうのかもしれない。
それはそれで、きっとつらくもなんともないんだろうな。

“ちゃんとものごとを感じなきゃだめだよ”
とあの人は言ったけれど、そうして私はちょっとずつ感覚を取り戻していったのだけれど、今ではそれがするすると細く糸みたいに体から繰り出されていくような感じがする。そうして空気に溶けて、見えなくなってしまう気がする。
太陽がまぶしくてくもの糸が見えないみたいに。
でも時折絡みつく。
オモイダセ、って、言っているみたいに。

溶けてしまえばいいのに、と…

私は望んでいるのだろうか?

宙ぶらりんの、糸。
きっといつか、私はこいつと心中する。

魚眼レンズ

今朝は小雪が舞っていた。そのまま降り続くといいなと願ったが、少しの時間だけで降り止んでしまった。
今は地面が黒く濡れているだけ。

日が差さないから工夫して洗濯物を干す。昨日の稽古着はまだ乾いていない。


それでも諦め切れずに空を見上げる。
“空を見上げる”というこの行為自体が好きなのかもしれないとときどき思う。
かくんと首を折って空の全部を開いた瞳に受け入れるような。
それとも、自分のすべてを空に映し取ってもらっているような。

ココロがとても澄んで、素直になれるような気がしてくる。視界に弧を描く鳥たちも、溶け込む雲も。


こんな素敵な世界のなかに、私はいるんだ。