牛の涙
牛は涙を流すのだという。
私は動物で涙を流すのはウミガメのことしかしらなかったので
とても驚いた。
どうしてか分からないけれど、あいつら黙って涙を流しているんだよ、
とその人は言った。
それから…冷たい雪に囲まれて白い空を見ながら、
静かに涙を流すその光景が
私のなかに住み着いてしまった。
それでもいいの
あなたがしあわせでありますように
って、思うことは
多分私のため。
目を閉じて
このぽかぽかな心が
あなたを助ける所を想像する
きっと、
それは自分をぽかぽかにしている
それ以上の何もないかもしれない
でも、
それでもいいの。
それでも。
って、思うことは
多分私のため。
目を閉じて
このぽかぽかな心が
あなたを助ける所を想像する
きっと、
それは自分をぽかぽかにしている
それ以上の何もないかもしれない
でも、
それでもいいの。
それでも。
右耳は下、左肩は空
昨日はちょっと仕事が長引いてしまったため稽古にいけず、代わりに本屋に寄った。
宮部みゆきの『レベル7』とポール・オースターの『空腹の技法』を買った。
宮部みゆきの方は面白いだろうとわかっているけれど『空腹の技法』は全くの未知。
だいたいポール・オースター自体読んだことがないのだ。読みたいリストには入っているのだが。
ぱらぱらと捲ってみた感じでよし、と決意して買ってしまった。エッセイや詩や覚書のようなもの集なのだがもしかしたらずっと大事な一冊になるかもしれない…という予感もある。
ムズカシすぎて読みきらなかったりして…。
たまに母と話すと色んなことが口から出てくる。そんなに深く考えているつもりがないからこそ自分の深部に触れているような気がする。とてもリラックスして話しているのだろう。
どれだけ時間を掛けても、もしどれだけ間違ったことを口走ってしまっても、私が訂正するのを辛抱強く待っていてくれる。そう思うだけで安心できる。
私は直に結論に達することができない。すり鉢のふちからまあるくまあるく、寄り道をしながら底へ向かう。
自分でも辿り着いて初めて、わかるのだ。
その長い道のりに付き合ってくれる人。
かなりの親不幸娘だけど。

著者: ポール オースター, Paul Auster, 柴田 元幸, 畔柳 和代
タイトル: 空腹の技法
宮部みゆきの『レベル7』とポール・オースターの『空腹の技法』を買った。
宮部みゆきの方は面白いだろうとわかっているけれど『空腹の技法』は全くの未知。
だいたいポール・オースター自体読んだことがないのだ。読みたいリストには入っているのだが。
ぱらぱらと捲ってみた感じでよし、と決意して買ってしまった。エッセイや詩や覚書のようなもの集なのだがもしかしたらずっと大事な一冊になるかもしれない…という予感もある。
ムズカシすぎて読みきらなかったりして…。
たまに母と話すと色んなことが口から出てくる。そんなに深く考えているつもりがないからこそ自分の深部に触れているような気がする。とてもリラックスして話しているのだろう。
どれだけ時間を掛けても、もしどれだけ間違ったことを口走ってしまっても、私が訂正するのを辛抱強く待っていてくれる。そう思うだけで安心できる。
私は直に結論に達することができない。すり鉢のふちからまあるくまあるく、寄り道をしながら底へ向かう。
自分でも辿り着いて初めて、わかるのだ。
その長い道のりに付き合ってくれる人。
かなりの親不幸娘だけど。
著者: ポール オースター, Paul Auster, 柴田 元幸, 畔柳 和代
タイトル: 空腹の技法
famiglia
父方と母方の両極端な血を受け継いでいるのだ、ということを最近頓に感じる。
ああ、自分でもうまくコントロールできなかったのはここなんだ、と分析できるようになってきたのは父方の祖母と一緒に住むようになってからだ。
父の性質だけではわからなかったことが、その大元の祖母を見るとなんとなく理解できる。
母側も同じ。
父方の祖母を見てから改めて母方の祖母を見て、それから自分の中を探ることで発見がいくつかあった。
それはとても根が深いようにも思える。でも私が感じたのはそういう粘性を伴ったものではなくもっと乾いたもの。意外と単純なんだ、という客観的な感想。諦観も含まれているかもしれない。
父や母に育てられたのだからその環境に左右されることは予想がつくけれど、それでは説明のつかない「血」に左右されている部分は多い。
私が辿ってきた思考や行動に不思議な道すじがついていたようにも思えてくる。
まるでかたつむりが這った跡のように透明に。
おもちゃの機関車のように、陽気に気ままに走っているようでいて、実際は私はそのレールの軌跡を辿っているのかも知れない。
諦観といっても悲観しているわけではなくてもっとドライだ。
ただ、そんな見えないものがずうっとずうっと続いているのだとしたら…人って面白いなあと思った。
だって、すごく動物的じゃあない?と。
ああ、自分でもうまくコントロールできなかったのはここなんだ、と分析できるようになってきたのは父方の祖母と一緒に住むようになってからだ。
父の性質だけではわからなかったことが、その大元の祖母を見るとなんとなく理解できる。
母側も同じ。
父方の祖母を見てから改めて母方の祖母を見て、それから自分の中を探ることで発見がいくつかあった。
それはとても根が深いようにも思える。でも私が感じたのはそういう粘性を伴ったものではなくもっと乾いたもの。意外と単純なんだ、という客観的な感想。諦観も含まれているかもしれない。
父や母に育てられたのだからその環境に左右されることは予想がつくけれど、それでは説明のつかない「血」に左右されている部分は多い。
私が辿ってきた思考や行動に不思議な道すじがついていたようにも思えてくる。
まるでかたつむりが這った跡のように透明に。
おもちゃの機関車のように、陽気に気ままに走っているようでいて、実際は私はそのレールの軌跡を辿っているのかも知れない。
諦観といっても悲観しているわけではなくてもっとドライだ。
ただ、そんな見えないものがずうっとずうっと続いているのだとしたら…人って面白いなあと思った。
だって、すごく動物的じゃあない?と。