famiglia
父方と母方の両極端な血を受け継いでいるのだ、ということを最近頓に感じる。
ああ、自分でもうまくコントロールできなかったのはここなんだ、と分析できるようになってきたのは父方の祖母と一緒に住むようになってからだ。
父の性質だけではわからなかったことが、その大元の祖母を見るとなんとなく理解できる。
母側も同じ。
父方の祖母を見てから改めて母方の祖母を見て、それから自分の中を探ることで発見がいくつかあった。
それはとても根が深いようにも思える。でも私が感じたのはそういう粘性を伴ったものではなくもっと乾いたもの。意外と単純なんだ、という客観的な感 想。諦観も含まれているかもしれない。
父や母に育てられたのだからその環境に左右されることは予想がつくけれど、それでは説明のつかない「血」に左右されている部分は多い。
私が辿ってきた思考や行動に不思議な道すじがついていたようにも思えてくる。
まるでかたつむりが這った跡のように透明に。
おもちゃの機関車のように、陽気に気ままに走っているようでいて、実際は私はそのレールの軌跡を辿っているのかも知れない。
諦観といっても悲観しているわけではなくてもっとドライだ。
ただ、そんな見えないものがずうっとずうっと続いているのだとしたら…人って面白いなあと思った。
だって、すごく動物的じゃあない?と。
ああ、自分でもうまくコントロールできなかったのはここなんだ、と分析できるようになってきたのは父方の祖母と一緒に住むようになってからだ。
父の性質だけではわからなかったことが、その大元の祖母を見るとなんとなく理解できる。
母側も同じ。
父方の祖母を見てから改めて母方の祖母を見て、それから自分の中を探ることで発見がいくつかあった。
それはとても根が深いようにも思える。でも私が感じたのはそういう粘性を伴ったものではなくもっと乾いたもの。意外と単純なんだ、という客観的な感 想。諦観も含まれているかもしれない。
父や母に育てられたのだからその環境に左右されることは予想がつくけれど、それでは説明のつかない「血」に左右されている部分は多い。
私が辿ってきた思考や行動に不思議な道すじがついていたようにも思えてくる。
まるでかたつむりが這った跡のように透明に。
おもちゃの機関車のように、陽気に気ままに走っているようでいて、実際は私はそのレールの軌跡を辿っているのかも知れない。
諦観といっても悲観しているわけではなくてもっとドライだ。
ただ、そんな見えないものがずうっとずうっと続いているのだとしたら…人って面白いなあと思った。
だって、すごく動物的じゃあない?と。