アマヤドリ -25ページ目

ワークショップ終了、そして出演のお知らせ

1週間の日野先生のワークショップがおわりました。
仕事があったので半分しか受けられなかったけれど、考えたことや感じたことは膨大でした。

自分のからだが変わったか…踊りが変わったか…といえばもちろんこんなすぐに癖がすっと抜けるわけもないのだけれど、これからは動くときに今までとは違うことを試してみることができそう。
それから、ひととコンタクトするのがなぜ苦手なのかよくわかった。
そりゃ、こんな無神経だったら相手と馴染めるはずもない。なんて盲目だったのだろう。あたまもからだも。はずかしい。
こちらもすぐに上手になるかはわからないけれど、変われそうな気がしている。

けれど「気がする」とか、「考えてみる」とかそんなことじゃなく実際に表現の表層にあらわれてナンボだなぁとも思う。だってこのからだごとみてもらってるわけで言い訳も説明もできないんだから。
ブログにこうして色々考えてみてることを書き連ねて、読んでもらって、なにかしらを感じてもらうこととは違って。
甘ったれてたらいかんな。
できることもできないこともまっすぐ受けとめたい。


今回のワークショップには最後にオーディションがついていて、それに選ばれると来週の舞台にあがることができる。
ぜひ出たいと思い、半分しか稽古を受けなかったにもかかわらずオーディションにチャレンジさせていただいた。

実はなぜ自分が選んでいただけたのかわからない。
私は先生のおっしゃることのなにひとつもあきらかには体現できなかった。そのことは自分が一番よく知っている。わかったつもりにすらなれないほど、私はだめだった。

感じた気持ちにはなったけれど自分が確信をもたずにそれが表面にあらわれるわけはない。
けれどからっぽじゃみせられない。何かしらみせたい。
だけど嘘はつきたくない。
でも嘘つかなかったらすっからかんがばれちゃう。
その責めぎあいのなかでずっと動いてきた。
迷いをみせたつもりはないけれど迷っているのは誰の目にも明らかだったろう。

だからすごく驚いた。
今は喜びよりも、なぜ選ばれたのかわからないことこそほんとうに私がなにもわかっていない証拠なのではないかと…やばい。と感じています。
お客さんに見ていただけるものになれるのだろうか?!こわい。でも頑張る。


もちろんうれしい。
まだあと少しでも先生を見て何かを受け取れること、もがけること、舞台にたてることも、安藤洋子さんと踊れることも。←一緒に踊れるのかわからないけれど。

なので来週の25、26日の舞台ぜひみにきてください。

日野先生はダンサーではなく武道をつきつめてらっしゃるかたです。
フォーサイスカンパニーへ稽古をつけたり、野田秀樹さんのひらいたワークショップで先生をしたり、新しい『椿三十郎』の動き方を指導したりされたそうです。
説明が上手じゃないのでもしよかったら先生のHPを見てみてください。
(おうちに帰ったらお知らせとリンクを貼ります)

最後の稽古、アジアのイメージ?

あんなにもやもやしていたのに今朝の稽古で一気に晴れる。
今日は組み手をして相手を蹴ったり止めたり払ったりからめとったり。
もともと私は空手をならっていたくらい格闘技にはうっすら興味があるので、それもあるのかもしれないけれど楽しくて仕方がなかった。
新しい動きへの発見。
なにかわかりそうな予感…の予感。
楽しかっただけでやはり何かをつかんだわけじゃない。でもからだがわくわくしてるのがわかる。
もやもやを吹き払うくらい楽しかったのだ。
オーディションも受けることに決めた。


2時までの稽古を受け、すぐ会社へ。
1時間だけ、昨日のうちにどうしてもおわらなかった仕事をしに。
それからすぐ5時からオペラの衣裳合わせ。
やってることはなにも大変じゃないけれど時間の制約があることに終始どきどきしていた。
区切られること、苦手だなぁ…。

会社には久しぶりに逢ったひともいたのにろくにゆっくり話すこともできず、ずっと浮き足立ったまま。
いかん。
余裕のある人間になりたい。


オペラの衣裳はとても…考えていたよりもとってもファンシーでした。
もっと渋い中国の拳法とか映画のラヴァーズみたいのを想像してたんだけど…
元気な鼓笛隊みたいのと、長い黒の着流しと、キャンディの妖精みたいなかんじのと。とても可愛らしい。
全然伸びない生地なのでどこかの暴れん坊が破ってしまわないかと心配です。

ともあれもうここまできたら出演はやっぱりなくなりました…ということもないであろうと一安心。


でも問題はリハーサル…。
1ヵ月間毎日2時から夜まで拘束されるらしく、じゃあ私はいったいいつ仕事に行きいつ他のリハーサルをこなせばいいの…?と茫然としているところ。
まさかそんな無茶なスケジュールだとは…。
だって歌のひとやオケとは別なはずなのに…。
うう…。心配で胸がつぶれそう←大げさ

しかも私が9月から仕事を大幅に減らさなきゃならないこと、ずいぶん前からちゃんと話してるのに誰にも伝わっていないみたい。
…。

なんとかしなきゃ!

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いつも稽古場からの帰り道この電柱につっこんでる。
なにを頑張るべきでしょうか。
教えてほしい。

real contact 3日目終えて

ワークショップに打ちのめされている。
打ちのめされるよとは聞いていたけれどこれほどか…。
昨日の帰り道はほんとうにしんどかった。
からだの疲れももちろんあるけれど、自分が今まで積み上げてきたこと、毎日考えてきたこと、感じてたこと、そういうことをすべて今までみたいにはここに保っていられないような気持ちが鉛のようにからだに頭にぶらさがっていた。
なにもかもが嘘だったわけはないこともわかっているし、ほかでもないわたしが積んできたことがわたしにとってまるきり無価値なはずもない。
それもわかっているけれど、これほどなにもなしに踊ってきたこと…ましてや舞台に立ってきたこと、ひとと接してきたことを考えると…愕然とした。
どうして今まで簡単に許しちゃってきたんだろうな…と。
大げさみたいだけど。
真剣でありたいのに、真剣なつもりになっていただけだと知って(まだほんのはしっこも知ってはいないだろうに)衝撃を受けている。

辛うじて自分を保っていた小さな自信も失って、揺らいでゆらいで、なにが根底にあるのかもわからなくなりそう。
ふるいにかけるにしてもなにをふるいにしたらよいの?
削ぎおとすにしても、じゃあなにを中心に据えたらいいの?
つまり土台自体が見えなくなってしまっている。
もちろんそんなことが目的のワークでもなければ、全部失っちゃうほどに先生の言うことやることを理解したわけでもない。
そのことにも痛いほど気付いている。


電車のなかでわけもなく涙が出ちゃったりする。
くやしい、でもあり、今日ワークショップに行くのが恐い、でもあり、こんなにうすぼけちゃった自分を取り戻せるのかという不安、まだまだわかってないことにすら気付いていないのだ…という底無しのなにか。
けれど稽古にいかないという選択肢はどこを探してもみつからなかった。
稽古にはいきたい。恐いけど。
楽しみですらある。
恐いのに噛み付きたい、みたいなかんじ。
逃げたいわけじゃないということが嬉しかった。

涙のなかには嬉しいとか感動とかわくわくも含まれている。
だって私のなかにまだまだ発見できる余地があるということを知ったんだもの。
それが具体的にどんなことかがわからないことを考えると歯をくいしばっちゃうようなんだけど…。

けれどこうしてここまで打ちのめされへし折られること(しかも自分の認識がそれをもっともだと受け入れてる。根底は知っているからこその。)なんか、他にない。
そのことが幸せだとも思う。
よくなりたいからへこむんだもの。
よくなりたいから逃げたくないんだもの。
だから嬉しい。


からだはすごいんだよ、と先生が言ってくれた。
フェルデンクライスの稽古を受けてみたりして少しずつ私のなかに芽生えていた、からだは実は自分が頭でしばっているよりずっと賢く豊かである、という実感をもうひと段階強くこころにたたき込んでくれた。
実はまだわからない。
ときおり感じる。
わからなくてもいいからこの感じる瞬間をもっと体験したい。
けれどせっかく実現できる場に稽古しにいってるのにまた頭で考えちゃったりする。

けれど今日少しだけ感触があった。
二人組でひとりが腕にしっかり触れて動きをリードしそれに耳をすます…というものなんだけど、てのひらとからだがしっくりきて変なところを動かさなくても自然でいられた。どう動いたのかさっぱり覚えていないけれどその軌跡がシンプルで繊細で気持ちのよいものだったことは覚えている。
何かつかむなんてたぶんすぐにはできない、と考えていたから、この変化には嬉しくてきゃあきゃあはしゃいでしまった。
パートナーの方がいろんなことを試してくださったおかげ。


今日、
からだってすごいよ、と先生が話したときにどうしてかわからないけど涙が出た。
そうそう泣いたりしないつもりなんだけどなぁ…。
でもこれは悔し涙とかじゃなくて…こころがとてもゆるくなっていてそこにすとーん!と飛び込んできた、許されるようなことばだったからだろうと思う。
からだは、解き放ってほしいんだ。
そのことを私は知ってる。
この涙は頭からじゃなくてからだから出たんだなーと。
今、帰りの電車で分析している。

明日も稽古いくことを考えるとこころがもやもやする。
けれど早く明日にならないかなとも思う。
なんだこれ。

ほんとは先生ともっと話してみたいなぁ。
けれどまだ話すべきことがない。
話してみたい、っていっておきながらすごい矛盾だ。

感じ取っていることすらわからなくてハテナがからだのまわりを浮遊してるのに…ことばになんかとてもできない。

水で描く絵

こんなことができるのかあ…

real contact

本番終えた次の日から、日野晃さんの武道のワークショップに参加している。
ずっとお名前も知っていたし興味はあったのだけれど本当に受けようと思ったのはYと話をしたときだったと思う。
本番後だし夏休み明けの仕事が忙しいときだし…ということはあまりひっかからなかったのが不思議。
とにかくやるんだ、というこの気持ちを逃してはいけないように感じて。

月曜の6時半から2時間半、今日は朝11時半から9時まで、少し休憩はあるけれどほとんどびっしり。
それが金曜まで。
(とはいっても私は仕事とリハの合間にしか出られないから半分しかいられないけど)

もう2日目にしてわけがわからなくなってる。
頭がぱんぱんなのに中身がない感じ。
からだに何かが積もったのかもわからない。
真剣に見つめることを1日中したかな…それだけ。
全存在をかけて…みたいなところにはとうていいきついていないし。

いかに「感じよう」というその出所が不自然なかたちで思考に絡んじゃっていることか。

考えるだけでもう一緒じゃない、ということ。
考えることと思うことの違い。
まだわからないから、メモ。

組み手のようなこともするのだけれどお互いを感じ、繋がるということが私はまずまったく嘘だらけ。
自分自身のことすら曖昧なのだから、…そりゃあそうか…。
変な癖もぬけない。
気付かず表面にまとっているものがたくさん。
頭ばっかり先行する。
ろくなことを思いつかないくせに。
ばりばり剥がして裸にもなりきれない自分。

もどかしさのあまりに帰り、先生と話すこともできなかった。
なにも話せない!
なにもやってないし、感じていることがもやもやとしすぎていてことばにできない。
なにか訊くことすら。

いや、こんなのもぶつかりが足りない証拠だなぁ…。

踊るよりまず命懸けでいきていること。
そのことから、ずいぶんずいぶん遠い…。


*


帰ってきてからずっととても変な感覚がつきまとっている。
視線を感じる。
存在を感じる。
坊主頭の男性。こちらを見てる。
あとはもやもやっと女の人。
さっきまでいることが普通だったけどふと、なぜ私がご飯を食べてるのを見てるのかなぁと思って「なに?」と言ってしまって当たり前だけど誰もいないことに気付いた。

たぶんこの坊主頭の男性は日野先生だと思う。
どういうことかというとたぶん私が今日1日ずっとこの目で存在を追おう、追おうとしていたことが、誰もいない空間に作用したんだろうな。
そしてそのなかで一番色濃く残っていたのが先生だったのだ。
ずっとついてきてたもの。
右がきついなぁ、と思ってた。

オバケとかじゃありません。先生が意識を私に飛ばしている…とか、そんな話でもまったくない。
ただ私の感覚の慣性のようなもの…。
今日一日、それだけ私はずっとなにかを見ようとし、感じようとし、視線をとらえようとトライしてみていたんだろう。
正しい方向か判然としないけれど。

それにしても先生が一番この意識に映像とか感触をはっきり、あんなにくっきり残したということに改めて驚く。
でもほんとにすごい圧力だなー…。
押されてしまう。

今まで私こういう感覚がたまにあったけど、もしかして種はこれなのかも。