ファビアン・プリオヴィユ&バレエノア:『EDDIE』『LES AVIONS DE PAPIER』
以前見に行ってこれは…!と仰け反った作品の再演です。
そのときの感想はこちら 。
振付、演出のファビアンはピナ・バウシュのヴッパダール舞踊団やLaLaLa Humanstepsに在籍していたダンサー。
彼がどうしてこんなに的確に、細やかに今のこの時代の女子高生を生々しくとらえることができたのだろう。
その孤独や痛みや揺らぎをとらえる目はうわっつらじゃない。
そしてまだプロとして活躍しているわけでもないという出演者たちも素晴らしいです。
踊りをやっているひとだけではなく、色んなひとに見てほしい作品。
ファビアン・プリオヴィユ&バレエノア
『EDDIE(エディ)』『LES AVIONS DE PAPIER(紙ひこうき)』
場所:世田谷パブリックシアター
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2008/08/post_131.html
日時:8月29日(金)18:30~
チケット:一般3,500円/当日一般・学生とも4,000円
学生 2,500円(3階)
全席自由
劇場チケットセンター03-5432-1515
ファビアン・プリオヴィユはラララ・ヒューマンステップス、ピナ・バウシュヴッパダ―ル舞踊団を経て2006年に退団後、振付家として日本、ドイツ、フランス、ニューヨーク、ロンドンなどで活躍している。 『紙ひこうき』は等身大の女子高生たちを描いた圧倒的なパフォーマンスが多くの反響を呼んで、再演となり、『エディ』はファビアン・プリオヴィユの自身の故障からの復活をなぞっています。(パブリックシアターHP紹介文より)
そのときの感想はこちら 。
振付、演出のファビアンはピナ・バウシュのヴッパダール舞踊団やLaLaLa Humanstepsに在籍していたダンサー。
彼がどうしてこんなに的確に、細やかに今のこの時代の女子高生を生々しくとらえることができたのだろう。
その孤独や痛みや揺らぎをとらえる目はうわっつらじゃない。
そしてまだプロとして活躍しているわけでもないという出演者たちも素晴らしいです。
踊りをやっているひとだけではなく、色んなひとに見てほしい作品。
ファビアン・プリオヴィユ&バレエノア
『EDDIE(エディ)』『LES AVIONS DE PAPIER(紙ひこうき)』
場所:世田谷パブリックシアター
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2008/08/post_131.html
日時:8月29日(金)18:30~
チケット:一般3,500円/当日一般・学生とも4,000円
学生 2,500円(3階)
全席自由
劇場チケットセンター03-5432-1515
ファビアン・プリオヴィユはラララ・ヒューマンステップス、ピナ・バウシュヴッパダ―ル舞踊団を経て2006年に退団後、振付家として日本、ドイツ、フランス、ニューヨーク、ロンドンなどで活躍している。 『紙ひこうき』は等身大の女子高生たちを描いた圧倒的なパフォーマンスが多くの反響を呼んで、再演となり、『エディ』はファビアン・プリオヴィユの自身の故障からの復活をなぞっています。(パブリックシアターHP紹介文より)
『即興する関係』
show case、『即興する関係』が終わりました。
ワークショップが始まった18日からずっときちんと眠ることができなかった。
何故かぱっと夜中に目が冴えて、からだの痛みをひきずりながら水を飲んでまた眠る、という繰り返し。
終わって2日たった今もまだなんだかふらふらする。
日野先生が教えてくださったことのほんの端っこでもいいから舞台で体現したい。
こころからそう思い臨んだ舞台でした。
が、やはりそうはいかなかった。
からだはがちがち、にらんでいるのに何も見えていない目。緊張と真剣さを間違っている、そのお手本みたいなからだだったのではないかと思います。
自分のからだをいかに不器用にしかつかっていないかということの表れ。
私は本当に自分のイメージのなかでしか踊っていなかったんだなあ…。
ひととのコンタクトのへたくそさも明らかになってしまいました。
ずっとそうして踊ってきたから、この私の癖や意識やみせ方というものをこれからどうしていけばよいのかという具体的な解決策はまだわからない。
けれど確実に「このほうがいい」ということを味わえたから、変わらないわけはない、変わらないわけにはいかない、と思っている。
…とは言っても途方に暮れてもいる。
だって、つかめた気がしてないのだ。
先生や仲間たちがいるその場で何十回も相手をしてもらってやっと「これかな」って感じた感触は生きたものだったから、目を閉じても再現できない。
きっと同じことをしなくても普段の稽古のなかに、稽古の仕方を見出すことがたいせつなんだろうと思う。
こうして踊っていて、私にとっての踊りはたんにダンスというだけではなく生きてゆくことそのものだなあと感じることがよくあります。
ダンスがないと生きていけない!というようなことではなくて、踊りが私に教えてくれることが、私そのものであるということ。
踊りのなかでひっかかったり悩んだりすることはすべて、踊ること以外のわたしという人間に結びついた問題から発生しているし、それに気づいたり端っこを耕してゆくことでわたしの人生は少しずつ進んだり深いところまで光を当てることができるようになってきたりしている。
今回日野先生が教えてくださったことは、踊りや動きのことにとどまらなかった。
もっと…生きるわたしそのもののこと。
「つながる」ということがテーマだったわけだから当たり前かもしれないのだけれど、私の意識、からだの底とつながること、そこと世界を繋げること。
がつんと、核の近くにまで私を引っ張っていってくれたように思う。
私はまわりくどく端っこから螺旋階段を下りてゆくことに慣れているのでその核心はまだ暗すぎて見えない。
ここでしょ、って触らせてもらったことだけはわかる。
触れられた核も反応している。
けれど目が見えない。
目を開こうとしているのに覚めない夢のなかにいるみたいに。
気づきたい。
またそこに触れたい。
その欲だけはある。
日野先生とフォーサイスさんの本を友達に借りていてそれをワークショップの前に読もうと思っていたのだけれど、途中まで読んでみてやっぱり、これ以上読まずに頭になにもおかずにおいたままただまっさらなまま稽古を受けよう、と読まずにおいた。
それを昨日読みえた。
読んでおけばよかったと思うことも、読まずにおいてよかったと思うことも半々。
*
僕は形を忌み嫌うのではないし、敬意を払っています。そして形がないというものも重要です。どちらも否定しない。ただ、間違った意識だけがノーです。
~ウィリアム・フィーサイス
ウィリアム・フォーサイス、舞踏家・日野晃に出会う
見知らぬ景色とおわる夏のこと
2年前ドイツへ行くときに薦めてもらっていた須賀敦子さんの『地図のない道』をぽつぽつ読む。
ときどきちゅんが近寄ってくるので指をぱたぱたしてからかってやる。羽根を震わせるちゅんは生え替わりの時期のためはげたかみたいな頭からようやくいがぐり頭くらいまでになってきた。顔中とげのような羽根の芯が突き出ていて非常に痒そう。
しばらく全然のんびりと見つめてあげることも出来なかった。
今年は暑かったさなかから、なぜか秋を感じていた。
ちゅんの羽根がもう7月から抜けていったことや夏至を過ぎたころに見上げたうろこ雲。
気温だけが夏でそれをとりまく景色や私のこころの中が早々と秋に移っていた。
まだ蝉は鳴いているけれどその声は真夏のそれと違ってどこか遠くへ連れ去るよう。
こんな夕方にはやっと内側まですっと、秋が馴染んできたことを実感する。
一年で一番さみしくて懐かしくて、愛おしい季節。
地図のない道
本番初日終えました
リハーサルの時間に少しでも感覚をつかみたくてもがいた結果、1日を終えたら少し楽しくなっていることに気付いた。
あんなにやみくもに迷い息詰まっていたのに今は楽しい。楽しいね、と口をついて出てきたことばに自分がびっくりしたくらい。
できなかったことが少ーーしは流れの中でできるようになっているし、意識するということばかりに集中しないで済む一瞬がある。
このほうが気持ちいいや、と思っても気を抜くとまたあれあれ…って失くしちゃうけれど…。
もどかしいなぁ。
眉間に皺を寄せなくても真っすぐ相手を見つめられるようになった……ような気もする。
できなかったことができてゆくことはいくつになっても喜びにつながるんだな。
身体的にももちろんだけどそこになんとか意識を持ち込んで細かく丁寧に感じようとするから「もしかして今のこれじゃない?」と感じた瞬間は飛び上がるくらいうれしい。
求めていたことだから余計に。
かといって。
楽しいとか気持ちいい、に誤魔化され目を塞がれがちな私のこころや身体になんとか綱をつけて大事な場所にいちいち引き戻さなければ危険だ、ということも忘れちゃいけない。
お調子にのるとすぐに自分のできることだけで動こうとする。
楽しいぞーって自分勝手にばらけちゃう。
感じているのかその感触がひとりよがりな想像にすぎないのかわからなくなるから。
ほんものってなにか。
世界のほんものはなにか…とか考えたらわからないし、手に負えない。
でも私のなかにほんものをきちんと見いだすことができたら、ぐんと何かに近付けるんじゃないだろうか。
私がほんとうに感じていること、嘘や表層だけになるはもちろんのこと、つもりのない嘘や甘い空想に惑わされないように真の、芯、に耳をすませるように。
もしかしてこれはだいぶ前からの私のテーマだったのじゃないか、と帰り道に思う。
薄ぼんやりと、まず自分を掘り返すことからはじめてみようと思っていたあの感触は確かにここに繋がっている。
まだ、なんだろうなんだろうと探ってばかりだしことばにもできないくらい曖昧(ことばにしようとしても今までのことばから抜けることがまだできない)だけど、確実に。
きっと、いつのまにか自然にしみ込むように得られることではない。
とにかくわしづかむしかないし、同時に細やかに選びとらなきゃいけない…。
難しい。
初日終えたくせにこんなこと言っちゃいけないんだけど。
本番どうだったんだろ。
とにかく夢中でした。
見せることを忘れるような無我夢中ではもちろんないけれど…出来得る限りの真剣さであそこに在ろうと思った。
毎日からだがわさわさして眠れない。
神経が世界とのつながりを求めようとする。
街のおとや、背もたれの感触、におい。
休みたいのになぁ。
もうからだ中痛くて。
でもなにかが抜けてるといいな。
余分なものが。
澄んだからだになりたい。
響くように。
リハーサル1 日目
昨日リハーサル1日目がおわった。
2日間で作品を仕上げなきゃいけないからもうほんとうにぎゅっとつまっている。
前半にワークショップでやった組んだ相手を意識して一緒に動く…ということをもう一度からだにたたき込むも、それが作品のなかに組み込まれたとたんにまた手放しそうになる。
いや、手放すまいとすることこそ危険なのだからもう一度感じなおせばいいのだ…と思うのにまた迷子になる。
いかんいかん。
一服タイムに先生に作品の根底になることをうかがう。
……大変なことを聞いてしまった。
頑張ってきます。
2日間で作品を仕上げなきゃいけないからもうほんとうにぎゅっとつまっている。
前半にワークショップでやった組んだ相手を意識して一緒に動く…ということをもう一度からだにたたき込むも、それが作品のなかに組み込まれたとたんにまた手放しそうになる。
いや、手放すまいとすることこそ危険なのだからもう一度感じなおせばいいのだ…と思うのにまた迷子になる。
いかんいかん。
一服タイムに先生に作品の根底になることをうかがう。
……大変なことを聞いてしまった。
頑張ってきます。



