アマヤドリ -26ページ目

MUTO a wall-painted animation by BLU

ちょっと気持ちが悪くてシュールだけれど、面白い。

舞台終了しました




『ポケットパーク』、無事終わりました。

明日は普通どおりに会社だというのに寂しくて眠れない。
本番が終わるといつもそう。
本番中の楽屋とか、打ち上げで「終わっちゃって寂しいよねえ」って言っている時には寂しいけれど平気だもん、って思っていたけれどひとりになってみるとやっぱり平気じゃない。
何故か打ち上げの飲み屋さんでいただいたミニバラを花瓶に活けたとたんにじんわり涙がうかんでしまう。

今回もとても楽しい舞台でした。
前回恋におちたシェイクスピアさんでご一緒させてもらったMっぺちゃんとまた舞台に上がれたことも嬉しかったしまた新たな縁ができたことも嬉しい。
そしてMちゃん。



Mちゃんは私の踊りを誉めてくれたけれど今回この世界をここまでひっぱってくれたのはMちゃんのヴァイオリンだと思う。
私の踊りはまだまだほんものじゃなくて、けれどMちゃんの音は確実にその粗雑さを繋げ、埋め、広げて溶け込ませてくれた。
もっと私が素敵だったらなあ!って、音にふさわしかったらなあ!って思うくらい。
私はMちゃんの生む音が好きだよ。
一緒にまた世界を創れたらいいなあとも思うし、そうでなくてもまたMちゃんのヴァイオリンが聴きたいです。
ちょこっとした時間にたくさんのことを話した。
そんなことたちも、大切なものになりました。

それから…直接お話したかったのだけれど照明のYさん。
千秋楽で私が月を発見する場面、とても優しくて清らかでさざめくような光で満たしてくれた。
たまたまだったかもしれないけれど、でももしかすると私とMちゃんのやりとりを聞いていてくれたからあの光をくれたのかなあ…と。
踊りながら、その光に手をかざしながら、涙が出てしまった。
ダンサーにとって光は存在そのもの…みたいな気がする。
光がなきゃ見えないから当たり前なんだけれどもっと時間に関係すること。音が呼吸で鼓動で血のめぐりなのと繋がるんだけど。
私が踊りを好きだなあって思う瞬間はいつも光も空気も音も、私の味方でいてくれるような気になる。
それぞれの命の乱反射に私という存在が絵としてはかき消されちゃって、一緒に燃えるみたいな。
嬉しくてそのことだけでも言いたかったのだけれど上手にお話しする自信がなくてなゆたさんに伝えてもらうことにしました。


見に来て下さった皆さん、コメントやメールや、それからこころのなかで応援してくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。
いつもこの寂しさに埋もれたまま数日すごすのでコメントのお返事やお礼のメッセージを送るのが遅くなってしまいますが…。ごめんなさい。

それからなゆたさんをはじめ一緒に出演してくださったみなさん、ありがとう。
わがまま放題のスケジュールの私ですみませんでした。
また一緒に舞台を踏めますように。


  

会場でのミニ打ち上げ。
前回の音響さんも混じってくれた。



嬉しそう。
主演のMっぺちゃんと、ヴァイオリンMちゃん。



舞台ではこんな感じですてきでした。



片づけを終えて照明の差込口がこんなふうになると終わったんだなあ、と思う。
さみしくなる一瞬。



打ち上げでいじられるS君。
でっかく載せるのはやめておいてあげたよ。

初日終了

初日が無事おわりました。

今回は演出のなゆたさんが視覚的な部分にとてもこだわったみたいで、本番の直前まで照明などの転換がじっくり作りこまれてゆく。
テクニカルで作られたビジョンをどうお客さんへ運ぶか、どう感覚に落としてゆくかということは役者の仕事。
そここそしっかりとしなくては生身で介在する意味がない。

S君が本番で化けて、いいテンポでリードしていた。裏でやるなぁ、とつぶやいてしまった。今までもなかなか人物設定の味わいが深く細かいところでテクニックを感じてはいたけれど、うん、ほんとにおもしろい人物を作り上げてる。

主役のMちゃんも熱が入ってる。
Mちゃんの、まっすぐさが好きだなぁと思う。
愛される役者であることって才能だけれど、それを持っているんじゃないかなぁ…私は芝居のことはほぼ素人だけれど。

今回の芝居を見ていて思うことは、ああ、本当にこれは若いひとが書き若いひとが演じているんだなぁということ。
若いって青いって意味じゃあなくて、やはり今私の年ではきっとああいうことば、ああいう感情はもう過去のものにしようとしてしまっているなぁ…と感じる部分が随所にある。
だからってそこに感情移入ができないとか私はそんなところもうとっくに通り過ぎたんだよ、とかそういうことではない。
その年でしかつくれないもの、演じられないものはあるんだなぁと思うし、そこにいるからこそ発することのできる熱っていいなと思う。
年上ぶってるわけでもなくて…なんだかノスタルジーみたいなもの。

だから今日のMちゃんはいいと思ったんだよな。
安定よりも、今の私は嘘をつかないそのひと相応の、みずみずしい感情に突き動かされた一瞬が見たい。

Sちゃんの演技は安定している。声の発し方が気持ちいい。微細な息遣いとか強弱はさすが声のプロ。
笑顔が可愛すぎてどきどきしちゃう。
帰りに初めてちゃんとお話ができてうれしかった。

ヴァイオリンとは、今日合わせて練習してるときに二人してこれだぁっ!という鳥肌がたってしまった。
ドラマティックすぎるかなぁという危惧もあったけどここはこれでいい。
本番にあの感触が訪れたらいいのになぁ…!


いくつか、ランスルー前に撮った写真を。

 

照明さんと音響さん。
いろんな線や角度を調節してくれている。
いつもありがとうございます。

 

お世話になります。
喫煙所の、寂れて汚れた感じがかっこいい壁と灰皿。

 

装置を立てるために大きな脚立。
まだ客席を用意する前の会場。



ヴァイオリンをMちゃんから習ったSちゃん。すごく音感が良くてびっくり。
…を怪しい目で見つめるS君。



真ん中のミイラみたいなのが主演女優Mっぺです。
…あ、今回のお芝居、幽霊は出てくるけどエジプトの話じゃありません。



Mっぺと演出家をパパラッチ。
…あ、今回のお芝居、お笑いでもありません。



そして今回の相棒。
バイオリニストMちゃん。
音でも視線でも会場を包んでくれるから、安心して踊れます。

『ポケットパーク』初日へ

眩しいくらいの晴れ。
1週間ぶりに早起きをしてきた私にちゅんは驚いていました。

7時に起きて小屋入り初日の写真をパソコンに取り込み打ち出し…をするけれど遅い。私がキウイを食べて歯を磨いて着替えて…ってやっているうちに3枚くらいしか打ち出してくれなくて、全部待ってたらたぶん本番10分前になっちゃうよと思い半分打ち出したところで出てきた。
早めに行ってからだをくにゃくにゃにしておこうと思ったのにな。
うちのパソコンたら。

下見をしているからわかってはいたのだけれど実際舞台に立ってみてやはり問題なのは客席の近さ。
それから客席の圧迫感。
生かせもするし、けれど見せたいビジョンに持ってゆくには努力を要するポイントでもある。
一度ちゃんと自分でビデオ撮りして確かめないと。

思った以上に音が素直に響く小屋なので役者の声はもちろん、ヴァイオリンもきれいに聴こえて安心。
あの場での音がからだに染みるように今日何回か合わせてもらおう。


すてきな舞台になりますように。



まだチケットがありますので、ぜひぜひ。
王子は案外都心からも近いのです。

強くしなやかに


出掛けに歯を磨いていたらオリンピックをTVで見ていた父が残念そうな声をもらす。
画面を見ると北島。
北島も残念そうな顔をしている。
「これ200?北島まさか4位?」
と訊くと
「いや、世界記録にあと一歩だった」

……すごいやつ。
もうすでに期待されている基準が違うんだなぁ。

4年前に金メダルを取ってそれからずっと期待され続けてきた。
自分のなかでこつこつと4年間積み上げてくるのだってものすごく大変であろうのに彼には日本中からの期待やプレッシャーがあったのだろうな。それが後押しになることもあったかもしれないけれど。
なのに…。
4年間。
すごいことだ。
かっこいいなぁ。


友達と話すことも踊ることもなにかを創ることも、すべて今までずーっと生きてきた私の、たった今、を全力で咲かせることだ。
積み上げてきたわたしでしかここにはいられない。
今の一瞬に私に映りこむことも含めて。
でもその「今」という切り口は新しくてまだやわらかいから、どんどん変わっていけるんだと思う。
積み上げてきたわたし、のなかでしか私はものごとを判断することができないかもしれない。友達の話をきいても、それを自分に映してみてしかことばをはっせないかもしれない。
けれど、今まではこうだった、と頑なになって素敵な結果が生まれたためしはない。
私の切り口とおなじように今は生まれ続けているんだもの。
かといって私の全身が生まれたてのように頼りない、積み上げのないものになったわけじゃない。
私には根も幹も葉もある。
ところどころもういらなくて剥がれ落ちそうになってるかもしれないけどそれは放っておけばいい。
どれほどの深さの根か知らないし、どのくらい太い幹かわからないし、どのくらい豊かに葉が茂っているか見えないけど、でもだって、これまで何十年も毎日多少はものを考えて生きてきたんだから。


私は楽天的だな、と思う。
きっと信じるのが好きなんだと思う。
自分にとって信じる価値のあるものへの感覚はちゃんと備わっていると思う。
自分にとって心地よかったりこれは美しいと思ったり、大切にしたかったり。そういうものへの。
そう信じたら全力でこころを寄せる。
たとえその結果がどうなろうといいのだ。
傷つく覚悟も、幸せすぎて破裂しちゃう覚悟もできている。

もしかしたら信じることができた、ということそのものが私にとっては一番たいせつなことなのかもしれないな。