強くしなやかに
出掛けに歯を磨いていたらオリンピックをTVで見ていた父が残念そうな声をもらす。
画面を見ると北島。
北島も残念そうな顔をしている。
「これ200?北島まさか4位?」
と訊くと
「いや、世界記録にあと一歩だった」
……すごいやつ。
もうすでに期待されている基準が違うんだなぁ。
4年前に金メダルを取ってそれからずっと期待され続けてきた。
自分のなかでこつこつと4年間積み上げてくるのだってものすごく大変であろうのに彼には日本中からの期待やプレッシャーがあったのだろうな。それが後押しになることもあったかもしれないけれど。
なのに…。
4年間。
すごいことだ。
かっこいいなぁ。
友達と話すことも踊ることもなにかを創ることも、すべて今までずーっと生きてきた私の、たった今、を全力で咲かせることだ。
積み上げてきたわたしでしかここにはいられない。
今の一瞬に私に映りこむことも含めて。
でもその「今」という切り口は新しくてまだやわらかいから、どんどん変わっていけるんだと思う。
積み上げてきたわたし、のなかでしか私はものごとを判断することができないかもしれない。友達の話をきいても、それを自分に映してみてしかことばをはっせないかもしれない。
けれど、今まではこうだった、と頑なになって素敵な結果が生まれたためしはない。
私の切り口とおなじように今は生まれ続けているんだもの。
かといって私の全身が生まれたてのように頼りない、積み上げのないものになったわけじゃない。
私には根も幹も葉もある。
ところどころもういらなくて剥がれ落ちそうになってるかもしれないけどそれは放っておけばいい。
どれほどの深さの根か知らないし、どのくらい太い幹かわからないし、どのくらい豊かに葉が茂っているか見えないけど、でもだって、これまで何十年も毎日多少はものを考えて生きてきたんだから。
私は楽天的だな、と思う。
きっと信じるのが好きなんだと思う。
自分にとって信じる価値のあるものへの感覚はちゃんと備わっていると思う。
自分にとって心地よかったりこれは美しいと思ったり、大切にしたかったり。そういうものへの。
そう信じたら全力でこころを寄せる。
たとえその結果がどうなろうといいのだ。
傷つく覚悟も、幸せすぎて破裂しちゃう覚悟もできている。
もしかしたら信じることができた、ということそのものが私にとっては一番たいせつなことなのかもしれないな。
