アマヤドリ -27ページ目

小屋入り前日

今日は小屋入り前最後の稽古。
役があるとはいっても私は空間をつかさどるような存在。わたしがいる場所がどんな温度でどんな明るさなのかを想像する。
もちろんわたしのなかだけの処理じゃなくてその表面を見たときに、他の役者のなかに立ったときに、どんな風に溶け込んだりとけこまなかったりするのか、ということを。

帰りにMちゃんと2度目のトマトラーメンでリコピンにまみれながら語る。
ものを見せることの難しさについて。

空間のことをもっと意識しないといけないと思う。
からだがあって、からだじゃないところがある。
その両方を見ているひとに提供していることを忘れてはいけないなぁと思う。
しかもそれが立体であるし、光によっては実際よりも奥行きが深くも浅くもなる。
私が今踊っているカンパニーの振付けのS先生はほんとうに空間をセンスよく満たす。
それがどれほどのことであるかを痛感。
明日小屋に入ってから最後のもがきをしてみようと思う。


Mちゃんが、舞台っていろんなひとがひとつのものを創っていくんだね、おもしろい、と言ってくれた。
私が舞台を好きなのはまさにそこで、いろんな才能や感性があつまって袖をすりあわせ会話をし世界が構築されてゆくことがいとおしい。
書くひとも演じるひとももちろんだけれど光をあててくれるひと、音を溶け込ませてくれるひと。
ちらしのために写真を撮り絵を書いてくれたYちゃん。
毎回稽古につきそっていちからじゅうまで稽古をスムーズに進めさせてくれたSちゃん。
考えていた以上の衣裳でさらにイメージをくださったSさん。
たぶん舞台の写真を撮ってくださるであろう、Jさん。
ビデオを撮ってくださるTさん。

第三舞台じゃあないけれどここにお客さんが加わって初めてこの作品がなりたつ。
もしたとえ仔鹿のようによろよろしていようとも、今ここではこれしかありえない!というみずみずしさをもっていたい。




恋におちたシェイクスピア第9回公演
『ポケットパーク』

作・演出:長内那由多
出演  :浅井麻理・朝弘佳央理・鮫島一裕(劇団DECKCHOP)・西島聡子・栗明美生・長内那由多
日時  :2008年8月15日(19:30)
              16日(15:00/19:30)
              17日(14:00/18:30)
会場  :pit北/区域
      東京都北区王子1-13-18不二泉ビルB1,2
      (JR京浜東北線王子駅北口 徒歩2分
       東京メトロ南北線王子駅5番出口 徒歩0.5分
       都電荒川線王子駅前 徒歩5分)
チケット:前売り2200円・当日2500円


※まだ良い席があるそうです。
 チケットのお問い合わせは
 Chloe_bitter_sweetあっとyahoo.co.jp
(あっとを@に変えてください。大文字のCから始まります)
 までメッセージお待ちしています☆


苔がすき。


苔がすき。

苔って、ぬるぬるしてないんだよ。
やわらかくてふわふわと乾いてる。
春、太陽の光が差すといっせいに高く葉を伸ばす。
背伸びするみたいに。

小さい手をいっぱいに太陽に透かす。


水面にいる苔(?)はぬるぬるしてるかもしれないけど。

なんてたくさんのみどり。

わたしのたからもの


彼女と私はダムに沈む景色で繋がっている。
彼女が晴れた日にワンピースでそのほとりに座り覗き込む、そのおなじ瞳で私も、影の骨を見る。
静かに小鳥が鳴いているかもしれない。
雲がゆっくりと太陽の端っこを隠す。

時を同じくはしないけれど大きな白鷺が近くを飛び立ったのも知っている。
いっぱいに風を含ませた白い翼が肩口をかすめる。羽根には血が通っていないのになぜかあたたかで、鋭く通り過ぎたはずなのにまるで撫でるようだった。
私が見たのは通り過ぎた鷺たちの後ろ姿なのに、目に浮かぶのは湿地を蹴って飛び立つ瞬間、翼が初めて空気を孕むとき。

それから鮮やかなオレンジのふかふかなタオルに包まれた子猫。
私からは小さな頭ときくらげのような片耳しか見えない。
産毛がきらきらと際立ってときどきそよと風に吹かれている。
やわらかく瞑る目蓋やくちもとはたぶん薄くほほえんでいる。


すべてがざあっと、記憶のどこか終焉のような場所に流れ込んでいる。
横を抜き去るときの風も、草のかおりも、徐々にゆるんでおなかにしまわれる足も、おひさまの感触も。
いつでも再現できる。

ねむり草


小さいときにこの草を知って、それからこういうぎざぎざのはっぱを見かけると必ず触ってみる。
でも私の見立てはいつも悪くって、いつも「眠らない」とつぶやくばかりだった。

眠るこのいちまいいちまいの間に指をずっと置いておくのが好き。
やわらかくやわらかく、私よりも少し体温の低い葉が指をくっと掴む。
ごめんね、ってすぐ指を抜くけれど。

カンボジアで久しぶりにねむり草を見つけた。

お寺/カンボジア





カンボジアはもともとヒンズー教の国だったそう。

今は仏教の国なのだけれど、寺院にはヒンズーの色がまだ色濃く残っている。



仏教の、あれもこれも飲み込みつつ殺さない、という部分はすごいなあ。







尼さんが見守るなかお線香をあげお祈りをするひと。

おそらく自分の宗教を持っているだろうひとがほかの神さまをおまつりしている場を訪ねるって、どういう気持ちなのだろうか。

私がここで感じたり、教会に入って感じる感情とはやっぱり別のタイプのものなのかな。







江戸時代の人が残した落書き。

カンボジア旅行のパンフレットにも載っている、有名なもの。



これを書いた人はここをインドだと思ったんだって。

アメリカ大陸のときよりはましか。



月に行ったら旗を立てたいし、山に登ったら石を積みたいし、新しい土地に行ったら名前やらを書き込みたいという欲求は大昔からあるんだな。