real contact 3日目終えて | アマヤドリ

real contact 3日目終えて

ワークショップに打ちのめされている。
打ちのめされるよとは聞いていたけれどこれほどか…。
昨日の帰り道はほんとうにしんどかった。
からだの疲れももちろんあるけれど、自分が今まで積み上げてきたこと、毎日考えてきたこと、感じてたこと、そういうことをすべて今までみたいにはここに保っていられないような気持ちが鉛のようにからだに頭にぶらさがっていた。
なにもかもが嘘だったわけはないこともわかっているし、ほかでもないわたしが積んできたことがわたしにとってまるきり無価値なはずもない。
それもわかっているけれど、これほどなにもなしに踊ってきたこと…ましてや舞台に立ってきたこと、ひとと接してきたことを考えると…愕然とした。
どうして今まで簡単に許しちゃってきたんだろうな…と。
大げさみたいだけど。
真剣でありたいのに、真剣なつもりになっていただけだと知って(まだほんのはしっこも知ってはいないだろうに)衝撃を受けている。

辛うじて自分を保っていた小さな自信も失って、揺らいでゆらいで、なにが根底にあるのかもわからなくなりそう。
ふるいにかけるにしてもなにをふるいにしたらよいの?
削ぎおとすにしても、じゃあなにを中心に据えたらいいの?
つまり土台自体が見えなくなってしまっている。
もちろんそんなことが目的のワークでもなければ、全部失っちゃうほどに先生の言うことやることを理解したわけでもない。
そのことにも痛いほど気付いている。


電車のなかでわけもなく涙が出ちゃったりする。
くやしい、でもあり、今日ワークショップに行くのが恐い、でもあり、こんなにうすぼけちゃった自分を取り戻せるのかという不安、まだまだわかってないことにすら気付いていないのだ…という底無しのなにか。
けれど稽古にいかないという選択肢はどこを探してもみつからなかった。
稽古にはいきたい。恐いけど。
楽しみですらある。
恐いのに噛み付きたい、みたいなかんじ。
逃げたいわけじゃないということが嬉しかった。

涙のなかには嬉しいとか感動とかわくわくも含まれている。
だって私のなかにまだまだ発見できる余地があるということを知ったんだもの。
それが具体的にどんなことかがわからないことを考えると歯をくいしばっちゃうようなんだけど…。

けれどこうしてここまで打ちのめされへし折られること(しかも自分の認識がそれをもっともだと受け入れてる。根底は知っているからこその。)なんか、他にない。
そのことが幸せだとも思う。
よくなりたいからへこむんだもの。
よくなりたいから逃げたくないんだもの。
だから嬉しい。


からだはすごいんだよ、と先生が言ってくれた。
フェルデンクライスの稽古を受けてみたりして少しずつ私のなかに芽生えていた、からだは実は自分が頭でしばっているよりずっと賢く豊かである、という実感をもうひと段階強くこころにたたき込んでくれた。
実はまだわからない。
ときおり感じる。
わからなくてもいいからこの感じる瞬間をもっと体験したい。
けれどせっかく実現できる場に稽古しにいってるのにまた頭で考えちゃったりする。

けれど今日少しだけ感触があった。
二人組でひとりが腕にしっかり触れて動きをリードしそれに耳をすます…というものなんだけど、てのひらとからだがしっくりきて変なところを動かさなくても自然でいられた。どう動いたのかさっぱり覚えていないけれどその軌跡がシンプルで繊細で気持ちのよいものだったことは覚えている。
何かつかむなんてたぶんすぐにはできない、と考えていたから、この変化には嬉しくてきゃあきゃあはしゃいでしまった。
パートナーの方がいろんなことを試してくださったおかげ。


今日、
からだってすごいよ、と先生が話したときにどうしてかわからないけど涙が出た。
そうそう泣いたりしないつもりなんだけどなぁ…。
でもこれは悔し涙とかじゃなくて…こころがとてもゆるくなっていてそこにすとーん!と飛び込んできた、許されるようなことばだったからだろうと思う。
からだは、解き放ってほしいんだ。
そのことを私は知ってる。
この涙は頭からじゃなくてからだから出たんだなーと。
今、帰りの電車で分析している。

明日も稽古いくことを考えるとこころがもやもやする。
けれど早く明日にならないかなとも思う。
なんだこれ。

ほんとは先生ともっと話してみたいなぁ。
けれどまだ話すべきことがない。
話してみたい、っていっておきながらすごい矛盾だ。

感じ取っていることすらわからなくてハテナがからだのまわりを浮遊してるのに…ことばになんかとてもできない。