アマヤドリ -223ページ目

じっくりレッスン

ポアントクラスをバレエシューズでやるのは辛い。
でも動きが簡単だしじっくりできるから気付いたこともある。

ちょっと小指側を床に感じていなかったこと。
これはレッスン終わってから、どうも私の踊りは足首辺りから先のベクトルが20度くらい余所にいっちゃってるような気がするんです、と話したところ、足の裏の意識の話になった。
やっぱり、アーチをつくって指先を力の延長されるべき方向に伸ばしてゆくということなんだけれど、おもしろかったのは足の裏に縦に筋を入れる、というひとつの意識の方法。
掴みにかかっていて横方向にしか動かない、アーチもその方向にしかない足に、縦方向にもアーチを作ってあげること。
筒みたい…かな。
…たぶん筒、ってちょっと違うな…まるめるのとはわけが違うから。


あとはグランフェッテ。
力任せで男性みたいだ…それにタイミングが回りすぎるおかげでどんどんずれちゃう…と自分でも思っていたけれど今日やっとフェッテのフェッテたる所以が分かって回ることができた。
そうだよ。フェッテじゃん。今までフェッテしてなかったよ。足を横に上げて軸足でタイミングよく回ることばかり考えてた。フェッテをすれば軸足は立ってるだけでいいんじゃん!
もう。
早く言ってよネ。←たぶん今までも散々言われてる


私自身はこの体の頑丈さに柔軟性を邪魔されている部分があってたまにああもう!こんな足!と思うのだけれど、骨や筋があるからこっちには曲がらなくても当然なのか…ということをきちんと理解し、体を労ってあげようと思う。
あらぬ方向にばかり、筋のばすぎりぎり、みたいなストレッチばかりするのはやめよう。実際たまに力任せすぎて筋がぴちぴちいってるし!
かわいそう。

フェルデンクライスのサイトを見てからますます感じたのだけれど、やはり無駄のない動きもできるようになりたい。
はっきり言えば私の踊りは無駄だらけ。余分をつけてなんぼ、みたいなところがあるから。
そういうのも好きなんだけれど、その好みも生かしつつ、でも自然な、きしきししてない、がつんと、じゃない動きもできるようになりたい。


今日はルルベの時に膝下の骨の螺旋と足の裏をまっすぐ使うことを意識。
あと、軸の脇を骨盤から剥がすこと。
背中からの腕をのびのび使えるように後ろの肋骨のなかで呼吸をすること。

でもまた腰の角度がわからなくなった。


桐のたんすみたい。
いっこ直すとほかの問題がぴよ、って顔を出す。

意識して左脳でもレッスンを聞こう。





フェルデンクライス

母の日だということを、すっかり忘れていた。
忘れていたというか、来週あたりだろうと勝手に決めていた。
お母さん、ほんとに勝手気儘な子供でごめんね。


★   ★   ★



一緒に舞台に出る仲間のひとりが、ちょっと魔法としかいいようがないくらい不思議な知識を持っている。
ちょっと体に触れるだけ、いくつかの指示をくれるだけなのだけれど歪みとか関節に染み付いた思い込みのようなものを解いてくれるのだ。
本当に不思議。
別に魔法や超能力じゃなくてそのひとの体自身を起こしてあげているだけ、というような感じなのだけれど、見つめているとあまりに不思議すぎて「不思議だ不思議だ」としかことばが出なくなる。

私も以前診てもらった時は体の平行感覚が一時的にだけどおかしくなってまっすぐ歩けなくなったし(それまでが歪んでいたから)、おまけとして世界中のブルーの色が目に飛び込んでくるみたいだった。

不思議、なんだけど、教えてくれることを聞いているとこれは全然不思議じゃない。体にとってごく当たり前のことなのかもしれないなあと思う。
「なのかもしれないなぁ」というのは、知識としてじゃなく感覚が、それは正しいよ、と頷くかんじだから。
そんな当たり前のことどうしてわからなかったのかな?ということもあればなるほど、そんな風に導いてくれれば私のこの体も言うことを聞いてくれるかもしれないよ、ということもあり、これは不思議なんじゃない、ちゃんと体に耳を澄ましてあげれば(もちろん骨とか筋とかの知識があったうえで)教えてくれることなのかもしれないという風に思う。

ただ今のところ残念なのは私が自分の体をわかっていないこと。
もっとわかっていれば、吸収できる知識もまた違ったものになるのに…。
説明を一生懸命聞いているけどその時だけの納得で終わってしまって、つづいたり発展することがない。
あれが体にしみ込めば絶対、もっと素直に動けるようになりそうなのにな。

体のなかにひとつとして余分な機能はなくて、それが全部ちゃんと繋がって働いている。
そういうことを考えると体のことがいとしくなる。私のからだなのに、体って未知で、実はすごいものなんだなぁ。
せっかくの器を何も知らずに乱暴に、用途も間違った使い方をしているのかと思うともったいなく、申し訳ない。


フェルデンクライス・メソッドの説明が載っていたのでリンク。



今日はレッスン行けるかな。
バレエシューズもポアントも忘れちゃったから裸足で踊ろう。



モーシェ フェルデンクライス, 安井 武
心をひらく体のレッスン―フェルデンクライスの自己開発法
M. フェルデンクライス, Moshe Feldenkrais, 安井 武
フェルデンクライス身体訓練法―からだからこころをひらく


Memo

▼togoさんの教えてくれたグルジェフムーヴメンツ のサイト。

 ムーヴメントのビデオを見ることもできる。


このサイトの中に

 ムーヴメンツは、人間ばなれした能力を得るための訓練ではない。ムーヴメンツは、なによりもまず、人間であることの意味を伝えるものである。

という記述があった。

なんだか、ああ、私はもしかしたら今こういうところに魅力を感じているのかもしれない、と思った。

早くまわったり高く飛んだりすることもまだまだしたいのだけれど、それだけじゃなくて。

もっと深いところに発見を求めているのかも。


こういうのって、年をとれば踊りも変わってくる、っていうことと関連があるんだろうな。

多分。



見つけたHP






何がほんとうのたすけなのか

元生徒からのメールを受けて、もどかしい気持ちになった。
いらだちはいつものこと。
その子にではなく、絶対的に理不尽に苦しめているおおもとのことについて。

善し悪しではないということもわかる。ついそういう分類をしてしまうのだけれど、そんなに単純にすべてをわけることはできないし、そんなかかわり方は自分にもったいない結果をもたらすということを知ってからはそれじゃあいけないと考え直すようになったと思う。
でも、それでも。

知っているから。
ぐるぐるの、ぐちゃぐちゃなこと。
全然、誠意とか愛情とか伝わらないんだってば!って。

でもそんなこと言いたくない。
私にとってはそうだったけれど、それがひとにとって、ましてや立場の違う目から見て同じとは限らない。
悪口なんて、それに接している本人には言いたくない。感じるのは本人なんだし…。


だけどそれが当たり前だと受け入れている以上ずっと苦しむんじゃないかと…それがもどかしい。
葛藤する。

もちろん色んな原因は自分の中にもあると思うし、なにもかも自分次第という風にも思うけれど…。
あなたが苦しいのはあなたの中の弱さが問題なのではなくて、あなたの素敵な部分を否応なく潰されようとしているからなんだよ。
私は、そう思う。

それは私が私の感情と強く関わりながら考えること。
真実かわからない。
全部を公平に見ているつもりだけど、そこには私の心の底にある毛嫌いのようなものが影響しているに決まってる。
よい部分があると認めたうえでも。


すべての原因を自分のなかに求めて苦しんでいるよね。
でもそれなら、まわりから受けた素敵なできごともすべて、自分がつかんだことなんだって考えてほしい。
ね。


また一緒に踊ろう、とメッセージした。


すべてを飲み込んじゃわないで。
もっと愚かに、思わず口走っちゃっていいんだよ。

伝わっていればいいなと思う。

やわらかな問い

今日は本番前なので散髪に。
少し長めに…と思ったのだけれどやっぱりいつも切りたい気持ちになってしまって鋏の進むのをわくわく見守ってしまう。結局、後ろは短い。前と横が少し長いけれど。
そしてとっても久々に色をかなり抜いた。途中はまっきんきんで、それこそ宝塚の方のようだった。
大丈夫か?とひやひやしたけれど、とても可愛い色が入りました。

一度あそこまで色を抜くと光によって本当にさまざまな表情を見せてくれる。らしい。
髪がガラスのようになるからだろうか。


何度かここにも書いているけれど私はこの美容師さんの持つ雰囲気や、丁寧なことばの選び方、感情をちゃんと適切に大事にとらえようとするその真摯なところにとてもひかれる。
私も、このひとならわかってくれるかもしれないなぁ、というぎりぎりのところにまで自分の深みにおりて話す。すごくまだ未完成なところを、口にだしてみたくなる。
もちろんでもだから、ことばにつまったりすることはしょっちゅうだし、やっぱりうまく言えないから、と、無理矢理何か微妙に違うことを持ち出したくなくてあえてそこでとどめたりもする。
だからぽつりぽつり。

とても些細な、でも軸になるようなことを覚えていてくれて、大抵それは私自身がもうすでに忘れたり手放しかけていることだったりするから、ああそうだった、と気付かされる。
あんまり小さくて自然で、発した時にはその重要性に気付いてもいなかったかもしれないようなこと。

実は緩やかにそこで曲がり角を迎えていたんだということをふんわりと思い起こさせてくれる。

不思議。

だから髪型が変わるということもとてもわくわくするんだけれど、彼女と話せることは思索の旅に似ていて、好きだ。


それと同時に緊張もする。
自分に対峙する瞬間でもあるようで。
感じているすべてのことを、かたちにできない事実も目のあたりにするから。
だけど決して不快ではないから、帰り道、その浮遊感のなかに思いを巡らす。


もう少し明確に、とらえられるといいのに。
丁寧に。
思い付きや、塗り固めではなくて。

わたしの芯から生まれたことをかたちにする、この長い距離の間をただもどかしく思うのではなく、雪だるまみたいに、育てていけたら。

カノン

夜中、部屋の中に真直ぐ差してくる光が明るかったから、

今日は満月なんだろうとベランダに出た。

やっぱり、まんまる。

薄く雲がかかっていて、一回り大きなぼんやりとした光に包まれている。

霞んでいるのにちゃんと暗いところと明るいところが見えて、じっと見つめるとそれがますます際立つようだった。


胸のそこのほうまでちゃんと、深呼吸をする。

月にかかっているもやもやを吸い取ろうとするように。

そのクリーム色の冷たさで肺を満たして、体のすみずみまでゆきわたるように。



ずっと月と正面から向かい合って、

どうしてだろう、

素直になれるのは、

と思った。


私が月を、特別好きだからなのかな。

それとも、

だれもがこの月の光の音楽に触れると、ひたと心を澄ませることができるのだろうか。



見つめていたら月は、

満月じゃないことがわかった。

左のおでこのほんの端の部分がちょっと欠けている。



だから、満月は今日だ。




見つめられるくらいのひかりだから月は、

やさしい。