アマヤドリ -114ページ目

あんまり太陽が

ときどき、
わたしは周りの人のこころの大事なはしっこをぎゅっと踏み付けて、
そうして進んでいるんじゃないかと思うことがある。
私のいたらなさのせい。
だらしなさのせい。

みんなにこにこ許してくれるけれど
どこかで。

それが自分にかえってくるのならまだいいのだけれど。


誰の迷惑にもならずに歩いてゆくことなんて難しいのはわかってる。
ただ、そこに
私は許しをもらおうと
甘えているんじゃないかな、と。

いたみを想像することをやめちゃいけない。



今から楽しみにしていたワークショツプ。
どきどきわくわく。

報せ、電話、秘密



友達の夢を見た。
どこかに遊びに行ったその余韻が残るまま、ベンチに座って買ってきたものをふたりで食べている。
私はお姉さんのようなおばあちゃんのような気持ちで友達が色々食べているのを見守る。
そうしたらその夜、友達から日本に帰るよ、との報せがあった。

おばあちゃんは3ヵ月くらい前に赤ちゃんの夢をみたという。
そうしたらおととし結婚した従兄に赤ちゃんができた報告があった。授かってから3ヵ月だそう。

こういうところが、私と祖母は似ている。


17日に祖母と母とそれから友達と能(結局能ではなく謡と仕舞だった)に行ったあと、祖母は体調を崩した。
母の兄と生活している頃は体だけはずっと元気だった祖母は、その家族とうまくいかなくなってひとり暮しをするようになってからは急に弱くなった。
ひとが好きで寂しがりやで隙さえあれば誰とでも話したがる。そんな祖母にとってひとりで暮らすことや、問題は山積みだったけれど一緒に生活をしてきた家族に去られたことが今でもしくしく心を刺しているのだろうと思う。
けれど長年住み慣れた友達たちのいる場所を離れて私たち家族と住むこともできないようで…だから母は月に一度、祖母の家に行くことにしている。私も、行けるときには。


祖母が元気になったころを見計らって母はうちに帰ってきた。
私は母が帰ったころを見計らって祖母に電話をした。
おばあちゃん、元気になった?
駅までのほんの少しを話すだけのつもりだったのに長話しになった。
近所の奥さんが私を見て、あのこにはそのうち急にびっくりするようないいひとが現われるわよ、と言ってくれたこと。(おおっ!ほんと?!期待ちゃうよ)
一緒にいった友達はずいぶん優しい子だったね、ということ。
近所のおばあさんに祖母があんまりいつもバス停でひとと話しているものだからみっともなくて近くを通りたくないわと悪口を言われてしまったこと。

夜に包まれた植え込みから道に伸びている紫陽花の葉に触れながら、うんうん、そうだったらいいなー。え、そんなのただのやっかみだよ。おばあちゃんは年のわりにしわがなくて綺麗だよ。生らくがん食べた?
と、会話をした。

私や母が帰るときはいつも少し涙ぐむ祖母。
電話を切るときだけなぜか「じゃあね、御免ください」とかしこまってしまう祖母。

おばあちゃんが大好きだ。


問題があって別れてしまったその親戚とは、もう誰も連絡がとれない。
だけど私はその従妹をmixiでみつけてしまった。
TOPの写真は祖母がひとめ見たくてしかたなく思っている初孫の写真。従妹のこどものころにそっくりな可愛い娘さんで、疑いようがない。

だけど私は、その従妹に声をかけることができずにいる。


このことは私と、風と、この日記だけの秘密だ。

…今は。

『ヘンリー・ダーガー展』


雨の中、品川へ。
原美術館は久しぶりだ。
私の記憶の中で原美術館の入り口は、少し朽ちた木でできた門だった。
少し歪んで左右が噛み合わず、ぴったり閉まることのない門。
だけど全然そんな門ではなかった。きちんと舗装された道路に面し、素敵にどっしりとしていた。

どうしてそんな思い違いをしていたんだろう。
他の美術館と間違っているのか、その時原美術館以外に散歩をしたところがあってその風景なのか、それともそのときは間違って裏口から入ってしまったのか。




ヘンリー・ダーガー。
感情障害と診断され入院していた病院を脱走したあとはほとんどひとと交わらない暮らしをしていたらしい。
ものを集めるのが好きで遠くまで散歩に行ってはあらゆるものを拾って部屋に持ち帰っていた。

色使いに魅かれた。
隣合う色同士がはっとするほど突然なのに、不釣り合いさを感じない。
どこまでが計算なのかわからないけれどきっと収集家のことだもの、こだわりぬいているに違いないという気がする。

少女についての長いながい物語を残していたという。
お部屋にも、まるで自分の家族であるかのように少女たちの写真や絵の切り抜きを飾っている。
だから絵を見るまで、きっと女の子たちはしつこいまでに描き込まれているのだろうと思っていたが実際には、女の子が一番生きてないものとして描かれているように、私には見えた。
こんなに雲や花を生き生きと描いているのに、何故女の子だけは平らな表情なんだろう、時間がとまっているんだろうと。
足を進めるにつれてどんどん違和感がふくらんだ。ただその場面に貼り付けられた、セルロイドのお人形みたい。
同じポーズの女の子をたくさん描いているからかなぁとも考えたのだけれどそれだけじゃなくて…このひとはこの女の子たちをチェスの駒のように、この景色の中に集めたかったのかもしれない、ということをふと思った。
ものを集めるのが好きだということと結び付けるのは安直すぎるのだけど。

花が鮮やかで元気いっぱいに描かれていて印象的だった。
どれも一色で影も光もなく塗られているのにどういうわけかサボテンだけ明暗が付けられていることが気になった。あれはコラージュではなかったと思う。

あと、女の子なのに男の子の体をしていることが気になった。
何故だろう。
天使の絵はたいてい男の子だからかな。
両性具有になにかちからを感じていたのか。
それとも本人は実は男の子のつもりで描いたのに女の子と解釈されているのか…
なんなんだろう。


ヘンリー・ダーガー自身の世界は、垣間見ただけで少しくらくらした。
どこかで和音が狂う。
高さが不揃いな階段を上っているような。
だけど目は否応なくその色彩と線で繰り広げられる世界に吸い寄せられる。

ヘンリー・ダーガーは映画にもなるみたい。
見に行こうと思う。


ミュージアムショップに、VINYLの壁紙があった。
素敵なおうちに住んだら、あれを貼りたい。





異能のダンサー

今日の情熱大陸はダンサーの森山開次さん。
とても好きな踊り手です。

最近まで外国で公演をしていてたぶんその映像もあるはず…

コンテンポラリーダンスって何?
の、一部がわかるかも。

素敵なお天気だから。



誰かしらの日記を読んだりメッセージやコメントを頂くことで、毎日必ず胸がじいんとする瞬間がある。
胸がじいんとするという表現はちょっと違うかな。

例えば今私のこころはからだの中に閉じ込められていて、多少薄暗いところにあるとする(これは物理的にということ。暗い気持ちでいるということではなくて)。
だけどその瞬間、私のこころにはありとあらゆる色が一瞬にして生まれ、小さな爆発を起こしたあと、こころをいっぱいに満たす。満たすだけでは足りなくてあふれ出て、からだのすみずみに染み渡ってから、胸の後ろ~うなじのあたり付近から強く外気に広がって、私の肌じゅうを包んだりそこいらへんに吹き払われたりす る。
なかから、そとから、そうして新鮮な光に包まれる。
もしかしたらうんと遠くに吹かれていった粒も、私と繋がってる。
そんな感触。

毎日こんな感動というか、感銘というか、を受けることができるなんて幸せだなあと思う。


こんな風に感じられることが、感じられているということを意識できるようになったことが、ここ最近の私の一番の進化だ。
ここ何年かでの。
「進化」というとなんとなく自分ひとりが頑張って変わったみたいだなあ。
私の場合、こうしたひととの関わり(ひとの創ったもの、残したものもふくめて)に依ったものであるので「化学変化」と言ったほうが近いのかもしれない。

もっともっと変われることをどこかで感じているし、そのことが楽しみで仕方がない反面、それはとても微妙な過程を辿るものであるので(今までのこともかえりみてみればそうだったような気がする)、いつでも違う方向に曲がったり濁ったりしてしまうことが不安でもある。
せっかく素敵なことを受け入れたのに化学変化がうまくいかないということも十分にありえるから。

可能性が無限にあるかもしれないということと、可能性が全くないかもしれないということは、両極にあるようでいて実は、同じことを言っている、ような気もする。
数学はこころのことを言い表していることがときどきあって、びっくりする。


遠回りはかまわないけれど、閉ざしてしまうことだけはダメ。
呼吸を止めたら光が消えちゃうから。