『ヘンリー・ダーガー展』 | アマヤドリ

『ヘンリー・ダーガー展』


雨の中、品川へ。
原美術館は久しぶりだ。
私の記憶の中で原美術館の入り口は、少し朽ちた木でできた門だった。
少し歪んで左右が噛み合わず、ぴったり閉まることのない門。
だけど全然そんな門ではなかった。きちんと舗装された道路に面し、素敵にどっしりとしていた。

どうしてそんな思い違いをしていたんだろう。
他の美術館と間違っているのか、その時原美術館以外に散歩をしたところがあってその風景なのか、それともそのときは間違って裏口から入ってしまったのか。




ヘンリー・ダーガー。
感情障害と診断され入院していた病院を脱走したあとはほとんどひとと交わらない暮らしをしていたらしい。
ものを集めるのが好きで遠くまで散歩に行ってはあらゆるものを拾って部屋に持ち帰っていた。

色使いに魅かれた。
隣合う色同士がはっとするほど突然なのに、不釣り合いさを感じない。
どこまでが計算なのかわからないけれどきっと収集家のことだもの、こだわりぬいているに違いないという気がする。

少女についての長いながい物語を残していたという。
お部屋にも、まるで自分の家族であるかのように少女たちの写真や絵の切り抜きを飾っている。
だから絵を見るまで、きっと女の子たちはしつこいまでに描き込まれているのだろうと思っていたが実際には、女の子が一番生きてないものとして描かれているように、私には見えた。
こんなに雲や花を生き生きと描いているのに、何故女の子だけは平らな表情なんだろう、時間がとまっているんだろうと。
足を進めるにつれてどんどん違和感がふくらんだ。ただその場面に貼り付けられた、セルロイドのお人形みたい。
同じポーズの女の子をたくさん描いているからかなぁとも考えたのだけれどそれだけじゃなくて…このひとはこの女の子たちをチェスの駒のように、この景色の中に集めたかったのかもしれない、ということをふと思った。
ものを集めるのが好きだということと結び付けるのは安直すぎるのだけど。

花が鮮やかで元気いっぱいに描かれていて印象的だった。
どれも一色で影も光もなく塗られているのにどういうわけかサボテンだけ明暗が付けられていることが気になった。あれはコラージュではなかったと思う。

あと、女の子なのに男の子の体をしていることが気になった。
何故だろう。
天使の絵はたいてい男の子だからかな。
両性具有になにかちからを感じていたのか。
それとも本人は実は男の子のつもりで描いたのに女の子と解釈されているのか…
なんなんだろう。


ヘンリー・ダーガー自身の世界は、垣間見ただけで少しくらくらした。
どこかで和音が狂う。
高さが不揃いな階段を上っているような。
だけど目は否応なくその色彩と線で繰り広げられる世界に吸い寄せられる。

ヘンリー・ダーガーは映画にもなるみたい。
見に行こうと思う。


ミュージアムショップに、VINYLの壁紙があった。
素敵なおうちに住んだら、あれを貼りたい。