講演ネタ アキレスと亀 | 秋山のブログ

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皆さんは、アキレスと亀のパラドックスというものをご存知ですか?前をゆっくり歩いている亀に、アキレスは追いつくことができないという詭弁です。アキレスが追いかけ始めた時点で亀がいた位置に辿り着いた瞬間には亀は前に移動しており、その後また追いつこうとしても着いた瞬間には亀はまた前に移動している。アキレスは永遠に亀においつけないという話です。
どこが間違っているかと言われれば、距離を小さくする作業を無限に繰り返せば最後はゼロになるから等、いろいろな説明が考え付くとも思いますが、理解できない人を納得させるのは実際には困難だと思います。
この話を出してきたのには実は理由があります。経済学には実はこのような詭弁がたくさんあって、しかも否定されずに多くの人が騙されている状態が続いているのです。例を出して説明してみましょう。
取り上げるのは、「取引(交易)はすべての人をより豊かにする」という話です。これはベストセラーになっているマンキューの教科書に載っている十大原理のうちのひとつで、これをそのまま信じている人がたくさんいます。そしてそこに大きな問題をはらんでいます。
誰かが取り引きをおこなう時、お互い得だと思っていなければ取り引きしませんよね。だからお互い自発的に、そして相手を騙すような意図がなければ、お互い得するはずですよね。だから多くの場合、Win-Winの関係になるというのはその通りです。
しかしだからと言って、必ず取り引きすればWin-Winになるわけではないですよね。騙して儲けようと考える人はいくらでもいるでしょうし、それ程的確に判断する能力が人々にあるわけでもないでしょう。(このことは教科書でも説明されていますが、最終的には無視されています)
ましてや、これが国同士の交易に関しても成り立つというのは完全に詭弁です(安易に国を個人に置き換えてはいけません)。交易をおこなうのは国そのものではなく、そこに住む個々の国民です。全体をみて判断しているわけではありません。個人にとって適切な行為が全体としては不具合を生むこと(合成の誤謬)もしばしばありえます。
ところが、十大原理を盲目的に信じて、自由貿易は無条件に尊重されるべきなどと考えている経済学者が少なからずいますし、そのような考えに基づいた政策が主張されることもしばしばです。これは実に残念なことで、経済学者たるものは本来はこのような単純な誤りを修正するものでなくてはいけないと思います。
自由貿易を絶対視するための詭弁として、他には、比較優位とか、社会的総余剰とかがありますが、どちらもどこが詭弁か明瞭に示すことができます(今回は説明を省略します。リンクを参照してくだだい)。
しかしこれらは若干複雑なので、本質をついた説明もあまりなされず、多くの人がまんまと騙されたり、自由貿易は無条件に尊重されるべきという間違った結論だけがひとり歩きしたりしています。
このようなことがおこる理由は、経済学者やエコノミストの多くが、真実を追究することよりも、特定の人間の利益になるよう政策を誘導するための理論作りに専念しているからです。証券会社に勤め出した途端、今までの主張を百八十度変えたエコノミストもいます。
我々がすべきことは、現実と照らし合わせながら、何故そうなのかひとつひとつ確認していくことです。著名な学者であるからとか、教科書に書いてあるからといった理由で信じたり、現実と一致していないのに理論こそ正しいとするなどということは、科学的論理的思考とは正反対なことです。間違った方策と不幸な結果しか生みません。
ただ誤解しないでいただきたいのは、経済学の全てがデタラメではないということです。
逆に経済学を学ばなければ誤解しがちの誤りはたくさんあります。重商主義は陥りやすい誤りですし、政府の会計を個人や企業の会計と同じように考えるのも、何の知識もない普通の人が陥りやすい誤りです。経済学自体は正しく作り直されれば、多くの人々にとって素晴らしい恩恵をもたらすでしょう。